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「何を変えるのか 何が変わるのか」

随分前の話になるが

高知市内にある

土佐勤皇党の武市先生(龍馬さんの盟友)
の史跡の近くを通りかかると、

写真を撮っている人がいた。

よくよく聞いてみるとバイクを走らせ
幕末の史跡を写真に収めて
いるという。

他にもいろいろ回っていると言っていた。



東京にも土佐藩の藩邸跡地、
千葉道場跡地等があるらしいが、
以前訪れた事のある岩崎邸等
はっきりと、形として残っているのは
そう多くはない。

お茶の水のニコライ堂等は
非常に見ごたえがあった。
当時の建築技術はすごいもんだと驚いた。
よくよく聞いてみると、土佐の人間が
牧師をしてたらしい。

形として残らずとも、
強烈に想いは残っていると思う。

当時、見えない外圧から愛する者を守りたいという
機運は高まっていた事であろう。
歴史は繰り返すとはよく言ったものだ。




今、僕たちは
今一度原点に立ち返り

「本当に大切なものは何なのか?」

夜明けか、夕暮か、一見しただけでは簡単に見分けることができないのと
同じように

物事は、すべて
常にコインの裏表の
ごとくであると思う。




大切なものを、なくしてはならない。
そう思う。

何が大事で何がそうでないか。
それは、なくしてからじゃないとわからない。

僕は、そう思う。


土佐人は、激動の時代で何を
思ったのか、どこからヒントを得たのか

加持将一氏の龍馬について書かれた本の中に
龍馬が何からヒントを得ていたのかという部分にも
触れていた。




しかし、司馬先生の「竜馬がゆく」にもある様に
四国というお遍路のある国に
生まれたという事も、ひとつ、大きい様に思う。

四国のお遍路は
否応なしに色々と考えさせられる事が多い。

カルマというものが存在するのであれば
四国遍路を回ることで解消されるのか
出会うべき人、なすべきことをした段階で
それは消えるのか


また出会うべき人と出会い


また離れることで、また新しい出会いがあるように

すべては、過去、現在、未来
繋がっているように思う。

ある本では、
過去+未来≒現在だとも言っていた。


人は利で動いていると龍馬は言ったが
これも本当に面白い表現だと思う。




更に言うと、やらなければならないことは何一つないという前に

僕たちは、そもそも
何一つ、心の底から欲しい物は最初からないということだ。

それは、メディア等によって
僕たちは、そうした発信者側から

そう思わされているに過ぎず
自分の内なる欲求から派生するものではないのではない
と、僕の敬愛する母校のマーケティングを教えてくれた
先生が言っていた。



確かに、
映画館でコーラのCMを映画の始まる前で
やられたら、飲みたくなるわな。

そのことは、当時の僕にとっては衝撃的な
フレーズであったし、
よくよく考えてみると、そのとおりだった。

そう考えるのであれば
自分の思考も変えていかないといけない。



内なる心との対話で
極力いらないものは、買わないようにするとか
本当に必要な物を必要な分だけ買うとか
していく、昔のライフスタイルへ原点回帰することも
今後、地球環境が大きく変わり
食物が取れなくなる時代が来るかもしれない。
その時には、遅いということだ。

人間が、食物連鎖の頂点に立っているという事を
忘れてはいけないように思う。

人間が、欲望のまま生きるということでは
この地球の未来がどうなるか本当に
危ういように思うのだ。

そういう概念は必要な事の一つであると僕はそれを基に思うのだ。

かつての志士たちが
何かを信じた様に、

その原点には、こうするべきだという機運があった。
こうしたいという思いがあった。
志士たちを突き動かす言葉や、メッセージ、意味が
あったと思う。



これでは、いけないと
反論する者もいた。

むやみやたらに煽ってはならない
人を惑わせてはならない
そう思う。


いつもニュートラルでいないと
冷静な判断などできっこないと思う。

現代の場合も同じく、利やブランド≒価値=記号

世の中はブランド≒記号で動いているように
思う。しかし、

その記号も、いつしかガタが来るときが
必ず来ると思う。

幸せの尺度も大きく変わってきた。
はかりにくい様になってきている。
細分化が加速する社会。

大きな大木が木材屋さんで
小さく、分裂していくように

企業体も組織も、世の中のニーズや
かゆい所に手が届くようになる為に、
分社化したり

分裂したりする様な動きもある様に思う。

メンテナンスがきちんと、なされていない場合
その記号は徐々に崩れ去る。

そして、記号と認識されなくなる。
ネットが台頭してきた時代だからこそ
今後は、そういう事が加速するだろう。

あるべき姿へ移行すると思う。

桜咲きて、想うこと

桜咲きて、

桜散る

いつとはなしに、かの友を

思い出す このゆうべ




桜吹雪

ありがとう

一礼し

また来る桜の季節を想ふ




桜散る

言葉つまり

胸つまる

桜たちを見送る

今年もありがとう




日本の心

ここにありて

月夜に願う

平和な社会




一途な志

天通じ

敵も味方も握手して

夜明けが来るぜよ。



tsutsuruit

土佐弁。

土佐弁について


現地の人は本当にそんな言葉使いをするのか?!

と聞かれるので


僕は、一瞬戸惑うのだが


高知に来てみたら分かりますと言うことにしている。


高知にも全国各地から

観光客が来ているらしい。


非常に嬉しいことだ。


高知城と桜を背景に催事が行われたようだ。

http://www.welcome-kochi.jp/event/hanakairou/index.htm


土佐弁メモ

①やりゆうかよ?【やっているか?】

②どうぜよ?【どうだい?】

③あいつは、いられぜよ【あいつは、怒りっぽいよ】

④侍は、腹を決めんといかんぜよ【侍は覚悟を決めないといけないよ】

⑤おまん、どうしゆうぜ?【おまえ、何している?】

⑥日本の夜明けがみたいだけぜよ【日本の夜明けが見たいだけだよ。】

⑦わしは、どうも酔っぱらっちゅう【私はどうも酔っているようだ】

⑧人生、何が起こるか分らんところが面白いぜよ【人生何が起こるかわからない所が面白い。】