10年間の「空白」※を埋めるべく、中古車を買った。クルマにはどうしたって寿命があるから「乗りたかった憧れのクルマに乗る」ためには、賞味期限が切れる前に手に入れなければならぬ。

 

※空白……この10年間、僕はマイカーを持っていなかったのである。ストレスのある10年間だった。

 

この連休はドライブ三昧! と決めていたのであるが、予期せぬ故障でディーラー工場送りとなった。「旧車」は、やっぱり一筋縄ではいかない。なんとも、悲しい現実だが、しかし、そんなトラブルをも余裕をもって愉しまなければ、中古車などなかなか乗れるものではない。

 

ということで、家で音楽を聴く三昧、ということになった。

 

さて、今朝は何を聞こうか。

 

妻と結婚したのは平成11年(1999年)だから、そのころに発売されたアルバムを紐解こうと思う。そして、普段はあまり聴かない曲群を。

 

 

これである。ダンス★マンの最初のアルバムだ。CDはとっくにどっかに行ってしまったから、Apple Musicでのリスニングである。ダンス★マンは、モーニング娘。のアレンジでブレイクした。《LOVEマシーン》《恋愛レボリューション21》など、カッコイイ曲調が、1970年代のディスコ音楽をリアルに知らない若者(俺)たちを魅了した。

 

 

歌詞は遊んでいるし、音楽も洋楽の有名曲ではあるが、よく聴くと、ちゃんとしたオリジナルのディスコミュージック(ダンスミュージック)になっているから凄い。バンドも打ち込みじゃなく、生音だし、20世紀末期とは、そういう良い時代だった。

 

改めて感動するのは、マイ・オーディオである。これは自画自賛なのだが、こんな音楽でも(失礼!)、破綻なく、そして実に気持ちよくプレイバックする。

 

スピーカーは、ここのところずっとLINN NINKAだが、こいつの性根は、普通で平凡なスピーカーだ。2way(仮想同軸)、密閉型のトールボーイ。パッと聴きは、まさに「パッとしない」。

 

しかし、朝沼予史宏をして「世の多くの音楽ファンがせめてこのくらいのスピーカーを使ってくれたら、再生音楽文化ももう少しまともになるはずなのに」(「ステレオサウンド」140号)と言わしめた、素性の良いスピーカーである。

 

 

どう考えても、アコースティック音楽に適合しそうなスペックと身なり。しかし、今朝はダンスミュージックを鮮烈に、且つ、軽快に鳴らしている。

 

10曲目、《よくある名字「斉藤」》では、ギターもヴォーカルもがんがん前に出てくる。ハイハットのオープンも強烈で、(厚めの)ロックテイストのクラッシュシンバルは、「シャーン!」と左右に余韻を残して拡がる。ライドのカップ音も鋭い。スネアはおそらく深胴だ。胴鳴りがしっかり再生されて生音の良さが発揮される。


功労者は、プリメインアンプのMyriad Z140であろう。

 

 

中高域の細かな音を出してくれるのが好き。ドラマーが「心地よい」と思う周辺の音調をNINKAが余さず再生する、その根底を支えているイメージだ。NINKAは、Z140によって、個性を良い方向へ伸長せられたのである。

 

どうしても過去のアンプと比較してしまうが、マランツのエントリー機の時は、音がスカスカだった。YAMAHAも全く同じ。

 

(我が愛しの)Technicsでは、音調は良かったが、低音はたっぷりと奏でたものの、中高音が大人しく、ドラマーにとってはストレスになるような音だったと思う。すなわち、ベース音に量感があるために、ハイハットのクローズ音がマスキングされて、もの足りなかったのである。

 

メーカー名で括って語るのはオカシナ話なので、この記録は単なる備忘録ではあるのだが。

 

《よくある名字「斉藤」》の歌詞を聴いて、妻がケタケタ笑っていた思い出がある。「わたし、出席番号は30番前後だったよ、女子は男子の後ろだったから…」

 

 

結婚するまでは「サイトウ」さんだった妻のことを思い出した朝だった。

 

 

 

NHK-FM「ブラボー!オーケストラ」

大阪フィルのシベリウス「四つの伝説」
初回放送日:2025年8月31日
案内:小石かつら(音楽学者)

 

シベリウス:交響詩《四つの伝説》作品22
尾高忠明 指揮

大阪フィルハーモニー交響楽団
(2024.5.17,フェスティバルホール)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%8D%E3%83%B3%E7%B5%84%E6%9B%B2

 

『カレワラ』の中のレンミンカイネンという若者のお話が元になった音楽である。『カレワラ』はフィンランド語による民族的物語。日本でも、もし近隣の「大国」が攻めてきたりしたら、このような物語を集めて、国家のアイデンティティーを保とうと図るのかもしれない。そういう意味で、自国の「 

神話」とは、もっとも重要な文学となりうる。

 

《トゥオネラの白鳥》ばかりが有名で、やはり聴いていて最も聴きなじみのある音楽と感じる。

 

今回の放送でのコールアングレはとても素晴らしかった。響きをよく捉えたNHKの録音も、私好みだ。wikipediaで調べるまで気にしていなかったが、《白鳥》には、トランペット、ピッコロ、フルートなどの高音楽器がまったく使われていない。だから曲の印象はとても暗い。重厚というよりは、不気味な雰囲気を醸している。

 

打楽器もティンパニと大太鼓しかない。しかも大太鼓はロール奏法のみだ。まさに、ずーんと腹に来るような重低音である。

 

つまり、ティンパニの重低音補強としてのバスドラ。

 

 

簡単そうに見えるが、たいへん難しい表現を求められる楽譜だ。僕がこんなのを渡されたら、俄然、張り切っちゃうw(かもしれない)

 

ヘッドは、チューニングボルトが「カタカタ」いう一歩手前まで「ゆるゆる」に緩めるのが基本だろう。マレットもでっかいフェルトが張ってあるのがいい。無ければ、自分で巻く。

 

想像していたら、演奏したくなってきた。なかなか大太鼓を「自分持ち」で家に置いているアマチュアはいないだろう。ときたま、トライアングルを無性に叩きたくなることがあって困るのだが、まあ、そんなときは「買ってしまう」のが一番いいのかもしれない。

 

「買ってしまう」といえば、先月、YAMAHA P-225Bを買ってしまった。これが素晴らしく楽しい楽器で、もはや次男の玩具と化して、長男や僕がいじる隙さえない状況。

 

僕みたいな素人は、かえって「味気ない」などと思ってしまうのだが、ピアノを嗜む次男に言わせると「最高」なのだそうだ。ホンモノのピアノ(KAWAIのアップライト)は、本気で練習する時、P-225は、ヘッドホンでガンガン訓練する時…と割り切って使っている。

 

なるほどな。そうか、わかった。電子ドラムと一緒なんだ。

 

 

 

 

 

チャイコフスキー:

交響曲第4番ヘ短調作品36

エフゲニー・ムラヴィンスキー 指揮

レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

(1960,グラモフォン)

 

 

暑気払いの第2弾は、レニングラード・フィル。

 

 

速い、巧い、暑い。スヴェトラーノフのと、全体から受ける印象は同じだけれども、こっちの方がちょっと「感情」があって親しみやすい(か?)

 

聴いたことのある演奏だったことを思い出した。おそらくCDで、だが。

 

今回のレコードは、知っているアートワークと異なるので、リイシュー盤である。ドイツ製で1977年と書いてある。なぜか知らないが「西ドイツ」とは書いてない。

 

 

暑気払いになったような、ならなかったような。

 

口直しに、盤を換えて、チック・コリアを聴き始めた。ジャズは分からないのでエレクトリック・バンドの方である。

 

 

エアコンがんがんにして『ライト・イヤーズ』を聴いている。この方が、明日からの仕事のために、うまく切り替えできそうである。

 

夏休みよ、さようなら。

 

 

 

 

 

 

夏休みもあとわずか。8月最後の土曜日に、息子と一緒にミューザ川崎に行ってきた。アマチュアオケ鑑賞である。

 

何度もここに書いているが、最近のアマオケは特に上手い。若手中心の所ほど「音楽性」がある。やはり、芸事は技術がものを言う。

 

今日のオケは、音大出身者のアマオケだそうだ。どおりで上手いわけで、こうして他の仕事に就きながら、或いは、プロを目指しながら、休日を好きな音楽に浸っている若者がいる、ということだろう。

 

 

レスピーギの《ローマ三部作》をやった。演奏はお見事なもの。前半、ミューザ川崎ではお馴染みの大木麻理さんが、オルガン協奏曲で出演された。なんと、後半のローマにも加わっていていらっしゃって、嬉しい驚きも。

 

とにかく外が暑くて、行き帰りが大変だったが、中に入ってしまえば天国。音楽も天国だった。

 

 

客席には、無料でエアコンだけを浴びに来た人もいたはず。隣に座った親子は、おそらく夏休みの自由研究かなんかのために来たんだと思う。近隣にお住いの方だと思う。有料だったら来なかったんじゃないか。

 

アマオケに提案である。500円でもいいから入場料を取ってほしい。そしたら、ノイズを気にしないで鑑賞できる。ホール側も、「有料公演」と「無料公演」とで、利用料を単純に差別しないでほしい。とにかく「無料公演」と「有料公演」とで利用料金の差が大きすぎる。だから、アマオケは無料でやりたがる、という根底の問題がある。ぜひ、「アマオケで500円までは無料公演として認める」などの措置をとってほしい。

 

とにかく、うるさい母子だった。演奏中、母親が始終、息子(6歳ぐらい)に囁いている。「あれがヴァイオリンだよ」「あのオルガンから音が出ているんだよ」…などと。

 

挙句の果てには、6歳クン、静寂な音楽の中、首から下げた水筒を手にとった。喉が渇いたんだろう。イヤな予感がしたんだが、見事に的中。水筒のフタを開けた途端、「ポン!」という大きな音がホールに響き渡った。

 

本人も親もぜんぜんヘーキ。「タダ」の演奏会だもの。

 

小さいころから音楽を聞かせるのは賛成である。そして、「O歳からのコンサート」のように、雑音を気にしないで寛大に聴いてね! っていうコンサートも大賛成である。

 

でも、フツーの演奏会には自分をコントロールできる年齢になるまでは、親の都合で連れてきてほしくない。6歳でもじっと聴いている子もいるだろう。うちの子は二人とも、幼稚園生でもじっと聴いていた。親としてそれが予期できたから、そして「本人が望んだから」連れて行ったのだ。

 

僕だって初めて音楽堂でオケを聞いたのは小学5年の時だ。11歳である。

 

この親子の話にはオチがある。

 

(幸いなことに)《ローマの噴水》が終わって、みんなが拍手している時に、親子はゆっくり立ち上がって扉の外に出て行った。「ローマ三部作」を全部演奏し終わったと思ってしまったようだ。

 

《祭》も《松》も、大股開きでゆったりと聴けた。

チャイコフスキー:

交響曲第4番ヘ短調作品36

エフゲニー・スヴェトラーノフ 指揮

ソヴィエト国立交響楽団

(1967,メロディア)

 

 

夏休みも終わる。

 

最後の連休、まだまだ猛暑が続きそうなので暑気払いと行こう。ディスクユニオンにて面白いレコードを買ってきた。スヴェトラーノフのチャイコフスキー《交響曲第4番》である。

 

メロディアの昔の録音だった。オリジナルかは不明だが、僕にとって初めてのソ連製のレコードだ。もう一枚、ムラヴィンスキーの同曲のレコードも買ってきたので、聴き比べてみたい。

 

まずは、スヴェトラーノフとUSSR交響楽団。90年のサントリーホールでのライブ盤は聴いたことがあった。

 

 

今日のレコード(1967年録音)は、お世辞にも録音が良い、とは言えない。金管楽器の強奏はイメージ通りだが、マイクが近すぎて音割れが起きている。というか、各楽器の「響き」がまったく録れていない。だから、正確には「音割れ」ではなくて「音悪(わる)」だ。

 

でもそんなの気にしない。

 

これは「金管浴」だ。夏の暑さで体内にこもった熱や疲労を払い、夏バテを予防して元気に夏を乗り切るための音なのだ。

 

このころのスヴェトラーノフに「感情」はなかったのだろうか。否、そんなことはないはずだが、音楽を聴いているとそんな気がしてくる。音色はもちろんだが、フレーズとかメロディーとかを、何処かに置き去りにしているように聞えてしまう。

 

冷酷、無表情、ただ金管の「鳴り」のみを収めたレコード。そんなことを書いたら、誰かから怒られそうだ。

 

終楽章まで来たら、もうそんなことはどうでもよくなった。とにかく今夏のこの暑さを洗い流してくれ!

 

「金管浴」ならロシア(旧ソ連)のオケに限る。

 

次回はムラヴィンスキー。

 

 

 

 

 

JOHN PATITUCCI/John Patitucci

(1988,GRP Records)

 

チック・コリアがプロデュースした、僚友、ジョン・パティトゥッチのファーストアルバム。1988年のレコードだが、僕がよく聴いていたのは、2000年から2001年頃のことだ。

 

個人的な思い出がよみがえる。

 

埼玉県越谷市で、妻が長男を出産した頃の情景だ。東武伊勢崎線・せんげん台駅にほど近い、とある中古屋でCDを買った。あの頃は、あちこちに中古CDと古本を売る店があった。健全じゃない類似店は深夜営業で、「ビデオ・古本」という看板が掲げられていた。

 

デジタル保存はしてあるアルバムだが、最近、このLPを手に入れた。嬉しくて仕方がない。

 

なんでかって、音が最高に気持ちいいからである。一曲目の《Growing》のドラムは、僕の神様、デイヴ・ウェックルだが、スネアの音が超リアルに聞こえる。スティックの当たるヘッドの微妙な位置の違いまで再現する。

 

これは、マジか。

 

CDではこんなことはなかった。DL-103フェーズメーションのMCトランスの音、と言ってしまっていいのかもしれない。

 

 

B面最後の曲では、パティトゥッチが弦バスを弾いている。しかもアルコ弾きで。これが最高に良い曲。

 

そして、僕はまた、越谷市の風景をありありと思い出すのであった。若き妻の笑顔とともに…。

 

ジョン・パティトゥッチを聴いて、ベースを辞めてしまった友人の話は下のリンクから。↓

 

 

 

 

 

NHK-FM「ベストオブクラシック」

NDRエルプフィルハーモニー

管弦楽団演奏会(再)
初回放送日:2023年12月20日
案内:田中奈緒子

 

ブラームス:

ピアノ協奏曲第1番二短調作品15※

交響曲第1番ハ短調作品68
反田恭平(ピアノ※)

アラン・ギルバート 指揮

NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団
(2023.11.28,サントリーホール)

 

 

夏休みが終わる前に、とても素晴らしい演奏会の模様(放送)を聴けた。一昨年の来日公演のようである。再放送だ。

 

TASCAM DR-05でのエアチェックが叶わなかったので、元のTASCAM HD-P2で録音する。らじる★らじるの「聞き逃し配信」が終わってしまう前に、慌てて記録する。

 

 

《ピアノ協奏曲》は、オーケストラの序奏も良いが、ピアノが入ってきてからの表情が非常に柔らかくて、俄かに惹き込まれた。これは全部聴かなきゃイケナイ演奏会だ! って悟って、録音機を回すことに決めた。

 

(だから、DR-05の件があって、ちょっと慌てたのである)

 

反田恭平を(何回も何回も繰り返して)聴いたのは初めてであるが、こんなに心臓がドキドキしたピアノは初めてかもしれない。とても素晴らしい体験ができたことに感謝する。我らがNHK-FM、ありがとう。

 

いまも聴きながら書いている、反田恭平は、僕の中で「生で聴きにいかなければいけない音楽家」の一人に登録された。「登録」されても、いまだ実演に触れられていないアーティストは数多いるが、反田恭平は優先順位を二番目に上げることにする。

 

二番目? じゃあ一番目は?

 

それは、今回の指揮者、アラン・ギルバートである。後半に放送された《交響曲第1番》にとても感動したのである。冒頭からのうねりが凄い。ああいうふうに音の膨らみを全体で統一的に演奏させられる指揮者というのを、私はたいへん尊敬する。100人を一つにまとめる、というと超ありきたりなリーダーっぽい括り方になってしまうが、アラン・ギルバートならきっと、経営が傾きかけた大企業でも再建させられるんじゃないか…などと妄想してしまう。

 

わたしゃ、ニッサンの社長になってほしいよ。

 

オーケストラは昔の北ドイツ放送交響楽団である。ハンブルクだから、きっとこれが本場のブラームスだし、楽員は「お手の物」なのかもしれないが、アラン・ギルバートが「加味」した「神」の手(うまい!)に各々が感服してなきゃ、なかなかこんな素晴らしい演奏にはならんだろう。

 

アラン・ギルバートって、いつ来るんだろうって思って、調べたら、先月、もう来ていたのであった…。

 

ああ、恋しいな。

 

 

 

前の記事:

 

PhasemationのMCトランスをアンプの上に載せなくてはならなくなったので、先日、邪魔っけだったデジタルレコーダーのTASCAM HD-P2 を外した。

 

しかし、エアチェックや録音の環境は整えておきたい。

 

…ということで、ポータブルの録音機を新たに購入することにした。

 

TASCAM DR-05 ver.3 である。

 

 

ヨドバシで、安かった。だから、イケなかった。手軽に買って試してみたら、なんとこの機種、LINE入力の切り替えがなく、すべてマイクレヴェルの設定になってしまうのであった…。

 

じゃあってんで、抵抗入りのケーブルで入力させてみたら、今度はゲインが足りず、音質が、超劣化する。おまけに出力端子もヘッドホンのみで、LINE出力に対応していなかった…。

 

…というわけで、再びHD-P2をアンプの上に載せたのである。さて、MCトランスをどこに持っていったらいいんだろう。私のデスクは奥行き60センチ。

 

置き場所がなくて、こうなった(笑)

 

 

主張し過ぎである。ま、カッコイイからいいけど。

 

ところで、戯れにアンプの下に飲酒…じゃなくてインシュレーターを敷いてみた。このインシュレーターは、自作派の人向けに安く売られていた。

 

 

少し浮き上がってカッコ良く見える。見栄えがいい。音の方は、ほとんど変わらないが、気のせいか、ほんの少し中音域の荒れが取れたような気がする。

 

オーディオは見栄えも大事。

 

 

 

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DL-103って本当に万能選手だと思う。二刀流を超えている。

 

ピアノがとても綺麗に鳴った。ドビュッシーの《映像》を、レコードで聴いてみたのである。演奏はミケランジェリ。

 

 

いとも簡単にトレースし、濁りのない清い音調で再生する。拍子抜けというか危なげないというか…至極真っ当に、そして正確に音を拾い上げているようなイメージだ。

 

このDL-103は、実は僕が自分で買ったものではない。二三年前に、オーディオ誌の懸賞(モニタープレゼント)で当選した個体である。

 

さらに、DL-103には別の縁(えにし)があって、日本コロンビアにおけるDL-103の開発チーム主幹であられた松田等さんが、なんと知人の親友のお父様だったのだ!

 

 

その縁で、なぜか「サイン」をいただいた(笑)

 

松田さんについては、下記のリンク先で概要が読める。

 

 

先人の努力の賜物と思うと、ますますDL-103が好きになってしまうのである。

 

このDL-103、再度誓うが、もう絶対にO氏には貸してやんない。

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ハードロックも聴いてみた。昨年、コピーバンドでコピーした、《アイ・サレンダー》が冒頭に入っているアルバム『アイ・サレンダー』(「Difficult To Cure」)を再生。

 

 

DL-103T-320の組み合わせは、僕にとって、最良のチョイスだったようである。出費的にも、これ以上は、ちょっともったいない。

 

普段はクラシックを聴き、自分ではロックをやる。それが「僕」という人間。だから、どんなジャンルの音楽でも気持ち良く再生してくれる機器が、最善の組み合わせ、ということになる。

 

 

オーディオに関しては、これまで次のような具合にやってきた。

 

オーケストラの弦楽器の質感にこだわって機器をチューニングすると、ロックで聴くハイハットが大人しくなり金物っぽい煌びやかさを失ってしまう。

 

それじゃあってんで、

 

ハイハットをシャキシャキと際立たせようとすると、今度はオーケストラがありえないくらいに尖った音になり、「こんな音、生のオケから出てこねーよ!」「耳から血が出る!」って感想になっちまう。

 

加えて、僕が「小音量派」に属するリスナーであることも影響していると思う。

 

もう少しボリュームを上げれば、聞こえるんだけど…という音域が存在する。

 

よく分からないが、いずれにしても、「DL-103が万能」というのは本当だ。そして、それは「僕にぴったり」ということ。それだけは間違いない。

 

この二三日、とても愉しく音楽を聴いている。

 

(2025.8.20追記)

レインボー『アイ・サレンダー』アルバムの最後の曲(《治療不可》)の終わりには、笑い袋の声がエンドレスで収められている。だから、このLPレコードは、オートリターンやオートリフトアップの機能のないレコードプレーヤーで聴いた方が、真価を味わえる。

 

CDやストリーミングの場合はどうなのか? 答えは、笑い袋の「フェードアウト」という形に処理されている。ちょっと味気なく感じる。