
今日の一曲!フレデリック「真っ赤なCAR」【平成27年の楽曲】
【追記:2021.1.5】 本記事は「今日の一曲!」【テーマ:平成の楽曲を振り返る】の第二十七弾です。【追記ここまで】
平成27年分の「今日の一曲!」はフレデリックの「真っ赤なCAR」(2015)です。ミニアルバム『OTOTUNE』収録曲。
当ブログでFRDCの音楽を扱うのは、ディスクレビューの形では一昨年の『TOGENKYO』(2017)の記事以来と久々です。それから今日までのフィジカルリリースとして、EP『飄々とエモーション』(2018)およびフルアルバム『フレデリズム2』(2019)が世に出ましたが、どちらも期待を裏切らない良盤だったので、改めて面白いバンドだなと僕の中で評価が上がっています。ちなみに前者では「NEON PICNIC」が、後者では「逃避行」「LIGHT」「YELLOW」が特にお気に入りです。
また、去年にテーマ【雨】でブログを更新していた際には「ナイトステップ」(2016)にフォーカスした記事をアップしているため、現状で最新の投稿は実はこちらとなります。後回しにした理由は、同エントリーの中に「真っ赤なCAR」への言及が含まれており、その内容は今回のレビューで起点とするのに都合が良く、引用から始めるのがベターだと考えたからです。長いので省略と注釈を挟みつつ、以下に関連記述を再掲します。
当該の記事(注:リンク先の「ナイトステップ」の項を参照)では「ディスコの時代」や「セクシー」といった言葉を本曲の形容のために用いましたが、FRDCの多様な音楽性のうち僕が最も好きなのはこの路線で(中略)個人的なカテゴライズでは他に「真っ赤なCAR」(曲名の列挙を省略)あたりが同系統だとの認識です。これらに共通する感覚理解を強いて述べるのであれば、僕は「シティーボーイ感のある曲」だと表現します。都会っ子が抱えている世相観や恋愛事情が透けて見えるようなナンバーという意味です(中略)。もっと噛み砕いて単に「お洒落な曲」としてもいいのですが、その場合はFRDCが得意とする作風(キャッチーでともすればコミカルにも聴こえるようなもの)が、ギリギリのところで顔を覗かせずに終始クールなイメージを維持している曲といった意味になります。
引用はここまでです。この中で頭に留めておいて欲しい情報は、ディスコティック且つシティーボーイ風のサウンドスケープが展開されているということで、この形容が僕の思う「真っ赤なCAR」の魅力を端的に説明したものとなります。以降では、この点をもう少し具体的にしていきましょう。
※ 1:01~1:13までが「真っ赤なCAR」の試聴部分です。
イントロのギターとシンセから窺える怪しげな煌めき感を認識した時点で、意識は過去へと飛ばされます。確かにダンサブルではありますが、少なくともクラブ文化よりは前の光景が眼前に浮かぶ質感です。曲名の「真っ赤なCAR」も、この段階ではスーパーカー(スポーツカー)の代表的なカラーリングたる赤を取り立てたものかなとイメージ出来るので、日本でブームとなった時期を考慮すると、描かれている時代は古いと受け取れます。
しかし、歌詞に照らすと車の想定に関しては訂正が必要かもしれません。冒頭の"真っ赤なデルタの隣に座るのは"が、ランチア社製の車のことを指しているのであれば、ドア数的にスーパーカー扱いはないであろうからです(デルタはハッチバックで3ドア)。余談ですが、僕の中で赤いハッチバックと言えばスターレットで、生まれの東京に住んでいた幼い頃に両親が乗っていた車がこれでした。いずれにせよ、各人で好きに「真っ赤なCAR」を思い浮かべればいいのだとは思いますが、90年代よりも前のものを脳内で走らせたほうが、より没入感があると主張します。
話を音楽に戻して、この"デルタ"が出てくるAメロがメロディ面では最大のお気に入りです。この点も実は過去に一度言及しており、冒頭に貼った『TOGENKYO』の記事の「スローリーダンス」の項に、流れで『「真っ赤なCAR」のAメロは神懸っていると絶賛します(中略)最初の一回しか出てこない儚さも良い。』と記してあります。この感想がまさに好きな理由で、こんなに格好良い旋律を一度使っただけで良しとしてしまう、その潔さがニクいと絶賛したいです。
意味深長な歌詞内容も文学的で、"真っ赤なデルタの隣に座るのは/僕ではない誰か/強くハンドルを離さず握るのは/僕の中のあなた"からは、本当は"あなた"の隣に居たいのは"僕"であるのに、現実は疎か想像の中ですらそのポジションが"誰か"に奪われていることの哀しみが、フラストレーションとなって燻っているような解釈が導き出せます。
この苛立ちが車の操作にも表れているのが、Bメロの歌詞ではないでしょうか。1番の"パッパッパッパッパッパッパッ/クラクション クラクションを鳴らせ/鳴らせ 鳴らせ/思いの丈をすべて吐き出して"も、2番の"カッカッカッカッカッカッカッ/ウインカー ウインカーを止めて/止めて 止めて/よそ見しないで愛に従って"も、焦りとそれを自制しようとする気持ちが鬩ぎ合っているように映ります。特に後者の"よそ見しないで愛に従って"は、色恋沙汰以外にも応用可能な良いフレーズだと感心しました。
ここは"ウインカー"に纏わる表現の鮮やかさも高評価ポイントです。メーカーや車種にもよるでしょうし、僕の聴覚的な感性の変化もあるかもしれない意見ですが、昔の車のほうが車内に響くウインカーの音が大きかった気がするんですよね。たとえば地方で古いタクシーを拾った時などに、普段常用している車との違いもあってか、聴き慣れない車由来の音を際立って認識してしまう経験はないでしょうか。気にしだしたら気になってしまうこの手のゾワゾワ感を、"カッ"×7の擬音語が見事に切り取っています。
そしてサビへ。"CAR"と"ゆっくり走ってゆったり笑ってる"がコール&レスポンスじみた応酬で畳み掛けてくる仕上がりで、このセクションだけを聴いて判断を下すなら、浮かぶビジョンは未だ穏やかなドライビングです。
しかし、続くCメロ(位置的には2番のAですし、更に言えばサビメロの変形とも取れる旋律ですが、便宜上Cとします)の内容を受けると、やはりもどかしさが優勢だなと言わざるを得ません。"「やっぱり違ったCARが気になってるわ」/3時間前に言ったの覚えてるか?/真っ暗な道路さっさと駆け抜けるCAR/ハンドル湿ってる"は、詳細な文脈や文章同士の繋がりは正直よくわからないものの、渋滞も含まれるような長時間の運転時に口をついて出そうなイライラや緊張感が滲む言葉繰りの連続で、この刺々しさがとても人間らしくて好みです。
2番後の間奏を経て、ラスサビに入ってからわかる楽想の完成度の高さにも惚れ惚れしました。1番Aで良い感じに主旋律の隙間を埋めていた[fu-wa]のコーラスが、ここでは[fu-wa ha-ho ha-ha-ha]と長くなって登場し、メインのボーカルラインに負けないほどの存在感を放ってきます。この全体像を把握して漸くサビメロが完成形を見たと思えたので、ここに至るまでの伏線が序盤に敷かれていたことも込みで技巧的であるとの理解です。
加えて、最後の最後で本音がだだ漏れてくるように歌詞の情報量が多くなる点にも、楽想上の妙味があります。ここまでにサビに宛がわれていたフレーズは、"CAR ゆっくり走ってゆったり笑ってる"のただ一節だけでしたが、この単純性との対比で終盤の内容が一層重く響いてくるため、これもまた流石だとしか言いようがありません。"真っ赤に照らした夕陽に映る君が/とっても綺麗でずっと忘れられるか/勝手に嫌ってずっと意地はっていた"の告白…もとい独白を経て、"ゆっくり走ってゆったり戻ってるCAR"で結ばれるところからは、"戻ってる"の変化から明らかであるように、これ以上後悔の傷口を広げまいとする決意が感じられます。そのためには一刻も早く"君"の下に駆け付けるほかなく、この手段としては寧ろスーパーカー的な連想が据りの良い解だと想定されますが、"ゆったり"と条件が付されているのも大事で、あくまで安全運転を心掛けた上で全力を出せと、何処か悪になりきれない現実的な描き方が微笑ましいです。
アウトロでは2:46から左側で鳴り出すギターが好きで、歌詞のエモい終わり方とは裏腹にポップで可愛らしいラインが披露されていますよね。言及が散漫になるのでここまで敢えてスルーしてきましたが、本曲の左から聴こえるギターは常に感情豊かにプレイされており、中でもC裏のそれ(ラスサビの2:30~2:45にも認められます)は殊更にクールで心地好いです。
この一連の描写とサウンドに僕は一昔前の恋愛ドラマっぽい印象を抱き、都心を舞台に行われる恋の駆け引きのBGM然とした趣を見出したため、それをして「ディスコティック且つシティーボーイ風のサウンドスケープ」と表したのだとまとめます。
平成27年分の「今日の一曲!」はフレデリックの「真っ赤なCAR」(2015)です。ミニアルバム『OTOTUNE』収録曲。
![]() | OTOTUNE 1,901円 Amazon |
当ブログでFRDCの音楽を扱うのは、ディスクレビューの形では一昨年の『TOGENKYO』(2017)の記事以来と久々です。それから今日までのフィジカルリリースとして、EP『飄々とエモーション』(2018)およびフルアルバム『フレデリズム2』(2019)が世に出ましたが、どちらも期待を裏切らない良盤だったので、改めて面白いバンドだなと僕の中で評価が上がっています。ちなみに前者では「NEON PICNIC」が、後者では「逃避行」「LIGHT」「YELLOW」が特にお気に入りです。
また、去年にテーマ【雨】でブログを更新していた際には「ナイトステップ」(2016)にフォーカスした記事をアップしているため、現状で最新の投稿は実はこちらとなります。後回しにした理由は、同エントリーの中に「真っ赤なCAR」への言及が含まれており、その内容は今回のレビューで起点とするのに都合が良く、引用から始めるのがベターだと考えたからです。長いので省略と注釈を挟みつつ、以下に関連記述を再掲します。
当該の記事(注:リンク先の「ナイトステップ」の項を参照)では「ディスコの時代」や「セクシー」といった言葉を本曲の形容のために用いましたが、FRDCの多様な音楽性のうち僕が最も好きなのはこの路線で(中略)個人的なカテゴライズでは他に「真っ赤なCAR」(曲名の列挙を省略)あたりが同系統だとの認識です。これらに共通する感覚理解を強いて述べるのであれば、僕は「シティーボーイ感のある曲」だと表現します。都会っ子が抱えている世相観や恋愛事情が透けて見えるようなナンバーという意味です(中略)。もっと噛み砕いて単に「お洒落な曲」としてもいいのですが、その場合はFRDCが得意とする作風(キャッチーでともすればコミカルにも聴こえるようなもの)が、ギリギリのところで顔を覗かせずに終始クールなイメージを維持している曲といった意味になります。
引用はここまでです。この中で頭に留めておいて欲しい情報は、ディスコティック且つシティーボーイ風のサウンドスケープが展開されているということで、この形容が僕の思う「真っ赤なCAR」の魅力を端的に説明したものとなります。以降では、この点をもう少し具体的にしていきましょう。
※ 1:01~1:13までが「真っ赤なCAR」の試聴部分です。
イントロのギターとシンセから窺える怪しげな煌めき感を認識した時点で、意識は過去へと飛ばされます。確かにダンサブルではありますが、少なくともクラブ文化よりは前の光景が眼前に浮かぶ質感です。曲名の「真っ赤なCAR」も、この段階ではスーパーカー(スポーツカー)の代表的なカラーリングたる赤を取り立てたものかなとイメージ出来るので、日本でブームとなった時期を考慮すると、描かれている時代は古いと受け取れます。
しかし、歌詞に照らすと車の想定に関しては訂正が必要かもしれません。冒頭の"真っ赤なデルタの隣に座るのは"が、ランチア社製の車のことを指しているのであれば、ドア数的にスーパーカー扱いはないであろうからです(デルタはハッチバックで3ドア)。余談ですが、僕の中で赤いハッチバックと言えばスターレットで、生まれの東京に住んでいた幼い頃に両親が乗っていた車がこれでした。いずれにせよ、各人で好きに「真っ赤なCAR」を思い浮かべればいいのだとは思いますが、90年代よりも前のものを脳内で走らせたほうが、より没入感があると主張します。
話を音楽に戻して、この"デルタ"が出てくるAメロがメロディ面では最大のお気に入りです。この点も実は過去に一度言及しており、冒頭に貼った『TOGENKYO』の記事の「スローリーダンス」の項に、流れで『「真っ赤なCAR」のAメロは神懸っていると絶賛します(中略)最初の一回しか出てこない儚さも良い。』と記してあります。この感想がまさに好きな理由で、こんなに格好良い旋律を一度使っただけで良しとしてしまう、その潔さがニクいと絶賛したいです。
意味深長な歌詞内容も文学的で、"真っ赤なデルタの隣に座るのは/僕ではない誰か/強くハンドルを離さず握るのは/僕の中のあなた"からは、本当は"あなた"の隣に居たいのは"僕"であるのに、現実は疎か想像の中ですらそのポジションが"誰か"に奪われていることの哀しみが、フラストレーションとなって燻っているような解釈が導き出せます。
この苛立ちが車の操作にも表れているのが、Bメロの歌詞ではないでしょうか。1番の"パッパッパッパッパッパッパッ/クラクション クラクションを鳴らせ/鳴らせ 鳴らせ/思いの丈をすべて吐き出して"も、2番の"カッカッカッカッカッカッカッ/ウインカー ウインカーを止めて/止めて 止めて/よそ見しないで愛に従って"も、焦りとそれを自制しようとする気持ちが鬩ぎ合っているように映ります。特に後者の"よそ見しないで愛に従って"は、色恋沙汰以外にも応用可能な良いフレーズだと感心しました。
ここは"ウインカー"に纏わる表現の鮮やかさも高評価ポイントです。メーカーや車種にもよるでしょうし、僕の聴覚的な感性の変化もあるかもしれない意見ですが、昔の車のほうが車内に響くウインカーの音が大きかった気がするんですよね。たとえば地方で古いタクシーを拾った時などに、普段常用している車との違いもあってか、聴き慣れない車由来の音を際立って認識してしまう経験はないでしょうか。気にしだしたら気になってしまうこの手のゾワゾワ感を、"カッ"×7の擬音語が見事に切り取っています。
そしてサビへ。"CAR"と"ゆっくり走ってゆったり笑ってる"がコール&レスポンスじみた応酬で畳み掛けてくる仕上がりで、このセクションだけを聴いて判断を下すなら、浮かぶビジョンは未だ穏やかなドライビングです。
しかし、続くCメロ(位置的には2番のAですし、更に言えばサビメロの変形とも取れる旋律ですが、便宜上Cとします)の内容を受けると、やはりもどかしさが優勢だなと言わざるを得ません。"「やっぱり違ったCARが気になってるわ」/3時間前に言ったの覚えてるか?/真っ暗な道路さっさと駆け抜けるCAR/ハンドル湿ってる"は、詳細な文脈や文章同士の繋がりは正直よくわからないものの、渋滞も含まれるような長時間の運転時に口をついて出そうなイライラや緊張感が滲む言葉繰りの連続で、この刺々しさがとても人間らしくて好みです。
2番後の間奏を経て、ラスサビに入ってからわかる楽想の完成度の高さにも惚れ惚れしました。1番Aで良い感じに主旋律の隙間を埋めていた[fu-wa]のコーラスが、ここでは[fu-wa ha-ho ha-ha-ha]と長くなって登場し、メインのボーカルラインに負けないほどの存在感を放ってきます。この全体像を把握して漸くサビメロが完成形を見たと思えたので、ここに至るまでの伏線が序盤に敷かれていたことも込みで技巧的であるとの理解です。
加えて、最後の最後で本音がだだ漏れてくるように歌詞の情報量が多くなる点にも、楽想上の妙味があります。ここまでにサビに宛がわれていたフレーズは、"CAR ゆっくり走ってゆったり笑ってる"のただ一節だけでしたが、この単純性との対比で終盤の内容が一層重く響いてくるため、これもまた流石だとしか言いようがありません。"真っ赤に照らした夕陽に映る君が/とっても綺麗でずっと忘れられるか/勝手に嫌ってずっと意地はっていた"の告白…もとい独白を経て、"ゆっくり走ってゆったり戻ってるCAR"で結ばれるところからは、"戻ってる"の変化から明らかであるように、これ以上後悔の傷口を広げまいとする決意が感じられます。そのためには一刻も早く"君"の下に駆け付けるほかなく、この手段としては寧ろスーパーカー的な連想が据りの良い解だと想定されますが、"ゆったり"と条件が付されているのも大事で、あくまで安全運転を心掛けた上で全力を出せと、何処か悪になりきれない現実的な描き方が微笑ましいです。
アウトロでは2:46から左側で鳴り出すギターが好きで、歌詞のエモい終わり方とは裏腹にポップで可愛らしいラインが披露されていますよね。言及が散漫になるのでここまで敢えてスルーしてきましたが、本曲の左から聴こえるギターは常に感情豊かにプレイされており、中でもC裏のそれ(ラスサビの2:30~2:45にも認められます)は殊更にクールで心地好いです。
この一連の描写とサウンドに僕は一昔前の恋愛ドラマっぽい印象を抱き、都心を舞台に行われる恋の駆け引きのBGM然とした趣を見出したため、それをして「ディスコティック且つシティーボーイ風のサウンドスケープ」と表したのだとまとめます。
■ 同じブログテーマの最新記事