【なちゅの履歴書】①株以前(中学生まで)。 | なちゅの市川綜合研究所

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私が株式投資を始めた黎明期の話や、大学3年時には既に年1,000万円を超える資産を築いていた話、またその後のリーマンショックによりそれらあぶく銭を全て失ったばかりか、当初の入金分に加えて、追加入金分もほぼ全損して退場寸前まで追い込まれた話は断片的に書いてきたことがあるかと思います。今週はカタギの仕事が忙しいこともあり、過去に書いてきた内容を時系列で統合し直し、当時いじっていた銘柄等を含め大幅に加筆したので、お読みいただければと思います。株をはじめる前と、リーマンショック後ほぼ無一文になってから非常に長い時間をかけ、精神的に経済的にもどうやって立ち直ったかについても触れていきたいと思いますので、みなさま今後の投資の一助になれば幸いです(なお、本エントリは読み物のため、試験的に出来るだけ改行しないでエントリします。)

 

1.株以前(中学生まで)

私が株に目覚めたのは高校生の頃でした。そもそも株をやる人は、親や祖父母が株をやっていて始めるケースが多いかと思いますが、その例外に漏れず私もそのクチでした。私の父も独身時代の頃貯めたと思われるいくばくかのお金(総投資額は5百万円前後かと思われる)で、武田薬品や日本ハムなどいくつかの銘柄を勧角インベスターズ証券で保有していました。そこまで株に興味があるというわけでもないようでしたが、日本ハムなどの優待が年に1回届いたり、我が家のWCには四季報があったりしたので、私はその辺から株に興味をもったものと記憶しています。また祖父も同様にいくばくかの銘柄に投資をしていたようでしたが、祖父は元々教員であり、財テクにはさほど興味がなく、銘柄も三越とか東京電力、九州松下電器、KDDといった顔ぶれであり、たまたま付き合いのあったユニバーサル証券の営業マンから言われるがままに買っていたような雰囲気でした(こちらも全部で5百万円前後かと思われる)。東電は当時としては比較的配当利回りが高く、「損はしているが配当が結構出るからいいんだ」などと、よく考えると教訓でもなんでもないことを尤もらしく言ったりするステレオタイプな高齢投資家だったように記憶しています。

 

そんなわけで、一応入口としては親や祖父の影響もあり、株式という概念は認知しており、駅前に銀行店舗などと同様に証券会社が立派な店舗を構えていて、何をしている会社であるかも何となく理解していました。そもそも証券会社は銀行とは異なり、正体を知らぬ間に付き合うことのないまま一生を終えることもかなり多いですから、だいたい中学生の頃から株式の仕組みを理解出来ていたという点では、多少マセていた部分はあったかもしれません。

 

(続く)

 

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特定の証券・金融商品の売買の推奨ないし勧誘を目的としておらず、本記事に 

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