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no movie no life

・・・映画を見て思ったことをツラツラと。ネタバレです。

かなり昔に書いたのも。

人間は罪深い。でも・・・音楽に接するとき、人は純粋になれる。


ドイツ。とある女性刑務所にグランドピアノとピアノ教師クリューガーがやってきた。服役囚ジェニーの才能と音楽への渇望をいち早く見出したクリューガーは、彼女にレッスンするとともに、コンテストに出るよう勧める。しかし、奔放ですぐに暴力を振るってしまうジェニーとクリューガーのぶつかりあう日々が続く。一方、クリューガーにも誰にも知られたくない過去があった。


憎悪、嫉妬、欲望、憤怒、暴力・・・
ここで描かれるものはダークなものばかり。登場人物たちもヒトクセある人間たちばかりで、好ましく思えない。クリューガーですら、「良い人」とは言い難い。


「あなたを良い人には出来ないけれど、良いピアニストには出来るわ」
「あなたは、与えられた才能を磨く義務がある。それがあなたの使命」

クリューガーはピアノ教師ではあるが、時として母娘のようにぶつかり合い、抱きあい、よりそう。才能は人を幸せにするとは限らない。過剰な期待。持たざるものからの嫉妬。ジェニーを苦しめるものは多々ある。しかし、それでもその才能を磨くのが使命だとクリューガーは言う。過酷な道だ。正直、ジェニーがどう思っていたかは分からない。


でも、体が理屈抜きで音楽を欲していた。音楽への渇望。才能とは、もはや個人の体に収まりきらずに、溢れ出し、ほとばしるものなのかもしれない。それがラストの4分間に集約される。


最後、ジェニーはクリューガーに向かって深々とお辞儀をする。
音楽という言語を解して分かり合うことの奇跡。
確かに、音楽は人を結びつけ、何かを変えてゆくのだ。

ブラックなリアルに対抗する、ダークファンタジー。


軍事政権とそれに対抗するレジスタンスの戦いが激化する、1944年のスペイン。内戦で父を亡くしたオフェリアは、母の再婚相手である大尉のもとにやってくる。しかし、新しい父は残酷なファシストで、オフェリアにばかりか、身重の母にも冷たく当たるのだった。そんなとき、森で不思議な迷宮の入り口を見つけたオフェリアは、不思議な動物であるパンと出会い、自分が地下王国の王女の生まれ変わりだと告げられる。


ダーク・ファンタジーと言うふれこみだが、ほとんどはファンタジーではなく現実世界の残酷な風景の描写だ。人間世界の闇に、無垢な魂は耐えられない。少女はパンの話を信じ、過去に自分が暮らしていたという地下の王国に戻ろうとする。しかしその王国とは、なんてことはない、黄泉の国ではないのか?なんともいえない苦い味がこみ上げてくるのだ。それほどまで、この映画は観るものを絶望の淵に立たせる。


舞台はスペインとなっているが、実際には、今も愚かな歴史を繰り返す現実世界に向けた警告なのだろう。人を人とも思わないファシスト。先の見えない抵抗運動に苦しむレジスタンス。戦争で伴侶を失った寂しさから愛を求めた母。自分を愛するあまり、自分の分身である息子を求める愚かな父親。希望の無い世界に投げ出された幼い命。私たちは、いつだってそんな状況に陥る可能性があるのだ。


しかし・・・難をいえば、グロい。グロ過ぎる。拷問や口裂けのシーンなどは見るに耐えない。生理的にダメ。穿ちすぎかもしれないが、嗜虐的趣味まで感じてしまう。・・・こういった要素がもうちょっと緩化されば、クロウトだけでなく、もっと一般受けする映画であったのではないだろうか。


とは言え、数々の賞を受賞した美術部門についてはさすがと納得させられる。怖い形相をしたパンや機械のように動く虫や妖精、ハリポタのボルデモードのような形相の目玉の無いクリーチャーはよくできている。現実世界から違和感無くすんなりとファンタジーに入って行けるのはすばらしい技術だ。


それから、予告編も良くできていた。あれで騙された人も多いだろう。今考えれば、予告編にあったシーンは結末だったんだなあ。なんと潔い作り方。

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(マイベスト「私たちの幸せな時間」06・韓国)


昨年末、ライター講座の同期と今年のベスト10についてお話する機会がありました。もともとランキングは苦手なので、2007年に観た映画の中で、印象に残った10本と言うことでまとめてみましたので発表いたします♪

あ、劇場鑑賞数は140本でした。

では、鑑賞順にスタートぉ。 


「敬愛なるベートーヴェン」 2007年1月

2006年公開ですが、観たのは07年に入ってから。私の映画始めとなりました。なんと言ってあのシーンには涙です。

レビュー


p11


「007 カジノロワイヤル」 2007年1月

私がまともに見た0007シリーズがこれ。オンナったらしじゃないボンド、ダニエル・クレイグが良い!

レビュー


p9



「ルートヴィヒ 完全版」 2007年2月

初スクリーン鑑賞。退廃してゆくバイエルン王を演じたバーガーの渾身の演技と圧倒的なスケールに脱帽。ドイツに行って見たい!

レビュー


p2



「パフューム ある人殺しの物語」 2007年3月

独創的な映画。グルノイユの突き抜けた純粋さが心をうちます。たとえそれが人間の道から外れても。

レビュー


p3


「善き人のためのソナタ」 2007年4月

あのラストだけの映画と言っても過言じゃないでしょうね・・・。上京前、山形で最後に見た映画。ちなみに上京して初めてみた映画は「バベル」。

レビュー


p5



「サン・ジャックへの道」 2007年5月
大切なことがジンワリとにじみ出る。旅に出たくる映画。

レビュー


p6

「アヒルと鴨のコインロッカー」 2007年7月

脚本のうまさと技術。その後伊坂作品(書籍)にはまる。瑛太は圧巻。

レビュー


p4


「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」 2007年7月

これまた原作・脚本の勝利。サトエリの勘違い女ぶりも良かった。

レビュー


p7


「私たちの幸せな時間」 2007年8月

感情流出系ではなく、抑えた質感・情感がよい。「写真」には泣きました。あれを大切に持つと言う感性が、私の中にはないものだった。

レビュー


p1


「天然コケッコー」 2007年8月

何か大きな事件が起きるわけではない。けれども、ふっと郷愁を誘う懐かしい映画。主演二人も初々しい。

レビュー


p8



見た直後に、いいと思った作品はたくさんあります。でも、これらは鑑賞後何か月経っても印象に残っている映画です。

トータルで観てみると、ハリウッド大作系は入らず、年度の前半で見たものが多いですね。

泣いた作品、意外性・独創性といったところがに惹かれているようです。音楽モノに弱いのは昔からですが、ここに入ってませんけど「私の小さなピアニスト」「再会の街で」「魔笛」などもよかったです。


そして、年間ベストは・・・「私たちの幸せな時間」ですね。死刑囚と、彼を慰問する女性の話と言うよりは、どうにも出来ない関係にある男女がお互いを思う優しさ、悲しさと言うのがジリジリと伝わってくる作品でした。

ちなみに昨年ベストと思えた作品は「トランス・アメリカ」でした。


上京してから、鑑賞数が各段に増えました。が、観たいと思っていて見逃した映画もあります。

一方、試写会で見るものも多くなりました。試写でいいのは、自分ではお金を払っては観に行かないかなあと思ったものでも、思わぬ拾い物がある、というところでしょうか。寄り道したらいいもの見つけちゃったというような。

それも映画の楽しみの一つです。寄り道・回り道にこそ人生の醍醐味があるのかも?


もともと好きなジャンルと言うのは存在せず、鑑賞範囲は広いほうでしたが、これからも幅広く観ていきたいと思います♪


お正月にいい、娯楽映画。


2008年を迎え、元旦に見る初映画を何にしようかと悩み?ました。なんせ去年見逃してたものがだいぶある。けれど、映画はじめには「どうよ?」って言う作品もあって。例えば「パンズ・ラビリンス」とか「魍魎の匣」を見て、年明けそうそうダークな気分になってもね。元旦に開いていない映画館もあるし。ということで、選んだ映画は「椿三十郎」、「エンジェル」、そして「その名にちなんで」の3連発です。


さて、映画館に行くと元旦のお昼にもかかわらず結構年配の方や家族連れがいましたね。お正月映画ってこんな雰囲気だったかもと思います。


さてさて主役は椿三十郎と名乗る浪人(織田裕二)。ひょんなことから、藩の城代家老に対する大目付の陰謀を察知した三十郎は、頼りない若侍たちの加勢をすることになる・・・。ご存知、黒澤監督作品(1962)のリメイクで、監督は森田芳光。リメイクに当たり脚本は変えていないとのことです。


場面によっては斬ったり斬られたりになるわけですが、忠義に燃える侍たちの戦いというのではなく、随所に笑いのネタがちりばめられた娯楽作品ですね。松ケンたちが演じる若侍の頼りなさ、家老の妻と娘を演じる中村玉緒・鈴木杏の呑気ぶり、敵方のまぬけどころ。出来る男は三十郎とトヨエツ演じる室戸なのですが、まわりの「のほほん組」に翻弄されて一苦労。そこのギャップが滑稽です。


「あなたは確かに切れるけれど、良い刀は鞘に入っているものですよ」と家老の奥方が三十郎を諭す言葉がありますが、これが最後まで映画のスト-リ-を締めてます。抜き身の武士のギラギラ感や突出した才覚をストレートに発揮するべきでないというところに、日本人的なものを感じます。高貴な身分を偽って善行をしたり、脳ある鷹は爪を隠すというような話を日本人は好む傾向にあると思いますが、それも文化なのかな。


しかし・・・難をいえばやはり織田裕二がギラギラした浪人には見えないというところでしょうか。なんだか肉付きも良くて血色も良いし、「ずっとものを食べてなかった浪人」って感じじゃないんですよねえ。もうちょっと精悍な顔つきであってほしかった。風格と言う点でどうだったのかなあ。

それから、テンポが悪いと言うか・・・ところどころで笑いのネタが入るせいか、切れてしまっているように思えます。あっという間の2時間!とは行かなかったですね。


さらに私、この作品のオリジナルを見てないんです。だからフラットな目線で見れるかと言うと・・・そうでもないんですね。どうしても、「オリジナルはもっと面白いんじゃないか?」と疑心暗鬼になってしまいます。オリジナルとの比較、これはリメイクの宿命なんでしょう。45年のときを経ても面白い脚本と言うのはさすがと思います。


昨年はドラマでも「天国と地獄」などが放映され、映画「隠し砦の3悪人」も松本潤主演でのリメイクが決まってます。角川作品で言えば一昨年「犬神家」もセルフリメイクありましたが、やっぱり難しいというのが正直なところ。オリジナルとの比較に耐え、昔の作品も見てみようと思わせるくらいの力量はやはり必要なんでしょうね・・・。


自分の名前に、少なからずストレスを感じたことのある人は案外多いのではないだろうか?


ニューヨークに在住するインド人の夫妻は、生まれてきた息子に「ゴーゴリ」と名づけた。ロシアの文豪、「外套」で有名なゴーゴリだが息子はその名前を忌み嫌う。ただファンだったから?自分の希望を子どもに押し付けるな!反抗する青年は名前を変えて生きようとする・・・。


私も、ちょっと変わった苗字なので、昔はいちいち訂正するのがイヤだったし面倒だった。そんなだから、この主人公のように、「ゴーゴリ」と言う名前のせいで人に尋ねられたり、からかわれたりすれば、やっぱりいやだろうと思う。


自分の名前。自分を呼ぶための記号だと思ってみたりしても、そう簡単に割り切れない。名前は意思表示できない赤ん坊のときにつけられるのに、ずーっと付いて回る。・・・しかも、その人にとっては究極のプライベートでプライバシーだ。名前=人格とさえ言える。だから、ネット上でのハンドルネームを使うのは、自分の個人情報の流出を避けると同時に、別な誰かになれるという感覚もあわせ持つのだろう。


「若者は旅をするんだ。きっと後悔なんてしない。」ゴーゴリの父・アショケは、列車の中で言われたこの言葉によって人生を大きく変えた。「ここは自由の国だ。何でもできる。」アメリカに渡った彼は良くこの言葉を使う。自由と平等なチャンスを愛し、子どもをアメリカで育てたがった。とはいっても、アイデンティティを失くすわけじゃない。インド人であることを変えるわけじゃない。外にいるからこそ、理屈抜きで感じるなにかがある。同族、そして家族のつながり。


けれど、アメリカで生まれ育った息子や娘からすれば、さらに微妙な立場に立たされる。血筋は生粋のインド人でありながら、インドに住むインド人とも同化できない。ロシア人の名前を持つゴーゴリからすれば、更に他人とは際立ってしまう。二つの名前を行き来し、二つの国を抱えながら、彼自身が揺らぐ。


でも、自分が自分であるという何よりも確かなものは、「この人の息子である」という血の繫がりなのではないか・・・?名前がイヤならば変えられる。けれど、その名前に託された思いや、ルーツや、その名前を呼ぶ人の存在が詰め込まれてる。長い年月をかけ、初めて自分の名前を許容する。


名前を通して見えてくる国、人種、文化、家族、そして1個の人間。「ゴーゴリ」というひとつの名前をキイにこれらの問題を描く手法は面白い。


そしてこれを、明るい歌にしたのがゴダイゴの「ビューティフル・ネーム」なんだと思うよ。偉大だ。