LGBTが世論を二分しているこのご時世、
里親の世界の最先端の研究の中に、LGBTがある。
この話を書くことによって右も左も激しい対立が予想できる。
だからこそ、書くべきか、書いてよいか悩みました。
でも、この問題を里親界隈だけに委ねても後々問題となり、
当事者里親だけではなく、当事者里子、被当事者の里親子、
みんなに大きな注目を集めることになるって思う。
LGBTが社会の価値観としてどうあるべきなのか
今まさに議論されているんだから、
“生産性のない”LGBT当事者に期待される里親行政で
どのように社会的な価値を生み出せるのか。
私はLGBT当事者の可能性を広げる意味でも、
広くその役割を認めてもらえるようにするためにも、
反対派や中間層も含めて議論してほしいと思う。
あくまでも、私自身トランスジェンダーとしては
活動家の界隈とは距離をおいていたせいなのか、
日本でもトップクラスに早くに里親になったというのに
全く報道にも気づかれることなかった先駆者。
望んで里親になったことからも分かる通り
LGBTの里親について大局では賛成派。
でも、不安がすごくある。
理由は3つ。
①里親希望当事者の“ご活動”
②支援者の“ご活動”
③一般里親さんの“優しさ”
①里親希望当事者の“ご活動”
まずは①、里親登録を最近してきた
若者ゲイカップルの話にまず驚愕。
なかなか認定されなかった。
いろんなことを訊かれてムカついた。
どうせできないという雰囲気があった。
ムカついたから逆に絶対に勝ち取ってやる!
先日、里親のお勉強会に啓蒙活動としてやってきた
登録したての若者ゲイカップルさんから
そんな言葉が飛び出してきた。
おぉ…戦闘的だね…![]()
LGBTが里親になることは「権利」とでもいうのか…
“不当な扱い”をされているのは差別があるから?
それ、大間違いだと私は思うの。
あくまでも里子ちゃんの幸せのための里親。
その幸せを叶えるために
子どもたちにかかる経費の殆どを実費支給、
それ以外に里親さんのお給料としての里親手当
(自治体にもよりますが、うちは年間で100万円)、
これを公金からチュウチュウさせてもらっています。
善意だけで里親が集まらないこと、
子どもの不自由ない生活のために必要なこと、
それでも施設よりはマシなこと。
いろいろ理由はあるようです。
そこは私は尤もであると思ってます。
ただ、私には素直に受け取るのが心苦しくもあります。
そういう理屈を考えるのは大切な政治だとは思います。
ぜひその議論と理解は国民皆がしてもらえたらと思います。
ただ、この「公金からチューチュー」は
最近流行りの批判論点になることなので、
そのお金のあり方、受け取る人の現実というのは
目をつけられやすい。
それが過度な人権思想をチラつかせていたとしたら、
狙い撃ちされはしないか…と危惧しています。
そもそも、LGBTへの里親希望者に
行政は警戒をしているのだろうか。
私の実感としてはあると思います。
実際に児相から過度に忠告され批判も受けました。
でも、子どもの通う学校の校長先生に相談したところ
その児相の心配が無用であることを証明してくれた。
私達がそれなりにやれていることを
現場で協力していく中で見てくれていた。
「何ヶ月かに一回数分会いに来てわかるわけがない、
お里母さんの頑張りはわかっています。」
見てくれている人は見てくれている。
逆に、あまり見えない、でも責任を負っている児相は
社会からの期待に応えるために必死で事故の芽を摘んでいる。
そんな児相の態度は社会の声。
職員数が増えずに管理が行き届きにくいのも社会の声。
そんな児相の職員さんに、過労の中でも頑張る職員さんに、
「それは差別だ」と喧嘩を売ることが正解なのか。
児相は私達の権利を奪う組織ではない。
誰よりも子どもたちのために必死に働いてくれている
里親たちの仲間だということを忘れてはいけない。
私達LGBT当事者が里親になること、
これは叶うなら何より嬉しいことだ。
でも、里親になるためには子どもの幸せを実現できる
そういう存在でなければならないというのは大前提。
子育てをしていたらわかる、成長の各段階で問題が起こる、
その問題にどのように向かい合うのか。
長い人類の歴史の中で親子が命を繋いできたわけで、
その経験は当たり前のように受け継がれ文化になってきた。
そんな中で、戦後里親制度がスタートし、
“普通の親子”とは違う“訳あり親子”制度が政策としてスタート。
いろんな問題を経験しながら、やっと制度が磨かれてきた。
そして、そういう里親制度のもとで
巣立った子どもたちが活躍をしていくことで、
やっと“普通の家族”へのステップに達しようとしているだけ。
既存の里親さんは、長らく文化として築かれた血縁親子と
養子縁組親子などの経験が基礎となり、
社会文化に適合することで実績を積み、信頼を得てきた。
他方、LGBT里親はどうなのだろう。
既存の社会文化歴史とは大きくかけ離れている。
信頼も実績も皆無なんです。
私自身、不安で不安で仕方なかった。
だからこそ、児相ともしっかり連携して、
私達の失敗や苦悩、逆に良かったこと、
そういうものを共有し、対策を一緒に考えてきた。
それが次のLGBT里親の参考になると思っていた。
児相も経験があれば対策も納得もしやすいだろう。
うちの場合が参考になったからなのかはわからないけど、
コロナも明けて、急速に里親登録が増えてきたらしい。
しかし、当事者の里親希望者さん。
レインボー界隈では里親になることを
権利のように伝えられてるかもしれないけど、
里親の人権ではない。里子の人権。
そこをはき違えると大きなしっぺ返しが来るでしょう。
ましてそこで、勘違いのご活動をしてしまうと
子どもたちや里親さんが戦いに巻き込まれます。
子育ては楽しいし苦しい。
まして、心に傷を負った子どもたちとの関係。
里親もかなり傷付くし、配慮も半端ない。
まして、差別差別と簡単に言えちゃう人であればなおさら
里親がLGBTであることで差別を受ける子どもたちのことを
本気で考えてあげなければならないはず。
その差別との戦いに子どもたちを巻き込むことが
本当に子どもたちのためになるのだろうか。
差別との戦いではない、理解し合って生きていける、
そうやって生きてきたと言える人でなければ
私はLGBT当事者が里親になることは難しい、
なるべきではないとすら思っています。
ちなみに、里親登録までいっても紹介が来ないのは普通。
過去の経験の蓄積からどういう夫婦は難しいとか
現場には情報が蓄積されています。
その経験から頼っていい里親さん、
関わってはいけない里親さんなどの区別が行われている。
(という確証はないけど、里親界隈では定説)
信頼に足る人間であれば紹介は自然とされます。
私が信頼できる人間なのかは私は評価できませんか、
まだまだ未熟で問題も多い里親ですが、
でも、前例のない地域で里親として認めてもらえた事実は
LGBTだから紹介されないという見解を否定するには
十分ではないでしょうか。
前人未到の里親になるために、
みんなが力を合わせていること。
里子は児相、学校、園、地域、自治体等みんなで支えています。
そのハブとして機能しているのが里親です。
「社会的養護」という言葉で説明されます。
里親が冷静に社会と付き合うことができない、
事あるごとに喧嘩するようならハブとして機能不全です。
それどころか、不当な差別であったとしても
トラブルを招きうることは子どもの立場では不利益です。
でも、節度をわきまえない、
権利ばかりを念頭に置いて里親になろうとしてる、
そんな人がやっぱりいる…
心配です。
②支援者の“ご活動”
大学教授のなかにもLGBTの里親推進の方がいる。
界隈ではちょくちょくお見かけする。
その方の論点はこんなだった。
里子ちゃんは発達障害の保有率が高く、
LGBTと発達障害との関係性が指摘されている。
LGBTを理解することは
里子ちゃんを理解することに繋がる。
多様な親子の形を実践してきた里親。
LGBTの子もいれば、LGBTの里親もいる。
多様な親子のあり方として認められるべき。
非当事者がLGBTの子を育て、
LGBTが非当事者の子を育てる。
それを支え合う。
子どもたちや里親の当事者に対する差別に
私達は立ち向かわなければならない
最後を除けば、さらに社会がこれらを許容するのならば
別にあってもいいとは思う。
ただ、本当に社会はこれを許容してくれるのだろうか。
子どもへのジェンダー教育についても
何も国民のコンセンサスはとれていない。
そして今、急激なアンチが増えてきている。
LGBTを社会として受け容れてはいるが
どこまでを教育として施すべきなのか、
施してはいけないのか。
早期のジェンダー教育については
まして警鐘が鳴り響いている。
社会の動向を意識しながらであっても
その手の活動をするにはデリケートな時節、
まして、LGBT理解増進法ができたこの時期に
社会の目が届かないことをいいことに
多くの里親さんたちがそんなこと知らないのをいいことに
LGBT里親界隈を牽引する教授が
「差別と戦いましょう!」と声を上げている…
正直、かなり心配です。
③一般里親さんの“優しさ”
里親さんたち、本当に優しい人多いです。
素敵な人、多いです。
慈愛に満ちた人、多いです。
だからこそ、
“当事者が苦しんでる”
“子どもたちが苦しんでる”
と聞いて熱く共感しちゃうんです。
悪気はないんです。本当にいい人たちなんです。
私達当事者のためにって本気で熱くなってくれてます。
でも、そんなに深く考えたりしてなかったり、
周りが見えない、ほんとそこらへんの普通の人達なんです。
愛する子どもたちのためになら死ねるくらいに
必死に親を頑張ってる人たちなんです。
だからこそ、一度火がついたら冷静になれるのか…
国民の議論にちゃんとついてこれるのか。
私達こそ
「LGBT当事者の代弁者」
でなければ!
なんて思っちゃわないかかなり心配です。
これら
①LGBT里親の被差別意識
②LGBT里親推進の学者
③優しい里親さん
といった心配が全部実現しちゃったとしたら…
「里親=LGBT活動家団体」となることを心配してます。
「里子=左翼の再生産」と決めつけられないか。
「里親行政=公金チューチュー」といわれないか。
要保護児童にとって里親制度は必要だと思います。
児童養護施設もその仕事が素晴らしいところはあるし、
尊敬できるスタッフさんもたくさんいます。
彼らを超えることは私ごときにはできないけと、
彼らにできないことをお家だからこそできることも沢山。
その上で、私みたいなダメダメな里親であっても
それでもやっぱり必要だと感じています。
それが、業界として自ら政治闘争の中に突っ込んでいきそう…
結果、里親へのイメージを損ねてしまったり、
業界への支援が減らされたり、批判が集まってしまう。
未来ある子どもたちを守るために、
不遇な宿命を負ってしまった子どもたちを守るために、
大人の自己満足に付き合わせてはいけない。
子どもの幸せは大人の理想を押し付けることでは実現しない。
今の社会が間違えていると思っていたとしても、
その社会の中で穏やかに知見を深めて、
自らの感性で見つけるのか自然ではないでしょうか。
まして、私達里親は社会からの期待に応えるべきで、
逆に社会に反して運動をするのなら、
それは里親の肩書とは別のところでやるべきだと思います。
少なくとも、社会から理解を得られなければ
LGBT理解増進法により追求をうけることになりかねません。
戦うことではない。
LGBTに活躍してもらう意味があることを、
思想や感情論ではなく、科学的に立証しましょう。
当事者里親さんは、謙虚に子育てを頑張り、
社会が認めざるをえないくらいの実績を積んでいきましょうよ。
価値観教育は、どこまで許されるのか、
ガイドラインにするなど合意をとりましょう。
あまり縛るのは息苦しいですが、
本当にLGBTと子どもたちのために頑張るのなら
左翼的闘争ではなく、社会との調和です。
私も差別的な扱いをこれまで沢山受けてきましたが、
この国の人々は優しいです。
里親さんたちがこの上なく優しいのと同じように、
みんな優しいんです。
しっかり伝えていけば程よい解決策を見つけてくれます。
この国の民主主義を、人々の民度を信頼してみましょう。
戦うことではない。
絶対に。