自分らしく、楽しい毎日を送るうえで「自分を赦す」ことは、とても大事です。

というのも、多くの場合、自分も他人も「赦さない」生き方が、当たり前になっているからです。


その結果、自分や人を裁き続けることにより、それがトラブルや、ストレスに繋がっていきます。

「これは、良いこと」「これは、悪い事」という風に、潜在意識下で自分を裁くことが多い人ほど、人のあらゆる粗が気になり、人を裁くことになっていきます。


感情も同じことが言えます。私達は子供の時から、喜ぶことや楽しむ感情に関しては、比較的表に出しやすく、周囲も受け入れてくれることが多かったですが、怒ったり、悲しむ感情を受け入れてくれた人は、周囲にそういなかったのではないでしょうか。

その結果、大人になった私達は、自分がイライラしたり、怒ったりすることに強い抵抗を感じ、またその感情から発せられる、あらゆる負の感覚を拒絶し「そんなことを考えてはいけない!」と、自分を裁くようになります。


負の感覚とは、焦り、不安、苛立ち、嫉妬、狂気といったものも含まれます。


人である以上、こうした感覚とは無縁ではいられません。心が安定している人ほど、自分が、こうした負の感覚を持っていることをよく知っており「ああ、今自分の心が波立っているんだな」と、客観的に見れる余裕があります。


ところが、心が不安定な人ほど、人間が本来持っている、こうした負の感覚・感情を、自分が持っていることを受け入れることができず、もがき苦しみます。

「こんなことを考えるなんて、自分は未熟な人間なんだ」と、未熟で不完全な自分を否定し、ますます苦しみ、そしてそう苦しむことが、自分を成長させる、という誤った観念がますます、人を鬱状態にしていきます。

苦しめば苦しむほど、あとで幸せが待っているなんてことは、ありません。「今」幸せに感じられる人が、これからの人生も、幸せに生きていけるのです。

眉間にしわを寄せて苦しそうにしている人と、楽しくて余裕があり、笑顔でいる人が2人いるとしたら、あなたは、どちらの人と友達になりたいでしょうか。また、どちらの人が助けを受けやすいと思うでしょうか?


なので、もし今後、自分の負の部分や考え方が浮かぶことがあったら、そんな自分を赦してみましょう。私達は子供の頃から、誰かに成績やスポーツ、人との比較などによって裁かれて育っています。「自分を赦す」なんてことをしたら、それは怠惰であり、心の制御を放棄することであって、人に迷惑をかけても何も感じないような、無責任な人間になってしまうような恐れを感じることでしょう。


自分や、自分の人生への信頼が充分な時、人は、このような恐れを感じません。私達の根底にある、こうした恐れや不安な感覚は、実は親から代々受け継がれてきたものです。


私達が子供の時、親は愛情と執着が入りまじった感覚で、私達に接します。子供が生きていくうえで、子供自身が達成出来たことの喜びを味わってもらうために、ある程度信頼し、手出しも口出しもしないことが、時に求められますが、それが分からない親は、なんでも口出しすることが愛情だと錯覚し、コントロールします。


そして、なんでも自分で「良い」と「悪い」を強く判断し、生きていくうえで、窮屈な心が形成されていきます。


難しいところではありますが、自分らしく、楽しい毎日を送るうえでは、この、「自分で行うこと」と「信頼して任せること」をバランスよく行っていく必要があります。

それは、「目に見えること」と「目に見えないこと」のバランスを取ることでもあります。