里親だと話すと


偉い、すごい、尊敬する


といわれ




トランスジェンダーだと話すと


辛かったね、大丈夫だよ、逆に良い


とか言われる





なんかね、こういう言葉って

当事者にしたら中身ない感想で

ちょーつまんない。



全部偏見なのよ。

一般論ばかり。


それも被害者意識に寄り添ってる立場をとれる

「私って弱者に寄り添い、応援する

 優しい人なんです」

と言い訳できるパワーワード。


真に相手のことを見ていないし、

見なくても簡単に用意できる「優しい言葉」



そういう当事者の気持ちに寄り添ってれば

私って優しくて人として優れてて

逆にそうじゃない人のことを叱るのは正義なのよ!



そういう価値観て沢山あると私は感じてます。


児童養護施設へのランドセルプレゼントとか

LGBTの権利拡大とか

震災被災者支援に変なもの送ったりとか


真に相手のことを考えないで行われる支援て

はっきり言って迷惑なことおおい。

でも、本人は「自分エラい♥」


その当事者が何かの被害者だったとき

当事者に寄り添って、当事者の立場に立つと

被害者の仲間となり、被害者意識が芽生え

そしてその加害者に対して批判の矛先を向ける。


そして助けた自分はジャンヌ・ダルク。




そういう感覚が私は大嫌いだった。


あなた達、それ当事者の立場に立ってないよ?

新聞で読んだ話でしょ?

テレビの特集?

そんな単純な話じゃないし

その考えまちがってるし…



具体的に言うと、リベラル派活動家の考え方、

偽善にみえる。だからきらい。




次の時代、そういう偽善に満ちた考えを壊せる

より当事者の声に耳を傾け、

よりリアルな活動をすべきだ。



でもその現場ってどうなってるか。


リベラル派の意見に腹を立ててる人たちが集まり

リベラルを批判したいがために当事者の声に耳を傾け

リベラル批判ができる声を耳にすると

「これがリアルだ」と錦の御旗を手に入れたかのように

リベラル批判を始める。


そして、やることは結局同じ。



私達がより正義で、優しくて、思いやってて

当事者のことを考えてる優れた人。


そんな優れた私達が欺瞞のリベラルを退治する。




やってることおんなじじゃん。

結局マウントの取り合い。




反LGBT活動の旗印になってる人も

結局LGBT当事者。


「当事者が言っているからこれが正しい!」



いや、あたしも当事者だけど考え違う。

だからといってリベラル活動家とも違う。

そういう人もリアルの1つなんです…




「そんなやつはみんな敵だー!」



いやいや…あなたたちは当事者をやっぱり見ていない。




保守・リベともに誰も当事者のことなんて見ていない。




さらに言えば、誰も当事者の気持ちなんてわからない。



もっと言えば、人なんてみんな違うんだから

1つの概念だけで説明できるわけがない。




そして、人のためにそんか一生懸命になれる人もいない。




一生懸命になれるとしたら


親兄弟や子ども、夫や妻、少しだけ親友、

その程度じゃないか。




LGBTなら活動家もアンチも

あんなに一生懸命なのは

人のためではなく自分のためなんだと思う。




多くの人はどうにかしたいけどわかんない。


でも、悪者になりたいわけじゃないし、

できるなら役に立てたほうがいいけど…


そんな程度。




意外とそんな程度が一番平和かもしれない。




そんな程度の人に私は当事者として伝えたいとすれば

色んな意見があることだけ伝えられたらいい。

みんなちゃんと考えてくれてるから。




騒いでる双方の活動家に惑わされないよう。





ママ友と話すときも同じ。

マウントとったり、正義をかざすよりも

波風立てない、共感したフリ。



「へー、そうなんだね。そうなんだぁ。

 えー、すごーい。ほんとだー。かわいい。

 わかるー。だよねー。うけるー。まじやっばぃね!」



中身はない。

とりあえず共感すること。

喜怒哀楽をそのままコピーして

それらしい無意味な言葉を返すこと



トランスジェンダーMTFにはあまりできない

女子的な会話がまさにそれなんだと思う。


さらに言えば、子どもたちの世界でよく見る

中身のない言葉で続く会話。


「やっばぁ」→

良くも悪くも程度が甚だしいと認識した合図

良くも悪くも程度も関係なく共感した合図

とりあえず耳に入れましたという合図


意外とこの程度のほうがコミュニケーションは

対立なく円滑なのかも知らない。




当事者意識を持つというのは

実は悪い風に作用することが多い。


結局他人はあまり何も救えない。



どんな的確な言葉をかけても

相手を傷つけることもある。

共感はさほど感じられない。


適当に共感しておけば

共感されたと感じで癒やされるか

中身が無いと思われても傷つけないか

それでも表現できたことによる癒やしがあるか



適当な共感こそ実は最強の処世術。


リアルではそこんところ意識してます。



いろんな頭の中のゴニョゴニョしてる話は

ここで吐き出してます。




発達障害のある下の子の話



いよいよ厳しくなってきたガーン

まぁ、こうなるのはわかってか事なんだけどさ。



期末テストが返ってきた。






はっきりと発達障害とわかる子だとしても
本人も辛いし親も辛いのは色んな話聞いてて
想像に難くない。


うちの下の子の場合、小学校はなんとか誤魔化して
ついていってる振りはできる子だったけど
もうどうあがいても難しい頃あいになってきた。



手を変え品を変え勉強促してみて、
今回はそれなりに一生懸命取り組んでくれた。
その全力発揮で160点(500点満点)
偏差値にして35。

また下がってきた。
もうお勉強にまったくついていけなくなった。



焦りを味わわせるのではなくて
前を向ける目標を掲げて走る感じで
実際に上の子の横でそれなりに取り組んでた。

徹底的にやりやすい環境つくって
何とか自らの意志で進んで勉強してくれた。

それでこの点数。



別に怒るつもりもない。
よく頑張ってくれたよ。えらいえらい。



今回の取り組みは児相のワーカーさんの判断や
思春期外来での診察に活かすための
データとして使うつもりで
最初から実験的取り組みでした。


思春期ストレスや家の中のストレスが原因なのか
勉強にどのように取り組んでどんな結果だったのか
そのあたり私達里親としても児相としても
はっきりさせたかったんです。

本当に能力的な限界が来たのか。




そして、この結果。



4月に所謂IQテストのWISC-IVを
受ける手はずが済んでいます。

こんかいのテストの結果を踏まえ、
この子に適した教育環境を
整えていかなきゃって考えてます。



塾で何とか底上げしても高校で
みんなについていくことができるのだろうか。

それよりもどうやって生きていくのか、
生きるチカラを養える場所に行くべきなのか。



問題は、この子自身自分を「普通」だと思っていること。

今まで特別支援学級のお友達のこと、
みんなと一緒に辛かったりしてきた過去がある。

確かに小学生の時には特支の子どもたちとも
また一段能力が高かったのはあるし、
クラスのお友達たちと仲良くする中で
みんながからかう特支の友達を一緒にからかうのが
遊びのようになっていたのは見ていた。

もう悲しくてそういうことをしてるのを見るのは
悲しく寂しいことだって何度も伝えたし、
特支のお友達が頑張ってるのをママ友立ちみんなで
応援したり励ましたりしてきたし、
露骨なイジメを見つけたときは人の子でも叱ったし、


そんなことやってきてても中々子ども社会の
そういう価値観は変わらない…


そして今度、うちの下の子がその立場になる。
全くちんぷんかんぷんならまだしも
それなりの状況だけは理解できる。


みんなと同じ高校ではなく高等特別支援学校に
通うという選択肢はかなりのこころのハードルがある。

「みんなと違う」という意識に
とらわれるのはよくわかる。
だからこそ思春期の今、
複雑な事情で人生を振り回された
この子につきつけるのは辛い。


近所の里親さんでも特支に通うことを
里子ちゃんが断固拒否して
結局普通高校に通っては見たものの
大変な思いしてる家族を見ている


本人の気持ちも大切だし、
どうしたらいいのか。



まぁ、まだまだ時間があるから
その間に診察を進めながら
特性にあった勉強方法とか
療法とか見つかったら
少しは改善したらいいなって
淡い淡い淡い期待をよせてます。


そしたら下の子の希望通り
何とか普通高校通えるようになるかな?


グレーゾーンギリギリの場合、
どこで見切りをつけるのか
本人の意志もそれなりにはっきりしてるから
葛藤も多くて大変です。




そんな下の子が
今日の期末テスト結果でも嬉し楽しく報告したり
小学生の低学年のように喜んだり
そんな様を上の子が見ながら
「こいつホント障害児なんじゃね!?」と
乱暴に言い放つも心配そうに見てるのがまた悲しい。


「施設の時に、みんなでアホみたいなことずっとやって、
 ちゃんとしたこと教えてもらえなかったから
 こいつ、こんなバカになっちゃったのかな?」


ニコイチで育ってきた、他に家族がいない
そんな実の兄弟姉妹には辛い現実かもね…


思春期、思春期、思春期

上の子にも下の子にも親にも三者三様
いろいろ難しい時期になってます。


使い馴染みの食器洗剤「JOY W除菌」


最近、ボトルが新しくなって

非常に使いやすくなりました。


ジョイ バレンシアオレンジ 台所用合成洗剤 逆さボトル 本体 315 mL

 


とママ友たちも話してる。




私も2ヶ月ほど前にスーパーで見つけて


早速キッチンにインストールしてみたわけです。




確かに使いやすい。




ボトルを返す手間がどれだけ面倒くさかったのか


痛感する日々を送ることができました。



P&Gさん、ありがとう。






でもね、しばらく使ってみてね


致命的な欠陥を見つけてしまった。






私の頭がアップデートできない…





洗剤をスポンジに落としたあと、


逆さボトルをその逆さに置いてしまうこと多数



馬鹿でしょ…


これじゃ意味ないじゃん





さらに上行く失敗…



意識しないで洗剤を取ったとき


逆さボトルなのにひっくり返して


プシュー…


ボトルの吹出口が斜め上を向いた状態で


洗剤がすごい勢いで吹き出す始末…


味噌汁に洗剤が入り


壁いっぱいに洗剤が付着し


晩御飯が大惨事に…




やっぱり歳取るのはやだね…


30年近く食器洗剤は上に向いてるものとして


使い続けるしかなかったわけで


いきなり下に付いてるとか言われても


体はそんなこと知りゃしない。





もしこれでなれてしまって


また普通のボトルの洗剤に乗り換えたとして


ちゃんと使いこなせるのか…





もう、こんなこと悩んでる時点でおばあちゃん!



ちょっと切ない気分です。







前にも書いたけど、

里親会経由で知事あてに

一年間の経費の明細と申請書をこの時期に

提出するんですが、


学校で使った教材についても

鉛筆とか糊とかノートとかファイルとか

そういうレベルの教材は度外視されるけど、


体育の服とか靴とか水着、リコーダー

既製品のテスト、実験キット、粘土、裁縫キット


のような授業の教材として使うものに関しては

全額補助がでるんだよね。



でも、学年会計から買ったものは

その明細を学校が作成して渡してもらわなければ

申請書類に反映させることができない…



里親会も3月は書類がたくさん集まってきて

処理しきれないという問題もあり

3月頭に書類を提出しろと期限を切る。


自治体も年度会計の締めがあるから

会計作業の都合で遅れての提出は不受理だという。



しかし、現場の学校は先生も忙しかったり

調理実習を3月中頃にやることが決まっていて

材料購入が遅くて会計〆ができないときた…




何とか期限をオーバーしても大丈夫なように

里親会にお願いして、現物書類はギリ届くようにして

FAX使って書類を送って事前に精査をしてもらって

書類が届いたらすぐ自治体に持ち込むことで折り合った。



でも、学校から明細もらってその日の夜に書類作って

次の日に校長印貰ってFAXして郵送して。



事前準備をやってスムースになるよう工夫したけど

やっぱり今年もバタバタ申請になっちゃうねえーんえーん



まぁ、いただけるだけでありがたいけどさ。


でも、こんな面倒くさいこと嫌だから申請しないって

毎度笑ってる先輩里親さんの気持ちが

痛いくらいわかるようになってきた。


昔はもうすこし余裕あったっていうけど、

確かに3月頭で締め切られたら余裕なくなるよ…



自治体も会計年度の問題わかるけどさ、

どこもかしこも会計年度同じなんだから!


学校の報告を待ってから里親がまとめて

里親会が申請して自治体が年度を〆るなんて

いろいろ無茶だろ。


来年からはもう申請するのやめよ。

お金なんて別にいらないし…


紛らわしいですがジェンダー論ではないです。
子育て論として、教育学としての性教育です。




上の子と私達夫婦(お父さんお母さん)の
両親との思い出を話してた。

私の母はケーキを食べるときも
休みの日に何かするときも
ご飯のおかずをわけるときも

お母さんの分はいいから
好きなだけ食べたらいいよ
みんなが行きたいところでいいよ
もっとたべたいならお母さんのあげるよ

と私や兄弟を優先してくれてた。


今だからわかる。

大好きな家族が喜んでくれるなら
その笑顔が何よりの幸せだから
もっと笑顔が見られるなら
私の分なんていらないから
もっと笑顔をみせてちょうだい。


母もそう思ってたんだろうし
その感覚を教えられたわけじゃないのに
結局同じように子どもたちや夫に対して
分けてあげたり譲ってあげたりしてる。

まぁ、多くのママしてる女性って
そういう感覚になってると思ってるんだけどさ


お祖母ちゃんっていつも
自分の誕生日とかでも
お祖母ちゃんのことはいいから
お母さんたちのために譲ってくれたんだ。


「へー!お母さんと同じだ!
 お母さんもいつも唐揚げわけてくれたり
 大好きなケーキも分けてくれるし
 この前もお母さんの誕生日なのに
 自分たちの行きたいところに連れてってくれたし
 お母さんもお祖母ちゃんも何でそんなに優しいの?」





以前、保健の先生とママ友たちとで
おしゃべりする機会があって
学校で教えてる「性教育」について話したの。

思春期迎えるにあたって
性の問題ってどんどんリアルになってく。

具体的なトラブルとか悩みとか
でも思春期故に子どもを管理することもできないし
話を素直にしてもらえるとも思えないし

ママたちからは不安の声が沢山


保健の先生が言うには

理科で生き物としての体のことを学んだり
道徳で思いやる心のこと
家庭科で家事や家族のこと
そして保健で男女の体のことを学ぶ

いろんな教科で同時進行的に多元的に
性について価値観を広げて言っているんだって。

じゃぁおうちでは何を教えてあげたらいいのか

先生が言うには
知識は学校で十分教えてあげられてる。
でも、1つだけどうしても教えてあげられない
大切なことがあるらしい。

自分の命、体、存在がどれだけ大切なのか。

それがわからない子は、どれだけ知識をつけても
どれだけやっちゃ駄目だって教えても
自分をその危険から守ろうとできない。
そしてトラブルになってしまうんだって。

そういうふうに子どもたちが自分への尊厳を持つこと
それができるのは学校じゃない、家庭だけなんだって。

性教育というとエッチな話だと思われがちだけど
性とは命をつなぐリレー。

親が子を愛して、子が孫を愛して、
孫が曾孫を、曾孫が玄孫を、

子が親を愛して、孫が子を愛して、
曾孫が孫を、玄孫が曾孫を、

そういう心のリレーがあるからこそ
家族を悲しませたくない、
自分が大切にされたからこそ
自分を大切にしなきゃいけない。

同じようにパートナーも家族に愛されているだろう。
だからこそパートナーも大切にしてあげなきゃ。


そういう人の心、家族の心が
性教育には必要なんだと。

家族の為に、働き、ご飯を作り、洗濯し、
お弁当を作り、叱り、抱きしめ、泣き、喜び、
誕生日を祝い、看病し、介護し、墓参りをし、

そういう家族をつなぐ思いが愛が
子どもたちの命の尊厳。

性教育は『心生』教育なんだって。



私の中の考えと全く同じだったけど
ここまでズバリ言葉にしたことがなかったから
目から鱗レベルで衝撃だった。



私が性同一性障害であると気付いて
その現実に向かい合ってこれたのも
大きな決断をするまでに悩み苦しんでしまったのも
結果、自信をもってこの道に進めたのも
心が生きることができたからだと思う。

こんな私を愛して認めてくれた人が
たくさんいたからだと思う。

ご先祖様を含めて
私の為に命を賭し、汗水流して働き、
神に祈ってくれたくれた人たちがいる。

だからこの命を無駄にはしちゃいけないって。
そう思っていたからこそ諦めずに前を向いてきた。


そして、今、血は繋がってなくても
私達の子どもたちにその思いを伝えている。


私にしたら親が子を愛して笑顔が嬉しくて
そんなこと昔から疑いもしなく当たり前だった。
虐待も時にあったけど、それでも愛されてた。

子どもたちから投げかけられた
「子どもの笑顔の為にお母さんが喜びを譲る」という
母親の姿が、不思議なことだという事自体が
私にしたら不思議なことだけど、
そんな姿を子どもたちに伝えてあげられたのなら
私としたら嬉しい限り。

それに気付いてくれたから
上の子は友達にも家族にも優しくいてくれるのかな。
昔はすぐに喧嘩しちゃったり迷惑かけまくる
地域イチの問題児だったのに(笑)

そう、あなた達は愛されてる。
あなた達の笑顔が、幸せが、喜びが
お母さんの喜びだょ。






もう一つ、

私が子どもたちのライフストーリーワークをする時、


不都合な過去であってもちゃんと
折を見て子どもたちのルーツに赴いたり
話をしてあげたり、
神社や仏教の伝統や民俗を教えているのは

子どもたちの歴史にまっすぐ向かい合ってもらって
それでも沢山の人達の思いの先に
あなた達がいるんだということを知ってもらうため。

実親の愛はいろんな事情で受けられなかったけど、
それでも沢山の愛をうけていること、

そしてお父さんお母さんの愛を受けていること
お父さんお母さんのご先祖さまの愛もまた受けていること

養護施設の職員さんの愛を受けていること

いろんな人達の思いの結晶なんだよ。

そんな悠久の歴史の中に生きているんだって


すごい輝く必要もない、輝きたければ輝くもいい
あなたらしい生き方をどう未来に描いていくか。


歴史と未来

その2つをセットで伝えるようにしています。


その結果、興味も熱意も全くなかった上の子、
やりたいことに強い思いをもって
中1にして夢をもって走り出してくれた。


子育ての世界で、特に里親の世界でテーマにあげられる
「ライフストーリーワーク」だけど、
これは私の中で「性教育」の考え方と通じてます。

心と生の教育

つまり

愛と命のリレー

うん、坂本金八的なやつ。



性の役割って
そういう働きだって言われても
私は納得できるかな。

そう思うと、
性同一性障害のトランスジェンダーであっても
里親として性の役割って担っていけるんだよね。





なんてね。