【なちゅの履歴書】番外編③.(終電まで働いてから朝までチラシ配り、そして退職へ)。 | なちゅの市川綜合研究所

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【なちゅの履歴書】番外編③(終電まで働いてから朝までチラシ配り、そして退職へ)。

年が明けた2007年から、株式相場は明らかな変調をきたしていました。2003年の8,000円台頃からほぼ一本調子で上がって来た日経平均株価が、17,000円辺りから全く上がらなくなり、揉み合う時間が長くなりました。チャートの形状は下に行きそうな感じだったものの、なんとか持ち堪えていたため、株式市場も不動産市場もどこか楽観的に構えていたように思います。

 

80年代末期のバブル崩壊を経験していた社長(ブルボン王朝の君主)はどこかおかしいと勘付いていたようです。程なくして素人の私でも、巷に物件の売り情報が増えていたり、普段あまりお目にかかれないような結構マシな物件を見かけるようになりました。そして間もなく、私が仕入れた物件だけでなく先輩社員が仕入れた物件なども、売れる物件は一旦全て売るように・・・という全社大号令がかかり、私は自社の売り物件情報を持って、足を棒にしながら街中の仲介業者を回って営業をするようになりました。

 

自社で持っていた一番大きなビルは、経営難に陥った店舗テナントが抜けて、虎の子の家賃収入も殆ど入らなくなりました。他のテナントを探すべく営業活動を行ったものの、こちらも全然決まりません。維持管理費と固定資産税を垂れ流すだけの大きな箱になってしまったので、会社が本社として賃借していた一流デベロッパーの立派なビルから引越し、テナントの決まらないそのビル(古い)に本社を移転してコスト削減することとなりました。絵に描いたような“都落ち”の図です。

 

それでもその会社は不動産だけでなく、一般のエンド客向けに全く別のBtoCのサービス業も行っていました。とにかく運転資金として日銭を確保するために、自社社員を動員してそのサービス業のチラシ配りも始めました。私も駅前でチラシを配ったりしていたほか、手っ取り早く数字になる民家への飛び込み営業などもしていました。玄関先に“セールスお断り”などと書いてあっても、それは裏を返せば他のライバルが居ないとか、家主が断り切れない性格なんだろう・・・と脳内でポジティブに変換してピンポン押してみますが、「お前は日本語が読めないのか」などと、大体の場合はインターホン越しに怒られるだけでした。

 

そんな感じで、ある日の昼間は本業の不動産関連の営業活動をおこなって、夜の残業時間には物件を回って電気メーターの検針をしたり、それをもとに請求書を作成したり、備品の伝票を切ったり、翌日の営業活動の準備をしたりしていました。そして、終電の時間になってやっと家に帰る・・・のではなく、2千枚のチラシを両手に抱え、一度も行ったこともない住宅街へと移動し、始発電車が動くまでチラシをポスティングし続けるということなどもやっていました。

 

夜通し2千枚も投函すれば、翌日は1、2件くらい「こんなチラシを投函するな、ゴミが増えるから取りに来い」的なクレームの電話がかかってきます。このクレームの電話こそが私の仕事の証拠なのです。実際にお怒りの電話が入ると、「お前はサボらずにちゃんと仕事しているようだな」と上司に謎に褒められたりもしました。謎の褒められはこれで通算二度目ですが、今回も全く嬉しくありませんでした。たまに郵便局員が郵便物を配達せず山に捨てたり、川に流したりしてニュースになることがありますが、この時ばかりはその気持ちが少しわかったような気がしました。

 

そして、そんな無茶苦茶な日々を続けるうちに、ついに私の心の中で何かが切れる音がしました。リーマンショック前夜の不動産会社は、資金繰りに窮して潰れるようなところも出てきており、先行きが良くなる要素はひとつもありませんでした。私は全く先の見えないトンネルに嫌気が差し、ついに会社を辞めることを決心しました。

 

結局、私は公私ともにリーマンショックという大波に飲まれました。転職時の見栄えが悪くなるので、最初の会社には黙って3年居るべしという“教訓”も破って、2年半程で退職することとしました。社員数20数名の中小企業に貴重な新卒カードを使って、すぐに無駄にしてしまったという事実だけでも堪えるものがありましたが、入社時は1千万円くらいあったはずの虎の子の個人資産は、不動産銘柄中心に信用取引をしていたこともあり、僅か50万円を切る水準まで大幅に摺り減っていました。“玉子を同じカゴに盛るな”・・・という格言がありますが、盛大に同じカゴに盛りにいった私は、リーマンショックで仕事もお金も全部失いました。

 

当時の私は20代半ばです。新卒の時に大手企業に入った大学の友人が、安定した給料と昇給カーブ、そして休暇を確保し、合コンや楽しい土日を過ごしているを見て、本当に惨めな思いもしました。20時集合の飲み会すら深夜残業で行けませんし、そんなお金もありませんでした。大学4年生からサラリーマンをして、仕事面でも資産形成面でも同世代を大きくリードしていたはずの自分が、なぜこの世の不幸を全てかき集めたような思いをしなければならないのか・・・欧米発のリーマンショックのせいで、なぜ東洋の島国で健気にはたらく私の人生が20代半ばで狂うのか・・・・何の納得感もない絶望の淵から、またゼロから積み直す生活が始まりました。(一旦おわり)

 

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(あとがき)

いかがでしたでしょうか。今回は【なちゅの履歴書】番外編として、リーマンショックの時の資産変動ではなく、身の周りの変化に焦点を当て、スピンオフ的に書き下ろしてみました。伝わるかどうかはわかりませんが、本編を“課長 島耕作”とするなら、この番外編は“ヤング 島耕作”的なノリです。

 

そんなわけで株式投資とはあまり関係のない3部作となってしまったのですが、この手の話でもニーズがあればそのうち書きたいと思いますので、もしご感想などあればお寄せいただければと思います。ありがとうございました。

 

*初回記事 2023-08-15 

【なちゅの履歴書】番外編①.(“氷河期継続”の世界線で社員20数名の会社に就職)。

 

*2回目記事 2023-08-16

【なちゅの履歴書】番外編➁.(半狂乱で仕事に明け暮れたリーマンショック前夜)。
 

★本編記事 2019-11-04  ※こちらが株式投資の出来事にフォーカスした本編となります(全10回の初回)

【なちゅの履歴書】①株以前(中学生まで)。

 

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