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夜桜に想ふこと。

毎年、

桜をの季節がやってくる。


一瞬に咲いて

瞬く間に夢の様に散っていく。


月夜の桜を見ながら

その儚さを物悲しく思いながら。





散っていく様を、

僕は毎年、心静かにはやる気持ちを

落ち着かせながら

見送っている。


しかし本心はいささか、心おだやかではないのだ。

しかし、桜が満開になる頃、


かつての京都の志士の勇敢な

姿と重ねながら


京都の桜は咲いているかと

思いをはせるのである。


どんなに綺麗に咲いたとしても

瞬く間に散っていく儚さや、

その潔さを

心を痛めながら僕は

見ている。


決して写真になどおさめてはならない

と思ってしまう程の圧巻の桜。


毎年、複雑な気持ちで

この季節を迎える。


この季節は、出会いと別れの季節。

様々な想いで、桜の季節を迎える。


今年は、なぜか高知が一番に桜開花宣言が出た。



今、生かしていただいているのも

歴史という大きな流れあっての

ものだと感謝しながら、


ありがとうございます

愛してます


僕は、そう心の中で、想うのだ。



一瞬、一瞬を

全力でいこうと思う。



そう。

また、夜明けが来るのだ。


大局で物を見る。


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京都に思いをはせる今日この頃。

己の「意識維新」の道へ。



人生においては

一定期間、

ふと立ち止まり

本当にこの道で

良いのかと自問自答するのも良いと思う。




混沌とした社会では

きちんとした判断をし続けることは

本当に難しいことです。


さらには


人生において


現代社会は

競争社会ゆえ


すべての人が最終的に

負けてしまう仕組みに

なっていると本で読んだ事がある。


僕の通っていた東京のキャリアスクールでは

最後の挨拶に

先生が、

「人生は旅である」

という詩をもらった。


僕もその通りだと思っていて

旅だからこそ

途中で休憩や、

方向転換、一時停止

上昇気流、

シフトチェンジもかまわない。


こうしなければ

ならないという事は一切ないのだ。




逆に言えば

これからの現代社会は

一極集中のビル街のアパートで住むよりも


これだけ自然環境を守ろうとする

動きが活発だからこそ


地方へ出て、

自分で食べる半分は、自給自足でもって

太陽光発電とかでフリーエネルギーを

自家発電しながら

少しの給料で


生活するという

選択肢を選ぶ人も沢山出てくるだろうと思う。


ただ、都市という

場所は

様々な中心地であることから

メリットも多いが


地方に比べて

地域コミュニティにおいての

絆の希薄さや

目の届きにくい

一人暮らしの人までをも内包し

セーフティネットたるものが脆弱であると思う。


絆を確認することが

ほとんどなく、

SNSなどで

ゆるやかに繋がることを

選択する人も多いように感じる。


セーフティネットが

どこまで守れば良いか

という話も出てきて

難しい問題だと思う。


僕は、何が幸せか?

とよくよく考えると、


落ちついて

珈琲を飲みながら

読書をしてじっくり考える時間と

少しの給料で幸せだと思う。

後は、理解者がいて

仲間がいれば、それで良いと思う。


比較し始めると

きりがない。


あいつより

勝ったとか。負けたとか


小さいことは、いいじゃないか。


諸外国へ勉強しにいく

大いに結構。



この現代社会では


信念を一切持たない、こだわりがない

ことも、ある種、信念の一つであると思う。


情報が氾濫する中


一つのことに、こだわらず

ニュートラルで

とらわれず、

何色にも染まらない。


白でも黒でもない。

かといって虹色でもない。


しかし、

この一点のみは、

どうしても、ゆずれない物や、信念が

あるという事は

大きな大局の中で必要と考える。



矛先を一点のみならず

四方八方に向け


自分自身の意識を維新することが

求められていると思う。







それぞれが、自分自身の夜明けへ向けて。

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「新しい扉を開く」 


坂本龍馬


高知県のGDPのほとんどを、彼が叩き出しているだろう。

後は、キリンビールの消費量では、

全国でも一二番を争うだろう。


消費され続ける歴史上の人物。

たまには、休ませてあげないといけない。



彼らに代わる、あるいは越える

人材を育成することも必要になってくる。



意識改革、意識自体を維新することが必要に

なってくると思う。


今まで、小さい頃から思ってきた(正確に言うと思わされて来た。)

事が正しいか、正しくないかを

自らの目できちんと精査し、

自分の旗を掲げ、自己の存在を表明する。

良い部分をミックスして、

自分らしさを取り戻し

信じる力を取り戻す。



文化の違う人たちと

コミュニケートすることによって、新しい気づきもあるし

逆に、互いの「違い」が分かり

勉強にもなる。




更に言うと、

それぞれが、


「何を変えるのか」

「どう変わるのか」


変えなくてもいいことだってある。

そのままの素材でいいものもあるからだ。

自然体がベストかもしれない。


僕は、再度社会の一軍に再度

上がる為に、今バットを振り続けている。


坂本竜馬は

彼を愛する人の心の中にいる。


そして、

それぞれが、それぞれの「維新」することを

後押ししてくれる。


変わることが、

全部良いことではない。


変わることよりも

現状を守るということが最適解なのかもしれないからだ。


それぞれが、自分自身の「維新」へ向けて。


新しい扉が開くだろう。





2010年1月吉日