どうも、僕です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづき。)




生きてる感覚あるの? 
に、大号泣でした。 

なにも楽しくない。やるべきことを、なんとかやっている感じです。 
趣味なんてしたくない。家族と居ても、がんばらないとと思う。 
迷惑かけないように。 

どうすることが正解なのか、たくさん考えてどんどん頭でっかちになっていくようでした。 
ベストな選択はない。自分で決めて責任をとっていく繰り返しなんですね。自分を生きるってことは。 

むねさんの無責任な(笑)大丈夫が力強いです。 

世界は優しいのでしょうか。

 
 
 
 
「生きてる感覚あるの? 
に、大号泣でした。 」
 
 
 
ここに集約されてると思うんよね。
 
 
 
 
 
 
死ぬほど怖いって暴れてるあなたは、
皮肉なことに、生の感覚がないことに気づいたわけだ。
 
 
 
じゃあなぜ、
生の感覚が鈍ると思う?
 
 
 
それはつまり、「存在が薄まる」とも同義だけど。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
感じてることにフタするから、だよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
シンプルに、
 
 
 
「会議死ぬほどめんどくさおーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」
 
 
 
「勉強なんかしたくないんじゅああああああああああああああ!!!!!!!!」
 
 
 
「頑張るのに疲れたんじゃああああああーーーーーーーーーーー!!!!!!!」
 
 
 
「私は今、悲しいんじゃあああああああああああああ!!!!!!!」
 
 
 
「私は今、寂しいんじゃああああああああああああああ!!!!!!」
 
 
 
を、
まず一旦、
まず一旦、
300%自分に許せばいいのだよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ショックな出来事、
というのは生きていれば起きるわけだけど。
 
 
 
そのショックな出来事があった時に、
それに対して生まれた、
 
 
 
『感情』
 
 
 
 
にフタをすることで、
人は”ショック”を自分の心の中に、無自覚に溜め込んじゃってるのね。
 
 
 
無自覚に”ショック”を自分の心の中に溜め込んじゃってるから、
無自覚に、ずーっと”ショック状態”に、なるの。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
特に、女性(的な人)と喧嘩するとわかるけど。
 
 
 
人間、
ショックな時って、
合理的な判断なんて求めてない。
 
 
 
あなたがやっていることは、
 
 
 
ショック状態の人(=自分)に、
ひたすら正論らしきものを振りかざして、
合理的な判断を迫ってるみたいなこと。
 
 
 
そりゃー判断できないよ。動けないよ。
 
 
 
だって、
ショックな時に、正論とか、合理的な判断なんて求めてないんだもの。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
合理的な判断、
頭できちんと考えて、
できる限りいい選択を下す。
 
 
 
それができるのは、
『落ち着いている』状態だからであって。
 
 
 
なんどもいうけど、
ショックな時って、
合理的な判断なんて求めてない。
 
 





ショックな時に合理的判断を下そうと躍起になっている時点で。
そりゃもう、すでに感情論になってますから。
(これも、自覚ないけど)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ショックな時にする
一番合理的な判断。
 
 
 
 
 
 
 
それは、
ショック受けた時の感情にフタをしないで、
一番最初にまずその感情を、出来る限り感じ切ってしまうことです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
本当に、
『落ち着いている人。』というのは、
 
 
 
ショックな出来事が起きた時、
すでに反応してるのに、
その感情を無視して落ち着こう落ち着こうってしてる人、ではなく。
 
 
 
ショックな出来事への反応によって生まれた感情を、
ちゃんと、感じ切ってあげられる人のことです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「世界は優しいのでしょうか。」
 
 



 
ええ。
 
 
 
少なくとも、
感情を感じることくらいは、
許されていると思いますよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
むねを


 

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