今日の一曲!RADWIMPS「なんちって」 | A Flood of Music

今日の一曲!RADWIMPS「なんちって」

 

乱数メーカーの結果:578

 

 上記に基づく「今日の一曲!」は、RADWIMPSのセクション(565~584)から「なんちって」です。上位20曲までに該当する「謎謎」は過去にレビューしているため、上位40曲までの楽曲が対象となります。詳しい選曲プロセスが知りたい方は、こちらの説明記事をご覧ください。

 

 

収録先:『RADWIMPS 2 ~発展途上~』(2005)

 

 

 当ブログ上でインディーズ時代のナンバーを取り立てるのは今回が初、過去記事内で言及したこともおそらくなかったはずです。僕がラッドを聴き始めた頃の最新作は『RADWIMPS 4 ~おかずのごはん~』(2006)で、どハマりした結果過去作まで全て揃えてヘビロテしていた思い出があります。元々友人に薦められてバンドの存在を知ったこともあって、5thアルバムまでの楽曲についてはリアルで他者と感想を交えながら理解を深めたものが多いです。

 

 男女問わず人気があったので自分の交友関係の中でも様々なリアクションを聞けたのですが、「なんちって」に関しては男友達との間で話題になることが常だったと記憶しています。同盤からは他に「ヒキコモリロリン」も類例との認識で、良い意味でガキっぽいつくりに少年心が擽られたのでしょうね。反対に女友達との場合は「愛し」や「祈跡 - in album version -」が話題になりやすく、特に性差を意識しなければ「ノットビコーズ」が万人受けタイプだった印象です。

 

 

歌詞(作詞:野田洋次郎)

 

 前提①:僕が歌詞解釈をする際に時偶用いるタームに、「意識の流れ(英:stream of consciousness)」というものがあります。他アーティストのものながらこの概念にフォーカスして書いた記事をcf.としてリンクしまして、本曲の歌詞にもこの手法が見られるとの勝手な認定をご寛恕ください。

 

 

 前提②:言葉としての「なんちって」が持つ意味や機能については説明不要でしょうが、改めて確認しておきたい方は下掲の頁を読むのが吉です。その上でここでは同語の役割を、「前言を部分否定するもの」と規定します。撤回するほど前言が当を得ていないとは思わないけれど、一部では相手側の理を尊重しておかないと角が立つと察して、敢えてシリアスさを薄める言動を取ることを指しての表現です。一度は自らの口を衝いて出た言葉とはいえ、それを私見の総体と捉えられるのは不都合だと自覚した時(多くは発話直後)に、冗談めかすことで当座の心理的負担を軽くする便利な緩衝材…と言えば聞こえが好い保身術の側面もあるでしょう。

 

 

 前提①および②を踏まえて本曲の歌詞を見ていくと、自身の頭の中に次々と湧いて来る思考の奔流を外部にぶちまけたい衝動を抱えた一方で、自制心も棄て切れずに苦悩している"俺"の姿が浮かんできます。1番の英語詞からは"you"の留処のなさに心底うんざりしている"I"の本音を読み取れますが、"NANCHITTE"をマーカーに実際は心の内を押し殺して曖昧な返答に終始しているとわかるので尚の事哀れです。これは何もbetween you & Iに限った話ではなく、少数派の"no"は多数派の"yah"(嘲りの間投詞と文脈的にyesとのダブルミーニング)に掻き消されるという、世界の仕組みゆえだと"I"は気付いています。実に"oh, shit"ですね。

 

 このクソったれな心持ちのまま日本語詞に移行し、白々しい遺憾の意 → 暴言の嵐 → 性欲発散と荒れた内容が続き意識の流れを強く感じます。悪いことに自棄からはベイビーが生まれ、"そんなこんなで 「こんにちは」 って誕生しちゃった赤ちゃんには/いつか気付かれる 言われる 「パパいつになったら死ぬ?」"と、凄まじくパンチの効いた未来予想図が展開され絶句です。しかしこれに続くのは"そうなりたくない?一体絶対何なんだい/お前の心の叫びが聴きたいんだい!"で、なるほど発破をかけるためのパワーワードだったのかと納得しかけるも…

 

 "なんちって 嘘です"の卓袱台返し、"俺もなんだかんだっていつもビビッてんです"と継がれ、最早何処までが本心からの言葉だったのかがわからなくなっていきます。その後の歌詞は更に自由度を増し、某必殺技や某ノベルティソングの例示で子供っぽさが演出された果てに、野田さんの生い立ちに関する情報が開示される退行的な流れがユニークです。"1985 we were meant to be."は生年と合致しますし(主語は両親のこと?)、"1991 I was in U.S"は幼少期の渡米のことでしょう。どちらも"meant to live with no reason"に続くので、自分ではどうしようもない運命について歌っているのだと思います。

 

 リスナーの煮え切らない感想に"うっせー"と返しFワードを放った後に"シェイ シェイ ダンケシェーン"と目まぐるしく言語が入れ替わるカオスを経て、ラストの英語詞は今後の身の振り方というか眼前の困難にどう対処していくかのサジェストです。その結論は"×××× it"するほかないというアグレッシブなものですが、やはりとどのつまりも"なんちってね"であるため本気の程度は計れず終いで結ばれます。意識の流れをロジカルに考察するのはただでさえ難しいのに、「なんちって」のような伝家の宝刀を幾度も抜かれると、何もかもナンセンスに振れそうでより難易度が高くなると感じた歌詞解釈でした。

 

 

メロディ(作曲:野田洋次郎)

 

 僕が野田さんの作曲術で特に評価しているのは、一曲の中に幾つものメロディを詰め込むところです。【AメロBメロサビCメロ】のセットをJ-POP的な標準とすれば、Eメロぐらいまで展開するプログレッシブな楽想のナンバーを気に入る傾向にあります。初期の作品ほどこういった発展性が顕著であるとの認識で、8thアルバム以降はあまり感じられなくなってしまって寂しいです。

 

 僕なりの区分法に基づき"NANCHITTE today"|"なんちって 嘘です"|"とかなんとか言われちゃったり"のスタンザをサビと規定すると、"Never ending"がAメロ|"どっかのなんかの誰かが"がBメロ|"そんなこんなで"がCメロ|"1985 we were meant to be."がDメロ|"Flashing lights"がEメロとなります。細かいことを言えば2回目と3回目のサビは変則なのではとか、BとCは分ける必要がないのではとかのセルフツッコミも出てくるけれど、とにかく矢継ぎ早に異なる旋律に移行していくつくりがツボだということが伝われば御の字です。

 

 A~1番サビは洋ロックらしいストレートなメロがシラブル言語にマッチしていて聴き易い、B~Cはやや旋律性に乏しくラップと言っても差し支えのないスピーディーなメロにモーラ言語を宛がう舌回りへの自信が凄い、2番サビは(3番サビも)日本語になったことでキャッチーさが強調されたことに加えて後半のアッパーな変化が新鮮、Dはダウナーに寄った妖しげな旋律から沸々とした怒りが感じ取れサイケなボーカルとの整合性もばっちり、Eは既出のリフをバックに新出のメロを載せる欲張りパートに高速フロウを畳み掛けてくる点が、それぞれ琴線に触れた部分と紹介しておきます。

 

 

アレンジ(編曲:RADWIMPS)

 

 元々インディーズ盤ではラフな音作りへの許容度が高いとはいえ、本曲は殊更にサウンドが荒くライブレコーディングライクです。しかし歌詞内容に鑑みれば、上品に演奏しても仕方がないことは自明でしょう。別けても好みのセクションは2番サビ後~Dメロで、間奏のハードなギターサウンドから上述のダウナー&サイケへのギャップ+デスボイスが出てくるというフリースタイルっぷりが素敵です。

 

 

 
 

備考:特になし

 

 今回は取り立てて補足したいことはありません。