今日は日々思っていることを。
僕の世代では、1980年代は中高時代、90年代は大学から就職7年目辺りまで、という世代感覚だ。
僕はいま、90年代に強いノスタルジアを感じる。80年代には思い出したくないことがあったのに対し、90年代はバラ色だったからかなぁ。いや、そうでもないんだけれど。
これは、ビューキなんだろうか。
今日のストリーミングサービスに、まだついていけてない。
Apple Musicで気に入ったアルバムを見つけると、カセットテープにダビングせずにはいられない。そんな衝動を抑えられぬ。
昨日も、「あぁ、松田聖子もアップルミュージックで聴けるんだなー」「懐かしいなー」とか思って、カセットテープにダビングしてしまった(『ユートピア』1983年)。
で、カセットテープを何度もひっくり返しながら、リピートして聴いている。ストリーミングはダビングのソースとして利用する。そんな感じなのだ。
なんだこれ。
90年代のクルマを買い、カーステでは、90年代の音楽ばかりを聴いている。オーディオセットはまだマシで、プリアンプとスピーカーだけが、90年代製。
でも、プレーヤーは70年代製だし、パワーアンプやカセットデッキは80年代製だ。DACは辛うじて2000年製である。微妙に前世紀だけれども。
私は成長をしていないのではないか、とちょっと怖くなった。気にしなきゃいいんだけれども、気になりだすと、何かに罹(かか)っているのではないかと疑いたくなる。
しかし、こうして「自覚」しているうちはまだいいのかもしれない。
一昨日、怖い夢を見た。舞台に乗っていて、ラチェット・ハンドルを握っている。この場合のラチェットというのは、打楽器の小物のことである。
演奏しなければならないが、どこで入ったらいいか分からない。ふと気づくと演奏したこともない曲だ。「何もできない」「何もできない」…と思いながら目覚めた。『熱中時代』の水谷豊ばりの夢オチだ。
普段からこのブログで、プロの演奏家のことを言いたい放題に語っているから、その戒めだと思う。
お前、何もできないくせにエラそうに書いてんじゃないよ。
と。
素直に反省する。そう、僕には何もできないのだ。できない人ができる人を語ってはいけない。それはそうである。
慎ましやかに生きていくことにする。







































