https://global.nissannews.com/ja-JP/releases/250715-01-j
横浜市民、いや、神奈川県民にとって「追浜」といえば、横浜ベイスターズの2軍球場、高校野球でおなじみの追浜球場、そして、日産の工場…という認識なわけです。
日産ブルーバードの故郷が「横浜」と言われるのは、横浜市に隣接する追浜工場(横須賀市)の存在によるところも大きいだろう。
僕が初めて自分のお金で買ったクルマが、日産ブルーバード(平成2年式・U12)だった。
ここのところ、昔のアルバムを眺めることが多かった。その中にあった、「マイカー」の写真の何枚かを、ここに複写して移り行く時を偲びたいと思う。
U12 ハードトップ。1990年式。グレードは「SSS-X」。エンジンは2000ccの「SR20DE」で、なぜかこのエンジンとの付き合いはこの後、長くなり、「セレナ」「アベニール」と乗り継いだ。
四駆の「アテーサ」と言うグレードもあったが、高嶺の花だったので、二駆で我慢。この「SSS-X」は、ABSが標準装備された仕様で、けっこうアイスバーン上で救われた。
上の写真は、中古で買った時のまんま。アルミホイールはこのグレードの標準装備のもの。タイヤはおそらく「195/65/R14」だった。「65」だから、ちょっともっさりしているかな。
テールがやや賑やかな後期仕様。「神奈川日産」のステッカーが地元感を表出していて「イイナ」と思う。ナンバープレートも「横浜」が一番似合う。「5」ナンバーが「7」ナンバーに移行したばかりの頃。
日付が1993年(平成5年)8月19日。御殿場線の「山北駅」前だ。田舎駅の典型、電話ボックスと郵便ポストが懐かしい。富士山5合目までドライブした時に立ち寄ったのだと思う。
かっこいいなー。今からでも旧車を買いたい。
ホイールをインチアップし、タイヤもブリヂストンのレグノにグレードアップ! サイド・ウインドウの上の「雨除け」は、ディーラーでパーツを入手して、自分で取り付けた!
エアバッグなんてない時代。スポーティーな3本スポークのステアリング。走行距離がちょうど「55,555」kmになった時の写真だ。メーターやメーター周りのデザインが本当にかっこよすぎる。
すべてが良い思い出である。
この後、平成10年(1998年)に、居眠りの事故で大破し、廃車になるまで乗り続けた。クラッシャブルなボンネットが「への字型」に大きく潰れ、僕の命は救われた。
「ブルーバード」という車種は既にないけれども、追浜から日産車が消えることになる。まあ、仕方がない。時代の流れには抗えない。
僕の「命の恩人」、ブルーバードに改めて感謝する。