そこに「在る」だけで、あなたは素晴らしい。

 

そう聞くと、あなたはどう思うでしょうか?


私達の多くは、ある条件が達成できたら、はじめて認められるという経験を、子供の時から何度となく繰り返してきています。


テストで高い点数を取ることができたら、あなたは素晴らしい。

 

親・先生の言うことを聞いたら、あなたは素晴らしい。

 

スポーツで良い成績を出すことができたら、あなたは素晴らしい。

 

給食を残さず食べることができたら、あなたは素晴らしい・・・等。

 

 

実際にそう親や教師が口にしなくても、「ある条件」を満たすことが出来なかったことで、ガッカリした顔を何度となく見て来たことだと思います。


そのたびに、「ある条件」で結果を残すことで、はじめて自分は価値がある。素晴らしいと思うことができるんだ、という心が潜在意識の中で形成されていきます。

 

お金にしろ、社会的地位にしろ、より大勢の人間に認められることが「人生の目的」だと多くの人が思っています。


しかし、この条件づけは裏を返せば、条件を満たすことができなければ、誰からも認められない、という冷たい考え方でもあります。自分という存在価値を「相手に認めてもらえるか」に身をゆだねてしまうと、相手の些細な行動や、発言が気になって仕方なくなります。


「相手は自分のことを嫌ってるのではないか?」


などと、相手の顔色が気になりだし、相手が自分のことを褒めてくれたり、けなされたりするたびに一喜一憂してしまうのです。


私も昔は、まさにそんな状態でした。上司に認められると、まるで自分が天才であるかのように有頂天になり、認められないと、自分は生きる価値がないと断言してしまう極端な人間でした。

 

だから、上司のみならず、周囲の人達全員が自分のことをどう見ているか、いつも恐ろしくて仕方がないという不安で一杯でした。それはさながら、ムチを打たれたくなければ、一生懸命に芸を覚えようとするサーカスの動物のような心境でした。

 


そこで、役に立つ心の新しい習慣が、そこに「在る」だけであなたは素晴らしい、というものです。


自分の価値を、誰かに認められることや賞賛を受けることによって、はじめて実感できる生き方をやめ、自分で「自分の存在」を尊いと思う生き方に変えるのです。


勉強が出来なくても、仕事ができなくても、身体が動けなくても、不登校でも、殺伐としたことを考えていても、どんな自分であっても、自分のそのままを素晴らしいと思う生き方です。


「馬鹿な、そんなことをすれば、自分は怠惰な生き方か、ミスをしても、何とも思わないいい加減な人間になってしまうじゃないか」

 

「いやいや、そんなこと人が認めてくれるわけがない。人間とは、自分を律し、裁き、正しいこと、正しくないことをはっきりとさせ、自分に課さなければいけない」


そんな声が聞こえてきそうです。

 

しかし、まずは騙されたと思って、まず自分に語り掛けてみてください。鏡に向かってもいいですし、自分の胸元に手を置いて、静かに「あなたは、そのままで素晴らしい」と、何度か言うだけで、心が内側から暖かくなるのを感じないでしょうか?

 

この心の内側から自然と湧き出てくる自然な暖かさ、エネルギーがあなたの次に行動するための「元気」に変わります。誰かから認められ、エネルギーをもらう生き方から、自分で自分にエネルギーを、内側から出していく生き方に変えるのです。(誰かからエネルギーをもらうことが悪い事ではありません)。

 

そして、今まで見ようとしなかった、自分の認めたくない自分の姿そのままを、どんどん受け入れることができれば、さらにエネルギーは高まっていきます。それにしたがって、相手の行動や態度、発言が気にならなくなり、自分の中でブレない芯が出来るようになります。


お金を失ったり、時間もさほど損するわけではないですので、まずは、今の自分の状態がどうあれ、受け入れていくことから始めてみましょう!

 

 


人生は、人によって実に様々です。

若くして、成功する人もいれば、年齢を経てから、うまくいく人もいます。また、生涯思う通りにいかない人もいるでしょう。


どんな人生を歩むことになったとしても、「いい」「悪い」ではなく、いかに自分らしく、楽しいものにしていくには、どうしたらいいのか。工夫し、選び続けることが大事だと思います。


どんな人にも、素晴らしい日があれば、最悪な日もあります。それは、コントロール出来ることもあれば、出来ないこともあります。


今の自分の状態が最悪で、何もやる気が起きない時、それは、あなたを超えた「本来のあなた」が、今の状態を体験したいと思い、実際にその行動を選んだのかもしれません。


うまくいかなくなった時、落ち込んだり、うつになった時でしか、見れない景色があります。ときに、心を締めつけられたり、立ち上がることすらできなくなるような無力感を感じたとしても、それは、自分が強く達成したいと思っている場所へ行くために、必要な出来事なのかもしれません。


そう考えることができれば、もっと力を抜いて、物事を冷静に見ることができるようになります。

ときに叫び、ときに泣くことで、心を解放したり、スッキリし、前に進む方向が見えてくることがあります。

すべては、川に浮かぶ一枚の木の葉のように、逆らうことなく、あるがままに。


人は、どんな状況におかれたとしても、学び続けることはできます。

たとえ今、人生に行き詰り、目の前が開けない感じがしたとしても、今いる状況から何かを学ぼうとし、今の自分にとって、少し「怖い」と感じるリスクを取り続けることで、少しずつ次のドアが開くことができます。

今、ご自身が鬱になり、外に出ることすらストレスに感じていたとしても、部屋のなかで本を読むことは可能です。本を買うお金が無くても、図書館で借りることもできます。

本からは、様々なことを学びとることが可能です。特に、自分が興味を持っている分野、将来やってみたいこと、好きなことの分野が何であれ、必ず大きな業績を残した人であれば、書籍として貴重な情報が入っているからです。

それを読むだけで、少なくとも、毎日が同じことの繰り返しのように流れているように感じる時間のなかで「自分が進歩している」という実感を得ることができます。実は、これが何より、引きこもりをしている人間にとって、大きな気力に繋がっていきます。

また、最近では本のなかにCDが入っているものも販売されています。パナソニック創業者の松下幸之助さんは、30年近く前に亡くなってますが、その肉声は今なお、わずかなお金を支払うことで聞くことができます。


自分の関係する分野が何であれ、どんなことでも一流を極めた人は、普通の人にはない、独特の人生哲学のようなものを持っています。それを、CDとして繰り返し聞くことで、潜在意識に染みこませ、いつの間にかその哲学に沿った行動をとる自分になれます。


私はちなみに、好きな講演家のCDは、同じ内容のものを最高で500回、繰り返し聞いたことがあります。そこまで何回も聞けば、どこで何を言うのか、内容をバッチリ記憶していることはもちろんですが、尊敬するスピーカーの話し方や間の取り方、何より、2、3回聞いただけでは分からない、スピーカーの背後にある「思想」を頭ではなく、身体で感じ取ることができ、自分の潜在意識に取り入れることができます。


皆さんも、ぜひ一流のものに触れる機会をもってください。




「ピンチをチャンスに変える51の質問」 
著:本田健
「心が千分の一だけ軽くなる話」CDつき
著:斉藤ひとり
「自分の心を満たす31の方法」
著:中野裕弓
「ツイてる人」の考え方―イヤなことをやめれば、うまくいく
著:松浦英行






自分らしく、楽しい毎日を送るうえで「自分を赦す」ことは、とても大事です。

というのも、多くの場合、自分も他人も「赦さない」生き方が、当たり前になっているからです。


その結果、自分や人を裁き続けることにより、それがトラブルや、ストレスに繋がっていきます。

「これは、良いこと」「これは、悪い事」という風に、潜在意識下で自分を裁くことが多い人ほど、人のあらゆる粗が気になり、人を裁くことになっていきます。


感情も同じことが言えます。私達は子供の時から、喜ぶことや楽しむ感情に関しては、比較的表に出しやすく、周囲も受け入れてくれることが多かったですが、怒ったり、悲しむ感情を受け入れてくれた人は、周囲にそういなかったのではないでしょうか。

その結果、大人になった私達は、自分がイライラしたり、怒ったりすることに強い抵抗を感じ、またその感情から発せられる、あらゆる負の感覚を拒絶し「そんなことを考えてはいけない!」と、自分を裁くようになります。


負の感覚とは、焦り、不安、苛立ち、嫉妬、狂気といったものも含まれます。


人である以上、こうした感覚とは無縁ではいられません。心が安定している人ほど、自分が、こうした負の感覚を持っていることをよく知っており「ああ、今自分の心が波立っているんだな」と、客観的に見れる余裕があります。


ところが、心が不安定な人ほど、人間が本来持っている、こうした負の感覚・感情を、自分が持っていることを受け入れることができず、もがき苦しみます。

「こんなことを考えるなんて、自分は未熟な人間なんだ」と、未熟で不完全な自分を否定し、ますます苦しみ、そしてそう苦しむことが、自分を成長させる、という誤った観念がますます、人を鬱状態にしていきます。

苦しめば苦しむほど、あとで幸せが待っているなんてことは、ありません。「今」幸せに感じられる人が、これからの人生も、幸せに生きていけるのです。

眉間にしわを寄せて苦しそうにしている人と、楽しくて余裕があり、笑顔でいる人が2人いるとしたら、あなたは、どちらの人と友達になりたいでしょうか。また、どちらの人が助けを受けやすいと思うでしょうか?


なので、もし今後、自分の負の部分や考え方が浮かぶことがあったら、そんな自分を赦してみましょう。私達は子供の頃から、誰かに成績やスポーツ、人との比較などによって裁かれて育っています。「自分を赦す」なんてことをしたら、それは怠惰であり、心の制御を放棄することであって、人に迷惑をかけても何も感じないような、無責任な人間になってしまうような恐れを感じることでしょう。


自分や、自分の人生への信頼が充分な時、人は、このような恐れを感じません。私達の根底にある、こうした恐れや不安な感覚は、実は親から代々受け継がれてきたものです。


私達が子供の時、親は愛情と執着が入りまじった感覚で、私達に接します。子供が生きていくうえで、子供自身が達成出来たことの喜びを味わってもらうために、ある程度信頼し、手出しも口出しもしないことが、時に求められますが、それが分からない親は、なんでも口出しすることが愛情だと錯覚し、コントロールします。


そして、なんでも自分で「良い」と「悪い」を強く判断し、生きていくうえで、窮屈な心が形成されていきます。


難しいところではありますが、自分らしく、楽しい毎日を送るうえでは、この、「自分で行うこと」と「信頼して任せること」をバランスよく行っていく必要があります。

それは、「目に見えること」と「目に見えないこと」のバランスを取ることでもあります。





私達の多くが、物事がうまくいかなくなった時、周りの誰かのせいにしがちです。


その人が暴力を振るうなど、特殊な状況を除いては、基本的にすべての解決法は「自分が変わる」ということ以外ありません。

なぜなら、人は変えようと思っても、絶対に変わらないからです。それが、兄弟や親子といった近しい人であれば、なおさらです。


・あの人自分の自慢ばかりして嫌だな

・あんなにネチネチ言わなくたっていいのに

・あの子は、何も自分で考えようとしない

・もっと、前向きに明るく元気出せばいいのに


責任転嫁や、被害者意識は、自分の人生を前に進んでいくのに対し、ブレーキになります。


このブログでも取り扱っていますが、「自分が変わる」というのは、自分の内面や心の習慣が変わることを言います。


あなたの周りにいる人達は、実に、自分の姿を鏡のように映してくれています。あなたが嫌だと感じる人は、実は、あなたの姿そのものだからです。


しかし、多くの人がこの事実を受け入れることが出来ません。そして、このブログをお読みになり、私と同じく、内面的な学びをしている人は、ふとした拍子に、自分の深いところで「この人、自分とまったく同じだ」と気づくのです。


自分の潜在意識の深いところで、自分の嫌なところを受け入れることが出来れば、自分が嫌だと思って人とも仲良く出来るようになります。


そして、そこから自分の世界が広がっていくのです。

自分の内面を変えるというのは、反省することではありません。家族や会社の同僚など、どうしても自分が嫌だなと感じる人と一緒にいなくてはいけない時、その人の何が嫌なのかを、心で感じるままに、実際に紙に書いていくというのもお勧めです。

以前、ブログでお伝えしました通り、自分に5回「なぜ?」と聞くのもいいでしょう。

いずれにしろ、自分の内面を知り、自分が変わっていけば、周りは変えようとしなくても、自然と変わっていきます。


私達の多くが、すべきことに時間を割き、したいことを後回しにした毎日を送っています。


生きていくうえで、どうしてもやらなければいけないことは当然ながらありますが、すべきことが人生のほとんどの時間を占めておりますと、だんだん気力がなくなっていきます。

そして、人生を振り返った時、周りのため、世の中のため、すべきことに多くの時間を使ってきたにも関わらず、自分の心が充分に満たされていないことに気づくのです


そして、すべきことを中心に生きてきた人間の話は、妙に説教くさかったりします。「俺は、こんなに頑張って来たんだ」ということを延々と話したり「なんで、あなたはそんなに自分勝手なの?」と、文句を言います。



なので、まず第一歩としては「~したい」と心で感じたことを、行っていく時間を増やしていきましょう。あなたが今、心の底からやりたいと感じていることは何でしょうか?

それが、一瞬でも頭の中で浮かんだら、それを実際にやってみましょう。もし今やるのが難しいのであれば、頭に浮かんだものに向け、今日からできる簡単な一歩を3分でも時間をとって動いてみましょう。


それでも、どうしても時間が取れず、すべきことに忙殺されているのであれば、自分が今していることを他の人にお願いしてみましょう。自分がすべきだ、と思いこんでいることは、本当にあなたがすべきことなのでしょうか?

こんな嫌なことを人に任せられない、と自分が信じ込んでいるだけで、意外と、他の人は喜んでやってくれるかもしれません。なぜなら、人が好きなことは、それぞれ全員が違うからです。

怒りや悲しみ、喜びといった感情を素直に感じ、表現できていますか?


特に日本の文化では、感情を自由に感じ、表現するということを美徳としません。


怒りや悲しみを感じることは、人間としてごく自然なことにも関わらず「未熟な証」として扱われることがほとんどです。


しかし、喜びとともに、感情を自由に感じることが出来なければ、自分の人生の指針となる「これが好き!これが自分のやりたいことだ!」という、豊かな感覚が湧き上がって来ず、つい、やるべきことや、自分がやる必要の無いことを中心とした毎日を過ごしがちになります。


そして本来、生きる躍動感にもつながる「感情」を溜め込んだ時、それは、いつか爆発します。溜め込んだ感情を処理しきれず「なぜ、大人しかったあの人があんなことを!?」というニュースが、世間を騒がすことも珍しくありません。


あるメンターに教わったことですが、当時の私の心に強く響いた言葉です。


怒りや悲しみといったネガティブな感情と、喜びといったポジティブな感情は、コインの裏表のようなもので、どちらか一方だけを感じるということはできません

喜びを大きく感じたければ、それと同じだけ、大きく怒りや悲しみも感じ、自分の感覚に敏感になる必要があります。

といって、次の日から、色んな人に怒りや悲しみをぶつけることを、お勧めしているわけではありません。


私がまず、お勧めしているのは「小さくキレる」習慣を持つことです。


日常生活において、我慢する場面が多い方は、どこかでガス抜きをしっかりしましょう。カラオケで発散することも有効ですが、人気のないところで大声で怒りを表現したり、涙を流して悲しむということもお勧めです。そうすることで、心のどこかがすっきりし、気持ちをあとあとまで残さずに済みます。


普段、なんでも溜め込んできた人が、1人で怒りや悲しみをしっかりと表現することが出来るようになると、霧が晴れたように爽やかな感覚になることもあります。


その時は、しっかりと喜んでみましょう。


喜ぶ時は、しっかり喜び、悲しむことは、しっかり悲しむ。それは、人として無責任な態度ではありません。


むっつりと感情を表に出さないでいる人より、全身で子供のように感情を表現できる人のほうが、人気があったりします。それは、接していて「この人には裏表がない人だ」と思ってもらえるからかもしれません。


あなたの周りに、そういう人はいないでしょうか?


常に、いつも機嫌が良い人間、悪い人間などいるはずはありません。波のように、感情豊かな毎日を今日から過ごしましょう!




突発的な事故、病気、事業の失敗など、人生において、ピンチと呼ばれるものが起きた時、その出来事に対して「不幸なこと」と捉え、長い時間引きずってしまう人もいれば、これは、神様が与えた「人生の中休み」と捉えて、自分や周りの家族と向き合う時間にする人もいます。


ピンチになった時、現在の状況にのみ心を捉われると、絶望的な感覚になりがちです。

「どうして、こんな不幸なことが起こるのだろう」
「なんであんなことをしてしまったのだろう」

そうした自分の枠の中だけで考えていると、思考が堂々巡りし、いつまでも過去起きてしまったことを後悔したまま、前へ進めなくなります。


ところが、人の一生は、巨大な川に浮かぶ船のようなものであり、流れがスムーズな時もあれば、停滞する時もあるということを知っている人は、ピンチになっても、そんなに慌てなくて済むようになります。たまたま今、流れが弱いだけかもしれないからです。


考えてみれば、私達の人生は、一生不幸な状態ということが無いように、一生ツキっ放しということもありません。何もしなくても、すごくうまくいってしまうこともあれば、どこかで、友人関係のトラブルに巻き込まれたり、お金の問題が発生したり、波のように上下を繰り返すもののように思います。


私も数年の間、何もやる気が起きず、引きこもりをしていましたが、「今は、そういう流れの時なんだ」と開き直ってからは、今の時期でしか出来ないと思ったことを、どんどん実行していきました。


今までの自分なら、まずやらないようなことをやってみたり、行ってみたいと思ったけど、今まで行ったことがないところに足を運んでみたり、ほんのちょっと勇気を出して、今までの自分の枠から外れた、ほんの少し、ほんの少しの行動をとり続けた結果、現在のように楽しいエネルギッシュな行動が出来るようになったと思います。


どんなことが起きたとしても「学び」としてとらえ、前へ進むか、ただの「不幸な出来事」としてとらえるか。

そこが人生の境目のように思います。


私達の多くが、普段から不安や焦りの気持ちを、どこかで感じながら毎日を過ごしています。

 

特に今、不登校や引きこもりの状態になっている人にとって、「周りの人のために何もしていない自分」に対して、罪の意識を強く持って毎日を過ごしているのではないでしょうか。

 

私は都合、3年にわたって引きこもりを経験しましたが、当時を振り返っても「あの時、焦ったり不安に思ったおかげで、今の自分がある」という出来事は、ほとんどありません。

 

不安や焦りに捉われるほど、その現実から逃れるために、睡魔に襲われたり、インターネットや、ネットゲームなどの刺激に逃げ、悪循環に陥いります。


ですので、現状がどうあれ、罪の意識を感じることなく、出来る限り、自分にとって心の底から好きなことを行い、毎瞬毎瞬を楽しく、生き生きと過ごすことをお勧めします。それが、次に進むための原動力に繋がるからです。


しかし、毎日を楽しく生きるということが良いことは、頭では分かっていても、なかなかそうはいかないかもしれません。


「自分だけ働いていないのに、楽しくするなんて・・・」
「自分だけ学校に行っていないのに、笑うなんて間違っている」
「苦しい目にあっていないのに、楽しく過ごすなんてとても許せない」


別に、自分が苦しんだりしても、誰かがハッピーになる訳ではありません。逆に、自分が苦しむほど、周囲が心配し、振り回されるだけです。


私が引きこもり時代に、あるメンターから、とても救われた言葉をもらいました。


自分のことを大好きになりなさい。自分のことが好きな人間は、人が自分のことを好きになってくれなくても、自分のことを好きでいることが出来、周りの目からも解放されます。

 

ところが、自分のことが嫌いな人ほど、人の評価に振り回され、誰かに認められることを強く求めます。

 

自分の価値を決めるのは自分。自分を好きになり、褒めるというのは、自分が何かを達成したから褒めるということでは、人生のほとんどを褒めることが出来ないまま、終えることでしょう。

 

自分を褒め、好きになるというのは、何かが達成出来たからではなく、あなた自身の存在そのものを、心から素晴らしいと思い、好きになることを言うのです。

 

 

そもそも、罪の意識を持とうと思えば、いくらでも持つことができます。今世界では、8億人が飢餓で苦しみ、10秒に1人が餓死している子供がいるということを、あなたはご存じでしょうか。


彼らが飢えて死んでいくなか、今日も屋根のある家で、美味しいごはんを食べている私達。彼らのことを思い、罪の意識を感じたとしても、彼らをハッピーにすることはできません。

 

もちろん寄付など、具体的な活動をすることも大切ですが、私達に出来る最大の世界貢献は、まず自分のことを好きになり、喜び、毎日を楽しく過ごすこと以外他にありません。


バタフライ・エフェクトという言葉がある通り、私達が口汚く罵り、憎悪したことは、周りまわって世界のどこかに影響を与えるように、自分がまず自分のことを好きになり、そこで満ち溢れた愛情をもって、人と接することにより、世界のどこかに必ず良い影響を与えるように思います。

 

まずは、自分の身の廻り、ほんの数メートル圏内から、幸せになるということを実践していきましょう。


自分にとって不要となった観念をどのように捨てるかですが、それには2つの方法があります。


1)自分に、なぜ?を5回尋ねる習慣を持つ


日常生活において、イラッとしたことや、強く感情が揺さぶられた時は、自分になぜ?と問いかけてみましょう。感情が大きく動いた時、そこには必ず原因があります。その根本となる原因が、はっきりとすれば、同じ状況に出くわしても、二度と感情が揺さぶられることは無くなります。


たとえば、ある年配の女性が上から目線で、自分の友人を見下した行動に対して嫌悪感を抱いた時は


Q:なぜ私は、年配の女性が自分の友人を見下したのに対して、嫌悪感を抱くのか

A:自分の友人のみならず、誰であったとしても、上から目線で、他人を見下す人間に嫌悪感を感じる。

Q:なぜ私は、上から目線で、他人を見下す人に対して嫌悪感を抱くのか

A:相手の気分を害するし、見てて気持ちがいいものではないから。

Q:なぜ私は、上から目線な人に対し、見てて気持ちが良いものと思わないのか

A:大嫌いな母親が、過去に同じような接し方を自分にしていたから。

Q:なぜ私は、大嫌いな母親に対して、いい印象を持っていないのか

A:少しだけ、自分も似たところがあるから・・・など。



以前も書いたかもしれませんが、状況は常に中立であり、私達の心の捉え方によって、その状況は「良い」や「悪い」、「幸せ」と「不幸」に分かれます。

誰かを見下す行動に対して、嫌悪感を抱く人もいれば、寂しい人なんだなと理解し、親切にしてあげる人もいます。



2)紙に書く


どんなことも、紙に書いてみることで、自分の観念を洗い出すことが可能です。日常生活でイラッとした時、強く感情が揺さぶられた時、そこには、あなたのマイナスの観念が潜んでいる可能性があります。なぜ、そんなに感情が揺さぶられたのか、その理由を書いてみましょう。また、過去に同じような体験が無かったかも併せて書いてみてください。


感情が大きく動き、怒りが込み上げてきたら、怒ってみましょう。
悲しくて涙が出てくるようであれば、泣いてみてください。


私達の多くが、普段感情を感じないようにして、生活をしています。人前で感情を爆発させるのはお勧めしませんが、誰も見ていないところで小さくマイナスの感情を爆発させることができれば、その分だけプラスの感情を豊かに表現できるようになります。

*感情についての細かいことは、また後日に書きます。