ワルキューレは裏切らない / ワルキューレ | A Flood of Music

ワルキューレは裏切らない / ワルキューレ

 ワルキューレの3rdシングル『ワルキューレは裏切らない』のレビュー・感想です。『劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ』の主題歌および挿入歌をまとめたディスクとなります。


 ワルキューレについての説明は過去に何度も行っているため本記事では省略とします。以下に過去記事をリンクしておくので参考にしてください。

■ 『絶対零度θノヴァティック/破滅の純情』(2016)
   (同記事内に『Walküre Attack!』のレビューを含む)
■ 『Walküre Trap!』(2016)
■ 『ワルキューレがとまらない』(2017)

 また、ワルキューレには直接言及していないものの、『2017年のアニソンを振り返る・Part.1/5【アニソン+編】』という記事には、『マクロスシリーズ』楽曲について記述した箇所があるので併せてご覧いただけるかと思います。




 さて、『劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ』(以降、単に「劇場版」と表記)ですが、つい先日観てきました。楽曲に纏わることはディスクレビューの中でふれるとし、この前置き部では楽曲以外のポイントについて雑感を書きます。重大なネタバレはしていないつもりですが、一応注意喚起です。

 劇場版は前作『マクロスF』(の劇場版・前編)と同様、TVシリーズを土台としながらも物語の再構築が行われたことによって単なる総集編ではなくなっているのが特徴で、パンフレット内の河森正治監督の言葉を借りれば「改構成+新作パートという形」で映画作品として成立しています。

 たとえばハヤテが最初からΔ小隊に所属していたり、フレイアのワルキューレ加入までの経緯が異なっていたりと、導入部から違うなということが明らかな構成でした。26話分を2時間に収めるには大胆な変更も当然でしょうからね。細かい変更点は枚挙に遑がありませんが、時系列の入れ替えが顕著ゆえに「TV版と結果は変わらず/しかし過程が異なる」と感じたシーンが多かったとまとめることが出来ます。…が、ぶっちゃけTV版の本放送が終了した2016年の9月以降に『Δ』を観返すことはしていないため記憶がおぼろげで、始終「元からこうだったような違うような…」と思いながら観ていたことを白状します。笑

 終盤の展開や後程ふれる音楽の差し替えに関しては流石にはっきり新しいと気付けましたが、新作パートの中で最も印象に残ったのは、良い意味でも悪い意味でもフレイアのワルキューレ加入歓迎会という名のサービスシーンです。屋外ジャグジーで裸の付き合いは理解出来る筋書きですが、大画面でそこそこ長尺の風呂シーンを観続けるのはなかなかに厳しいものがあった。勿論嬉しい反面ね。ただ、ワルキューレの過去話をわりかし序盤のここに持ってきたのは良改変のひとつだと評価します。

 他を差し置いてそこかいというツッコミが聞こえてきそうなので最後に全体的な感想を書きますが、個人的には「TVシリーズよりは満足」でした。先にリンクした『Walküre Trap!』の記事には、TV版の終盤の展開について不満を漏らした記述があるのですが、劇場版は2時間という限られた枠の中でスピーディーに物語が展開していったので、コンパクトにまとまっていたところが良かったです。僕はTV版に対しては「こじんまり」と一見似たような表現を使っていますが、これをポジティブな意味に昇華させたのは素直に凄いと思います。

 ただ正直に言えば、こうしてハイスピードの展開についていけたのはTV版を観ていたからだとも感じていて、劇場版にて初見だという方にはどう映ったのだろうかと考えてしまいますね。想像でしかありませんが、キャラに深みがない印象を与えているような気がしないでもない。この点に関してはTV版に分があると言えるかな。


 劇場版に関する音楽以外の感想は以上です。もっと細かく言及することも出来るのですが、ネタバレをし過ぎるのもどうかと感じますし、本記事のメインはあくまでも音楽レビューであるためここで切り上げます。肝心のディスクの中身を見ていくとしましょう。


01. ワルキューレは裏切らない



 挿入歌・その1。劇場版のタイトルが「ワルキューレ」を冠しているように、ストーリー上の主人公格はワルキューレで間違いなく、「ワルキューレ」を題に含むこの曲もまた、劇場版を象徴するナンバーだと言えます。

 前置き部に埋め込んだ映画の予告動画でも関連するカットが見られますが、作中でワルキューレが敵側に寝返ったと偽装工作される(=ファンの怒りを買う)場面があるため、「裏切らない」というのは作中に於いてはこれに対するリアクションでしょう。しかしメタ的には、現実世界でも「ワルキューレの活動(『Δ』の展開)はまだまだ終わらない」という意味が込められているのは明白で、それに係る話はパンフの中で福田正夫さん(ワルキューレの音楽プロデューサー)によっても語られています。

 クレジットを見ていくと、作詞が喜介さん/作編曲が渡辺拓也さん(ストリングス編曲は倉内達矢さん)となり、これは「Absolute 5」(2016)と同じタッグです。この点も福田さんによって言及されており、曰く「アンサーソングみたいなもの」だそうなので、それを意識して聴くと一層ワルキューレの絆を強く感じられるかと思います。作中では分断されてしまったワルキューレの面々を描いた後に披露された曲ですしね。


 昭和の刑事ドラマ+スケバンを意識していると思しきMVからも察することが出来ますが、楽曲の全体的な印象は歌謡曲風だと言えます。それは主に間奏のギターのおかげで、メロディライン自体はそこまでという気もしますが、この熱っぽい感じは古い時代をリスペクトしていると解釈しました。

 この曲のというよりはワルキューレの音楽コンセプト自体に対する言及ですが、パンフの中で福田さんは「昭和の歌謡曲へのオマージュ」という言葉を出しています。このことはここで初めて知りましたが、『Walküre Attack!』(2016)の記事で「AXIA ~ダイスキでダイキライ~」をレビューした際に、僕は「一昔前感」という言葉を出していたので、今更ながらこの理解は間違っていなかったのだと安心しました。

 特に好きなパートはBメロです。この曲の中では浮いているというか質感が異なる部分ですが、短いフレーズで歌い手が次々と変わっていくところがワルキューレ楽曲の魅力のひとつだと思っているので、パンフ中の鈴木みのりさんの言葉を引用すれば、まさに「バトンをつないでいるような」ところが素敵だと言えます。サビの厚い(もしくは熱い)"五重奏"も素晴らしいですけどね。

 歌詞に関してはストレートにサビのフレーズが好みです。"青い空が 澄んだ風が/たとえ星が 裏切っても/私たちだけは 絶対裏切らない 裏切らない"。決して裏切りそうにない希望に満ちたイメージを内包するマテリアルに対して、敢えて"裏切っても"と仮定してしまう重みと覚悟がいい。それらを比較対象にすることで、"私たち"の頼もしさを引き立たせているのも鮮やか。


02. チェンジ!!!!!

 挿入歌・その2。作中での使われ方も含めて、本作収録曲の中ではいちばん気に入っています。フレイア加入後のライブデビュー曲という扱いの新曲で差し替えが行われているのですが(TV版では「不確定性☆COSMIC MOVEMENT」(2016)でした)、ここのライブシーンがまさかのフルCG!…で、これには思わずヤック・デカルチャー。笑

 このシーンこそ僕が最も劇場版に期待していた要素だったので、これを堪能出来ただけでも個人的には劇場に足を運んだ甲斐があったと言えます。前置きの中で結果的にTV版の物足りなさを指摘している通り、構築し直すと言っても正直ストーリーに関しては元よりあまり期待していなかったのです。では何を目当てにしていたかと言うと、「大画面+大音量でワルキューレのライブが観たい!」という欲求に尽きます。

 要するに「劇場に聴きに行った」わけですが、フルCGであったことで予想以上の没入感が味わえたのは嬉しい誤算でした。パンフの中で河森監督も「VRやAR等の技術」に言及していますが、それらを駆使することによってインスタレーション的な体験にまで拡張出来るようになればより良いと思います。言葉としては不正確且つやや反社会的かもですが、ワルキューレのライブには「電子ドラッグ」としての可能性があると主張したい。



 話を曲に戻して、まずはクレジットを見ます。作詞は敬愛する岩里祐穂さんによるものなので安心の出来。作編曲およびサウンドプロデュースはスウェーデン出身のRasmus Faberさんで、氏のことはワルキューレ以前に坂本真綾さんの楽曲にて存じ上げていましたが、本記事では「Hear The Universe」(2016)と同じ布陣であると説明した方が通りが良いでしょうね。ストリングス編曲にMartin Landströmさんが参加しているのも共通点。

 余談ですが、当ブログのワルキューレの記事には「Hear The Universe」に「神曲」を併記した検索クエリからの流入がなぜか多く、長期に亘って検索され続けているのが密かに面白いと思っています。同一人物によるリクエストの可能性も捨てきれませんが、確かに個人的な好みに於いてもワルキューレ楽曲の中では五指に入るナンバーなので、「その気持ち、わかるよ!」とここに記しておきますね。笑


 パンフにはワルキューレメンバーへの個別インタビューが載っているのですが、その中で全員が「難しい曲」という主旨の感想を述べている通り、立体的でアクロバティックな歌い分けが特徴と言えるナンバーです。全員がメインとコーラスを自在に行き来しており、 この観点では「絶対零度θノヴァティック」(2016)の難しさを彷彿させます。

 しかし決して難解な曲というわけではなく、劇場で初めて聴いた段階ですぐに良い曲だと認識出来たので、好きになるまで時間がかかってしまった「絶対零度~」よりはキャッチーだと思いました。サビのメロディラインが顕著ですが、コーラスワークの妙も含めてシームレスな疾走感が演出されているのが聴きやすさに繋がっているのだと分析します。中でも特に気に入っているのは、カナマキレイの"×2"(同一フレーズのリピート)パートで、"真っ逆さま"と"急上昇"がツボです。

 岩里さんによる歌詞にもふれましょう。とりわけ好みなのは、Cメロの"気づいてしまった/泣いたって駄目さ"というフレーズで、主観的な説明になりますが「古き良きロボットアニメに宿る男らしさ」が垣間見えたような気がして味わい深いと思っています。それを歌い上げるのがワルキューレ(=女性存在)であるというのも、根源的な解釈を導き出せそうで実に深大。


03. Dancing in the Moonlight

 ED主題歌。02.と同じくこの曲に対しても「難しい」という意見が大勢であることが個別インタビューから読み取れますが、それは楽曲自体の「何でもありのてんこ盛り」(福田さんの言葉)なところと、細かい歌い分けによるところが大きいと思うので、02.とは異なるタイプの難しさだという印象です。

 サウンドの軸となっているのはディスコで、ここにも昭和リスペクトが窺えますが、現実の2018年に於いても作中の2067年に於いても、このグルーブ重視のダンサブルなジャンルは不変に通用する(だろう)ということが想定出来るという意味で、得心のいくナイスなアレンジだと思いました。きちんと北川勝利さんの色も出ていて流石です(作詞と編曲はacane_madderさんとの共作、ストリングス編曲は宮川弾さん)。

 聴きどころは色々ありますが、1番と2番の間のラップというか半台詞的パートには特筆すべきものがありますね。劇場で聴いた時は少し笑ってしまいましたが、歌い手側にも恥ずかしさが残っていると感じられる点が逆に良いと思います。落ちサビ部分にも台詞が登場しますが、ここは"止められない!!」"の箇所で遂に一文字ずつ歌い手が交代するという刻み方をしてきたので、このチャレンジ精神自体を評価したいです。

 ごちゃごちゃと書きましたが、細かいことは気にせずに踊れるナンバーであることは間違いないですし、醸されているハッピーエンディング感も物語を締めるのには打って付けなので、納得のED曲起用だと言えますね。ラストシーンは映像的にはもっとしんみりとしたものなのですが、この曲の存在によって前向きに終わっているというのも編集と選曲の賜物でしょう。


04. ワルキューレがとまらない ~without Freyja~

 挿入歌・その3で、過去曲のアナザーバージョン。本作の中ではボーナストラック扱いにされています。劇場版ではフレイアの加入前に披露されたナンバーであるため、「without Freyja」というわけですね。序盤でこの曲が流れてきた時には、「えっ?」と戸惑ってしまいました。

 楽曲自体のレビューは冒頭にもリンクしたこの記事の中で一度行っているので省略としますが、この戸惑いと関連があるポイントにだけ再度ふれますと、本来この曲は『「フレイアデビュー後のワクチンライブ用」の楽曲が「お蔵入り」になった』という設定だったんですよね。これを覚えていたのが混乱の元だったのですが、こうしてきちんとフレイアを除外したバージョンが用意されていたので安心しました。

 フレイアのフレッシュな歌声が減った分だけ美雲の担当箇所が増えるといった歌い分けに変わっているため、全体的に大人びた印象になったと言えます。2番以降は特にそれが意識されますが、Cメロ("ひらりひらりと"~)に関しては「違和感」と言っていいレベルだと思ったので、改めてフレイアの声質の良さを確認するところとなりました。


04.~08.は01.~04.の「-Instrumental-」です。08.は厳密には04.のというより、「ワルキューレがとまらない」のインスト版という表記。


 
 以上、インストを除いて全4曲でした。新曲は全て過去にワルキューレに楽曲を提供しているクリエイター陣によるものだったので、3曲とも一定水準以上の良曲であることは担保されていたようなものでしたね。それだけハイレベルだということですが、中でもやはり02.「チェンジ!!!!!」が映像も含めて別格に気に入ったので、ワルキューレには意外と日本人によらないセンスも映えるのかなと思いました。

 映画の使用楽曲という観点で見ても良曲揃いだと言え、01.「ワルキューレは裏切らない」は後半の熱い展開に、02.は前半の見せ場に、03.「Dancing in the Moonlight」は大団円のEDに、04.「ワルキューレがとまらない ~without Freyja~」は序盤の意外性の演出にと、それぞれ効果的に役割を果たしていたと言えるでしょう。


 最後に再び劇場版に対する言及をしますが、総評としてはまあ満足とは言え、もし完全新作の第二弾があるならば期待したいというくらいには、あっという間だったなとも感じています。ラストの感動的なシーンが終わっても「まだエンドロールには少し早いだろう」という体感でしたし、「ER後にクリフハンガー的な新規カットが来ないかな」とそわそわしていたらそのまま終劇だったので、「終わりなのかぁ」と心の中でぼやいてしまいました。

 こうして期待を寄せている自分を客観視すると、何だかんだで『Δ』も好きなんだということを認めざるを得ないので、ワルキューレの新規楽曲をもっと多く聴きたいという意味でも、今後更に『Δ』の世界が広がっていけばいいなと思いました。


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