母親の実家の土地が数年経ってやっと売れた。
数年経ってやっと売れたとしても、家の中は何もしていないかった。



ひさびさに母親の実家に入った。入った瞬間のこの臭いを嗅ぐとあの頃を思い出してしまう。

僕は小学生の頃、毎週金曜日の学校の後は母親の実家に行っていた。母親が金曜日の夜は仕事が遅く、母親の実家にはお爺ちゃんがいたので、母親が迎えに来るまでその家にいた。

そんな思い出もあるため、見納めのためにも感謝のためにも家を整理しに行った。




家の中は既に来ていた母親の姉と兄が整理をしていた。


医者である母親の兄の【医学部突破】という医学部時代に習字で書いたのがあった。
叔父さんは、僕が長く続いた体調不良の際に「命に関わるから今すぐ病院行け!」と言い大きな病院に行き精密検査を受けた結果大きな病気だった。

僕は1年前の17歳の時に日本一最年少で精巣腫瘍を患った。しかも精巣に腫瘍ができず、リンパ節にできるというとても珍しい病気だ。


今は無事治り、命の恩人だ。こうして生きていられるのも医者の叔父さんの御陰である。



早速家の中の整理に取りかかった。大好きだったお婆ちゃんの埴輪や陶器やよく身に付けていた物がたくさん見つかった。形見のために持ち帰るビニール袋にどんどんしまった。

二階の母親の部屋を整理すると、ラブレターが見つかった。今結婚している僕の父親が書いたラブレターだった。2通見つかった。

古い家族の写真、母親の4兄弟みんなの通信簿、賞状、母親の弟の趣味の釣り道具のリール、工藤静香のポスターやたくさんの当時のアイドルの写真野口五郎の針葉樹、ベストセラーとなった『人間革命』を見つけ読んでいる時に母親と母親の姉が歌った『SOS』。


さらに整理すると、純金に小さなダイヤの指輪が2つ見つかった。しかしこれは高値の値打ちにはならないという。
母親の姉は、お婆ちゃんがよく大きなダイヤの指輪を付けていたという。

そこから、大方の目的は整理からダイヤの指輪にシフトチェンジした。


しかし、お婆ちゃんの洋服のポケット、お婆ちゃんの部屋の隅々、どこを探しても結局ダイヤの指輪は見つからなかった。



実用品に使える着物や机や扇風機、棚や皿など車に積み込んだ。


気が付けばすっかり日も沈んでいた。



日常の悩みが馬鹿らしく思えるほど懐かしい思い出のある家の空気を吸えるのも今日が最後。


独特な臭い、近くを走る電車の音、雰囲気、全てが愛しい。


僕は家の壁にキスをした。



キッチンの動かない振り子時計は、お爺ちゃんが銀座の喫茶店の店長から貰ったらしい。
母親や母親の兄弟はその振り子時計の写真を撮った。おそらく、思い出のある振り子時計なのだろう。振り子時計の思い出を話しているときに母親の兄弟は涙ぐんでいた。

この振り子時計はお爺さんがネジを巻けば使えるというので、僕が使うことにして、車に積んだ。


そして、この家にさよならを告げた。



帰り道、車に積んでいた振り子時計の時報を知らせる金が運転の振動で鳴った。

そのとき運転席の母親が涙を拭いた。