自分の

外側の世界に

 

「完璧な理解者」

を求めることは、

 

哀しいけれど

不毛なことだ。

 

 

 

 

 

私は以前、

 

試しにその哀しさに

死に物狂いで浸りきった。


 

この2つの記事の

あたりがそうだね。

 

今読むと

神がかりすぎてて

何だかよくわからんな。笑

 

 

 

 

 

この世を

生きていくことは、

 

光の存在としての

在り方をなんとなくでも

覚えている人達にとって、

 

少し苦しいんだ。

 

 

 

 

 

エネルギーや振動数で

想いを共有できる

わけでもなく、

 

一個の肉体の中、

何かが欠如した感覚のまま

 

この世に対しての

絶望に近いものを

感じていた。

 

 

 

 

 

簡単に言えば、

何か生きづらいって感覚。

 

よくわからんけど、

上手くいかない感じ。

 

知っているはずの何かと

現在が違う感じ。

 

 

 

 

 

光や魂といった、

この世の肉体ではない

存在であった時は、

 

寂しさや孤独感なんて

ほとんどないんだ。

 

不便さも不足感も

なかったんじゃないかな。

 

 

 

 

 

私はそれを

何となく知っていて、

 

ずっとずっと

変な感覚を抱いていた。

 

ぽっかり隙間の空いた

なんだか満たされない感じ。

 

 

 

 

 

寂しい。

 

苦しい。

 

何とも言い表せない

閉塞感と分離感。

 

 

 

 

 

 

私はそれまで

そのぽっかり部分に

 

きちんと目を向けるのが

怖かったんだけど、

 

ある日じっくり

やってみたんだよね。

(それが上の記事ね)

 

 

 

 

 

やーー

死ぬ気でやった。

生きててよかった。←

 

某マスターに

 

「何やっとんじゃお前は…

 ほんま世話やけるやっちゃなー!」

 

みたいな感じで

対応されるくらいには、笑

 

魂的なネガティブ部分に

向き合いまくった。

 

 

 

 

 

んでね。

 

まあ、その話の詳細は

置いときまして。

 

 

 

 

 

それもあって

悟れたのですよ。

 

自分のこの想いや感情を

外側の人に完全に

理解してもらうなんて

 

普通に難しいな。と。

 

 

 

 

 

というか、

 

こりゃー

人に理解させるのも

酷だわな。

 

って思いました。

 

 

 

 

 

あれ?

最近の記事と矛盾しない?

 

って、思った方も

いるかもしれませんが、

 

まあ続きを

お読みください。

 

 

 

 

 

あのね。

 

どうやったって、

自分以外の人間に

 

自分の「全て」を

理解してもらうのは

難しいんです。

 

 

 

 

 

人は特に、

 

大切な人には

「私を理解してほしい」

と思うのだろうけど…

 

 

 

 

 

それこそ、

大切な人という

 

「ごく少数の人」

「全て」を委ねたり、

 

「全て」を理解して

もらうのは、

 

超絶・難しい

思うんですよ。

 

一生をかけても

できないんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

…と、はっきり

書きましたけど、

 

がっかりしないで

ください。

 

まあ哀しんでも

いいですけど、

 

あまり悲観に浸る

必要はありません。

 

 

 

 

 

 

だってね。

 

自分の「全て」を

理解してくれる人、

 

実はいるんですよ。

 

 

 

 

 

 

自分の全てを

知っていて、

 

自分の全てを

一緒に体験していて、

 

自分の全てを

見守っている、

 

そんな存在が

いるんです。

 

 

 

 

 

ここまでの記述で

気づいたでしょうか?

 

 

 

 

 

人は、自分の

「外側の世界」に

 

「完璧な理解者」を

持ち得ません。

 

 

 

 

 

じゃあ、

どこにいるのか?

 

一体その理解者は、

誰なのか?

 

 

 

 

 

 

それは、

 

自分の内側にしか

存在しない

 

「あなた」自身です。

 

 

 

 

 

 

私がずっと、

 

「魂」として表現

している存在ですね。

 

魂という、

あなた自身のこと。

 

 

 

 

 

魂だけは、

 

あなたをじっと

誰よりも辛抱強く

 

誰よりも深く

誰よりも愛おしく

 

あなたを

見てくれています。

 

 

 

 

 

私は魂とつながった時

これを感覚的に理解し、

 

私自身を、

私という存在自体を、

 

「私をずっと見てくれている

 誰よりも大切な人」

 

として、扱うことに

決めたのです。

 

 

 

 

 

自分との両思い。

魂との縁むすび。

 

いろんな言い回しが

できると思うけれど、

 

私にとっては、

こういう意識の変化

だったのです。

 

 

 

 

 

こう感じたら、

そりゃもう、

 

私自身に対して

心底優しくしようって

自然と思えたんですよ。

 

誰よりも愛おしいって

思うほかないんですよ。

 

 

 

 

 

 

でね。

 

ここまで、

外側に理解者は

いないとか

 

ある種、

残酷な言い方をして

きましたが…

 

 

 

 

 

「完全な理解者」を

作ることは難しい、と

書いただけであって、

 

「あなたは理解されない」

と伝えたいわけじゃ

決してありません。

 

 

 

 

 

そして、

もうひとつ。

 

大切な事実が

あるのです。

 

 

 

 

 

あなたは、

そして私達は、

 

目の前の

一人を相手に

 

「全て」を委ねることは

きっとできません。

 

 

 

 

 

けれど、

 

「理解してほしいこと」や

「わかってもらいたいこと」を

 

「伝えていくこと」は

できるのです。

 

 

 

 

 

目の前にいる相手に、

少しずつ、少しずつ、

伝えることができます。

 

そして私達は、

いくら理解が難しくても

 

認めあったり、

許しあったりすることが

できるのです。

 

 

 

 

 

 

さて、例えば、

 

あなたと縁の繋がった

100人の他者を相手に

 

あなた自身のことを

少しずつわけるように

伝えていったなら、

 

どうでしょうか。

 

 

 

 

 

「あなたの全てを

 理解する唯一の人」は、

 

世界中どこを探しても

あなたしかいませんが、

 

「あなたの一部を

 理解する多数の人」は、

 

あなた次第でいくらでも

作ることができるのです。

 

 

 

 

 

 

なんか、

そう考えたらすごくない?

 

自分で書いてて、

すごいなと思うもん。

 

 

 

 

 

人は、その人自身が

理解できるものしか

理解できません。

 

それはもう、

それぞれの個性。

 

辿ってきた道が違えば、

許容範囲も違います。

 

 

 

 

 

そのそれぞれの

範囲内で

 

自分の一部を少しでも

理解してもらえたなら、

それだってすごいこと。

 

そして別の一部は、

他の誰かの許容範囲に

収まるかもしれない。

 

 

 

 

 

多くの人からの

小さな理解が

積み重なった時、

 

自分の中身の

ほとんどを、

 

世界に理解してもらえたと

感じられるのかもしれないね。

 

 

 

 

 

 

ふふふ。

 

ちょっと壮大な話に

なってしまいました。

 

 

 

 

 

私というものから

溢れたこの一部分を

 

あなたが受けとって

くれたのなら、

 

私はとても

嬉しく思います。

 

 

 

 

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