修学旅行から先日帰ってきた下の子が、お母さん個人へのお土産をくれました。

去年は上の子がお父さんのために箸を買ってきて、カッコいい素敵な箸を選んでくれて、愛用の箸が欠けて悲しんでいたお父さんが喜んでくれた姿を見ていて、「自分のときはお母さんに買ってこよう」と考えていてくれたよう。



で、買ってきたお箸がコレ…



みんなから「うわっ…マジか…きつっ!ないわぁ…よりにもよって…」と総だたき。


確かにデザイン的にも、さすがに「長寿」って歳じゃない…
でも、個人的には凄く嬉しいんだよね。

上のときと違って旅行予算にお箸のこと入れてない状況で、何とか工面して買ってきてくれたんだから、おバカな下の子の割にはすごいこと。

「お母さんのために」って思いと、少々病弱で年始に救急車で運ばれたり健康面でお母さんのこと気にかけてくれてるんだもん。「健康で長生きしてほしい」っていう気持ちはこの子にとって1番の願いなんだろうな。

思春期真っ只中、普段怒られてばかりで「殺してやりたい」とか思われてるんじゃないか?なんてママ友とも冗談で言う事あるけど、この子の中では欠け替えのない存在だと感じてくれてるのかな。

男のくせに、お母さんになりたいなんて女であると思い込みたい妄想癖の極みだとか、自分勝手、虐待だなんて言われることあるけど、それでもいつもそういう批判を受け止めながらあたしも頑張ってる。

子どもたちがこういう思いをふとした時に見せてくれると、これで良かったんだって感じられて嬉しくなる。

将来里母がどういうセクシャリティの人だったのかを知るときって多分来るわけで…その時にこの子達はどういう思いでいるのだろう。

それでもお母さんとして頼ってくれたり関わってくれたら嬉しいけど、キモいと罵られたり、トラウマになられたらどうしよう…

いろんなことを考える子育て。



元気に学校行って、泥だらけになって笑顔で帰ってくる。
そんな子どもたちを見てると毎日幸せなんだけどさ。
時々そういう不安に襲われてます。




お箸をもらってさ、喜んであげたらニッコリする下の子よだれ

でも、もう少し可愛いヤツだったら…www

そんなことより心温まるお土産でした。

元気に帰ってきてくれて、楽しい思い出いっぱい作ってきてくれて、素敵な気持ちを届けてくれてありがとう。



自民党内で反対多数だった法案が、なぜいきなりいとも簡単に修正され、立民共産などだけが反対の下、急転直下可決に至ったのか。


憶測が沢山出回ってるけど…



現場で修正前理解増進法への反対の先頭を切っていた政治家からの証言があったので、反対派の方にも是非一度見てもらいたいと思います。 





私も長らく自民党案には反対派でした。差別増進だからではなく、あまりにもバランスを欠いた左翼活動家を助長しかねない案だと感じたから。でも修正案を読んで納得していました。



直前のゴタゴタに不信感はありましたが、西田昌司先生の語られた理由はその当時を想像するには十分リアルなお話だと感じます。


「安倍総理は私に話していた、その遺志を継がねば」という安倍さんの論理も、そのまわりの議員の行動の辻褄を整える証拠もなく、「反対と言っていた」だけを並べる話より、実に多方面で整合してます。


それでも、岸田総理秘書官の問題(某新聞記者が悪いのか、秘書官が悪いのかもあるけと)の火消しというのが手前勝手な都合だとは感じるけど、とはいえ、理不尽なLGBT人権法への歯止めとして十分機能しうると共感はできたからこそ納得しました。



私のブログを長らく読んでくださっている方ならご存知でしょう。

私もずっとずっとずっとずっと昔から、このブログを始めるはるか昔から言い続けてきた、「LGBTは可哀想だから、いかなる差別も赦さないとして社会に生きる多くの人々の生活を犠牲にして権利を獲得するやり方は違う」という思いを持っています。左翼の欺瞞をずっと指摘してきています。そんな私も納得の法律です。


納得している人を左翼だと決めつけるのはいい加減にやめていだきたい。



この法律ができたから世の中がLGBTの横暴を許すようになった?


逆です。



厚生労働省は理解増進法を受けてトランスジェンダーが公衆浴場を使うための基準を反対派の懸念の真逆の決定早々に出しています







厚生労働省の通達の現物(PDF)はこちら→

厚生労働省:公衆浴場や旅館業の施設の共同浴室における男女の取扱いについて




彼らの言説の矛楯がどんどん顕になっています。
それなのに、矛を収めるどころか誹謗中傷ばかり。


少し前だけど、保守のアイドル櫻井よしこさんもこの法案の意味を認めていらっしゃいます。



中には、行き過ぎた誤解を生む反対論をしていたことを認めるジャーナリストさんも出てきました。



対立を煽っても仕方がない。

保守の不安にも応えながら、リベラルの優しい気持ちにも応えながら、民主主義の過程で今の時代の今の社会の今の人々の、より良い応えを見つけていくしか無い。

それが左翼の意見に近いものかもしれない。
それが右翼の意見に近いものかもしれない。

でも、みんなで決めればそれを答えとするのが民主主義。


左翼を独裁だというのなら、
右翼を独裁だというのなら、

自分たちの答えだけが正しいとして人々の不安を煽り、抗議運動て市井の人々の生活を脅かすことは独裁じゃないのか。

私達当事者は広く議論を交わしてもらい、出された答えに従うのみ。
一方から出された自分都合の答えを支持することはできない。
左翼も右翼も自分の理想のためにデマや暴力や迷惑行為で言論を歪めることをすべきじゃない。


社会は、この国の良心は、右にも左にも触れなかった。





この記事から数日…




下の子が帰ってきてね


「ねぇねぇ!お母さん!

 今日タブレットで調べたんだけどね


 オシッコってね、

 めっちゃくちゃ汚いんだよ!」



そっかぁ、汚かったんだぁ… 真顔

よく調べてきたね真顔

ってことは…カバンの中に2週間前入れてたのって…真顔


「うん、めっちゃくちゃ

 汚いっていうことだねニヒヒ

 だからもうしないよウインク

 おしっこ、こぼさないようにする」


そうしてくれるとお母さん、すんごく嬉しい泣き笑い






かれこれ足かけ5年かけて

「おしっこは汚い」という知識を身に着けたらしい。



You Tubeでも本でも伝えたんだけど、

興味がないことにはこれっぽっちも興味がない。

見せても興味なかったから全く意識してくれなかった。


でも、やっと…成長してくれてありがとう泣き笑い







次の目標は、意味なく鳴らされる目覚まし時計。


休みの日も、学校の日も、部活の遠征で朝早い日も、

毎日6時に鳴り出す目覚まし時計の“怪”。


鳴っても持ち主は絶対に起きてこない。

スヌーズした後もまたなり続ける。

夜中に目覚ましオフにしててもやっぱり6時に鳴る。

家族からクレームついてもやっぱり6時に鳴る。

あの子の決まったルーティンなんだろうけどね。


かれこれ1年、6時に起こされ続けてます。

みんな慣れました。



でも、そろそろそのルーティン変えてほしいな真顔


また人を集めてしまいました。

子どもたちを預かる身故に、普段はあまり話題にはなりたくないのて、地味めにしてますが…どうしても見過ごすことができず書いてしまいました。


まさか繁内さんにTwitterから見つかるとはおもわず…

でも、反応を見てる限りでは沢山引用いただいて、結果として考えてくださった方もいらしたようで、個人的には書いてよかったなってのが正直な思いです。



中には私の意見に否定的な声もありましたが、私個人を誹謗するようなものは見受けられなかった。その点でも救われました。

Twitterの過激な言論は正直いって怖い、辛い、悲しい、切ない、時には死にたくなるくらいに追い詰められるものも多いので…

だからこそTwitterは辞めました。

反対派からも、理解増進法派からも、差別禁止法派からも総叩きでしたし…ね。


まぁ、差別禁止法派はTwitterで殆どお見かけしなかったので総叩きは別のところでしたが…



その点、アメブロは平和ですねニコニコニコニコニコニコ


今回の件でわかったこと。


アメブロは平和だってこと。



どれだけ過疎ってるかバレちゃいますが…

あまり見られたくないので丁度いい数だったのに…



過去二番目のバズり具合。

そうか、この程度なんだなぁ…あれだけ有名ツイッター民たちに晒されてても。まぁ、興味を持たれなかっただけと言えばそこまでだけど。


ただ、普通にアメブロ公式さんから優良記事?みたいなのに選ばれる方が影響力強い。そんなものなのかもしれない。


今回の記事の殆どがアメブロさんや検索さんではありませんでした。そして、ほとんどの来訪者はソーシャルメディア由来でした。





そして、その殆どがTwitter民でした。


ということは、Twitterで騒いでる人たちって意外と少ない…

ネット世論の代表格のように言われるTwitterですら、意外と そうでもないぞ?!ユーザ数はそれなりでも、騒いでる人たちって絶対的に少ない。意外と恐るるに足らない?



さらに、この界隈の人たちはアメブロやってない。


そっか、だから基本的には平和なんだ。

コメントも一件だけ。アメブロユーザーの閲覧なんていつもと同じ程度で、ご新規さんはほとんどなし。

アメブロでのどかに記事書いてるの正解だわ。



私の社会での肌感覚では、加熱するネット保守の意見も、メディアを通した革新の意見も、そんなにいるような実感がない。やっぱり大部分は穏やかな普通の人なんだよね。


だからこそ、右にも左にも振れ過ぎちゃいけない。

右のように反左翼と主張しすぎても変な人。

左のように差別と戦う!と主張しすぎても変な人。

そういう固定観念を捨てて、自然と生きていくことが1番なんだと思う。


差別は被差別意識が作り出す。

陰謀論は社会不安が作り出す。

私達当事者は、そんな役割を捨てて自由に人と社会と交わるのがいい。そういう役割を私達に与えてしまう“マイノリティ”から脱した方がいい。


何度もこのブログで書いてきたけど、社会はあたしたちを受け入れてくれている。いや、差別も確かにある。けど、多くの人はそれでも受け入れてくれている。でも、あたしたちが非差別意識を持って世界を見てしまうと、少しでも上手くことが運ばなければ、それが普通の人と明らかに違えば、「差別だ…」と感じてしまう。いやいや、そんなことはない。気持ちは寄り添ってくれてる。便宜上全てに配慮することができないだけ。


そんなときに、窓口で怒鳴るのが差別を感じる被差別当事者。どうしたら上手くできるのか相談しながら協力してくれた窓口担当者に感謝するのが市民。私は後者の市民でありたいし、きっと多くの被当事者の人たちもまた私達のことを普通の市民だと思っている。


まずは私達の心の中の“差別”が本当に存在するのか、本物なのかしっかり見直してみよう。私達が普通の市民だと、当たり前の事実を当たり前に感じてもらおう。そこからしか理解は進むわけがない。


理解増進法、国から反対派の心を“再教育”するようなものでもないし、そんなものはあってはならない。社会の同調圧力であってもいけない。


私達当事者が善良なる市民であること、ちゃんとした国民であることを実践して、誰も疑いの余地がないくらいに信頼してもらう。それこそが理解増進のあるべき形だと思うの。




だからこそ、バランス感覚なんだよ。


当事者さん、甘えからの卒業だよ。

自力で人と、社会と上手くやろう。


LGBT、大変さはそれぞれ違うだろうけど、

上手くやれてる人達がそれぞれの分野でいる。

そういう人達の声を聞いてみよ。

差別だと逃げずに社会と向かい合ってる人達のさ。


LGBTの理解にむけた第一歩を踏み出す年に。



LGBTが世論を二分しているこのご時世、

里親の世界の最先端の研究の中に、LGBTがある。


この話を書くことによって右も左も激しい対立が予想できる。

だからこそ、書くべきか、書いてよいか悩みました。


でも、この問題を里親界隈だけに委ねても後々問題となり、

当事者里親だけではなく、当事者里子、被当事者の里親子、

みんなに大きな注目を集めることになるって思う。


LGBTが社会の価値観としてどうあるべきなのか

今まさに議論されているんだから、

“生産性のない”LGBT当事者に期待される里親行政で

どのように社会的な価値を生み出せるのか。

私はLGBT当事者の可能性を広げる意味でも、

広くその役割を認めてもらえるようにするためにも、

反対派や中間層も含めて議論してほしいと思う。


あくまでも、私自身トランスジェンダーとしては

活動家の界隈とは距離をおいていたせいなのか、

日本でもトップクラスに早くに里親になったというのに

全く報道にも気づかれることなかった先駆者。

望んで里親になったことからも分かる通り

LGBTの里親について大局では賛成派。



でも、不安がすごくある。

理由は3つ。


①里親希望当事者の“ご活動”


②支援者の“ご活動”


③一般里親さんの“優しさ”


  ①里親希望当事者の“ご活動”


まずは①、里親登録を最近してきた

若者ゲイカップルの話にまず驚愕。


なかなか認定されなかった。

いろんなことを訊かれてムカついた。

どうせできないという雰囲気があった。

ムカついたから逆に絶対に勝ち取ってやる!


先日、里親のお勉強会に啓蒙活動としてやってきた

登録したての若者ゲイカップルさんから

そんな言葉が飛び出してきた。



おぉ…戦闘的だね…不安


LGBTが里親になることは「権利」とでもいうのか…

“不当な扱い”をされているのは差別があるから?



それ、大間違いだと私は思うの。


あくまでも里子ちゃんの幸せのための里親。

その幸せを叶えるために

子どもたちにかかる経費の殆どを実費支給、

それ以外に里親さんのお給料としての里親手当

(自治体にもよりますが、うちは年間で100万円)、

これを公金からチュウチュウさせてもらっています。


善意だけで里親が集まらないこと、

子どもの不自由ない生活のために必要なこと、

それでも施設よりはマシなこと。


いろいろ理由はあるようです。

そこは私は尤もであると思ってます。

ただ、私には素直に受け取るのが心苦しくもあります。


そういう理屈を考えるのは大切な政治だとは思います。

ぜひその議論と理解は国民皆がしてもらえたらと思います。


ただ、この「公金からチューチュー」は

最近流行りの批判論点になることなので、

そのお金のあり方、受け取る人の現実というのは

目をつけられやすい。


それが過度な人権思想をチラつかせていたとしたら、

狙い撃ちされはしないか…と危惧しています。



そもそも、LGBTへの里親希望者に

行政は警戒をしているのだろうか。

私の実感としてはあると思います。

実際に児相から過度に忠告され批判も受けました。

でも、子どもの通う学校の校長先生に相談したところ

その児相の心配が無用であることを証明してくれた。

私達がそれなりにやれていることを

現場で協力していく中で見てくれていた。

「何ヶ月かに一回数分会いに来てわかるわけがない、

 お里母さんの頑張りはわかっています。」


見てくれている人は見てくれている。

逆に、あまり見えない、でも責任を負っている児相は

社会からの期待に応えるために必死で事故の芽を摘んでいる。

そんな児相の態度は社会の声。

職員数が増えずに管理が行き届きにくいのも社会の声。

そんな児相の職員さんに、過労の中でも頑張る職員さんに、

「それは差別だ」と喧嘩を売ることが正解なのか。


児相は私達の権利を奪う組織ではない。

誰よりも子どもたちのために必死に働いてくれている

里親たちの仲間だということを忘れてはいけない。



私達LGBT当事者が里親になること、

これは叶うなら何より嬉しいことだ。

でも、里親になるためには子どもの幸せを実現できる

そういう存在でなければならないというのは大前提。


子育てをしていたらわかる、成長の各段階で問題が起こる、

その問題にどのように向かい合うのか。

長い人類の歴史の中で親子が命を繋いできたわけで、

その経験は当たり前のように受け継がれ文化になってきた。

そんな中で、戦後里親制度がスタートし、

“普通の親子”とは違う“訳あり親子”制度が政策としてスタート。

いろんな問題を経験しながら、やっと制度が磨かれてきた。

そして、そういう里親制度のもとで

巣立った子どもたちが活躍をしていくことで、

やっと“普通の家族”へのステップに達しようとしているだけ。


既存の里親さんは、長らく文化として築かれた血縁親子と

養子縁組親子などの経験が基礎となり、

社会文化に適合することで実績を積み、信頼を得てきた。


他方、LGBT里親はどうなのだろう。

既存の社会文化歴史とは大きくかけ離れている。

信頼も実績も皆無なんです。

私自身、不安で不安で仕方なかった。

だからこそ、児相ともしっかり連携して、

私達の失敗や苦悩、逆に良かったこと、

そういうものを共有し、対策を一緒に考えてきた。

それが次のLGBT里親の参考になると思っていた。

児相も経験があれば対策も納得もしやすいだろう。

うちの場合が参考になったからなのかはわからないけど、

コロナも明けて、急速に里親登録が増えてきたらしい。


しかし、当事者の里親希望者さん。

レインボー界隈では里親になることを

権利のように伝えられてるかもしれないけど、

里親の人権ではない。里子の人権。

そこをはき違えると大きなしっぺ返しが来るでしょう。

ましてそこで、勘違いのご活動をしてしまうと

子どもたちや里親さんが戦いに巻き込まれます。


子育ては楽しいし苦しい。

まして、心に傷を負った子どもたちとの関係。

里親もかなり傷付くし、配慮も半端ない。


まして、差別差別と簡単に言えちゃう人であればなおさら

里親がLGBTであることで差別を受ける子どもたちのことを

本気で考えてあげなければならないはず。

その差別との戦いに子どもたちを巻き込むことが

本当に子どもたちのためになるのだろうか。

差別との戦いではない、理解し合って生きていける

そうやって生きてきたと言える人でなければ

私はLGBT当事者が里親になることは難しい

なるべきではないとすら思っています。


ちなみに、里親登録までいっても紹介が来ないのは普通。

過去の経験の蓄積からどういう夫婦は難しいとか

現場には情報が蓄積されています。

その経験から頼っていい里親さん、

関わってはいけない里親さんなどの区別が行われている。

(という確証はないけど、里親界隈では定説)


信頼に足る人間であれば紹介は自然とされます。

私が信頼できる人間なのかは私は評価できませんか、

まだまだ未熟で問題も多い里親ですが、

でも、前例のない地域で里親として認めてもらえた事実は

LGBTだから紹介されないという見解を否定するには

十分ではないでしょうか。


前人未到の里親になるために、

みんなが力を合わせていること。


里子は児相、学校、園、地域、自治体等みんなで支えています。

そのハブとして機能しているのが里親です。

「社会的養護」という言葉で説明されます。

里親が冷静に社会と付き合うことができない、

事あるごとに喧嘩するようならハブとして機能不全です。

それどころか、不当な差別であったとしても

トラブルを招きうることは子どもの立場では不利益です。



でも、節度をわきまえない、

権利ばかりを念頭に置いて里親になろうとしてる、

そんな人がやっぱりいる…


心配です。



  ②支援者の“ご活動”


大学教授のなかにもLGBTの里親推進の方がいる。

界隈ではちょくちょくお見かけする。


その方の論点はこんなだった。




里子ちゃんは発達障害の保有率が高く、

LGBTと発達障害との関係性が指摘されている。


LGBTを理解することは

里子ちゃんを理解することに繋がる。


多様な親子の形を実践してきた里親。

LGBTの子もいれば、LGBTの里親もいる。

多様な親子のあり方として認められるべき。


非当事者がLGBTの子を育て、

LGBTが非当事者の子を育てる。

それを支え合う。


子どもたちや里親の当事者に対する差別に

私達は立ち向かわなければならない



最後を除けば、さらに社会がこれらを許容するのならば

別にあってもいいとは思う。


ただ、本当に社会はこれを許容してくれるのだろうか。


子どもへのジェンダー教育についても

何も国民のコンセンサスはとれていない。

そして今、急激なアンチが増えてきている。


LGBTを社会として受け容れてはいるが

どこまでを教育として施すべきなのか、

施してはいけないのか。


早期のジェンダー教育については

まして警鐘が鳴り響いている。


社会の動向を意識しながらであっても

その手の活動をするにはデリケートな時節、

まして、LGBT理解増進法ができたこの時期に

社会の目が届かないことをいいことに

多くの里親さんたちがそんなこと知らないのをいいことに

LGBT里親界隈を牽引する教授が

「差別と戦いましょう!」と声を上げている…


正直、かなり心配です。





  ③一般里親さんの“優しさ”



里親さんたち、本当に優しい人多いです。

素敵な人、多いです。

慈愛に満ちた人、多いです。


だからこそ、

“当事者が苦しんでる”

“子どもたちが苦しんでる”

と聞いて熱く共感しちゃうんです。


悪気はないんです。本当にいい人たちなんです。

私達当事者のためにって本気で熱くなってくれてます。


でも、そんなに深く考えたりしてなかったり、

周りが見えない、ほんとそこらへんの普通の人達なんです。


愛する子どもたちのためになら死ねるくらいに

必死に親を頑張ってる人たちなんです。


だからこそ、一度火がついたら冷静になれるのか…

国民の議論にちゃんとついてこれるのか。

私達こそ

  「LGBT当事者の代弁者」

         でなければ!

なんて思っちゃわないかかなり心配です。





これら

①LGBT里親の被差別意識

②LGBT里親推進の学者

③優しい里親さん


といった心配が全部実現しちゃったとしたら…


「里親=LGBT活動家団体」となることを心配してます。

「里子=左翼の再生産」と決めつけられないか。

「里親行政=公金チューチュー」といわれないか。





要保護児童にとって里親制度は必要だと思います。

児童養護施設もその仕事が素晴らしいところはあるし、

尊敬できるスタッフさんもたくさんいます。

彼らを超えることは私ごときにはできないけと、

彼らにできないことをお家だからこそできることも沢山。


その上で、私みたいなダメダメな里親であっても

それでもやっぱり必要だと感じています。


それが、業界として自ら政治闘争の中に突っ込んでいきそう…


結果、里親へのイメージを損ねてしまったり、

業界への支援が減らされたり、批判が集まってしまう。


未来ある子どもたちを守るために、

不遇な宿命を負ってしまった子どもたちを守るために、

大人の自己満足に付き合わせてはいけない。


子どもの幸せは大人の理想を押し付けることでは実現しない。

今の社会が間違えていると思っていたとしても、

その社会の中で穏やかに知見を深めて、

自らの感性で見つけるのか自然ではないでしょうか。

まして、私達里親は社会からの期待に応えるべきで、

逆に社会に反して運動をするのなら、

それは里親の肩書とは別のところでやるべきだと思います。



少なくとも、社会から理解を得られなければ

LGBT理解増進法により追求をうけることになりかねません。



戦うことではない。


LGBTに活躍してもらう意味があることを、

思想や感情論ではなく、科学的に立証しましょう。


当事者里親さんは、謙虚に子育てを頑張り、

社会が認めざるをえないくらいの実績を積んでいきましょうよ。


価値観教育は、どこまで許されるのか、

ガイドラインにするなど合意をとりましょう。


あまり縛るのは息苦しいですが、

本当にLGBTと子どもたちのために頑張るのなら

左翼的闘争ではなく、社会との調和です。



私も差別的な扱いをこれまで沢山受けてきましたが、

この国の人々は優しいです。

里親さんたちがこの上なく優しいのと同じように、

みんな優しいんです。

しっかり伝えていけば程よい解決策を見つけてくれます。

この国の民主主義を、人々の民度を信頼してみましょう。



戦うことではない。




絶対に。