久々にドカーンと来た、心が震えるほどの重厚な作品。これだから、映画はやめられない。
「ヴィスコンティ生誕100年祭」(2006)が山形にもやってきた。
上映期間は1週間。どれにしようかと迷うことも無く、「ルートヴィヒ」だ。
ヴィスコンティ作品について観ているのは・・・
昔、劇場鑑賞したのが「家族の肖像」「山猫」「地獄に堕ちた勇者ども」(かな?)
ビデオで観たのが「郵便配達は2度ベルを鳴らす」「ベニスに死す」。
「ルートヴィヒ」は興味がありながらもビデオ2巻という長さに怯んでいた。
いや、怯んでいて正解だった。まさかスクリーンで観ることができようとは。
「ドイツ三部作」のひとつといわれる本作は、バイエルン王ルートヴィヒ2世の孤高の人生を描いた大作だ。今回の完全復元版は上映時間約4時間。インターミッションが入る映画は、「風とともに去りぬ」以来、2度目だ。
「国民にとって、私たち王族は見世物に等しい。記憶になど残りはしない。暗殺でもされなければね。」
ルートヴィヒ(ヘルムート・バーガー)の愛した女性、従妹でもあるオーストリア皇后エリーザベト(ロミー・シュナイダー)のセリフ。
暗殺はされなかったけれど、ルートヴィヒ2世は、当世ばかりか後世の人々の記憶にも色濃く刻み込まれた人物となる。ルートヴィヒには、人を惹きつけて止まない何かがある。監督のヴィスコンティこそが一番心酔したのではないかと思わんばかりに、彼がどんな姿になろうとも、魅力的に映し出す。そして、そのためなら惜しむものは何もないと思うほどの、厳しい冬や宮殿や城でのロケの敢行。彼が作った3つの城だけでも、本当に圧倒させられる。
脚本も秀逸。私にもっとオペラの知識があればより理解できただろうに。口惜しいことだ。
そして・・・主役を演じたヘルムート・バーガー。彼しかいないのではないかと思うほどに、美貌もさることながら、その演技は本当に繊細だ。顔に手を当てる仕草はなんとも印象深い。虫歯で歯が真っ黒になり、顔が青白く目はうつろ。撮影当時は20代後半だったろうが・・・
19歳でバイエルン国王となり、愛する女性と結ばれることは叶わず(しかしそれは自己愛のようにも感じられたが)、政治や戦争から目をそむけ、結婚もせず、音楽や芸術に傾倒し、自分の気に入る美しい役者や従者たちを従い、自分の世界(城)を作りだす。その世界は・・・エリーザベトが高笑いするほどに尋常さを越えている。
なぜ、バイエルン王は「こうなった」のだろうか。最初から「こうだった」のだろうか。
正気と狂気の境は、きっと自分でもわからないだろう。
それでも、ルートヴィヒとある程度親しいデュルクハイム大佐が「王は狂っているのか」と言う閣僚の質問に対して、「王の狂気を望む誰かがいたのではないか」というセリフにはドキリとした。
確かに、当時「回りの国中が全部親戚」と言うほどに同盟のための結婚が繰り返された。バイエルン王だけが結婚をせずに済むものだろうか。しかも王だけの力で3つも贅沢な城を作らせることは出来ない。国庫からの支出が莫大なのにそれを許させていたのは何故なのか。圧倒的な孤独を許していたものはなんだったのか。最大の不幸は・・・おそらく彼を真に愛した人はいなかったということだ。そして彼自身も。
そして退位から謎の死に至るまで。彼は呟く。「雨は止まないだろう。二度と」
エンドクレジットには愕然とさせられた。死に顔を映し続けるとは・・・こんなのってあるだろうか?
ヴィスコンティに感服するしかない。
ルートヴィヒは、自分が死んだら城は破壊せよと言ったそうだ。しかしながら・・・皮肉にも今もって現存し、特に有名なノイシュバンシュタイン城はバイエルン地方の観光収入にもかなりの貢献をしているという。
この映画を観て、私も彼が作った3つの城に行ってみたい衝動に駆られている。
ルートヴイヒの遺志に添わないことを、許して欲しい。
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