今日の一曲!平沢進「アディオス Adios」 | A Flood of Music

今日の一曲!平沢進「アディオス Adios」

 【追記:2021.1.5】 本記事は「今日の一曲!」【テーマ:雨】の第三弾です。【追記ここまで】

 「今日の一曲!」は平沢進の「アディオス Adios」(2015)です。13thアルバム『ホログラムを登る男』の幕開けを飾る楽曲。

 当ブログに於いては『Ash Crow』(2016)以来の平沢進名義作品の紹介ですが、「今日の一曲!」では初となりますね。P-MODEL及び核P-MODELのナンバーであればリンクした通りに過去記事が存在しますが、いずれもコンスタントにアクセスのあるエントリとなっているため、常に一定の平沢需要があると推測出来るのはファンとしてというか音楽好きとして喜ばしい限りです。


 さて、この「アディオス」ですが、テーマ「雨」で紹介する楽曲としては変化球になると思います。歌詞には"雨 雨 清廉の"もしくは"清廉の雨"という形で雨が登場し、非常に象徴的なものであることはわかりますが、曲全体で言わんとしていることは別にあると感じるからです。以下、遠回りになりますがこの点を考察していきます。


 平沢楽曲の歌詞をなるべく正しく読み解こうするにはそれ相応の知識が必要で、僕は残念ながらそれだけのモノを持ち合わせていないと自覚しているので、一個人が素直に受け取ったままの解釈であると予防線を張っておきますが、本曲で描かれているのは、衰退の最中にある世界/人類に別れを告げ、物理的/肉体的な枠から一抜けた個人の生き様である…と捉えています。

 "ヒト科の晩夏 終章"という歌詞が端的でしょうが、他にも"千年の断章を閉じ"、"晩年を悔恨に染め"、"長者の跋扈は連綿"、"驕れる人士 逃亡"などのフレーズからは、人類としての限界が来ていることを読み取ることが出来ますよね。

 そんな状況下に於いて救いとなっているのが、"荒んでもキミはまだキミ"という歌詞で、素直に感動を覚えたくらいに大好きな一節なのですが別アーティストの記事にも引用してしまうくらいに)、その後に続く"ヒト科の本義 堂々"や"アディオス 置いて行こう悲劇の遺影"などのポジティブなフレーズの一種として、結びに"濡れて行こう 清廉の雨"と登場するので、この"雨"は"キミ"の輪郭を顕にした後に解き放つためのものであると考えました。イメージとしては滝行(水垢離)的な理解ですが、そこまでの激しさを伴わずに優雅に変化していくような趣が"雨"にはある気がします。"イリュージョン"という語の鮮やかさも、このあたりの意識と関係があるのではないでしょうか。

 雨に対する考察とは直接関係ありませんが、"如実の街"という言葉にも心惹かれるものがあり、アルバムタイトルに「ホログラム」が含まれることを考慮すると、対になるものとして登場させているのだろうかと思いました。


 以降は、歌詞以外に対しての雑多な言及となります。

 wikipediaを見て知ったのですが(そこにソースは示されていませんでしたが、平沢さんのTwitterに裏付ける記述があったので正しい情報のはず)、細切れになってつんのめるような質感を持ったイントロから続くループは、ドビュッシーの楽曲を弄り回したものだそうです。この記事でふれている通り、ドビュッシーは好きなクラシック音楽家のひとりであるため、共通の嗜好に少し嬉しくなりました。好きで取り入れたのかどうかは知りませんけどね。笑

 メロディだけを取り立てると、基本的に何処を切り取っても流麗なイメージで統一されているため聴き易いと言えます。ただ、そんな中で"罵詈 喝采"のパートだけがコミカルというかリズム的な旋律になっていて、曲全体から醸されているマーチ風の印象(鼓笛隊然としたもの)が一層強化されているので、敢えて崩したようなギャップのあるパートの存在自体が面白いと感じました。

 加えて、歌詞のセクションで"遺影"というワードを出しましたが、その前の"家 家 家"も含めて、半分ギャグ(=Yeah)かと言いたくなるような可笑しさを漂わせているところも、流石平沢楽曲だと思わされたポイントですね。お利口なだけの曲に終始しないというこだわりが感じられる点は、P-MODEL時代のエッセンスも入っているのかなという気がします。