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DENON DL-103フェーズメーションのトランスのセットは、「黄金の組み合わせ」なのだ、と教えてくださった方がいらっしゃった。

 

ですよねー。

 

というわけで、起きがけ、今日は朝からオーケストラである。

 

 

朝らしく、明るいB面の「41番」から聴く。

 

ウィーン・フィルが「そこ」で演奏しているようだ。なんて自然な音色、なんて自然な帯域バランス。

 

すべての音が、どこかのピークに遮られことなく、まっとうに聞こえてくる。「ああ、これでいいんだよな、オーディオは」と思ってしまう。一生これでいいんじゃなかろうか。

 

O氏から取り戻したのは正解だった。もう貸してやんない。

 

 

 

友人のO氏に貸していた、DENON DL-103が我が家に戻ってきた。久しぶりに聴くMCカートリッジ! と喜んだが、このところMMばかり聴いていたので、MCを聴く環境が我が家に整っていないことを忘れていた。

 

いまのアンプ(Myryad)はMC用のフォノイコを積んでいない。

 

さて、どうしたものか。

 

Myryadのフォノイコの音は好きな傾向なので、そのまま生かし、MC昇圧トランスを購入することにした。トランスなら電源もいらないし、アンプの上にポンと載せておいて配線するだけでいい。

 

で、購入したのがフェーズメーションの一番廉価なT-320というモデルである。オーディオ製品を久しぶりに新品で購入した。

 

 

お店のショーケースに並べられている姿を見て、「思っていたよりデカい…」と思ったものの、思い切って買ってしまった。

 

フェーズメーションは横浜の会社である。地元企業を応援しよう! という気持ちも購入を後押しした。

 

 

帰宅して、セッティングしてみたが、やはりちょっと存在感がある。僕の薄型アンプにはちょっと大袈裟だったか…かな?

 

いやいや、そんなことはない。

 

実にカッコイイ。所有する喜びも大事な要素だ。

 

ターンテーブルに載せっぱなしになっていたチャック・マンジョーネのLPをそのまま聴く。

 

 

音が自然。もともとこのアルバムはこもり気味で抜けが悪い音質のアルバムだが、それでもハイハットがシャッキリして、ベースの量感も出て、その音程もよく聴き取れようになった。

 

カートリッジとトランスを一緒に入れ替えたので、それがカートリッジの特性なのか、それともトランスの実力なのか、はっきりはしないのだが、少なくとも「昨日までの僕の部屋の音」に比べて、数倍上質な音になっている。

 

ところで、最初に音出しした時「ブーン」というハムが聞こえて、「なんだ!?」とびっくりしてしまったが、単なるアース線の繋ぎ忘れだったことが分かり一安心…。アースはプリメインアンプ側の方へも繋がなければイケナイのだった。

 

マニュアルはちゃんと読まないと駄目である。

 

 

 

 

 

 

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チャック・マンジョーネ/

ファン・アンド・ゲームス(FUN And GAMES)

(1979,A&M)

 

 

USオリジナル盤だが、盤面が悪かったのでとても安く買えた。いま、再生しているが、線キズはあれども、再生は大丈夫のようだ。

 

妻の母の墓参りで訪れた浦和にて購入。義妹が「最近、東口のパルコにディスクユニオンが入った」と言うので行ってみたのである。

 

なお、当の義妹とウチの次男らは「電子ピアノが欲しい」と言い出し、同じフロアの島村楽器でしばらく試奏していたが、評判のYAMAHA P-225Bが展示されていなかったとかで、結局は何も購入せずに帰ってきた。

 

 

浦和の「お土産」は、280円のチャック・マンジョーネのレコードだけであった。

 

電子ピアノに関しては、もちろん、西口の柏屋楽器にも寄ったのである。なんと、そうしたら盆休みだった。買いたい時に商品に出会えないのは、なんだか空しい。巷間、こういうことが多いから、みんなアマゾンで買うのであろう。だって、アマゾンでポチれば、明日には自宅に配送されてしまう世の中なのである。安いし。

 

いまどきの通販に「お盆休みはない」のである。

 

そんなことはどうでもよく(YAMAHA P-225Bはいずれ買いますが)、今日の浦和のお土産『ファン・アンド・ゲームス』について。

 

とてもかっこいいアルバムだった。

 

冒頭の《Give It All You Got(栄光をめざして)》は、僕の知っているシングル・ヴァージョンじゃなくて、長尺のフル・バージョンだった。各ソロが長くて、こっちの方がいいに決まってんじゃん! と思わず独りごちた。

 

 

他の曲も全部いいんだが、驚いたのが、《Give It All You Got》の別ヴァージョンとも言うべき楽曲が、《Give It All You Got, But Slowly》というタイトルでB面2曲目に収められていたこと。題名の通り、スローバラード調にアレンジされている。どちらも素晴らしい。作編曲者:チャック・マンジョーネとしては、どちらも捨てがたかったに違いない。それで、両方とも(同じタイトルで)収録してしまった…。

 

チャック・マンジョーネのコンポーザーとしてのこだわりと自信が伺われるのである。これは感動である。

 

まさに、その自身と誇りに相応しい作品になっているのが、当アルバムの最大の魅力なのだと感じた。1970年代のフュージョン界のエネルギーは、やはり凄まじい!

 

 

チャック・マンジョ-ネ/

哀しみのベラヴィア(bellavia)

(1975,A&M)

 

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ブック●フ「あるある」なのだが、「洋楽・A・B・C」の仕切りの所に並んでいた(「ジャズ」の所ではなくて)。500円。

 

チャック・マンジョーネのレコードだというだけで、即購入。これまで持っていたのは『フィール・ソー・グッド』(1977)と『サンチェスの子供たち』(1978)だけだった。

 

グラミー賞受賞作。

 

チャック・マンジョーネが単なる「フリューゲル・ホーン奏者」ではないことが分かった。これは感動である。すべての曲の作・編曲、そしてエレピとチェレスタなどを担当している。

 

タイトル曲は、ベスト盤にも入っていた。

 

これぞ、フュージョン(融合)。ロックのリズムにジャズのメロディーや和声が乗っている。僕は自称「ロック」ドラマーだから、ノリノリで聴ける。これが、シンバル・レガート中心の「どジャズ」だと、こうは聴けない。「勉強勉強」と思って聞くので全然愉しくない。

 

だから、僕はとうの昔に、自分で「ジャズドラム」を演奏することを諦めた。シンバル・レガートとスネアやバスドラの組み合わせを練習していても、まったく面白くないのだ。僕の魂はあくまでも「ロック」なんだな、と。

 

バスドラがリズムをリードする演奏が好きなんだな、と。

 

本作のドラムは、ジョー・ラバルベラ。5曲目に長い長いドラムソロがフィーチャーされているが、とても心地よいドラムだ。中学生の時にこれを聞いていたら、ぜったいにコピー(…まではできないにしろ「真似」は)したと思う。

 

ところで、日本盤の解説書というのは大事だなと思う。ウィキペディアでは検索できないような情報が書いてある。

 

タイトルの「ベラヴィア」とは、マンジョーネの母親の名前だとか、マンジョーネもジェリー・ニーウッド(サックスとフルート&ピッコロ)も、YAMAHA製の楽器を使っているとか、メンバーはカルテットを中心にした大編成オーケストラ(指揮:ジュラルド・ヴィンチ)であるとか、スタジオにおけるライブ(一発)録音であるとか…。

 

音源だけは「Apple Music」等で聞けたとしても、こういう情報はなかなか得られるものではない。やはり、好きなアルバムはディスクで所有していなければいけないなと思った次第。

 

次は『ファン・アンド・ゲームス』(FUN And GAMES)を聴いてみよう。

NHK-FM「音楽の泉」

ドビュッシーの映像第1集・第2集(再)

初回放送日:2024年10月20日

お話:奥田佳道

 

 

ドビュッシー:
映像第1集「水に映る影」「ラモーをたたえて」「動き」
映像第2集「葉ずえを渡る鐘」「荒れた寺にかかる月」

「金色のさかな」
アルド・チッコリーニ(ピアノ)
(1991,ERATO)

 

 

「聞き逃し配信」で聴き始めたら止まらなくなってしまった。いまの僕には響きすぎる音楽と演奏。

 

僕はピアノを演奏できないが、その代わりに、長男と二男が好んで鍵盤を学んでくれている。次男の11月の発表会はドビュッシーだそうである。

 

前回、6月はピアソラの《リベルタンゴ》(連弾)だった。妻は、その演奏をたいへん喜んでいた。そんな記憶も徐々に薄れていってしまうのだろうか。

 

ドビュッシーの《映像》は、心の響きがする。普段、あまりピアノ曲だけをじっくり聴くことのない僕であるが、どうしたことか、今朝は奥田氏の声とともに、このままずーっと聴いていたい気持ちになった。

 

「音楽」の力、そして「演奏」の力を感じた朝だった。

 

 

 

 

 

 

 

今朝はチャック・マンジョーネを聴いております。先月、訃報がありました。ジャズ好きの方以外にも、よく知られていて、例えば、吹奏楽をかじったことのある人なら、どこかでこの方の音楽に触れているはず。僕もその一人で、だから、そんなにいろいろな曲を知っているわけではないです。

 

上掲のアルバムには、シングルよりも長いオリジナル版の《フィール・ソー・グッド》が収められています。これがまた良いんです。

 

でも、僕が高校時代からよく聴いていたのは次の一枚。

 

 

A&M時代のベスト盤(1986年発売)。日本だけの企画盤だったらしく、いま探しても、この10曲を収めたリイシュー盤はどこにも見当たりません。FLACで保存しておいて、本当に良かったです。

 

《フィール・ソー・グッド》は高校の時、吹奏楽でやりました。ドラムではなかったです。トライアングルかなんかだったかな…? ちなみに、この曲の吹奏楽編曲をしたのは、(売れない頃の)久石譲でした。当時は、「Hisaishi Yuzuru」の表記があったような気がします。だから、吹奏楽の人はみんな「ゆずる」だと思っていました。もしかしたら、出版社の表記ミス(確認ミス)の可能性もありますね。

 

 

《サンチェスの子供たち》も高校時代にやりましたね。こちらは、ドラムセットとスネア(ロール)が別楽譜になっていて、僕はスネアの方をやりましたっけ。

 

 

後になって分かったんですが、原曲のドラムは、中高生にはちょっとコピーできないような難しさです。だから楽譜上で二人に分けたんでしょう。

 

と書いてきて、突然思い出したのですが、この曲、30歳ぐらいの時に、中高生の合同バンド(130人ぐらい!)で、指揮したことがありました! いやぁ、汗が出ます。大先生のお歴々のなかで、若造が独りで指揮したなんて…。若気の至りですね。

 

また思い出したのですが、ドラムを担当してくれた他校の女子生徒が「もっとうまくなりたい!」と言って、本番までの間、毎週土曜日の午後に僕の勤務校に通ってきていました。僕がドラムの手ほどきをする間、クルマで送ってこられたお父様は、近くに控えて読書していらっしゃいました。本人もすごいけれど、親も素晴らしい方でしたね。

 

本番の演奏は、とても素晴らしかったです。あまりに素晴らしいので、僕は全然タクトを振らず、ずっと踊りまくっていました。恥ずかしいったらありゃしない。繰り返しますが、若気の至りです。

 

チャック・マンジョーネとはまったく違う話になっちゃったので、戻します。

 

上掲のベスト盤で次に好きなのは、なんといっても《Give It All You Got》(栄光をめざして)です。この曲は、1980年のアメリカでの冬季オリンピックのテーマソングだったそうです。そんなこと言われなくても、自然に盛り上がってきてしまう曲。冒頭のエレピ、ギターのカッティングに続いて、チャック・マンジョーネのフリューゲルですよ。素晴らしい!

 

 

いろいろ、思い出したくないことも思い出しちゃうとイケナイので、これぐらいにしておきます。

 

音楽はタイムマシーンですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チャイコフスキー:
交響曲第5番ホ短調作品64

ロリーン・マゼール 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1963,DECCA)

 

 

「4番」に引き続き「5番」を聴いた。

 

 

やはり木管(特にオーボエ)がちょいと薄い録音。一方、金管はよーく聞こえる。というか、弦楽器も金管の強奏に埋もれることなく全部聞こえる。ある意味、凄い「スタジオ感」である。でも、ちゃんと遠近は出ているので臨場感はある。

 

冒頭のクラリネットのsoliは、大学の時、後輩のKちゃんがよく廊下で吹いていたっけ。だからここを聴くと、毎回Kちゃんの顔を思い浮かべてしまう。

 

先月24日、そのKちゃんに32年ぶりに会った。ぜんぜん変わっていなくて、驚いた。

 

そういった意味でもレコードはタイムマシーンだ。いや、この場合は「音楽が」が主語になるのか。

 

ティンパニの不安定なところがある。ちょっとだけ気持ちが悪い。録り直しにはならなかったようだ。

 

でも、随所の強打は、実に気持ちが良い。マゼールの指示を聞いてやっているのかは分からないのだが。

 

この演奏も、「エピソード・ゼロ」なのかもしれない。でも「4番」ほどではないように感じる。

 

しかし、本当に「特色」を感じない。最近の僕の体調が悪いだけのことかもしれないのだが。

 

そこは御免ください。

 

 

コレクションとしては素晴らしいレコード。

 

 

 

 

ボブ・ジェイムス&デイヴィッド・サンボーン:

ダブル・ヴィジョン

(1986,Warner Bros.)

 

 

ちょっと前、川崎にディスクユニオンができたので、足を延ばしてみた。10分ぐらいしか居られなかったが、フュージョン系が関内店よりも揃っていて、1980年代後半のレコードを5枚ほどゲットしてきた。

 

1986年といえば、僕は高2。この『ダブル・ヴィジョン』を初めて聴いたのは、「友人K」のお宅でだった。KのうちにはCDプレーヤーがあったのである。当時最新のメディア=CD(コンパクト・ディスク)でのリスニングだった。

 

とてもお優しいお母さまがいて、いつも小さな犬を抱いていた。Kの兄は秀才で、家を出て北海道大学に通っていた。その反動かは分からないが、Kはよく言えば自由奔放、うらやましい限りのわがままを許された高校生だった。ムカつくことに彼女までいた。(くそー)

 

そんな「憧れ」があったからか、僕はけっこうK宅に出入りしていた。夕飯時にお邪魔しても、お母さまはニコニコと迎えてくれた。

 

ショスタコーヴィッチの「5番」をバーンスタインで聴かされたのもK宅だった。

 

そんなわけで、『ダブル・ヴィジョン』を聴いたのだが、それまで和製フュージョン(バンド名は伏せます)しか聴いたことのなかったmrajinsky少年の心は、もう完全に虜(とりこ)になってしまった。いや、打ちのめされたと表現してもいい。

 

これ、レコードで聞いたら、もっと最高だった。当時の記憶も甦ってきて、レコードというのは、本当にタイムマシーンだと思う。

 

 

先々月にアンプを、大好きな国産=松下電器から、英国のMyryadに変更した。20年ぐらい前の製品で、リサイクルショップで中古購入した。(安かった)

 

 

うちのスピーカーのLINN NINKAが、まるで違うスピーカーのように鳴り出した。エレベの音程が確かになり、ハイハットは実体感のある金属性を帯びてきた。NINKAは、もともと穏やかなタイプに属するスピーカーだと思うが、アンプを変えたら化けてしまったのだ。しかも、とても良い方向に。

 

 

薄くてシンプル、セレクターとボリュームしかない感じのフロントパネル。いかにも「英国製」という佇まいだ。

 

「大好きな」松下製(Technics)を除けて、英国製のアンプにしようと思ったのには訳があって、ここのところ、NINKAの音に主張がないように感じていたからなのだ。

 

松下製のエントリー機は、上から下まで過不足なくコントロールされた音を出す、と昔から僕は思っている。とても自然な音色でもあり、リラックスして「ながら聴き」をしても、へっちゃら。本当に人々の暮らしに溶け込んだ音楽を奏でる。

 

それでぜんぜん良いのだけれども、春ごろに、なぜか、もう少しクオリティーを上げ、個性のある音を愉しみたいと思った。(思っちゃった)

 

実は、Myryad Z140は10年ほど前にも所有していて、その音色傾向を理解していた。だから、これが中古で売られているのをみて、即決してしまったのだ。

 

この組み合わせは、「正解」だったと思う。

 

ただし、これにて終了…とはならない。旧・松下製エントリー機…ではない、パナソニック製の「新生・Technics」の上位モデルを購入し、自室で試してみるまで、当然、オーディオの旅は終わらない。

 

いつも、この日記に書いているとおりである。

 

チャイコフスキー:

交響曲第4番ヘ短調作品36

ロリーン・マゼール 指揮

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(1964,DECCA)

 

 

61年前にウィーンで録音されたレコード。この盤は、1965年にグレートブリテン(そう書いてある)で製作された輸入盤だ。工業製品としても、60年も前の産物というわけだから、ちょっと興奮する。

 

同時に「5番」も入手したので、別立てで感想を書くが、今朝はとりあえず「4番」を。

 

 

この頃のレコードはペナペナしない。重厚である。だからか、ソリがまったくない。

 

昔、マゼール&ウィーン・フィルの「チャイコフスキー:前期交響曲集」をよく聞いた。その記憶からいうと、音質・音色が同じである。薄味の木管、高音弦の強調、金物楽器の煌びやかさ…どれも交響曲1番~3番の音色と変わらない。

 

「前期」はCDで聴いたが、「後期」のこのレコードにしても、全体の印象はあまり揺るがない。

 

そして、肝心の演奏の方は、あまり面白くなかった。「4番」が大好きすぎて、自分がいろいろと聞きまくっているからだと思うが、このレコードは、様々な解釈が生まれる前の「エピソード0」という立ち位置なのだと思う。

 

この「最初の一枚」から、各指揮者、各レコード会社、各プロデューサーの「新しい解釈」が生まれていったのだろう。

 

2025年の時点で聴けは、超オーソドックス。スコアに忠実な感じと、すべての楽器を均等に聞こえさす録音方針が垣間見られる。

 

悪く言えば、スコアの交通整理ができていないというか、聴かせるべき旋律をことさらに浮き出たせたりしない、「何もしない」「そのまんま」の様相で楽曲が進行する。

 

終楽章も劇的な感じは抑えられ、楽器的な難所も安全運転を身上としているようだ。

 

 

 

NHK-FM「ベストオブクラシック」

日本の音楽祭シリーズ

浜松国際管楽器アカデミー&フェスティヴァル
初回放送日:2024年10月16日(再放送)
案内:田中奈緒子

 

三善晃:

吹奏楽のための《クロス・バイ・マーチ》ほか
原田慶太楼 指揮

ワールドドリーム・ウインドオーケストラ
(2024.8.5, アクトシティ浜松中ホール)

 

 

今週は、各地の音楽祭の特集。食指が動いたのは、この「ワールド・ドリーム・ウインドオーケストラ」のライブのみ。

 

最初から、過去の吹奏楽コンクール課題曲、しかも目の覚めるような素晴らしい演奏からスタートした。次の曲からは知らない曲ばかりだったので、聴くのをやめてしまったが、ちょっと聞いただけでも、素晴らしい演奏家ばかりが集った「夢のような」吹奏楽団だということが分かる。

 

生徒児童たちが、毎日、一所懸命練習したって、こういう演奏はけっしてできない。アマチュアがプロには叶わないのは当たり前のことだ。

 

しかし、吹奏楽コンクール絶対主義者は、偶にヘンな妄言を吐くことがある。「全国大会レベルの団体の演奏は、プロの凡百の演奏を超える」とかなんとか…。

 

んなワケないじゃん。

 

悲しいかな、多くの吹奏楽経験者は、学校を卒業すると音楽の世界から足を洗って、楽器をまったくやらない者が多い。

 

そういう実態と無関係ではないと思う。

 

「音楽」を「音楽」として奏でるためには、「音楽」を根本から愛する姿勢が必要だ。学校教育の中の集団行動、というだけでは本当の音楽は生まれないと、私は思う。卒業したら音楽を辞めちゃう程度のモチベーションで部活動をやってるんだもの。

 

高体連もそうだか、高野連も吹連も、みんな解散しちゃえばいい。