ヘレン・メリル

今日の日が救われた。


彼女の歌声に。


生演奏は、良い。

演奏を聴くうちに、次第にのめり込み、後から後から涙がこぼれる。


体の中が、一気に浄化された。

明日から生まれ変われる気さえする。


最近落ち込み気味の私に、自分から自分へのプレゼントです。


朝から職探しと専門学校の事務の採用試験。志望動機もろくに言えない自分が、何とも情けない。

でも、今日はそんなことよりも、彼女の、少し控えめだけど、やさしい歌声は、ちゃんと私の心に響いた

から、いいのだ。


一緒にステージを飾った、ピアニストのテッド・ローゼンタールのCDを購入。

激しくなく、甘くもなく、ちょうどの心地よさ。でも音はしっかりと、小刻み。私は、眼鏡のおじ様が、スーツでピアノに向かう姿が好きだ。

サインも頂いたし、なかなかのご機嫌。


とか言っても、JAZZは全くの初心者であります。

いいのだ、ちょうどコーヒーも新しい豆に変えたし、たまにはおしゃれなひとときを過ごしたい。


また明日から現実現実の日々です。

ねずみ色コンクリートに囲まれてJAZZってのもいいかもしんまい。




のいばあと、おやまのおばあちゃんは、とても仲がよい。


マメに近況を、電話で連絡し合い、夫の話、お友達の話、こどもの話、孫の話、戦時中の話、お料理の話など、沢山の人生話をして、お互いを励まし、高め合って、いろんな事を知っている。


ひとりは、呑兵衛で亭主関白なおじいちゃんに、文句を言わず最後まで尽くし、おじいちゃんの死後は、書道に勤しみ、一日五枚、清書を書き上げる事を続けている。クールなおばあちゃんは、泣き言を一切言わない。たまに電話したり、遊びにいっても、いま字ぃ書くのに忙しいから、と言って、結構ことわる。でも、孫の為に、必要だと決めたことには、さっと潔くお金を出す。


もうひとりは、機関銃のように良くしゃべり、笑い、お料理と人のお世話が大好きで、5つ年上のおじいちゃんを、デイサービスに送りだしては、私は老人とおしゃべりするより、若者とおしゃべりするのがずっと楽しいのよ、と二イイィーと笑う。一回しゃべりだしたら3時間は止まらない、親戚同士の中でも、比較的、私の姉弟はすぐにつかまる。おいしい田舎ずしやおはぎを用意して、一言めは、「あんたらに、ためになるお話ししちゃおき」。


こんな性格の大違いなふたり、実は私の両親のおかあさんで、80代半ばを、お互いに生き生きと過ごしている。


学生時代から今まで、私はこのふたりに、色違いの2枚の葉書に、別々にちょっと文章をアレンジして近況を記し、ポストに出す事を続けていた。ふたりはその葉書が届くと、すぐに電話をかけあい、喜んでいてくれてたみたいだ。孫が元気でいてくれることが、なによりの生きがいだ、なんて言って、大事にしまっておいてくれるのだ。


思春期に戦争を体験した、このふたりの女性は、つよい。


この素敵なふたりの生き方は、私の一番のお手本なのだ。

この素敵なふたりのことばは、魂の根源からやって来る。

この素敵なふたりの話を、また、次回、したいとおもう。



今日の天気は、ひどく私を落ち込ませた。

分厚く何回も塗り重ねられたような、ダークグレーの空は、一足早く、梅雨入りの予告をしている様だった。

目覚めが悪く、気分も優れない。

嫌な事ばかりを思い出した。

小学校の卒業記念に教頭先生にいただいて、大事に使ってたボールペンが急になくなり、必死で探したのに、友達と思ってた子に盗まれて、なにくわぬ顔で使われていたことや、去年、働いていた大学で、ある教授に、出勤してあいさつした途端に怒鳴られ、人間失格とまで言われた事。周りの人には、その教授はいつもそんなんだから、とばっちりにあったね、かわいそうに、早く忘れなよ、と言われたが、何ヶ月も家から大学に向かう中、思い出しては、泣きながら出勤した事。今日の心境はそんな過去に近い。心の傷は、そんなに簡単に忘れられるものじゃない。

人は、どうしてそんなにも、自分にふりかかる困難を、怒って爆発して、人のせいにして、他人事で片づけて、流すのだろうか。

弱気なまま、車を走らせて海に向かう。

目の前の、空港に一番近いこの浜は、アメリカに続いている。そう思うと、少し元気が出た。波打ち際のテトラポットによじ登って、サンドウィッチとコーヒーゼリーを食べる。つるつるに丸まった石を拾う。頭上を、爆音をたててジェット機が飛んで行く。

ひとりぼっちなのは別に寂しくなかった。でも、この無気力な感じは何なのだろう。手を動かしてないからか、無職に不安なのか、自立心が消えているのか、自信がないのか。多分全部だ。

気分を変えて、夕食を作ろうと、食材を買い込み、家に帰った途端、機嫌の悪い母親に、今日はあなたが作りなさい、と、低い声で命令される。父親の、家の中を歩く足音や咳払いに、いちいちビクビクする。今日の私は、とても小さい。自分でも驚くほど、誰ともしゃべっていない。


昨日、以前からお世話になってた染料店の方に、家庭での汚水廃水処理の仕方や、これから使う道具や材料の、大まかな見積をたててもらった。

それにしても、ああ、お金がかかる。当たり前のことなんだけども・・・。


16時頃帰宅し、ずっと作業場に居る。

我が家で、一番落ち着ける場所になりそうだ。


電車に乗っている時見た風景、一面の田園風景。

稲穂はもう、30cmは伸びている。さすが二期作の国。

一面に広がる緑の絨毯が、今日私が見た風景の中で、一番美しい。


新しいスタートを切る。

気持ちの切り替え。


先ほど食した、時間が経ちすぎて固まった冷麺には、愛が感じられなかった。

食卓にぽつんと一皿、悲しく見えた。

今に始まったことじゃないけど、私の住むこの県は、鰹の漁獲量全国NO.1だ。今日も近所のスーパーなんかに行けば、ほれ、鰹の刺身じゃ、たたきじゃ、って、県内のどこどこで獲れたものです、って、漁港のある町が記されて、大量に並んでいる。のれそれやどろめなんかもたまに並んでいる。よく考えたら、鰹のたたきも、朝に焙ったものがすぐに運ばれて並んでるのだから、新鮮度は高い。しかもとてもお手頃な値段で売られている。この辺に一人暮らししてる大学生らはラッキーだなあ。海鮮丼、マグロ丼、鰹のたたき丼とか200円程度で作れるじゃあないか。今日はお昼ごはんに、300円の土佐清水産鰹のたたきのお造りをいただいた。うん、普通においしい。私の好みでいうと、1cmくらいの厚さがベスト。ちょっと薄かったなあ。まあ、300円でこんなにおいしいのだから、もう文句は言いません。たたきは一般的に藁で焙るのだが、桂浜、三里方面では松葉焼きってのがあって、藁の代わりに松の葉を使用するらしい。松葉焼きの方が若干甘みがでるらしい。また、季節や、焙り方や、小ぶりな姫鰹を使うことによっても、味が違うらしい。食べ比べてみたいものだ。なんてたたき博士になりすましたけど、小さい頃はたたきが苦手だった。炭の臭いがぷんぷんして、薬味いっぱいでからめるポン酢の味も苦く感じた。のれそれなんて大嫌いだったし、うつぼなんて食べる人の神経がよくわからなかったんだけど・・・。よく考えたら、お酒あっての食べ物ですよね。たたきを食べたら、急にお酒が呑みたくなった。ここ最近、私はお酒を呑まなくても生きていけるタイプの人間だったんだわ、と思うくらいお酒に執着心が無かったので、すっかり忘れてたけど、やっぱり鰹のたたきには辛口の冷酒やなあ、って思う。「ぼっちり」という名のお酒を探しに行く。このお酒、県内では人気なのだけれど、あんまし酒屋に売ってないよ、と忠告され、ますます呑んでやろうと思い、探しに行く。ついでに栗焼酎「ダバダ火振り」も探しに行く。赤い車で一っ飛び。市内の酒屋を何軒か廻ったがどちらもない。居酒屋には置いてるのになあ。そういや、鰹の肝のことを「ちちこ」というらしいですが、このちちこの煮付けを以前とある居酒屋でいただいたのですが、もうお味が絶品で、とてもおいしゅうございました。やっぱり鰹づくしになるんだよな。そんなこんなで何軒か廻ったのにお目当てのお酒がなかったので、お酒呑みたいなテンションが下がってしまい、諦めてて帰ることに。近日、また鰹のたたき(松葉焼きの方)を食べるとしよう。その時には「ぼっちり」でばっちりいきたいなあ。なんて思いながら、家の近所の商店街のちいさな酒屋、富士屋に入ってみる・・・。「ぼっちり」も「ダバダ」もあるやないか。やるやないか土佐山田。


ついに作業場が完成しました。(あとは井戸水の蛇口を取り付けるのとガスを用意するだけ)

何も手をつけてなかった、ガレージ兼物置時代と比較したら、随分実用性のある空間になったなあ、と我ながら関心。一人分の作業場には、狭すぎず、広すぎもしないので、掃除もしやすく、良いのではないだろうか。ここを”DYEING STUDIO”と名付けて、大事に使おう。

工事の様子を全部写真におさめとこう、と思ってたのに、前半の写真が全くなかった。

私の計画では5月末までに完成させる予定だったので、ああ、まずは一安心。

こっからまたがんばらねば。制作の方を。


秋口に展覧会予定の、お寺を下見にいった。

もう何回も行ってるお寺なのだけれど、作品を展示することを考えたら、ゾッとした。

スケールが大きい。お寺で展示は今までやったことがなく、初挑戦なのだけれど、やってのけれるのかしら。不安と希望が交差した結果・・・不安、不安、不安。

大丈夫かしら。

先週で短期アルバイトが終わってしまい、暇をもてあそぶ予定だったのだが、この一週間、振り返ってみると家にいない日が続いたので、作業場をしばらくほったらかしにしてしまっていた。


コンクリート固めの作業場はねずみ色でどす暗く、こんな中で制作してたらだんだんブルーな気分になるな、と思い、先日大工さんに蛍光灯を4本、天井につけ加えてもらえるよう、頼んでいたのだった。


天井工事はコンクリートの粉や埃が落ちて汚れるので、だいじなものはすべて別の場所に避難。

蛍光灯がついたおかげで、これからは夜も作業できるし、心細くもない。


今日からまた作業場の大掃除がはじまる。

午前中はゴミや不燃物の仕分け、午後から棚や机を移動して念入りに掃除。


それにしてもコンクリートの粉は体に悪い。

棚や床にザラザラと積もっているコンクリートの粉と埃をほうきで掃き、何回も水で流して、やっと粉が舞わないようにしたけど、まだまだ息苦しい。前に、熱湯に溶かした大量のハイドロを、おもいっきり吸ってしまっ

たことを思いだしたら、むせてしまった。


自分が埃まみれになるのはやれやれ、といった感じだが、作業場がきれいになっていくのはうれしいものだ。


一日にこなしていくことを箇条書きにしてメモを貼ってみる。

一日のうち、絶対やらなければならない事柄が5つあるのならば、確実にこなせるのは3つぐらい。

全部完璧にこなせる人もいる。あとの2つをどう努力してこなしていくか。


明日も有意義な一日でありたい。

大雨の日々が過ぎ去って太陽が顔を出したとともに、

調度良いタイミングで友人がやってきた。

せっかくだからご案内、と、おもいっきり主観だらけの

ツアーコンダクターになり、あちこち連れまわした。

植物園、お寺、美術館、鍾乳洞、水平線が続く海沿い

をドライブしたり・・・・。


案内してて気付いたけど、意外と自分が胸を張ってここ

はいいよ、とお勧めできる場所が少ない。

むしろ、自分がとっても気に入ってる場所を紹介するの

は、ちょっと照れくさい。

でもなんだか過剰にいろんなところに連れてってやり

たくなる。迷惑な話やね。


あっという間に二日間は過ぎてしまった。


友人を駅まで見送って帰路についた。


のんびりした学生時代には戻れない。今日みたいに同じ時間を共有して、楽しんでも、明日には、今日とは別の顔で働いている。つかの間の休養。


紫外線が強くてびっくりしたことでしょう。


私もこの土地の、ぬくぬくとしたムードに浸かっている場合じゃない。


今日、後輩の展覧会の搬入を手伝いに行った。

初個展なうえに2会場で同時開催ということで、そして彫刻作品ということで、こりゃあ大変になるだろうなあ、と予測して行ったら、まさにそうで、当の本人も疲労と睡眠不足で思考回路がまわらない、といった感じだった。私も初個展の時はパニック状態に陥って、搬入のお手伝いさんに相談したり頼りきっていて助けてもらったので、なんか3年前の自分を見ているようだった。

搬入の日は体力勝負だ。もちろん作品制作や展示方法やプラスアルファの展覧会までの雑用(ポートフォリオやキャプションやDMや名刺作りなど)は搬入の日までにできてて当たり前の事だし、さらに神経を使う搬入ではお手伝いにきてくれた人にてきぱきと指示をしなくてはいけない。そのてきぱきが本当にむずかしい。搬入当日になったらさらに上乗せしてやることが増えて、作家本人は何がなんだかわからなくなる。(経験済み)もう指示どころじゃなく、どっから手つけたらいいかわからなくなる。

でも、そこでパニくってる場合じゃないのだ。搬入は体力勝負。特に重量のある作品なのだから。後輩はお昼ご飯も食べずふらふらになっている。飯食べてる場合じゃない、ておもってたのかもしれないが、エネルギー補充は大事だよ。

お手伝いにいって、私にできるかぎりの事はしたつもりだけど、展覧会までの段取りをどれだけ見積もって計画的にできるかは、予想外の想定も時間の余白もくみこんどかないと何が起こるかわからないのだ。

聞いてませんでした、じゃ話にならない。

仕事をしながら制作して展覧会をする。体力勝負だ。

明日からまず一週間、輝いてますように。1ヶ月展示してくれる事になってよかったね。展覧会が始まってからも体力勝負。

東京に初めて行ったのは高校生の時だった。当時はスカイメイトカード(キャンセルがでると半額で飛行機に乗れるシステム)を持ってたので、何日も前から友達といくところをピックアップしたりしてドキドキ胸おどらせて行ったものだ。

18歳で実家を出て大阪に9年間住んだ。思えば小学校よりも長い。関西での人との出会いや思い出はとても大切。いいこともやなことも信じてたことも裏切られたことも意地張ってたことも素直に受け入れたことも山のようにあったけれど、そんな経験はこれからの私の人生でもとても重要なのだ。そんな思いを大事にしつつ、27歳になってまた実家で暮らすことになる。この土地での記憶は高校生の時までだ。大学に入っても里帰りはしょっちゅうしてたけど、変わっていく町並みをゆっくりみていく時間なんてなかった。ずっと地元に住んでいる友達にたまに聞くくらいだった。

私が高校生の時に大好きだったショップやカフェや雑貨屋さんは今はもう全く存在していない。アーケードよりいっこずれた通りの石畳でさわやかな光が差し込むオビサンロードもさびれてしまった。百貨店もつぶれてしまったし、その裏の路地にぽつんぽつんとあったお店もすっかり変わってしまった。学校の帰りに自転車をとめてはぶらぶら歩いて古着屋巡りをしたものだが、いまや古着屋自体そうそう見つからない。いまの若い子たちが集まる場所が、私の高校生のとき栄えてた場所と違うのだ。駅前通りからいっきに東に集中してしまった。それと一緒に以前のお店は消えた。

思い出は大事にしたい。高校生の時の友達と会うと、私そんなこと言ってたっけ、て事や当時夢中になってはまってた事とか、自分がすっかり忘れてしまってた事までしゃべってくれるので、いっきに思い出がよみがえる。うわ~、その話はやめてくれ、ってのもあるし、なつかしすぎてニヤつく話もある。

東京に一ヶ月ぶりに来た、そうだ、高校生の時に初めて東京に行って巡ったお店に行ってみたい。そう思って行ってみた。地図なんて見なくても、ここを曲がったら、ほらあった、て感じにスイスイ行けた。何も変わらず存在していた。うれしかった。高校生の時一緒に行った友達はとなりにいなかったけれど、あの時のドキドキは変わらなかった。「東京のお店はね、ここよりもずっと大きくておしゃれでカフェもあるんよ」って聞いて、いきた~い!!てなったお店。

私の住む街からは消えてしまったけれど、東京には変わらず存在している。思い出だけはよみがえる。