東京交響楽団/東京オペラシティシリーズ 第147回

2025年09月20日(土)
14:00 開演
【曲目】
リゲティ:

フルート、オーボエと管弦楽のための二重協奏曲**
歌劇《ル・グラン・マカーブル》から

「マカーブルの秘密」*
モーツァルト:

交響曲第41番ハ長調K.551《ジュピター》
ソプラノ:森野美咲*
フルート:竹山愛**
オーボエ:荒木良太**
ジョナサン・ノット 指揮

東京交響楽団
 

 

昨日、これをニコ響の配信で観た。

 

 

目当ては《ジュピター》だったけど、一番興奮したのは、リゲティのオペラの抜粋だった。見たことも聴いたこともない曲だったのに。

 

 

声が、すごい、そして綺麗。何を言っているのかはわからなかったが、何かを訴えたいのは理解した。

 

 

Jummiさんのこの表情。とても難しい曲である。

 

そして、《ジュピター》はノット味のよく染みた最高に美味な音楽になっていた。先日、FMで聴いてべた褒めしたズーカーマンの解釈よりも、3倍くらい現代的だった。ノットさんは、常に第一線、いつも前を向いて音楽を紡いでいらっしゃる。ズーカーマンが古いとは言っていないが、なんというか、懐かしい演奏だったなあ、あちらは…と。

 

 

昼だから、スーツに明るいネクタイ。

 

 

なんか、今回から音質が良くなっているとか。「ビットレートを320kbpsに上げて高音質でお届けしています」のテロップが。

 

 

でも、なんといってもリゲティのソプラノでしょ、今日の演奏会の白眉ちゃんは。無料配信でここまで感動できちゃうのは、ほんと音楽家に申し訳ない感じ。どしどし定期演奏会のチケットを買おう!

 

「忘れられない」というのは芸術。

 

すぐ忘れちゃうのはBGM音楽。

 

小澤征爾は後者のことを「エレベータで流れているサロン音楽」と言っていた。よくかかってるよね、ニセものっぽジャズとか、クラシック風にアレンジしたストリングスとか。もっと最悪なのは、日本旅館や和食屋でかかっている、和琴の音をサンプリングした音源で拵えられた流行(はや)り歌。

 

あんなの音楽かい。人の智慧や次元を超えた努力が入ってないものは、やはり受け入れがたい。

ブラームス:

交響曲第1番ハ短調作品68

小林研一郎 指揮

東京交響楽団

(1978,東響自主製作盤)

 

 

東京交響楽団の公式ホームページの沿革によると、小林研一郎は、1976年~1978年まで「専属指揮者」だった。ただ、入手した当盤の解説には「特別客演指揮者」と書いてある。呼び方の問題だと思うが、どっちにしても、コバケン先生にとって東響は、とても相性の合うオーケストラだったのだろうと推察する。
 

 

このレコードを聴いて、そう思った。

 

 

さっき、関内で入手したばかりのレコードである。ジャケットの端っこに「2,000円」と書いてあるから、非売品ではなさそうだ。しっかりコバケンの直筆サインが入っている。定期演奏会の会場などで売っていたのかもしれない。

 

 

さて、小林先生は、このころから「炎のコバケン」と言われていたのだろうか。

 

少なくとも、このブラームスの指揮ぶりは、延焼していく「炎」のようである。序奏はゆっくりからだんだんテンポが速くなる。いや、「テンポが」という感じは、実はしない。指揮棒の勢いが早まって、弦はボウイングの、管は息の、スピードが自ずから速くなってしまった…という感じで、ずんずん流れていくだけだ。

 
個人的には、硬めのマレットで叩かせるティンパニが強烈でドキドキする。管楽器を足しているカラヤンのレコードなどとは違って、ライブ収録・一発録りなので、造られた感じは皆無であり、再生芸術としては非常にリアルである。
 
いま聴き終わったところだが、拍手も盛大だ。なお、指揮者登場時の拍手も収録されていた。東京文化会館での第242回定期演奏会。昭和のフライング・ブラボー全盛期で、余韻もへったくれもないが、ともかく、客席も僕も大興奮である。
 
 
小林先生の若き頃の雄姿である。この容姿のまんまの音楽が、このレコードから聴ける。個性を発揮しようなんて、これっぽっちも思っていない。コバケンの感性が、勝手に音楽を個性的にしてしまうのである。
 
この1978年ごろの感性で、僕の好きなショスタコーヴィチの交響曲第5番なども録音してもらいたかった気がする。
 
休日、良い音楽が聴けて本当に良かった。
 
最近のコバケン先生については、こちら。↓

前の記事:

 

「デジタルレコーダーをどうしようか問題」が、急転直下、解決をみた。

 

10年以上前のデジタルレコーダー、TASCAM D-07(初代)を購入することで、LINE入出力が可能となり、一般のカセットデッキと同じような使い方ができるようになったのである。

 

 

ポータブル機ゆえ、入出力はRCAの赤白ではなく、ステレオミニ端子(3.5mm)であるが、特にデメリットは感じない。

 

 

なんとこの個体、所謂「デッドストック品」ということで、未開封・新品で購入。液晶画面のフィルムは敢えてそのままにしておこう。

 

かつて、同じ製品の色違い=レッドを所有していたことがあったので、操作はお手のものである。

 

で、2009年ごろと事情が変わっているのが、メディアの大容量化と低価格化である。当時は2GBのSDカードを購入するのさえ少しの勇気と決断力が必要だったが、2025年のきょうび、日本製のSDカード(64GB)が800円で売られている!

 

びっくり。

 

昔なら、SDカードでエアチェックしたデータを、せっせとPCに移したり、CD-Rに焼いたりしていたが、もはやその必要もない。

 

録ったまま、SDカードでどんどん保存していけばのである。「64」GBで800円…。昭和60年代なら、だいたい「64」分のカセットテープ1本分の価格だ。

 

SDカードを大量に収納できるケースを購入し、余生を愉しみたいと思う。

 

 

フェーズメーションの主張…。

 

 

前の記事:

 

前の記事を書いていて思い出したのは、2000年当時、よくレベッカの《Poison》を聴いていたなあ、ということ。発表は1987年のアルバムだが、何故かずっと、ループして聴いていた。

 

Rebecca/Poison

(1987,CBSソニー)

 

1999年か2000年にブックオフ春日部店で、中古CDを500円で購入した記憶があるので、おそらく僕はそれまで、1987年の『Poison』アルバムをCDではなくカセットテープで聴いていたんだろうと思う。ソースはレンタルCDである。(けっこう「俄か」だったことに気づく)

 

このアルバムの入手をきっかけに、レベッカの数々のCDを揃えていったのかもしれない。

 

先週ちらっと記した、NHK交響楽団の藤森亮一氏がクレジットされているアルバムというのは、この『Poison』のことである。

 

 

B面4曲目、《TROUBLE OF LOVE》の間奏に弦楽パートがあり、そこで藤森氏のチェロがちょろっと聴ける。

 

 

話が戻るが、2000年ごろに、ようやく世間に中古CDが多く出回るようになり、価格も安くなった。中古屋も街にあふれていた。このCDも500円だったし、ストリーミングなどもなかったので、ブックオフは大盛況だった。25年経つと、商売はだいぶ変わってしまう。そのうち、CDコーナーは撤去されるのではないかと思う。

 

同じ時代、LPレコードも叩き売り状態だった。いま針を落として聴いている『Poison』のレコードも、105円だった。あのころに買ったレコードは多いが、もっと買っておけばよかったと思う。特にクラシックのLPを。

 

 

『Poison』には好きな曲が多い。強いて言えば、《MOON》、《真夏の雨》、《KILLING ME WITH YOUR VOICE》、《NERVOUS BUT GLAMOROUS》、 《CHERRY SHUFFLE》、《OLIVE》…。

 

《OLIVE》が最高かな。オスティナート的な間奏が長くて、聴きごたえがある。土橋節、全開である。

 

 

前の記事:

 

自分が結婚した頃の音楽を聴くシリーズ。今夜は2000年発売のレベッカのシングルを聴いた。

 

レベッカ/神様と仲なおり

(2000,イーストウエスト・ジャパン)

 

2000年の時点で、「レベッカの約10年ぶりの再結成シングルだー!」って興奮していた。ストリーミングとかYouTubeとか、そんなものは有り得ない世の中だったので、いかにCDプレーヤーで上手く鳴らすか、それだけを考えて再生していた。

 

リアルタイムでは、「ちょっとNOKKOの声量が落ちたかな…」という感想を持っていたが、いま聞くと、近年の歌声とはやはり違って、往時と変わらぬほどの存在感である。

 

特に2曲目の《Hello Teenage》がいい。

 

しかし、ドラムはどう聞いても小田原豊じゃないので、僕としてはどうしても、1980年代後半のアルバムやライブを懐かしく思ってしまう。

 

妻は、「NOKKOの声はピンク色だね」って言っていた。彼女はよく様々な音色を、目で見える「色」で喩えていた。たしかに、音「色」って書くぐらいだもの。その表現は正しい、と思う。

 

 

 

モーツァルト:

フルート四重奏曲集

カールハインツ・ツェラー(Fl)

ベルリン・フィルハーモニー・ゾリスデン

(1965,グラモフォン)

 

平日の就寝前に聴く音楽として相応しい。ツェラーは、パユの「前任者」という説明になるのだろうか。だいぶ活躍時期の長い奏者である。

 

このようなフルートを耳にすると、もう何も語れなくなる。まさに「言を忘る」である。

 

約250年前にマンハイムで書かれた曲群。マンハイムには、生徒を率いてICEで下車して一泊したことがあった。シャワーの出ない安ホテルだった。もう12年も前のことだ。あのころにこの曲を知っていたならば、もう少しマンハイムでの感慨は深かっただろうに。

 

ともかく、これも「当たり」のレコードだった。

 

 

ベートーヴェン:

八重奏曲変ホ長調作品103

五重奏曲変ホ長調作品16

ベルリン・フィルハーモニー管楽アンサンブル

ロータ・コッホ:ob-1

ゲルハルト・シュテンプニク:ob-2

カール・ライスター:cl-1

ペーター・ガイスラー:cl-2

ゲルト・ザイフェルト:hrn-1

マンフレート・クリヤー:hrn-2

ギュンター・ピースク:fg-1

ヘニング・トローク:fg-2

 

イェルク・デームス:pf

(1969,グラモフォン)

 

 

レジェンドのサンプル・ボイスならぬサンプル・サウンドである。連休明けの平日の夜、食事も家事も終わり、ゆったりとした気持ちで愉しんでいる。

 

こうした曲をベートーヴェンが作っていたとは、寡聞にして知らなかった。とても良いアルバムに出会えたと思う。

 

敬老の日なので、品川で一人暮らしをしている母に「ありがとう」ってLINEした。今日はビリヤードの試合を見に行くのだそう。80歳過ぎても、ビリヤードを続けてるってのは凄いと思うよ。見倣わなくてはね。

 

さて今日も、今世紀初頭に僕がよく聴いていた音楽特集。

 

僕はリッチー・ブラックモアが好きである。で、何を聴くかというと、多くのリッチー・フリークは、おそらくあまり興味がないであろう、次のライブ・アルバムを紐解く。

 

 

Blackmore's Night/
Past Times with Good Company

(2002)

 

(ドイツ盤)

 

日本盤はヤマハから出ていた。今は廃盤で、Apple Musicにもアップされていない。

 

少し前にこれを聴こうとして、CDが手元になく、自分のハードディスクにもコピーされていないことが判明した。こりゃたいへん。慌ててメルカリで入手。1,800円もしたぜよ。

 

この中の《16世紀のグリーンスリーブス》が最高なのだ。

 

YouTubeにはあった。そうか、みんなはYouTubeで聴いているんだな。いまどきは。

 

 

サイドギターがいるから、リッチーはリフを弾かなくてもいい。だから、前奏からしてすでに「リッチー節」全開の様相を呈している。かっこいい!

 

16小節にわたる間奏のギターソロでは、これまでの「耳慣れた」フレーズが次々に飛び出す。リッチー自身のアンソロジー的テイクに、もうめろめろな私なのである。

 

僕の友人にも、1997年以降、リッチーが「ブラックモアズ・ナイト」を結成してから、「もうリッチーはリッチーじゃなくなった」とか言って、まったく聞かなくなったヤツがいる。

 

甘い。

 

これがリッチーだ。

 

1977年のロニー・ジェームス・ディオの頃の音楽と比較してみよ。本質は何も変わらないじゃないか!

 

 

音楽は表層ばかり聞いていてはダメである(何を偉そうに)。

 

リッチーはリッチーを生きている。

 

 

 

 

NHK-FM「ブラボー!オーケストラ」

ズーカーマンが指揮する「ジュピター交響曲」
初回放送日:2025年9月14日

案内:柴辻純子(音楽評論家)

 

モーツァルト:

交響曲第41番ハ長調K.551《ジュピター》
ピンカス・ズーカーマン 指揮

東京フィルハーモニー交響楽団
(2025.6.22,Bunkamuraオーチャードホール)

 

 

これまた感動的な演奏にFM放送で出会えたましたよ。今年の6月の公演の録音だった。

 

柴辻純子の解説によると、ズーカーマンは指揮棒を持たずに滑らかに指揮をしていたとのこと。ヴァイオリンをよく歌わせていたとも。

 

僕は、知っている全交響曲の中で、《ジュピター交響曲》が、2番目に好きである。1番はショスタコの5番、そして、2番目がこのモーツァルト。

 

 

低音が残る感じのオーチャードの音響も、今回の放送ではよく録れていて、NHK東京チーム、グッジョブ! であった。

 

会場のお客さんが、最後の余韻まで聴き入ってから拍手するのも素晴らしい。というのも、一昨日のN響定期では、相変わらずの「フライング拍手」が、《皇帝》で「健在」だった。楽章間の咳払いもうるさいったらありゃしない。ほかのオケの公演では、あんなにうるさくないし、フライング拍手も起きないことが多いから、これらはきっとN響定期会員の「証」か「秘密のサイン」か「隠語の類」か何かなのだろう。(と勘繰りたくなる)

 

 

開演前の放送でも、「最後の余韻までお愉しみを…」みたいな場内アナウンスがあったな。冷静に考えれば異常な文言だ。

 

ということで、素晴らしい演奏に感謝です。どこかのスタジオ録音盤より200%感動する音楽だった。所詮、レコードは生演奏には敵わない。

 

 

 

9月13日(土)、NHKホールでN響定期公演を聴いてきた。朝はダンス☆マンでオーディオを語り、夕方はN響の音楽会…。

 

 

我ながら振れ幅の広い鑑賞生活を送っているなあと思うわけだが、まあ、それが私の生きる道ってことで。

 

実のところは、ドライブのための予算が(クルマの故障のために実現できず)浮いたので、急遽、「生オケでも聞きにいくか」って軽い気持ちでチケットを取り、湘南新宿ラインに乗ったのである。

 

 

結論から言うと、聴きにいって本当に良かった。《皇帝》だけでも楽しめたらいいな、シュミットなんて聞いたことないしな…って思っていたのだが、もう完全に良い方に裏切られた。

 

 

《皇帝》は、名曲中の名曲で、N響がハズすわけがないんだけれども、ファビオ・ルイージの、非常にわかりやすい、ある意味、日本人指揮者みたいな棒さばき(指揮棒なしだったが)に導かれ、N響のドイツものにしては、たいへん流麗なフレーズが、これでもかこれでもか、と続くのだった。

 

フレーズの後処理に気をつけたリハーサルをうんとやったんじゃないかと思う。独奏ピアノは、音がデカくてまずびっくりした。特に左手の音がよく聞こえた。いままで僕がいかに左手の音を聴いていなかったかが分かる。ピアノをやる人が聞いたらどういう感想になるのか、聴いてみたい気がする。

 

ブロンフマンは、デュトワと共演した時以来のN響ゲストだとパンフに書いてあった。もしかしたら、昔、聴いたことがあったかもしれない。今日の演奏は、デカくて太くて、ザ・ベートーヴェンだった。

 

(素人なんでこんな表現でごめんなさい)

 

後半は、CDでもラジオでもまったく聞いたことのないフランツ・シュミットの音楽。これが「最高」だった。前半の弦楽器中心のパートは、もうN響の独擅場といった感じ。とにかく揃っていて綺麗。さまざまな見せ場があって(ちゃんと打楽器にも見せ場があった!)、最後はまた静かに終わる。あっという間の45分間だった。

 

普段は知らないが、今日のルイージさんは両曲とも「タクトなし」で指揮をされていた。ファビオ・ルイージの音楽を実演で聴いたのは初めてであったが、一気にファンになってしまった。来週はFMでN響のヨーロッパ・ツアーの録音を放送するらしいので、全部、録音しようと思う。

 

今日は音楽監督のお出ましとあって、楽員は全パートにトップ奏者を要する陣容。生けるレジェンドたちばかりなので、いちいちお名前は挙げないけれども、チェロと木管群のソロの素晴らしいこと! 安心して聴いていられるフルート、オーボエ、クラリネット、それにコーラングレ。

 

とりわけ、チェロの独奏には、聴いているうちに鼻の奥の方がツンと来て、涙が滲んできた。ここだけは名前書かせてほしいのだが、藤森亮一さん、わたしゃレベッカのアルバムのクレジットにお名前を拝見してから、ずっとファンでしたよ。ルイージに促されてお立ちになった時、「ブラボー」って言っちゃいました。

 

 

今日は初日なのでレコーディング(テレビとラジオ)が入っていた。ステージを見るに、ひと昔前ほどには、マイクの数が多くないようだ。もし僕の見落としでないなら、これは素晴らしいことだ。長寿番組「ベストオブクラシック」に期待しよう。

 

なお、N響はまた11月に聴く予定。シャルル・デュトワのB定期を取った。Bだから平日のサントリーホールだが、なんとか仕事後に駆け付けたい。

 

あっ、それから、N響といえば、去る7月、我が校で芸術鑑賞会があり、「N響トップメンバーによる弦楽四重奏」というプログラムをやった。クラシック好きの仲間同士で、「トップメンバーって誰なんだろうね?」って囁きあっていたが、芸術鑑賞担当者も「知らない」という。どうやら、スケジュールの合う人が、交代で演奏するような契約になっているらしい。

 

で、ここからは備忘録だが、当日、いらっしゃったのは次の方々。(敬称略)

 

Vn. 永峰高志(OB)

Vn. 船木陽子

Va. 飛澤浩人

Vc. 藤村俊介

 

とても素晴らしい演奏で、生徒たちも愉しんでいたのを思い出す。「響かない」校内のホールでの演奏だったのでお気の毒だったが、永峰さんはなんと、国立音大から1723年製のストラディバリウスを借りてきて演奏してくださった。

 

久石譲の曲などもプログラムに入っていたから、生徒にも馴染みやすかったと思う。学校にも評判なので、おそらく3年後もお願いすることになるだろう。