01日(土)「パラダイス・ナウ」★試写 アップリンク(渋谷)
12月から出版社で働き始めました。
今月は年末進行とやらで、あまり映画が見れる状況じゃなくなりまして、1本のみ・・・(しかも試写だよ汗)
1月は年始休みもあるので、見逃してたものをがんばって見たいと思います!
01日(土)「パラダイス・ナウ」★試写 アップリンク(渋谷)
12月から出版社で働き始めました。
今月は年末進行とやらで、あまり映画が見れる状況じゃなくなりまして、1本のみ・・・(しかも試写だよ汗)
1月は年始休みもあるので、見逃してたものをがんばって見たいと思います!
(第20回東京国際映画祭コンペ部門 さくらグランプリ受賞)
エジプトのアレキサンドリア警察音楽隊は、アラブ文化センターで演奏するためにイスラエルに降り立った。しかし空港に迎えはなく、自力でたどり着いたところは閑散とした辺境の町。目的地を間違え迷子となった彼らは、食堂の主人・ディナの計らいでその町に一泊することになるが・・・。
「ここには文化なんてない。」「死んだ町なのよ。」たどり着いたその町は、道路や街灯は整えられているものの、活気がなくて空虚だ。近代的な空港や駅の風景からはかけ離れた場所である。まるで見捨てられたかのような、アウトサイダー的な雰囲気を醸し出している。
一方、アレキサンドリアという大きな都市からやってきた警察音楽隊。言葉も宗教も異なる外国で迷子になってしまった彼らはアウトサイダーそのもの。さらに、警察官でありながら楽団に所属する彼らはまた疎外感を感じている。何故警察が音楽を?音楽なんて何の役に立つ?そう言われ続ける彼らは、音楽を愛しているものの、半ば寂しく諦めている。
音楽隊とその町の住人は、どこか似ている。そして、お互いに慣れない英語で話しているうちに、音楽が共通の言葉であることを理解する。「サマータイム」を一緒に歌う彼ら。隊長に音楽をプレゼントするディナ。自作の曲を披露する楽団員。そして、音楽はアラブ人とイスラエル人の間だけではなく、隊長と若者の間にあった壁も、少しずつ溶かしてくれる。
夜が進むに連れ、家族や愛する人を思う気持ちが加速してゆく。誰かと繋がっていることの素晴らしさ。公衆電話の前で電話を待つ青年にも幸せが訪れる。劇的な何かが起きるわけではない。けれども、夫婦がいて、赤ん坊が眠っていて、・・・そんな日常の生活の中にある音楽のように、余韻を残して夜が明けてゆく。
エジプトとイスラエル・・・一見政治的な内容に発展しそうだが、そのような緊張感は画面にはなく、終始ユーモアと人間愛が溢れている。ディナが「死んだ町」と言った町ベイト・ティクバは、「希望の家」と言う意味を持つ。そこから、「希望を開く」と言う意味の目的地ペタハ・ティクバにたどり着いた音楽隊。誇らしく音楽を奏でるその表情に、明るい未来を期待させてくれる映画だ。
(第20回東京国際映画祭コンペ部門作品)
一人の男がN.Y.市街をキックボードで走るシーンから、この映画は始まる。街並みは美しく整備され、車や人が行き交い、かつてのテロで受けた傷跡は見受けられない。ただ、その中をすり抜けてゆく男の背中がどこか寂しげに映る。
歯科医のアランは、大学時代にルームメイトだったチャーリーと偶然に再会する。しかしチャーリーは9.11のテロで妻と娘たちを失い、精神のバランスを崩していた。友人を立ち直らせるためにアランはチャーリーにセラピーを勧めるが、チャーリーは過去に触れることを激しく拒絶する・・・。
映画の中では、テロのことははっきりと語られない。「飛行機事故」や「あのとき」といった言葉で表されている。テロそのものではなく、それによってチャーリーが受けた喪失感に重点が置かれているのだ。彼の失ったものは、愛する家族だけにとどまらない。歯科医としての職業、築いてきた人間関係・・・。社会とのつながりを遮断し、自宅ではキッチンのリフォーム繰り返したり、ゲームや音楽に没頭する。映画の原題「REIGN OVER ME」は、チャーリーが愛するThe Whoの曲「Love, Reign O’er Me」(1973)から取られているが、彼の心は家族への思いと後悔の念でずっと支配(REIGN)され続けていた。
精神を病んでしまったチャーリーは突飛な言動でアランを驚かせるが、他にも心にダメージを負った人が登場する。ストーカー行為に走る女性や、娘と孫を失い悲しみにくれるチャーリーの義父母夫妻。彼らは苦しみから脱しようとして、周囲を困惑させたり、傷つけたりしてしまう。一方で、社会的には「成功者」と見えるアランも、実は歯科医院の経営や妻との関係で悩みを抱えていた。
しかしそれが、映画の決定的な場面につながってゆく。「面倒を見る」という立場ではなく、友人同士という対等な立場で、アランがチャーリーに悩みを打ち明けたのだ。話に聞き入り、助言をするチャーリー。一方的な関係から、向き合って交流しあう関係に変わっていく。ルームメイトだったあの頃のように、彼らはお互いを必要としていくのだ・・・。
深い傷を負ったチャーリーの心は、街の復興のように簡単ではない。一体、癒しとは何なのだろうか?傷みを忘れることなのだろうか?
誰も妻や娘たちの代わりにはなれない。ならばその喪失を何かで埋めるのではなく、傷みを抱いたまま生きてゆくこともひとつの選択肢ではないか。悲しみを乗り越える必要はない。ただ、心に寄り添ってくれる誰かがいてくれれば。キッチンのリフォームを繰り返し、過去に向かって生きていたチャーリーは、ようやく未来へ目を向け始めた。
大きな喪失を抱く人間がどんなふうに生きてゆくのか。この映画は、「9.11」という特殊性を超え、もっと普遍的な人間のテーマに迫った物語なのである。
(第20回東京国際映画祭コンペ部門作品)
ある映画人の半自伝的映画、そして若き日々と言うタイトルからは、青年の勉学にいそしむ真面目な日々が綴られているのではと想像する。しかし・・・実際は驚くほどシニカルな笑いに満ちている青春映画だった。
1970年代のデンマークの国立映画学校。エリック・ニーチェが入学した監督コースの学生や教授陣は非常に個性的な人間たちが集まっていた。劣等生扱いされるエリックは、退学の危機に常にさらされながらも、やがて自分の映画作りのスタンスを確立してゆく・・・。ラース・フォン・トリアー監督が自分の体験をもとに脚本を書き、同じ映画学校の後輩であるヤコブ・トゥエセンが監督を務めた意欲作。
この映画から終始溢れているのは、登場人物たちの映画に対する愛情である。だが、各人の思いが強すぎ、それは一向に相容れない。自分の映画が一番で、他人の映画には興味がないのだ。いわゆる、映画オタクの集まりなのである。
エリックももちろんその一員であり、映画オタクぶりを遺憾なく発揮している。不器用でシャイな彼はことごとく教授や仲間たちにいじめられるが、雑草のようにしぶとく立ち上がる。そこに悲壮感は全くなく、こみ上げてくるのはむしろ笑いである。半自伝的映画とされるが、主人公エリックとの距離感は絶妙で、半自虐的映画とも言える。しかし自虐と言っても暗さはなく、その裏には自己愛が垣間見れるのだった。クリエイターとして成功する人間には、こういった自分への愛情と強い信念が必要なのかもしれないと思わせる。
驚くべきことは、デンマークの映画学校はひとつだけであり、この映画に登場した人物たちにはみなモデルがいることだ。事実は、小説よりも映画よりも奇なりというところだろう。映画業界ではまかり通る常識も、一般人の目には奇異に映ることもある。そんな業界への独特な切り込みも面白いところだ。どこまでブラック・ユーモアが許されるのだろうと心配になるが、この映画の放つ毒が心地よくて癖になる。原題は「THE EARLY YEARS―Erik Nietzche PartⅠ」。PartⅡが無事に作られることを祈りたい。
10月に見すぎたせいか、今月はグッと本数が減りました。
課題を書いたりしていたので、そもそも出歩くことが少なく・・・汗
12月からは出版社で働くことになりましたので、気持ちを新たに頑張ります。
01日(木)「ぜんぶ、フィデルのせい」★試写 東京日仏学院
10日(土)「自虐の詩」シネリーブル池袋
17日(土)「それぞれのシネマ」東京FILMEX映画祭 東京国際フォーラムCホール
23日(金)「脳に烙印を!」東京FILMEX映画祭 有楽町朝日ホール
26日(月)「Little DJ」★試写 ニッショーホール(虎ノ門)
28日(水)「転々」テアトル新宿
28日(水)「俺たちフィギュアスケーター」★試写 九段会館
DVD鑑賞「トンマッコルへようこそ」
印象に残った作品
「ぜんぶ、フィデルのせい」「自虐の詩」「それぞれのシネマ」「Little DJ」「トンマッコルへようこそ」