私達の多くが、普段から不安や焦りの気持ちを、どこかで感じながら毎日を過ごしています。

 

特に今、不登校や引きこもりの状態になっている人にとって、「周りの人のために何もしていない自分」に対して、罪の意識を強く持って毎日を過ごしているのではないでしょうか。

 

私は都合、3年にわたって引きこもりを経験しましたが、当時を振り返っても「あの時、焦ったり不安に思ったおかげで、今の自分がある」という出来事は、ほとんどありません。

 

不安や焦りに捉われるほど、その現実から逃れるために、睡魔に襲われたり、インターネットや、ネットゲームなどの刺激に逃げ、悪循環に陥いります。


ですので、現状がどうあれ、罪の意識を感じることなく、出来る限り、自分にとって心の底から好きなことを行い、毎瞬毎瞬を楽しく、生き生きと過ごすことをお勧めします。それが、次に進むための原動力に繋がるからです。


しかし、毎日を楽しく生きるということが良いことは、頭では分かっていても、なかなかそうはいかないかもしれません。


「自分だけ働いていないのに、楽しくするなんて・・・」
「自分だけ学校に行っていないのに、笑うなんて間違っている」
「苦しい目にあっていないのに、楽しく過ごすなんてとても許せない」


別に、自分が苦しんだりしても、誰かがハッピーになる訳ではありません。逆に、自分が苦しむほど、周囲が心配し、振り回されるだけです。


私が引きこもり時代に、あるメンターから、とても救われた言葉をもらいました。


自分のことを大好きになりなさい。自分のことが好きな人間は、人が自分のことを好きになってくれなくても、自分のことを好きでいることが出来、周りの目からも解放されます。

 

ところが、自分のことが嫌いな人ほど、人の評価に振り回され、誰かに認められることを強く求めます。

 

自分の価値を決めるのは自分。自分を好きになり、褒めるというのは、自分が何かを達成したから褒めるということでは、人生のほとんどを褒めることが出来ないまま、終えることでしょう。

 

自分を褒め、好きになるというのは、何かが達成出来たからではなく、あなた自身の存在そのものを、心から素晴らしいと思い、好きになることを言うのです。

 

 

そもそも、罪の意識を持とうと思えば、いくらでも持つことができます。今世界では、8億人が飢餓で苦しみ、10秒に1人が餓死している子供がいるということを、あなたはご存じでしょうか。


彼らが飢えて死んでいくなか、今日も屋根のある家で、美味しいごはんを食べている私達。彼らのことを思い、罪の意識を感じたとしても、彼らをハッピーにすることはできません。

 

もちろん寄付など、具体的な活動をすることも大切ですが、私達に出来る最大の世界貢献は、まず自分のことを好きになり、喜び、毎日を楽しく過ごすこと以外他にありません。


バタフライ・エフェクトという言葉がある通り、私達が口汚く罵り、憎悪したことは、周りまわって世界のどこかに影響を与えるように、自分がまず自分のことを好きになり、そこで満ち溢れた愛情をもって、人と接することにより、世界のどこかに必ず良い影響を与えるように思います。

 

まずは、自分の身の廻り、ほんの数メートル圏内から、幸せになるということを実践していきましょう。