夏から秋に向かっていくと、しだいに「パフォーマー」としての血が騒ぎ出す。高校時代からそういう活動をしてきたから、しかたがない。

 

まあ、暑いのもあるし、なかなか善き「リスナー」でいることが難しい時季である。

 

11月の演奏に向けて、少し動き出した。ワゴン車を購入したこともあって、コンパクトな電子ドラムを買った。ハードオフで見つけてしまったので、しかたがない。

 

 

V-Drums TD-4KPという中古で、畳むとものすごく小っちゃくなるので、車に積みっぱなしにして、「これでどこでも練習できるぞ」と思ったのだが、今は暑いので、「どこでも練習できない」ことを悟った。しかたがない。

 

加えて、このセット、コンパクトすぎて、スネアとタムとシンバルの位置関係が、実際のドラムとぜんぜん違って、感覚が狂う。コンパクトさが最優先の機械なのだ。しかたがない。

 

急にSONORのスネアが欲しくなった。機材車が納車されて間もなく、リア・ウインドウに「SONOR」の転写ステッカー(大)を堂々と貼ってしまったからだろう。SONORなんて一台も持っていないのに…。

 

昔持っていた安いSONOR。使い道がなく、手放してしまった。↓

 

 

さて、今日のレコード。

 

まずはクラシック盤。

 

 

しょっぱなからカラヤン・レガート炸裂。たいへん良き。

 

次にロック盤。

 

 

もっと早く聴けばよかった。かっこいい。ライヴも聴かせる。かっこ良すぎる。

 

 

 

 

 

qobuzばかり聞いていて愉しい。昔でいえば「FM放送」を聴きっぱなしにして、新たなアーティストやジャンルを開発するのに似ている。

 

とはいえ、選択するジャンルがクラシックとロック・ポップス系に偏っているのは変わらないのだけれど。

 

qobuzは、とても有意義なおもちゃだ。月、千円ちょっとのおもちゃなら高くない。

 

そんな中、レコードが一服の清涼剤のように沁みる時もある。先日、東戸塚で550円だったので買っておいた。「100円」のプライスシールが貼ってある。

 

 

西暦2000年ごろ、たしかにレコード盤はこのくらいの値段で叩き売りされていた。そのころのブツが流れてきたものであろう。

 

デュトワ/モントリオール響の《シェエラザード》は衝撃だった。1990年代の初めに来日した時の演目で、「こんなに完璧に生で演奏できるものなのか!」…と二十歳そこそこの若造は思ったものだ。「完璧」というのは「完全無欠」というのとは少し違う。サントリーホールでのライブでは終盤でラッパが外していた。でも、そんな瑕疵なんてどうでもよくなるほどのアンサンブルの完成度。ただタテが合ってるだけじゃない。楽器間のバランス、ハーモニーも素晴らしかった。

 

当盤のレコーディングは、それよりも前のものである。

 

 

久しぶりに聴いたが、あのころの感動は変わらない。しかし、こちらも成長している。少なくとも年齢は重ねている。だからなのか、音楽そのものがぐっと我が身に訴えかけてくる。

 

20代の僕はいったい何を聴いていたのか。当時の僕に説教したくなるほどの音楽性が、このレコードには吹き込まれている。

 

埋め合わせの《スペイン奇想曲》も同様の感想。昔はタンブリンばかり聞いて「うめぇー!」とかほざいていた。いかん、そんなんでは。

 

尊敬する先生が、9月にアマオケで《シェエラザード》をやる。正直、最近あまり聞いていなかった曲なので、このデュトワ盤で火が点いた。ちょっとスタディーしてから聴きに行こうと思ったが、昔あったスコアが見当たらない。だれかにあげたか、あるいは売ってしまったのかも。

 

ペトルッチでもいいのだけれど、印刷すんのが面倒なので、ここはポケットスコアを再購入しようと思う。

 

 

 

前の記事:

 

おしまいにした話の補足である。備忘録のために書き留める。

 

north star design Model192(DAC)は、スペック的には192kHz/24bitに対応しているが、LINN MAJIK DSのデジタル出力から192kHz/24bitの信号を得ても再生しない。

 

qobuzで見つけたMichael Jacksonの『Thriller』のハイレゾ盤は、176.4kHz/24bitという「変則」なので鳴らないのは想定内だが、数多ある192kHz/24bitの新しい録音が聴けないのは少し悲しい。

 

仕様なのか、デジタルケーブル等が悪いのか、よくわからない。

 

当然、アナログ出力ならちゃんと聴ける。音も格段に良い。

 

それなら、いっそのこと、north star designを外してみようか。そんなことを考え、MAJIK DSだけで、今日一日、聴きこんでみた。

 

やはり、ダメだった。音の広がりに欠けていて、中低音がお団子のような塊に感じられる。ポップスでノリノリの曲ならまだ良いが、オーケストラが日本のFM放送みたいな音に成り下がってしまった。

 

不思議なのだが、もともとの「優秀録音」はさほど気にならない。シャルル・デュトワ盤は、だいたい良かった。しかし、小澤征爾&水戸室内管は音が詰まって、残響も消えた。もっとも、残響のほとんどない録音ではあるのだが。

 

 

 

north star design Model192を繋げて聞いてみよう。

 

 

すると、水戸室内管が、ミラノのオーケストラみたいな響きを醸し出した。

 

蓋し、north star design Model192は「192へのアップサンプリング」が「効いている」のである。

 

試しに、「らじる★らじる」アプリで「ベストオブクラシック」を聴いてみる。北欧のコンサート特集をやっていた。ウチの環境では、iPadAir Playから受けているので圧縮されているうえに、サンプルレートは、44kHz/16bitである。

 

これが、「192」へのアップサンプリングで、文字通り「再生」される感覚がある。「再生」ではなく「蘇生」といってもいい。FM放送では、アナウンサーの声からして音の広がり方が違う。

 

今日は、なかなか面白い聞き比べを行った。

 

結論は、north star designは外しちゃイケナイということだった。 

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PCオーディオを卒業した。

 

そもそもPCオーディオを始めたのが遅かった。デジタル円盤から解放されて喜んでいたのも束の間、今度はPCの様々な弊害から解放されて満足している。

 

ネットワーク・ミュージック・プレーヤーは、中古のLINN MAJIK DSを使っている。今のところ不足や不満はなく、古い製品でもしっかり働いてくれている。故障するまでは使い続けようと思う。

 

 

ストリーミング再生は、いよいよqobuzを始めた。Apple MusicもAmazon Musicも辞めてしまった。関連ムックを読んで感化されたのと、PCで無料体験に入ってみて、音質的な優位性を感じたからだった。

 

 

NASは、もっとも手頃のI・OデータのSoundgenicを使っている。HDD仕様だが、ファン・レスなのでリスニング環境にはまったく支障がない。これは導入してみるまで分からなかった要素だが、結果的には問題なくてほっとした。

 

容量は2TB。現在、500MBも使っていない。ファイルは全部、FLACで取り込んであるからだ。今後もあまり増えないと思われる。新しく買うCDも、あまりなさそうである。

 

ますます、再生はqobuzばかりになってしまいそうだ。

 

古いCD音源ばかり聞いていたから、192kHz / 24bitの最新録音などを聴いて、ぶったまげてしまった。聴くのはオーケストラが多いが、素晴らしい録音が、そのまま家で再生されていると感じる。その喜びは何物にも代え難い。

 

LINN MAJIK DSはアプリも使いやすく(iPadを使っている)、動作もスムーズだが、アナログ出力の音質には満足いかなかった。

 

 

音が整理されていて、広がりが感じられず、音楽のスケールが小さくなった印象を受けた。どちらかといえば、日本的な…というか「家電」的だった。僕は昔からPanasonicTechnicsのことが好きだが、ある種、そういったメーカーの音に似ている。これは貶しているわけでも褒めているわけでもなく、ただそういう印象を受けたということだ。

 

MAJIK DSの同軸デジタルから出して、いつもの外付けDAC、north star design Model 192に繋げてアナログ出力することにした。

 

 

これにより、これまでのPCオーディオの時と同じ音質傾向が確認できるようになった。やはり、DACの音質的特長はリスニング・サウンドに最も影響を与えるものなのだ。

 

さて、これで「善きリスナーのオーディオ2026」のお話はおしまいである。快適なリスニング環境を構築することが、善きリスナーへの第一歩だと思う。

 

ところで、2025年の更新を早くも去って、新たな環境を構築しようと、ここまで僕を駆り立ててきたのは、いったい何であったのか。

 

それは、とりもなおさず、下記の書籍なのであった。

 

 

「強いアメリカ」「美しい日本」「昔は良かった」「日本の〇〇が元気だった頃」…などという表記が、いかに「現在を生きる者」にとって危ういものであるのか…。

 

それは、言うまでもないことだろう。

 

だから、僕は、「昔は良かった」式の考えを改めることにした。ただ、それだけだ。

 

いま、良いものを選ぶ。いま、良い生(行)き方をする。

 

分かりやすく言えば、前を向いて歩いていきたいだけなのである。

 

松田優作主演の『それから』(森田芳光監督作品)のサウンドトラック。デジタル音源では所有しているが、どうしてもレコードで欲しかった。

 

オークションにて6,000円で落とせたのは良かった(1万円以上のところが多いので)。

 

音楽は梅林茂。ピアノと小編成の弦楽が心地よい音楽。ちょっと不思議な雰囲気をも漂わせている。オープニングとエンディングの曲はほぼ同一だが、主旋律の単音ピアノのタッチがまったく異なる。

 

 

オープニングは、主人公・代介の虚無感や不安を感じるが、エンディングは、「社会」で生きていくことを余儀なくされた代介の強い意志が感じ取れる。しかし、その中間部には、危うい表情が表れ、わざとピアノのリズムを崩して弾いているのは、さすが映画音楽だな…と感心する。

 

漱石の小説では、一番が『明暗』(未完)、次が『それから』と思っている。

 

『それから』を読んだのは高2の時であったが、映画を初めて見たのは、リアルタイムではなくて、レンタルビデオでだった。「恋愛」とか「異性」とかに悩んだり、謳歌したりしていた、大学生活の真っただ中の時期だった。

 

定期的に読み返すのだが、半年ほど前に読んだときには、昔みたいに三千代と代介に同情するような読み方からは距離を置いて読んでいたと思う。

 

漱石がこれを書いていた年齢はおろか、死んだ年齢をも上回ってしまった私である。江戸生まれ、明治育ちの49歳だったら、現在の70歳ぐらいの徳の積み方をしていたのではと思う。

 

もちろん、漱石はただの「一般人」とは違うのであるが。

 

「僕の存在にはあなたが必要だ。どうしても必要だ」

 

こんな告白、もうすっかり陳腐化してしまった感があるが、漱石が最初だった。当時としては、とんでもない新聞小説だったと思う。女・子供には読ませられなかったに違いない。

 

『それから』のDVDが出ているようである。もう、しばらく見ていないので、購入したい気もする。余談だが、藤谷美和子は、銀杏返しが最高に綺麗である。もともと、とても可愛いらしい俳優だった。

 

映画公開時の角川文庫と新潮文庫の特装版。

 

漱石全集も持っているが、ただ飾ってあるだけで、あまり函からも出していない。読むのはもっぱらこの文庫本である。

 

7月18日(土)、従妹の長男の演奏を聴きにミューザ川崎シンフォニーホールへ。

 

昨週も、東響の名曲全集を聴きに来ていた。

 

 

大学生の演奏は、ストレートで溌溂としていて、元気をもらえる。

 

前半は、ニコライの《ウィンザー》序曲とベートーヴェンの交響曲第1番。後半がチャイコフスキーの《悲愴》だった。

 

 

無料のコンサートにして、もっと集客を期せばいいのに、と思う。見るに、ご父兄・ご父母、友人や関係者ばかりのお客さんだった。

 

2月の集大成とは異なり、新体制になってからすぐの演奏会ということで、荒削りの部分は見られたけれど、とても優秀な演奏だったと思う。ツアー疲れも出ているのだろう。

 

 

あと2年、長男クンにはがんばってもらいたい。

 

ブラボー!

 

今回はクルマで行った。新車の日産NV200ヴァネットが、先週(13日に)納車されたばかりなのである。機材車としての運用を想定しているが、ワゴンは5人乗りで、ちゃんと乗用もできる。最近の安全装置(ソナー)とかがいちいち煩わしい面もあるが、興味深く愉しんでいる。

 

 

 

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ATOLLIN100SEにはフォノイコライザーが、ない。しばらくTechnicsのプリを通して聴いていたが、売ってしまってからは、近所のリサイクルショップに転がっていたオーディオテクニカの3,000円ほどのフォノイコを繋げて急場を凌いでいた。

 

しかし、案の定というか、Technicsのプリに比べて、音の広がりがなく平板で、こじんまりとした音に成り下がっていた。

 

ちゃんとしたフォノイコライザーを買わなくてはならない。

 

それで、「なんでもいいからそこそこのフォノイコを」と探していたら、メルカリにMusical Fidelityの目を惹く形をしたモデルが出品されていた。大昔、ステレオサウンドの広告か何かで見たことがある。

 

メルカリで買うのは「賭け」でもあるが、面白そうだから購入してみた。

 

 

MUSICAL FIDELITY X-LPという名前であるらしい。

 

接続してみたら、ハム音がすごい。

 

やば。

 

やっぱり個人売買は…などと落ち込んでいる余裕はない。こっちはすぐにでもいい音でレコードを聴きたいのだ。

 

中を開けてみた。六角レンチで簡単に外せた。入力端子の半田が外れていた。久しぶりに半田ごてを出してきて、半田付けしたら、何事もなかったかのようにいい音が出てきた。試しに、MCカートリッジも試してみる。セレクトスイッチを「MC」にしても大丈夫だ。安心した。

 

 

ちょっと苦労はあったもの、良い買い物となった。Technicsのプリよりも出力が高いようで、ATOLLのアンプのボリュームは、目盛りの「0.8」ぐらいで常用だ。

 

単に「明るい」というのとも違う。それなのに軽快で愉しくなる音だ。僕の耳には解像度的にも問題なく、ストレスを感じることはない。

 

イタリアのDACから始まり、フランスのアンプ、イギリスのスピーカー、ドイツ(発祥はスイス)のレコードプレーヤー、デンマークのMMカートリッジ(メーカーはオーストリア)、そして、今回のイギリスのフォノイコ…。

 

そのほかに、オーストリアとフランスのヘッドホンを愛用している。

 

西洋音楽を愉しく聴くためには、こうなるのが必定なのだろうか。いや、そうではないと信じたいが、でも、感性学的にはけっして間違っていないとは思う。

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回転が不安定になったTechnics SL-1200をねずみ男さんにあげてしまったので、レコードが聞けなくなってしまった。SL-1200はクォーツロックがない時代(1970年代)のもので、微妙な調整は、本体のボリューム・ツマミで行う仕様なのだが、これがなかなかピタっと決まらなくなっていた。ボリュームの分解清掃が必要なのは明らかだった。

 

自分で修理できなくもなさそうであったが、しかし、勢いで、ねずみ男に差し上げてしまったのだ。

 

次なるレコードプレーヤーは、トーレンスにすることにした。2年前、TD 158というのを(これまた勢いで)買ってしまったことがあり、なかなか良い音だった。

 

 

トーレンスといっても、エントリー機である。それなのに、フローティングのサスペンションで、細かな音を拾えていた。

 

これだ。これしかない。

 

…ということで、手にしたのは、THORENS TD 190-2 / TP19というモデル。

 

TD 158よりも横幅が大きくなって、プラッターも分厚くなったが、そっけない意匠はそっくりだ。

 

 

 

アームのTP 19は、ダイナミック・バランスのストレート型。アームベース部は、初代TD 190よりも銀色に輝いていて、ちょっと高級感がある。

 

 

シェルにはTHORENSのロゴがある。カートリッジは、平塚のハードオフで偶然見つけたPro-JectのMMを付けた。形からして、ortofonの2M REDのOEMだ。

 

狙い通りの音が出た。音楽が弾んでいる。いや、ダンスしている。

 

うっかり寝てしまっても、アームが自動的に帰ってくるフルオート機は、僕にはとても便利であることを付記しておこう。

最近、横浜ばかりだったので、たまには川崎に行かないと、ホールの響きを忘れてしまう。

 

東京交響楽団「名曲全集」。今回は、リヒャルト・シュトラウス特集である。

 

 

前半のモーツァルトとコルンゴルトが清涼剤。コルンゴルトの協奏曲は映画音楽みたいな聴きやすさがあって、結構好きな曲である。

 

 

打楽器を見に行ったのであるが、P席の左翼側を取ってしまった。これは失態だった。ミューザは最後列が壁に近接していて、主な打楽器はP席からは見えないことを(また)忘れていた。

 

さて、リヒャルト・シュトラウスの音楽を前に、僕は善きリスナーでいられるのであろうか。苦手な音楽とどう向き合うか、というのも善きリスナーになるための大きな試練だと思う。

 

まあ、100点満点中の5点ぐらいではなかっただろうか。僕の鑑賞姿勢は。(低っ)

 

どっちの曲にもオーボエのソロがある。これが聞けただけで僕は満足した。荒さんのオーボエはいつも美しい。

 

打楽器は、合わせシンバルも吊りシンバルもトライアングルも銅鑼も出てくるが、トライアングルの奏法に最も学びを得た。

 

好きではない音楽をどう論評していいかわからないのだが、とりあえず若い指揮者もオケも、よく演奏していた。巧かったと思う。

 

20年ぐらい前は、オケでティンパニを演奏したくてたまらない時期があったが、現在はまったく覚めてしまった。

 

実は前日に、浜松町で劇団四季の《アナと雪の女王》を観たのだが、オケピのドラム演奏を聴いて、やたらドラムを演奏したくなった。ああいう小編成の管弦とともに合奏したい気持ちが沸き起こってきた。

 

薄くて軽く小口径のシンバル。あの透き通るようなサスティーンが心地よかった。Kジルかな…などと思いを馳せる(ピットの中は見えない)。そういう心性そのものが愉しいお年頃になってしまった。

 

 

名曲コンサートの客入りは惨憺たるものだった。曲目と指揮者とソリストが、集客の枷になっていたのだろうか(土曜日のお昼、コンコースもラゾーナも激混みなのに)。

 

終演後のいつものメニューは、ディスクユニオンでクラシックのレコードを、なんでもいいから一枚買って帰ることだ。

 

店内に流れていたデモに心を奪われた。ストーンズに似てるバンドだな、と思っていたら、本物だった。前の日に世界発売になったばかりだそうだ。チャーリー・ワッツの後任は誰なんだろう。スネアが気持ちいい。

 

ググったらスティーヴ・ジョーダンだった。

 

カラーレコード(グリーン盤)はディスクユニオンの限定品だと店員さんに教えてもらったので、今回はそれにした。クラシックのレコードは今回はお休みだ。

 

 

 

ホワイトがかったグリーンの盤、きれいなカラーである。重さもけっこうある。ストーンズはレコードで聴くに限る。

 

 

レコードってジャケットが大きいのがいい。今朝もこれをずっと聞いている。レコードを交換するのが少々面倒だが、なに、昔はこうしてみんな聞いていたんだ。

 

さてと、僕はこれからどうしようか。最近ぜんぜん使う機会がなかったメタルの深胴スネアを出してきて、とりあえず、きれいに磨こうじゃないの。

 

いや、たまには腕の方を磨くのもいいかもしれない。メトロノームに合わして、基礎練である。

 

 

 

 

 

 

 

 

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僕の「原器」=DIATONE DS-700Zを今度ばかりは本当に手放してしまった!

 

話の本筋とは、やや外れた余話となるのであるが、今回は、DS-700Zの引き取り手がなかなか見つからくて苦労させられた、というお話を少々。

 

最初はメルカリで出品。送料込みで、2万円(2本)。しかし、なかなか買い手がつかない。日本中を探しても、興味を示すような人はいなそう…。往年の国産大型機の宿命をいやでも感じさせてくれる。

 

しばらくして出品を取りやめ、「ジモティー」という地元密着型売買サイトを利用することにした。配送の手配いらずで、購入者に直接引き取りに来ていただけるというのが魅力的だ。値段は1万円とした。

 

すぐに問い合わせがあって、お会いする日時まで取り決めたのに、なんと5分前にドタキャン。事故渋滞にハマって指定の時間に取りに伺えない…という。しかし、後で考えてみると、それは方便だったかもしれない。本当に欲しかったら、キャンセルなどせずに、別日の引き取りをお願いをするのが普通ではなかろうか。

 

個人売買の面倒臭さを体験することとなった。せっかく休みを取って自宅で待機していたのに…。

 

しかし、数日後、別の方が興味を示してくださった。DIATONEのスピーカーを可愛がっていただける人なのかどうか、ついつい知りたくなって、いくつか質問してみた。メッセージ上では「自分で使うから楽しみ!」などと言って、いかにもオーディオが好きそうな人に見受けられた。そういう方にお譲りするのは、こちらとしても本望だ。

 

ところが、だ。

 

ワゴン車で我が家の前に現れたご老人は、もう完全に(どこからどう見ても)転売目的の御仁なのであった。メッセージ上では「自分で使う」などと言っていたのに、僕のDS-700Zの完璧な外観を見て気が緩んでしまったのか、「いやー、これ台湾で人気なんですよ。海外に送ると本当に喜んでくれるんですよねー。あの人たち、90年代の日本のオーディオにはいくらでも出しますからね!」などと言ってはばからない。

 

あらら。

 

そういうことなのだった。「ジモティー」はなかなか手ごわい。そういう「業者」が個人に交じって潜んでいたとは…。

 

 

でも、家から不要なものがなくなるのは助かる。相手が業者だということを利用して、他の物も持って行ってもらうことにした。回転が不安定になった、Technics Sl-1200(初代)が自室に転がっていたので、それも「タダでどうぞ」と言って差し上げた。ものすごく喜んでいた。

 

「こりゃ、ありがてー」という顔をしていた。ゲゲゲの鬼太郎に出てくるねずみ男に似ていた。

 

今ごろ、僕のDS-700Zは、台湾かどこかのアジアの国で誰かに愛されているのであろうか。美しい音に聴き惚れる好事家の満足げな表情と一緒に、大枚を数えながら舌なめずりをする、ねずみ男の顔が一瞬だけ脳裏に浮かんだ。