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台風を避けるように、車でどんどん西に向かおうと考えていたが、昨日になって次男が風邪気味で熱もあるというので、今回は断念して、ゆっくり家にいることにした。幸い、熱は下がり気味のようである。ご飯も食べた。葛根湯を飲ませて、しばらく寝かせておくに越したことはない。

 

市内はインフルエンザ注意報が出ている。北部の小中では流行が激しいようである。一応まだ未成年なので、今日一日は様子を見ることにする。

 

今日の昼の大阪・シンフォニーホールでの関西フィルのチケットは無駄になってしまった。こんな時、こっちからキャンセルを入れて、その席を当日券として再販売できるようなシステムがあればいいのに…なんて思う。お代は、こちらの責任なので全部取られてもかまわないが、聴きたい人が「売り切れ」のために聴けないという状況を作るのは、たいへん申し訳ない。

 

しかし、そのうちにまた機会があるだろう。訪ねるつもりでいた伯母の家にもさっき電話を入れた。とりあえず、朝の仕事は終わったので、音楽でも聴こう。

 

ということで、今日最初のレコード。

 

クラシックはなんか悔しいので(なぜ)、往年の名盤を。

 

 

ボズ・スキャッグスの声色はあまり好きではないのであるが、バックバンドが凄いので、結構聴くレコードだ。

 

一番ヒットしたのは、B-1《LOWDOWN》だそうで、僕もこれが一番かな。

 

1976年というと、僕は小学校1年生。自分のこととなると遠い遠い昔のことなのに、名曲には時代の概念を超越する何かがあるんだろうと思う。

 

高校の現行教科書にも採られている芥川の『羅生門』は、100年も昔、僕が誕生する50年も前の作品であるが、まったく色あせないどころか、「下人」の葛藤は、ますます現代性を帯びている。

 

それと同じかもしれない。

 

ジェフ・ポーカロのドラムは、この時期、スリンガーランドという噂である。シンバルは、音色からいってパイステだろう。ハイピッチ気味のスネアは木胴に聞こえる。

 

いまさら気づいたが、ハイハットの刻みが「L」「R」チャンネルで振り分けられている。面白い広がりだ。

 

前奏はフルートと思って聞いていたが、デイヴィッド・ペイチのシンセの音色なんだそう。音作りの妙技を聴く。すごい、の一言。

 

《ウィア・オール・アローン》を高校の吹奏楽部で演奏したのを思い出した。メロディーにクラのソロがあった。演奏したユキコちゃんは、元気にしているだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NHK-FM「ベストオブクラシック」

「モーツァルトのピアノ協奏曲を聴く」(3)

初回放送日:2026年9月16日

案内:田中奈緒子


ヴォーン・ウィリアムズ:

劇音楽《すずめばち》序曲
モーツァルト:
ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466
 ほか
ルイ・シュヴィッツゲーベル(ピアノ)

ダグラス・ボストック 指揮

アルゴヴィア・フィルハーモニック
(2022.11.13,アルテ・ライトハレ(スイス、アーラウ)

 

 

ヨーロッパのローカルなオーケストラを聴くのが好きだ。アルゴヴィア・フィルとは、スイス・アーラウのアルテ・ライトハレ(旧・騎兵隊乗馬学校の建物)を本拠地とするオーケストラだという。

 

 

たとえば、今日の演奏会はどんなのをやっているのかと調べたら、サンサーンスの《オルガン交響曲》だった。オルガンが設置されているのか…と思いきや、オルガンだけ市内の教会からのリモート演奏だった。すごいことやるなあ…。本番中は教会には入れませんという註が、なんとも微笑ましい。

 

アルゴヴィアフィルの9/19の演奏会

 

さて、日本の吹奏楽界では誰も知らない人がいないボストックである。僕も、かつてはたくさんのCDを持っていた。

 

そんな英国人の客演指揮者がコンサートの冒頭に選んだ序曲が、ヴォーン・ウィリアムズの《すずめばち》だ。こんなの、絶対に名演になるに決まっている。

 

今日のはスイス放送協会だと思うが、向こうの放送局の録音はいつも優秀である。すぐにでもCDで販売できそうなクオリティーだ。100回ぐらい書いているが、とにかく「響き」をちゃんと収録している。各楽器、オンマイクで明瞭なのに、ちゃんとホールの「響き」、楽器の「響き」を感じるのだ。

 

《すずめばち》序曲は、蜂の羽音の描写から始まる。でも、僕の好きなのは、そのあとに出てくる民謡風メロディー。僕は昔から「おかあさんといっしょ」の《タンポポ団にはいろう!!》(作曲:坂田修)と同じ! …と言って妻を笑わせていた。

 

終結に向かうあたりから、細かいリズムに二つの主題を大きく乗っけて畳みかけるオーケストレーションは、ヴォーン・ウィリアムズお得意のもの。いや、ホルストも得意だった。

 

大満足で聴き続けたら、モーツァルトのピアノ協奏曲もとっても良かった。冒頭のうねり方からしてなんともいえぬ。

 

ニールセンの交響曲も!

 

こういう曲を愉しめるようになった自分を褒めてあげたい。

モーツァルト:

ピアノ協奏曲第25番ハ長調 K.503

ピアノ協奏曲第27番変ロ長調 K.595

フリードリヒ・グルダ(ピアノ)

クラウディオ・アバド 指揮

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(1975,ドイツグラモフォン)

 

 

忙しかった週の週末には、このような音楽が相応しい。Qobuzの玄関にあったのでクリック。とても良いチョイスだった。

 

来週、久しぶりにモーツァルトを聴きに出かける。しかも、初めてのシンフォニーホール、初めての関西フィルである。

 

シルバーウィークに大阪の伯母のところに家族で行く。そのついでに、20日(日)のチケットを確保した。

 

曲は、クラリネット協奏曲で、ソロはアレッサンドロ・カルボナーレ。カルボナーレは、フランス国立管の首席から、サンタ・チェチーリア国立管弦楽団の首席になったイタリア人。

 

そんなの、僕の大好きな音色に決まってる。

 

非常に楽しみ。

 

 

 

 

 

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ドラムセットの「構築」はまだまだこれからも続くが、「購入」は一段落した。

 

今回のシン・ドラムキット購入に際して、全部でいったいどれくらいのお金がかかったのだろう。

 

細かいものもすべて入れて、お小遣い帳代わりに一覧表にしてまとめてみた。

 

 

定価ベースだと、ざっくり60万円弱

 

しかし、今回はキットもシンバルも中古なので、24万円ほどで購入できた計算だ。実にお買い得だった。

 

この値段では、弦楽器はもちろん、金管楽器だって今どきは手に入らないだろう。

 

友人・知人には、もっともっと大枚をはたいて愛器を購入しているヤツがたくさんいる。もちろんみな、僕と同じでアマチュアである。

 

我が家のオーボエ(妻が学生時代に購入して次男がお下がりで使っている)だって、この値段では買えなかったはずだ。

 

そういう意味では、ドラムは安い。

 

そして、これが結構重要なのだが、中古でもあまり問題なく楽器としての性能が保証されている。25年前の楽器だから、音が悪くて…なんてことはほとんどない。

 

もちろん、今回のように、ヘッド(皮)を新品に交換したり、自分でオーバーホールしたりするのが前提なのであるが…。

 

国産メーカーのキットだから安い、ということはある。25年前の定価も安かった。上表のシンバルの定価も、昔のカタログの値段なので、現在はそれよりも高くなっていると思う。

 

ともあれ、プロ仕様のドラム&シンバルで、ハードウェアも含めて25万円しなかったのである。やっぱり、ドラムという楽器は、他の楽器に比べてものすごく安いと思う。

 

本番で使える日を、早く迎えたいものだ。

 

看板に偽りありと言われるといけないので、こういうのも載せてみよう。

 

大雨が各地で酷く、公共交通機関も麻痺しているところがある。今日は有給をもらって家でくつろぐことにした。

 

1980年代のデジタル録音のカラヤンのレコードを見つけると、必ず買うことにしている。

 

CDは持っていた。しかし、いつものごとく、レコードで聴くと音質的な発見があるので興味深い。

 

 

思うに、カラヤン&ベルリンフィルは、オーケストラ界の長嶋茂雄&読売巨人軍である。野球ファンが長嶋と無縁ではいられないように、オケファンもカラヤンとは無縁ではいられない。

 

昔は《フィンランディア》ばかり聞いていたが、いまは、その他の3曲の方にこそ、より魅力を感じる。

 

1970年代のEMI盤の《エン・サガ》に代えて、《悲しきワルツ》が収録されている。

 

《悲しきワルツ》は、なんて良い曲なんだろう。

 

北欧には行ったことがないが(そして、積極的に行こうとも思っていないが)、なんというか、不思議な魅力のある地域である。

 

北はオランダまでは行ったことがあるが、その先は未知である。でも、それでいいのかもしれない。晩酌でハイネケンを飲みながら夢想するのも愉しい。

 

いま思い出したが、オランダの男子トイレの小便器は、日本人には高すぎる。170センチの僕でも届かない。なんて高身長の人が多い国なんだろう。

 

しかたがないので、僕は「キッズ」のトイレで致した。日本人が子ども扱いされるのは、身長もあるよな、と思った次第。

 

ベルギーのブリュージュでアイスを食いまくったのも良き思い出。

 

 

 

最近はドラム小僧になっているので「聴くのもロック」が多い。しかし、まったく「クラシック」に無縁かというとそんなことはなくて、仕事ではけっこうクラシック脳を発揮させなければならない場面がある。

 

とはいいつつ、やっぱり80年代のハードロックはいいね。

 

 

というわけで、今日のレコード。

 

アルカトラスのライブ盤『ライヴ・センテンス』。中野サンプラザでの収録。20歳のイングヴェイが聴けるし、グラハム節も炸裂していて素晴らしい。

 

 

全曲いいんだが、グラハムのRainbow時代の曲、《Since You Been Gone》と《All Night Long》にはちょっと感動した。イングヴェイが弾くリッチーの曲はこんな風になるんだなと。

 

ドラムのヤン・ウヴェナは、TAMAのエンドーサーだったそうな。素晴らしい音で録れている。AIに聴いたら、シンバルはA Zildjianとのことだ。たしかに、当時はまだ「Z」シリーズなどのメタル仕様は発売されていなかったと思う。

 

いわゆる「要塞風ドラムセット」の迫力とロマンを感じさせる。やっぱり、あの頃のプロのドラムスタイルは、僕を浪漫的にさせる。

 

AIに聴いたついでに、次のような少々意地悪な質問をしてみた。イングヴェイ・ファンには怒られそうだけれども。

 

Q:イングヴェイって、なんであんなに無駄な音をいっぱい出すのでしょうか。ギタリストの心理を教えてください。

AIの答え:

イングヴェイ・マルムスティーンみたいなタイプは、「無駄に聴こえる音」も含めて、音楽の勢いや個性を前に出したいので、ああいう弾き方になることが多いです。心理面で見ると、だいたい次の3つが大きいです。

🎸 基本情報
表現の熱量を切らしたくない

速いフレーズをたくさん詰め込むことで、緊張感や高揚感を保ちたい。
自分の技術を見せたい
ただメロディーを弾くより、「ここまで弾ける」という存在感を出したい。
音の隙間が不安
何も弾かない時間があると、勢いが落ちる感覚を持つ人もいます。


💡 ギタリストの心理としてよくあること
主役でいたい気持ち

ソロの場面では特に、「一瞬でも目立ちたい」という感覚が強く出やすいです。
即興的に埋めたくなる癖
音が止まると落ち着かず、とにかくフレーズで空間を埋めたくなることがあります。
美学としてやっている
本人の中では“無駄”ではなく、むしろ装飾やスリルの演出です。


🤔 どう聞こえるかは聴き手側でも変わる
ロックやネオクラシカルが好きな人には、あの密度が「快感」に聞こえます。
逆に、歌メロや間を大事にする人には、やりすぎに感じやすいです。
つまり、無駄に見える音も、本人の中では「勢い」「支配感」「美学」を出すための武器なんです。

 

なるほど!

 

 

 

 

 

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やっと13インチのタムタムの組み立てが済んだ。

 

 

オプティ・マウントもしっかり装着。

 

 

シンバルとともにキットに組み込んで試奏。

 

 

満足な音である。タムは思ったよりもふくよかで、シンバルはキレがあって、全体の周波数レンジ感がとても広い。

 

 

久しぶりに深胴のセットを叩いたが、なんだか本当に懐かしい気分になった。

 

 

スネアはブラスのフリーフローティング・6半インチ。

 

 

ハイハットスタンドのプレートを新品に交換。旧製品でも現行の部品がピタリと嵌る。Pearlのサステナブルな設計思想がありがたい。

 

 

フロントの穴開けも完了。トーンホールはエバンス製。

 

残すところ、12インチのタムだけとなった。明日は休みだから、家で組み立てようと思う。

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題して「田中裕二コピー作戦」が動き出してしまった。我が事ながら、これは厄介だ。僕の持病みたいなものだからだ。

 

先日買ったばかりのZildjianのシンバルに加えて、あの頃の田中裕二仕様のSABIANを追加購入した。

 

すなわち、

 

SABIAN AA Medium Ride 20

SABIAN AA Regular Hats 14(T&B)

SABIAN AA Medium Thin Crash 16

 

の3種類である。

 

で、今月初旬に購入したのが、下記。

 

A Zildjian Medium Ride 20

A Zildjian New Beat HiHat 14(T&B)

A Zildjian Medium Thin Crash 16

 

ハイハット以外は、銘柄(呼称)も同一である。ハイハットとて、どちらも標準的なシリーズだ。

 

そこで、ちょっと音の比較をしてみた。本当に「田中裕二になる」ためには、A Zildjianではなく、SABIAN AAにする必要があるのだろうか。それとも、そんなに違いはないのだろうか。

 

(左)A Zildjian Medium Ride 20(約2.3kg)

(右)SABIAN AA Medium Ride 20(約2.4kg)

 

重さは、家に秤がないので、体重計で測っている。だから100g単位でしか分からない。参考程度である。

 

ピッチが高いのはやはりSABIANの方。思った通りである。まだドラムに溶け込ませて演奏していないが、これならピング音が遠くに飛びそうだ。まさに《ワインレッドの心》の間奏(ギターソロのバック)で聞こえてくるサウンドである。

 

(左)SABIAN AA Reg. Hats(T:約0.9kg、B:約1.4kg)

(右)A Zildjian New Beat Hihat(T:約1.0kg、B:約1.3kg)

 

次にハイハット。表はZildjianの方が重いが、裏は逆にSABIANの方が重い。実に興味深い。

 

音は明らかにSABIANの方が金物っぽく、重いドラムと合わせるとトータルのレンジ感がとても広くなりそう。Zildjianはスティッキングの音に、ぐにゃっとした柔らかさがあり、針のような繊細さには欠けているが、その代わり、周囲のサウンドに綺麗に溶け込むような音の出方をする。

 

次に、16のクラッシュ。

 

(左)A Zildjian Medium Thin Crash 16(約1.2kg)

(右)SABIAN AA Medium Thin Crash 16(約1.1kg)

 

ああ、これは、すぐに「田中裕二」だと分かる。この一枚だけでも、田中裕二になるには「SABIANでなければいけない」理由が分かった。

 

今日の「実験」は、超・簡易的なものである。製品の個体差もあろう。しかし、僕はやっぱりSABIANの音が好きだったみたいだ。

 

せっかく汎用性を求めてZildjianにしたのになあ…。

 

こうなってくると、15インチのThin Crashも欲しくなってくる。しかし、奇数インチは希少ゆえ、なかなか中古のタマがない。

 

それじゃあ新品ではどうか、と思い、カタログで調べたら、15インチはラインナップから見事に消えていた。(だれも買わなかったのだろう)

 

サウンドハウスに問い合わせてみると、本国(カナダ)でもカタログにはなく、受注生産もしないということである。

 

中古で出てくるのを、2年ぐらい待っていたら、入手できるかしら。

 

安全地帯ライブ/エンドレス

(1985,キティ)

 

冷静には聞けないレコード。あまり頻繁に聴くものではないが、いったん聴き始めると、一週間ずっとリピートしている、みたいな。

 

 

前にCDで聴いた時の自分の日記を読み直してみる。

 

 

 

別の日記には、「新たにドラムキットを買ったときには絶対に田中裕二と同じ口径のキット、同じサイズのシンバルで揃えたい」みたいなことを書いている。

 

 

当時は、まさか本当に新しいドラムを買えるなんて思っていなかったから、「老後」っていうことにしてあった。マンション住まいだし。

 

ところで、上掲の日記で、僕の記述に間違いがあった。田中裕二のメイン・クラッシュは、15インチのSABIAN AA Thin Crashで間違いないけれども、18インチのMedium Crashのセッティング位置は、「ライド側」ではなく、「ハイハット側」が正解だ。

 

証拠がある。

 

 

昔、せっせと集めていた切り抜き。ドラムマガジンのSABIANのタイアップ記事だ。切り抜きゆえ、発行年は不明である。

 

 

ほれ。

 

ライド側は16インチのMedium Thin Crashだ。

 

たしかに、『ENDLESS』のミキシングのパンニングの通りでもある。

 

そして、『ENDLESS』のレコードに入っているピンナップ。これにはステージ写真が載っている。

 

ほれ。

 

 

ハイハット側のシンバルの方がサイズが大きい。

 

もっと拡大した別ショットがある。

 

ほれ。

 

 

ね、頭上が15インチで、ライド側が16で、右の見切れているのが18だ。

 

ちなみに、スプラッシュはAAの10インチ。《マスカレード》の前奏で出てくるあれだ。

 

ということで、昔の僕の記述は間違いなのだ。

 

8枚目のアルバム『安全地帯Ⅷ/太陽』まで、ずっと使われていたから、田中裕二の音といったら、これらのシンバルの印象がとても強い。

 

以前の日記を読み直したことで、僕には決意が芽生えた。「田中裕二(の音)になろう」という決意である。

 

せっかく、Zildjianで揃えたのに…。またSABIANに「回帰」する必要がありそうだ。

 

…こんな調子だから、安全地帯の『ENDLESS』を聴くのは、ちょっとした冒険なのである。僕にとっては。

 

 

 

 

 

 

 

 

とても面白かった。大袈裟なようだが、音楽に纏わる感動的な読書体験をしたと思う。中学生の時に読んだら、夏休みの読書感想文が50枚は書けたんではないか。

 

「饒舌」で「アート」な西洋音楽と、自然音を「排除」しない「非」西洋音楽の対比が、もう、ほんとうに見事で素晴らしい論考だった。

 

なんだ、これで全部解決できるじゃん…。

 

…っていうのが、今の僕の読後の感想である。(1行)

 

 

話は変わって、一昨日、秩父英里のサイン会に行ってきた。2nd アルバムを購入した人の特典会だった。

 

前作はもう4年も前になるのである。

 

 

あのアルバムは「饒舌」だった。人間がどんどん前に出てきた。いや、ネイチャーに題材を得ていながら、その対比としての「人間」が、まさに何かを「拵えて」いた。これでもか、というほどの圧倒的なパフォーマンスが、石若駿のドラムワークとか、ブラスの音の重なりなどによって、表現されていた。

 

今作は違う。編成の大小ではない。

 

 

秩父英里的な「自然に帰れ」だったのではないか。小川慶太とKanによるパーカッションは、自然音のように、それこそ自然に耳を通過する。留まるのではなく通過する。

 

サックスとフルート以外は、日本人の演奏…っていうのも、僕がそう感じた要因なのかもしれない。

 

押しつけがましさのない音楽。これは、西洋音楽と非・西洋音楽とのハイブリッドといってよい。

 

2ndアルバムは、日本メーカーのオーディオ装置で聴いた方がしっくりくるような気がする。

 

さて、今日のレコード。せっかくだから、とタワレコの6階で買ってきてしまった。イアン・ギラン・バンドのLPとともに…。

 

 

ウチの環境がそう聴かせるのだと思うが、CDで聴くときよりも「主張」しているように感じるのは、どうしてだろう。特にシンバルがすごい。オルトフォンのカートリッジというのは、こうした主張を受け止めるのに相応しいのだろうか。

 

 

端的に言って、愉しい。(1行)