シズコさん/佐野 洋子
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人間の関係/五木 寛之
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おはようございます。

ひま太郎くんに、たくさんの暖かいお言葉をありがとうございます。

うーん。家の中はやっぱりさびしいですなぁ。

こういうのは、何度経験してもほんとに辛いですなぁ。



今日、書きたいのは、親・兄弟との確執について。

超難問だぁ。

とってもデリケートな問題ですな。

今回はややこしいでんな。わしの独り言みたいになってます。

興味のある方は、お付き合いくだされば、とっても嬉しいです!

条件は、いつものとおり



まったく私個人の考えで勝手に書き進めます。

こういう考え方もあるのか。と、軽く読んでほしいです。



今日はとくに、親・兄弟との確執に悩む方が、少しでも楽な気分に

なってもらうことが目的です。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



佐野洋子さんの「シズコさん」


簡単にあらすじを書きますと、


洋子さんが4歳のとき。


母親の手を握ろうとしたら、「チッ」と、舌打ちをされて、手を振り払われた。


そこから、母親との確執が始まる。


母親には、体面を取り繕うところが多分にあって、洋子さんは翻弄され続ける。


いや、翻弄されまいと必死に生きれば生きるほど、実は母親の呪縛から


決して逃れることはできなかった。


洋子さんは結局、母親の「シズコさん」を施設に預ける。


その後、程なく「シズコさん」は、ボケてくる。


そこでの、壮大なる気付き。


そんな感じ。




わしは、この本に『親・兄弟との確執』を癒す、ひとつの答えを見つけたのですが、


「シズコさん」がボケたのは、80歳の時。


そのとき洋子さんは、56歳。


決して、気付きに早い、遅いは関係ないけれど、


それでも、『親・兄弟との確執』を癒すヒントがあるならば、少しでも早く


気付くに越したことはないと思います。


なんせ、『親・兄弟との確執』は、常に人生の随所で影のようにつきまとい、


あらゆる物事に影響します。


佐野洋子さんが、読者の方々に伝えたい事はなんなのか?


それをどのように理解したらいいのか?





佐野洋子さんと同じ気付きを得ることはできませんが、


擬似的にその気付きに近づくことを試みてみたいと思います。





で、その前に五木寛之さんの「人間の関係」について。


「なんで~?」


いや、重要なんです。ぼくとしては(笑)


勝手な書き方ですみませんが。


五木寛之さんが、「人間の関係」の中で、親について触れている部分。


『親を他人と考えてみるのもいいのではないか?』


親・兄弟との確執がある場合、つまりは、親・兄弟は自分にとって


『嫌いな人』なわけです。


そこで、他人だと仮定して考えてみると、僕のひとつ前の方法が使えます。


前回の記事


つまり、その人のおかげで、自分自身のことを見つめる機会をいただいた。


だから、ありがとう。という感謝の気持ちに無理やり持っていく。という考え方です。


そして、その後の実体験による気付きを待つ。という順序になります。




で、本題。


まず、確執が起こる理由ですが、わしが思うには、


世の中には、『親は大切にしなければならない』・『兄弟は仲良くなければならない』


というイメージが大前提としてあるような気がする。


すると、親を大切にできない自分や、兄弟と仲良くできない自分は、


どうしても自己嫌悪に陥ってしまう。


そこで、まずこの自己嫌悪を取り除いて、物事を冷静に考えられるように


元気を出すことが最優先だと、わしは思うのです。


そので登場するのが、五木寛之さんの『他人と考える』という考え方。


『嫌いな親・兄弟は、他人と考える』


これで、いいのです。


「え?でもこれって、世の中の考えに逆らってるじゃん」


そう。この状態のままだから、一部では親殺しなんかが起こってしまう。


この考えを使う時は、他人に感謝の心を無理やり持つ考え方を


理解したうえで、使う。


そして、実体験による気付きを待つ。




今回、これを絵にしてみました。



①で、無理やりひっくり返して、とっても楽になる。

②で、感謝の心を無理やり作って、もう一度ひっくり返す。

   これで、とりあえず世間とのずれは無くなる。

   あとは、おいおい実体験による気付きを待つ。




親・兄弟との確執がある場合、『親を大切に』とか、『兄弟仲良く』


という言葉自体、非常にうっとうしく感じます。


しかし、この言葉をひとつのカードと考えます。


そして、裏には、「そんなこと考えなくてもいいよ!」と書いてある。と仮定します。


①で、まずひっくりかえして、気が楽になります。


②で、無理やり感謝のこころを持って、もう一度ひっくり返すのです。


つまり、表が見えているカードは、じつは裏の裏。


二回ひっくり返した表ということです。



この考え方を持つと、すべてのことに応用できます。


それは、長いので次回。というかー何言ってるかわかりませんよね(笑)


少しでも気が楽になってくれたらーと思ってるんですが。


では。よい一日を。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


こんにちわっ。

我が家のアイドル”ひま太郎”くんが、4日の14時に天に召されました

(メインクーン・♂・10歳)


たくさんのあたたかいお言葉をいただきまして、

ほんとうにありがとうございました。m(_ _ )m


家の中は、やっぱり不思議ですねぇ。

1匹いないと、何かが違いますねぇ。



ブログにたびたび登場させていたので、

思い出もいっぱい。



いままで、ありがとうネ。

















おはようございます。


自分にとって嫌いな人。


ストレスですねぇ。


どうしましょう。


排除しますか?


殺すってことですか?それはまずいですよねぇ。


合法的に排除しますか。自分の目の前からいなくなるように。


嫌いな人ってストレスですよねぇ。


どうしたらいいか?


良さそうな考えはだいたいみんなわかってるんでしょうね。


わかってるだけど、しないだけで。たぶん無理だと思うから。


わたしも偉そうに書いてるだけで、完全にはできてません。





嫌いな人をなんとも思わないように自分の考えを持っていければ、どうでしょ。


「そりゃ、無理だよ」


いやいや、やってみましょう。


おもしろいですよ。



自分がその人を嫌いな理由をいろいろ考えてみます。


すると、けっこう自分自身の今まで気がつかなかったことに気付くことができます。


そこまででいいのです。


そこから、あの嫌いな人のおかげでわたしは、自分を見つめる機会を与えていただいた。


「ありがとう!」という感謝のこころを無理やり自分に作ります。無理やり!


無理やりです(笑)無理やりでいいのです。


なぜか?


どんなに長い時間いくら考えても、嫌いな人を完全に赦す考えには、決してたどり着かないのです。


思いを自分のものにするには、実体験が必要なのです。


この先、どんな感じになるのか。


たとえば。


嫌いな人が、なにか自分にとって腹のたつことを言うとします。


今までだったら、『無視する』か、怒鳴り返す!?


そこが、無理やり感謝のこころを持ってますから(笑)少し態度が変わります。


『しょうがねぇな』と思いながらも、がまんできるかもしれない。


「またぁ、勘弁してくださいよぉ」、と言うにとどめる事ができるかもしれない。


わかります?


ほんのちょこっとのことなんですけど、未来が変わってること。


一つの事柄に対して、自分の起こす行動が、少しでも変われば、


それに続く未来は、当然、少し変わるんですね。


これが、実体験です。


あとは、*しるしに戻ります。


以下、繰り返し(笑)


しかし、自分で未来を変えていく実感がともなっていくので、


自分を見つめる作業に熱が入ってきます。


すると、当然、実体験もだんだんセンセーショナルになっていきます。


そうすれば、それによって、未来もエキサイティング、アンビリバボーになっていきます。♪


それでは、よい一日を


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


おはようございます。



何、書きたいかというと、かなり強烈なことを書きたいんです。



”気になる先祖”とかなりやわらかく書いたけど、実は”むかつく先祖”と書きたいの。


どうしても自分では変えることのできない状況ってのは、少なからず有ると思うんですよね。


たとえば、ホロコーストで、家族を殺されたという、強烈なナチスに対する怒り。


それでも生きていかないといけないの?




今日はひとつ、”むかつく先祖”というキーワードに反応する方だけ読んでくだされば、充分。



こういうこと。


先祖を拝みなさい。とか、先祖を思いなさい。といわれることが多い。


先祖を大切にしないから、ばちが当たるんだよ。とか。


大切に思えない先祖だっているっ。ちゅうねん。てこと。


ここって、強烈な葛藤が起こるところなんだよね。


自分を一生責め続けて生きなければならない。




この部分が、ぼくの人生相談では、超重要なテーマなんですよね。


変える事のできないまわりの状況、過去、辛い思い出。


そんな中で、いかに自分を納得させて、素晴らしい人生を送ったらよいか?



ほんと申し訳ないけど、このような時には、


『先祖を大切にしなさい』という思想は、一見邪魔になるわけ。



どうする?


というか、脈々と続く、先祖を思うという思想は、わたしは絶対大切なものに


間違いないとも思っているんですよね。



こういうこと。



昨日の記事の「100円くれませんか?」とぼくに言った女の人。


単純に考えたら、ぼくにとっては必要の無い人なんだけど、


記事にして、自分を見つめてみると、感謝のこころを持つ事ができるという事が確認できた。


これ、『裏鏡の法則』ともいえる。



自分にとって必要な人に感謝のこころを持つのは、納得できるよ。


だけどよく考えたら、自分にとって必要でないと思っていた人に対しても


感謝のこころは持つ事ができるんだなぁ。


さぁ、ここはもひとつ気張って、自分にとって”むかつく先祖”に対して


感謝のこころが持てるかどうか?


ここが無理なのよ。いいところまで行ったんだけど。




で。どうする?



つまりね、そういう赦せない人も含めた、過去の時間、過去の世界


そういうものそのものを敬う。


いい事も悪い事も含めた複雑な過去そのものをこころから思う。


先祖を思う。という発想は、わたしとしては、そういう風に持っていきたいんですね。



こう思いません?


会社だって、むかつくバカもたくさんいるでしょ。


でも、そういうすべてを含めて会社を想う。


地球だって。


戦争起こして、敵にも味方にも武器を売ってるバカがいる。


でも、そういうすべてを含めての地球なんだ。


じゃあ、自分だって。


自分にとって、むかつく先祖もいる。


でも、そういうすべてを含めて自分の人生なんだ。



と、このように自分に暗示をかけたらどうかなぁ~?



一部きつい表現があったかもしれませんが、ごめんなさい。



では、よい一日を


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



おはようございます。



えー毎度のちょっと過剰自己観察気味の記事ですが。。


きのう、スーパーへ買い物に行ったとき、自転車を止めていたら、

「すみま~せ~ん」

と、か弱い声で女の方が寄ってこられた。


何か話しかけてみえたが、声が小さくて聞こえない。

「はい?」

と、聞き返すと、

「すみません。百円だけいただけないですか?」

と、言われた。


うーん。


で、結局どうしたかというと、ポケットから100円出して彼女に渡し、

「もういいですよ」

と言って、すぐ中へ入った。


で、帰り道思う。そうかぁ。


なんかいよいよ大変な時代になってきたのかなぁ。


で、そのあと悩む。ふーむ。


あれでよかったか?


「どうしたんですか?」

って、聞くべきだったのか?

いや、それって偽善?



今回の行動は、完全にトラブルを予感して逃げてたなぁ。


ここで悩むのがたぶん罠にはまってる。


ここは悩むところではなく、感謝するところだと持っていく。


自分の気持ち・思いがまだ体まで染みていない証拠に気がつかせていただいた。


そう、思うことにしよう。と言い聞かせる。自分に。


自分が言うことを信じなさい!(笑)


あとで、悩みが残るような行動だったら、

それはやっぱり自分にとっては、悔やまれるよ。


あそこは、『自分が納得することをやった』という気分になれるように、

あとで悩まないようにしたかったなぁ。

たとえ、相手が常習犯だったとしてもネ。


それでは、ここはひとつ、それでも、ありがとう。ありがとう。


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