私たちの幸せな時間(06・韓) | no movie no life

no movie no life

・・・映画を見て思ったことをツラツラと。ネタバレです。

かなり昔に書いたのも。

死を願う元歌手と死刑囚。
ひとりでは受容できない苦しみが交錯して、いつしかふたりの魂が生へと向う。


元歌手のユジョン(イ・ナヨン)は、3回目の自殺未遂の後、シスターであり刑務所を慰問している伯母に連れられ、死刑囚ユンス(カン・ドンヨン)と出会う。3人の人間を殺した罪で服役していた彼は、ユジョンがかつて歌った「愛国歌」が忘れられないと語る。その後、ユジョンとユンスは毎週木曜日に面会することになるが・・・


人と人の間には、常に距離があって、障害もある。
でも、距離があるからこそ近づきたいと思うし、時として物理的な障害は実は障害でなかったりする。
ユンスの涙をガラス越しに手で拭ったユジョン、ガラスに映ったユジョンの写真を大切にしたユンスに思う。ガラスは障害ではなかった。手錠も、障害ではなかった。
魂が寄り添っていたから。
「本人」にはなれない距離があるからこそ、相手を尊重し苦しみに共感することが出来る。
そして、人生と同じように、大事なのは時間の「量」ではなく「中身」なのだ。・・・


この映画では、キリスト教の要素が色濃い。
人は罪深い生き物と言うのが前提にある。自分の罪を悔い、一方で他人の罪を赦す。決して簡単なことではないし、「人が変わるのは奇跡だ」。
自分が誰かを赦し苦しみを背負って生きることで、奇跡を願ったユジョン。
自分の娘を殺した犯人を、泣きながら赦した母親。
「神がいるならば。」
ベートーベンのピアノ曲に乗せて、人間の祈りが、重く切なく伝わってくる。


人はどれほど傷つかねばならないのだろうか・・・?
心が激しく震える作品。涙無くしては見れない。


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原作「私たちの幸せな時間(Our Happy Hours)」は、蓮池薫さんが日本語訳をつけています。
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