逝去翌日の話。

※旅日カウントは亡くなった当日を1日目としています。

 

前日のうちに葬儀社・火葬場・住職の手配ができ、4日後の日曜日の午前に告別式、お昼に火葬というスケジュールを組むことができていた。

妻の実家近くの斎場で、家族葬で行うため、通夜を省略した一日葬とした。

火葬場の空き状況からの逆算だったが、義父から提案された葬儀社と住職の予定がちょうど空いており、遠方から来る私の両親など参列者の都合もついた。

まるで、そうちゃん自らがここまでを読んでタイミングを決めてくれたかのようにスムーズだった。

 

午前中、前日にも一報を入れていた職場の人事担当の同期に改めて連絡すると、大変同情してくれ、休暇の手続きは後でよいと言ってくれた。

 

午後3時に予定されている葬儀社との打ち合わせまで時間があったため、一旦自宅に戻った。礼服類や最低限の着替え、しばらく滞在することになるためノートPCなどを準備する。

そうちゃんのお棺に入れる品(クラスメイトからの応援メッセージや保育士さんが作ってくれた小物など)の選別もしたかったが、冷蔵庫の残り物で昼食をとると、もう戻らなければならない時間になってしまった。葬儀前にもう一度戻るつもりで、自宅を後にした。

 

葬儀社は妻の実家から車で5~6分程度の近い場所にある。こじんまりとしているが新しくモダンな建物で、入り口から入るとメインの式場と直結しており、祭壇まで見渡せる構造だった。

 

前回書いていなかったが、前日にもここで打ち合わせを行っていた。その際、入ってすぐのテーブルでお棺を選んだ。

子供用サイズもあると聞いたが、顔を見るための小窓がなく、上の箱の一部ごと開ける形になってしまい保冷面でも良くないとのことだったので、通常の大人用の大きさのものを選んだ。色は白、水色、ピンクから選べたので、そうちゃんがきっと選ぶだろう水色にした。私たちにとっても、より印象に残るはずだ。

 

さて、この日葬儀社に着くと、メインの式場部分にカーテンが引かれていた。前日はオーナーの息子さんに対応していただいたが、この日からは支店長が担当してくださった。

カーテンの中に案内されると、そうちゃんは既に祭壇の前に横になっていた。

お線香をあげた後、隣の部屋に移動し、遺影の背景(色やパターン)の候補を選ぶ。

 

事故以降、そうちゃんのアルバムを作ろうとして生まれてからの写真を抽出していたが、遺影に使えそうな良い写真がないことはずっと気にかかっていた。

いつ手術可能との連絡が病院から来るかわからなかったため、宿泊を伴う家族旅行は控えていたし、記録もビデオ撮影がメインになっていて、写真を撮る機会が減っていたことも大きい。

動いて喋っているそうちゃんの映像を残せたことは絶対に良かったと思うので、仕方のないことだ。ただ、動画から綺麗な静止画を切り出せると思い込んでいたのだが、いざやってみると画質が悪くなることに長らく気付けず、「とりあえず動画で撮っておけば良い」と安易に考えていたことが悔やまれる。

 

遺影の背景を4パターンほど選び終わった頃、納棺の準備ができたと声が掛かった。

祭壇前に移動すると、女性の納棺師がそうちゃんの横に立っていた。

 

「お棺に入れると抱くことができなくなります」と促され、私、妻の順番でそうちゃんの胸の上に顔を寄せ、ハグをしてあげる。

冷たく、硬くなってしまっていたけれど、温かいうちにたくさん抱っこしてバギーに運んであげられたことを思い出し、その時の確かな幸せを感じることができた。

そうちゃんはもう肉体にはおらず、これは抜け殻にすぎないのだと頭ではわかっていても、霊を視ることができない私にとっては、やはり手で触れられる愛おしく大事な存在である。

 

その後、納棺師が化粧を施してくれた。頬や唇に赤みが差し、生前のそうちゃんの顔に近づいた。

映画「おくりびと」を見た時も感じ入ったものだが、死者を尊ぶこのような仕事や技術には深い敬意を覚える。

 

髪の毛を整えた後、「微調整して良いですよ」とのことだったので、妻と私で少し直した。

この数日間シャンプーができなかったためか油分が多めで、髪質も細くなり量も少し減っていたため、以前の元気な状態に戻すことは難しかったが、できる限り可愛らしく整えた。

本人も、これ以上髪が少なくなってしまう前に、良い面影を残して旅立ちたかったのかもしれない。

 

水色のお棺が運ばれてきた。写真で見た以上に質感や模様がきれいだ。

皆で敷物ごとそうちゃんを持ち上げて、お棺の中におさめた。

 

それから、妻の実家に移動し、そうちゃんを迎え入れた。

義父から、昔からの風習では「出戻りしないように」と、玄関から入れて別の所(縁側など)から出すということをしていると聞いた。数年前に亡くなった義母の時もそうしていた。

ただ、葬儀社の支店長によれば、それも必ずそうしなければならないものではなく、遺族の考え方次第だという。

 

この支店長は、とにかく遺族の思いを重視し、寄り添ってくれる方であった。

お棺に入れる際も、白装束に固執せず子どもの慣れた服装で構わないと言ってくれたり、告別式で流す音楽についても高い自由度で許容してくれた。

また、遺影の写真についても、「ご年配の方の場合などもそうですが、直前の写真ではなく、少し若かった時などの一番良い時の写真を使うことが多いですよ」と温かくフォローしてくれた。

 

そうちゃんの柩が安置され、枕飾りが用意された。

次男と長女にとっては、死後、初めての対面となる。

最初は窓を開けてしばらく見入っていたが、大人たちがお線香をあげ、おりんを鳴らすと、子どもたちの興味はすぐにそちらの小道具へと移っていった。

 

お棺の上に千羽鶴、年始に近くの神社で祈祷した際にもらった木札、そして長きに亘りそうちゃんのベッド付近で護ってくれた8つの御守りを置いた。さらに周囲にクラスメイトや保育士さんからいただいた応援グッズを並べると、家の中にも華やかな祭壇ができたようだった。

 

業者の方々が帰り、家族もリビングなどに移動して、ようやくそうちゃんと2人だけの時間が取れた。

 

無事に到着したことを私の父に報告し、叔父にも訃報を連絡した。

叔父からは労いの言葉とともに、「幼くして亡くなる魂は位が高いそうだよ」という話を聞き、とても印象に残った。

もし本当にそうであれば、いつか私が亡くなって再会した時、そうちゃんのほうがずっとレベルが高くて偉い存在なのだろうか。深い絆を感じてきたものだが、同じ魂の階層には行けないかもしれない。そうであっても親として最期まで愛を込めてお仕えできたと自負したいと思う。

また、その後、家の仏壇でご先祖様に線香をあげて報告してくれたとのメッセージもいただいた。

持ち前の社交性と素直さを身につけていたそうちゃんなら、どんな方がお迎えに来ても大丈夫だと思うが、ご先祖様にも助けていただければ心強いと思い、ご配慮に感謝した。

 

夜には、義父から明日の住職の枕経に関して教えを受け、それから持ってきたPCを使って告別式にかけていただく楽曲を選んだり、写真を見直したりした。

また、あの電話がかかってきた夜に書きかけていたブログ記事(「にぎやかな面会と、興奮の汗」)を公開した。

亡くなったことを追記して報告するべきか悩んだが、この時は、まだ頑張って良くなろうとしていた頃であり、その記事に悲しい結末を書くことはできず、最期まで事前にお伝えしない形とさせていただいた。

 

この日も、就寝は深夜3時頃となった。

 

前回記事で、「これまで最も納得感を得ている『シルバーバーチの霊訓』などのスピリチュアリズム」と書いた。

これからこのテーマでも内容を掘り下げて書きたいと思うのだが、その引用などをしながら検討する前に、どうして私が納得感を得ているのかという理由、この上級霊から得られたと言われている訓示を考えてみることの意義を改めて記載しておくほうが、読者にとっても重要と思う。

 

『シルバーバーチの霊訓』は、基本となる12巻もすべて読み切れているわけではないが、個人的な感想として次のような点が優れている(理解しやすい)と感じている。

 

 

まず、既存の宗教や教義・形式を超えた普遍的な真理と考え得る点である。

特定の宗教の教義、儀式、建造物、肩書きなどを重要視しておらず、神(大霊)は、全人類・全宇宙に共通する「大自然の法則(神の摂理)」とされている。

 

例えば以下のシルバーバーチの発言がある。

「宗教的呼称や政治的主義主張はどうでもよろしい。私はその重要性を認めません。もし何かの役に立てば、それはそれで結構です。が、本当に大切なのは神の子として授かった掛けがえのない霊的遺産を存分に発揮することです。」(『(一)』第九章)

 

「いつも言っているように、スピリチュアリズムというのは単なる名称にすぎません。私にとってそれは大自然の法則、言いかえれば神の摂理を意味します。」(『(一)』第十章)

 

次に、奇跡やご利益を排した合理性があることだ。

「信じれば救われる」、「祈れば都合よく奇跡が起きる」といった御利益信仰はない。

この点はフェアに重きを置く個人的信念にとても親和性がある。

特定の人間や組織を特別視するような閉鎖的な教義もない。

 

「神は絶対にごまかされません。法則は法則です。原因はそれ相当の結果を生み、自分が蒔いた種子は自分で刈り取ります。そこに奇跡の入る余地もなければ罰の免除もありません。摂理は一分一厘の狂いもなく働きます。不変・不易であり、数学的正確さを持って作用し、人間的制度にはお構いなしです。」(『(一)』第四章)

 

また、不条理な苦難に対して、魂の開眼や成長といった意味を与える救いの要素が明確に示されている。

人生における深い悲しみや病気、挫折に対して、それらが魂を成長させるための不可欠な肥やしであると断言し、この知識は、理不尽な苦労を強いられた人や、失敗や屈辱を経験した人に希望と慰めを与える。

 

「魂の偉大さは苦難を乗り切る時にこそ発揮されます。失意も落胆も魂のこやしです。(中略)それが地上生活の目的なのです。失意のどん底にある時は、もう全てが終わったかの感じを抱くものですが、実はそこから始まるのです。」(『(一)』第三章)

 

「私どもが地上の人々にもたらすことのできる最高の霊的知識は人生が〝死〟をもって終了するのではないということ、従って苦しい人生を送った人も、失敗の人生を送った人も、屈辱の人生を送った人も、皆もう一度やり直すことができるということ。言いかえれば、悔やし涙を拭うチャンスが必ず与えられるということです。」(『(一)』第十章)

 

さらに、教義の学習や複雑な修行ではなく、「他人のために役に立つこと」といった利他的な奉仕活動の中にこそ偉大さがあると説いている点が、シンプルかつ誰にでも実践可能であり、世の中を良い方向に導く指針になるだろうことだ。

 

「人のために尽くすことに勝る宗教はありません。病める人を治し、悲しむ人を慰め、悩める人を導き、人生に疲れ道を見失える人を手引きしてあげること、これは何にも勝る大切な仕事です。」(『(一)』第六章)

 

「私たちが説く全教説の基調は〝人のために己を役立てる〟という言葉につきます。あなた方の世界のガンとも言うべき利己主義に対して私たちは永遠の宣戦を布告します。戦争を生み、流血を呼び、混乱を招き、破壊へ陥れる、かの物質万能主義を一掃しようと心を砕いております。」(『(二)』第一章)

 

「善のための努力が徒労に終わることは決してありません。人のためになろうとする試みが無駄に終わることはありません。善行に嫌気がさすようなことがあってはなりません。成果が表われないことに失望してはなりません。人のために役立とうとする志向は自動的にこちらの世界からの援助を呼び寄せます。決して一人であがいているのではありません。」(『(一)』第五章)

 

最後に、この珠玉の言葉群が、作り話ではなく実際に霊界からもたらされたと信じるに足る背景について触れておきたい。

1つの例だが、第1巻の「まえがき」には、編者アン・ドゥーリー(ジャーナリスト)によって、実際の交霊会で起きた物理的な超常現象や、霊媒が入神状態になる様子が克明に記されている。少し長くなるが、彼女の驚きと納得の過程がよく分かるため、ほぼ原文の形で読んでいただきたい。

 

「私(アン・ドゥーリー) にとっては一九六三年秋に初めて出席した交霊会は忘れ難いものとなった。格別目を見張るような現象があったわけではない。常連のメンバー六人に私を含む招待客六人の計十二人が出席した。雰囲気は極めてリラックスして和気あいあいとしていた。部屋はロンドン近郊の樹木に囲まれたバーバネル氏の自宅の一階の居間で、書物の並ぶ壁で四方を取り囲まれた素敵な部屋であった。

 聞いた話では交霊会は〝テーブルの振動〟によって始まるとのことであった。確かにそうなのだが、その時の印象は見ると聞くとでは大違いであった。

死んだカエルの足がピクピク引きつるのを科学者が目撃したのが電気時代の始まりだそうだが、私にとってそんな言い草は、他の出席者と共に両手をテーブルの上に置いたとたんに消し飛んだ。テーブルに〝生命〟が吹き込まれるのをこの目で見ただけでなくこの手で感じ取ったのである。

出席者が誠実な人ばかりであることは確信していたので、誰かが故意に動かしているのではないことは断言できる。そのテーブルがこちらの挨拶に応えて筋の通った反応を見せた時に、私がこれまで抱いていた万有引力の法則の概念が崩れ去った。

何の変哲もない無生物である木製のテーブルがギーギーときしむ音を出しながら人間が頷くような動作から、苛立つように激しく前後に揺れ動く動作まで、さまざまな動きを見せるのだった。

そうした現象がひと通り終わって全員が着席すると、霊媒のバーバネルがソファに腰掛けて入神状態に入った。その瞬間から会が目に見えぬ一団によって進められている雰囲気となった。(中略)

いま目の前でしゃべり始めたのが日ごろ親しくしているバーバネル氏とは別人であることを私はすぐに直感した。バーバネル氏の身体がしゃべっているのであるが、それはバーバネル氏その人ではない。話しぶりが全く違うのである。

その日、シルバーバーチは出席者の一人一人に個別に語りかけたが、その内容は万人に共通した普遍的なものであった。ただ序(ついで)に付け加えれば、その日この強(したた)か者の私を含む三人の女性が涙を流した。悲しみの涙ではない。感激の涙である。

(中略)私もシルバーバーチに悩みごとの相談を許された。私はこう質問した。「私が今なお理解できないのはこの世に不可抗力の苦難が絶えず、それが私を含めて多くの人間を神へ背を向けさせていることです。」

シルバーバーチ「なるほど。でも神はその方たちに背を向けませんよ。いったいどうあってほしいとおっしゃるのですか。苦労なしに勝利を収め、努力なしに賞を獲得したいとおっしゃるのでしょうか」

次に私は 「当然の報いと慈悲との関係がよく分かりません」 と尋ねた。

シルバーバーチ 「報いは報いであり慈悲は慈悲です。地上で報われない時はこちらの世界 (死後の世界)で報われます。神をごまかすことはできません。なぜなら永遠の法則が全ての出来事をチェックしているからです。その働きは完璧です。宇宙を創造したのは愛です。無限なる神の愛です。無限なる愛がある以上、そこに慈悲が無いはずはないでしょう。なぜなら慈悲心、思いやり、寛容心、公正、慈善、愛、こうしたものはすべて神の属性だからです。苦難は無くてはならぬものなのです。いったい霊性の向上はどうすれば得られるのでしょう。安逸をむさぼっていて得られるでしょうか。楽でないからこそ価値があるのです。もし楽に得られるのであったら価値はありません。身についてしまえば楽に思えるでしょう。身につくまでは楽ではなかったのです。」

このハンネン・スワッハー・ホームサークルにおけるシルバーバーチの霊言の全てが公表されれば、いま物質主義的文化の危険な曲がり角に立つ人類が抱える諸問題についての注目すべき叡智が数多く発見されることであろう。

とりあえずその中から私なりに選んだ叡智の幾つかを紹介するに際し、読者の全てがご自分の人生において慰めとなり、あるいは思考の糧となる何ものかを見出されることを希望してやまない次第である。

                            一九六六年  アン・ドゥーリー」

(『(一)』まえがきより抜粋)

 

ジャーナリストや知識人が同席する交霊会の場で、約60年の長きにわたり、上級霊からの言葉が語られ、記録されたものであること。(以前の記事に記載した、霊媒バーバネル自身の敬礼文も印象深い)

そして私自身が霊能力のある方に視てもらった実体験や、公開ミディアムシップ(霊からの言葉を届ける場)に参加して直接見てきたこと。

さらに本物のミディアム(霊媒)の方々自身が『シルバーバーチの霊訓』を基本の書と位置付けている事実。

 

付言すれば、前述のような「超常現象」が起きた場合、新興宗教などであればそれを「神の御業」と大げさに持ち上げ、信者を集める道具にするだろう。しかしシルバーバーチは、交霊会や心霊現象について以下のように冷静に語っている。

 

「スピリチュアリズムにおける様々な現象はそれぞれに意義があります。しかし、それはしょせんは注意をひくためのオモチャに過ぎません。いつまでもオモチャで遊んでいてはいけません。幼児から大人へと成長しなければなりません。成長すれば、よろこばせ、興味を引くために与えられたオモチャは要らなくなるはずです。」(『(一)』第七章)

 

「真の目的は現象的なものを超えたところにあります。魂に感動を与え実在に目覚めさせることです。」(『(一)』第九章)

 

このように、自らが起こす奇跡的な現象すら「ただのオモチャに過ぎない」と言い切り、その先にある魂の成長こそが本質だと説く姿勢。

さらにシルバーバーチは、教えを受け入れるかどうかの唯一の基準は「自分自身の理性が納得できるかどうか」であるとも断言している。

 

「さきほど霊媒の言うことの信頼性が問題となりましたが、皆さんにすでにそうした場合に私が要求している判断の基準をご存知です。すなわち自分の理性に照らし、自分の判断力と常識とで決断なさることです。私はかつて一度たりともあなた方を盲目的信仰へ誘導したことはありませんし、知性が反撥するような行為を要求したことはありません。」(『(二)』第十章)

 

 

これら等の背景をもって、私は『シルバーバーチの霊訓』を納得性が高いと評価しているのである。

 

私たちは大人になり、この世界の仕組みをすっかり分かった気になっている。しかし、多忙な日常に追われる中で、目には見えないけれど確固として存在する大切な部分をおろそかにしてしまっているのではないだろうか。

自分が何者であるのか、人(大切な他者なども含めて)は何のために生まれてきて人生を送るのか。苦難にはどのような意味があるのか。

本来重要な問いに光を当てることが、我々自身も含め、現在不条理な苦難に直面している方の助けや気づきになるのではないかと感じている。

今後綴っていくこのテーマの記事についても、お時間のある時に触れていただき、皆様の思考の糧としていただければ幸いである。

 

 

※言葉の定義(『シルバーバーチの霊訓(一)』注釈より)

1.スピリチュアリズム Spiritualism

 狭義には、古来〝奇蹟〟または〝超自然現象〟と呼ばれてきたものを組織的に調査・研究した結果、その背後に〝霊魂〟つまり他界した先祖の働きがあるとする〝霊魂説〟およびそれを土台とする死後の生命観、道徳観、神に関する思想・哲学を意味するが、広義には、次の注②の交霊会を通じその死者との交信や心霊現象一般を指すこともある。ラテン諸国ではスピリティズム Spiritism と呼んでいる。

 

2.交霊会

 霊媒を通じて死者の霊と交信したり心霊現象を観察したりする会で、出席者が十人前後の私的な集いと科学的調査研究を目的としたものとがある。西洋では前者を家庭交霊会(ホームサークル)と呼ぶが、日本では双方とも心霊実験会と呼んでいる。

 

3.モーリス・バーバネル Maurice Barbanell  (1902~1981)

  ミスター・スピリチュアリズムの異名をとった英国第一級の心霊ジャーナリストで、本文で紹介されている二つの週刊心霊紙(ツーワールズは後に月刊誌となる) の主筆をつとめつつ、シルバーバーチの霊言霊媒として五十年余りにわたって毎週一回 (晩年は月一回) 交霊会を開き、数え切れない人々に啓発と慰安を与えた。

 

はじめましての読者様、そして日頃から温かく見守ってくださっている読者様、ご訪問いただきありがとうございます。

 

このブログでは、意識不明で闘病していた長男・そうちゃんの看護の日々を記録してきましたが、過日、彼は光の世界へと旅立ちました。

喪失感は大きく葛藤の日々ではありますが、私自身がブログを通じて多くの方から支えを得た経験を踏まえ、この場を今後も残していくことにいたしました。

同じように過酷な医療状況にあるご家族や、大切な方を亡くされた方、そして深い悲しみを通して魂の目覚めを感じられた方にとって、何かの発見や癒やし、支えとなるブログになれればと願っています。

これはそうちゃんの遺志でもあり、今なお続く彼との協同作業だと思っています。

 

■今後のUP予定記事(仮題・順不同)【随時更新】

最後のハグ(2旅日)

なぜ魂は苦難の経験をしてまで成長を求めるのか

Cさんのアセスメントリーディング(583病日)

 

■皆様へのお願い(応援について)

現実の生活でつながりのある方々から、「何かできることはないか」と温かいお声掛けをいただくことがあります。直接的にお願いしたいことは思いつかないのですが、もしよろしければ、この発信媒体に皆様のお力をお貸しいただけないでしょうか。

リアルな知人の皆様、そして読者の皆様も含め、このブログの記事や記録を、必要としている人の元へ届けるために、この思いや記事の内容に少しでも共感していただけましたら、アメーバのアカウントからブログの「フォロー」や、記事への「いいね(リブログ)」を積極的にお願いできますと大変ありがたく存じます。

 

■旅立ち後の発信について

これまでの闘病記(病日カウント)を終了し、今後は「魂の旅(旅日カウント)」として、主に以下のテーマを軸に発信していきます。もちろん、これらに縛られず、日々の出来事や関心事なども交えて綴っていく予定です。

 

1.子どもを失った親の日常とグリーフ、きょうだい児の育児とケア

子どもを亡くした親として、深い喪失感(グリーフ)とどのように向き合い、日常を紡いでいくか。そして、残されたきょうだい児の複雑な心のケアに親としてどう寄り添い、家族として歩みを進めていくのか、日々の出来事や葛藤を綴ります。

 

2.見えない世界、つながりの探求

絶望的な状況下でそうちゃんを支えたのは、祈りやヒーリングの力だったと信じています。そして、悲劇が導いた「肉体を失っても魂は生き続けること」等の問いについて、本件を契機に出会い、これまで最も納得感を得ている『シルバーバーチの霊訓』などのスピリチュアリズムの視点から、率直かつ誠実に考察したいと思っています。

(※私の見えない世界へのスタンスは過去に書きましたので[こちらの記事]をご覧ください。また、これらはあくまで個人的な見解・探求ですので、いただいたコメントの全てには返信できないことをあらかじめご了承ください。)

 

(参考)医療安全・再発防止への思い

医療事故に関して日本の病院や医療体制に思うこと(全国民が被害に遭う可能性のある社会的問題)については、今後の展開が不透明であることを考慮し、詳細な記述を控えます。

しかし、これはそうちゃんが命を懸けて鳴らしてくれた警鐘かもしれません。事案の解決後、その時の状況なども踏まえて、何らかの形で社会に向けて発信するかもしれません。

 

思いを新たに。

いずれのテーマも、そうちゃんから託された宿題と思い、しっかりと向き合っていきます。

今後とも、私たち家族の歩みを温かく見守っていただければ幸いです。

 

逝去直後の話は一旦お休みします。

ブログを作成するにあたり、そうちゃんの12月下旬以降の血液検査(血液ガス分析)の値や管理状況(※)をAIに読み込ませ、客観的な分析を試みたところ、以下のような見解が示された。

 

※前提とした詳細数値や条件の一部

・2025/12/21~2026/1/26のLactate(乳酸)の値

 サンプル数(日次):15日、最高値:112.6、最低値:55.2、平均値:80.5 (mg/dL)

・2023年12月19日から人工呼吸器管理

・赤血球輸血なし(1/13にCVルートを取るため血小板のみ輸血)、透析なし、ECMOなし

・1/13から抗生剤、昇圧剤あり

 

「ChatGPT」の分析

「提示されたデータは、高度持続性高乳酸血症を伴う多臓器不全状態が約1か月以上持続している経過であり、医学的には『極めて重篤』かつ『長期生存としては相当に稀な経過』と評価できます。重症ショックで乳酸 >10 mmol/L(※約90mg/dL)、持続的上昇傾向、かつ是正不能の場合、多くは数時間~数日以内に死亡するのが一般的です。」

 

「Gemini」の分析

「医学的に見て『極めて特異な長期生存例(驚異的な生命力・耐久力)』と言えます。特に1月中旬以降のデータ(極度の貧血、血小板減少、高乳酸値)が揃った状態で、赤血球輸血や透析、ECMOなどの強力な生命維持装置(人工呼吸器と昇圧剤は除く)を使用せずに2週間以上生存されたことは、一般的な臨床の常識を大きく超えるものと考えられます。通常、これほど重篤な数値が重なった場合、一般的な生命予後は『数時間から長くとも数日以内』と予測されるのが臨床的な事実です。」

 

AIの見解が示す通り、そうちゃんは12月下旬頃から調子を落としながらも、驚異的な生命力で家族・親族との面会や、マイバギーへの乗車のために、命をつないでくれていたのだ。

 

そもそも彼は、最後の1ヶ月間だけでなく、絶望的に思えそうな経過から長い間頑張ってくれていた。副鼻腔炎の炎症波及によりおでこの骨に穴が開き、髄液漏を発症して脳に空気が入ったし、ノロウイルスや尿路感染などもあったし、いつからか上大静脈閉塞も加わった。現状を維持することすら困難であろう壁を何度も乗り越えてきた。

無念と言えばどこまでいっても無念だけれど、最期はどうしようもない状態にまでなっていた。生きられる限界まで生き抜いたのだと思う。

 

そうちゃん自身の生命力が素晴らしかったことは大前提だが、そこにはきっと、祈りやヒーリングの力も作用していたのだろうと信じている。

最終的に肉体を離れる結果となった以上、私が取り組んできた様々なアプローチは否定されてもおかしくないだろう。しかし、上記の医学的常識からして極めて稀との事実は、祈りやヒーリングの有効性を肯定する余地を与えてくれていると思う。

スピリチュアルヒーリングを開始した頃に、前額部の骨の溶解が止まったこともあった。

定期的に祈りやヒーリングを行っていただいた方々、そして様々な所で私たちを支えていただいた皆さまに、あらためて深く感謝したい。

 

絶望的に思えそうな経緯といえば、事故当初のことも思い出す。

心停止から補助循環装置を装着するまで60分間。うち40分以上も、濃厚赤血球の輸血が途絶えていた。当時の担当医は、その経緯を踏まえて補助循環装置からの離脱は困難との見立てを説明していたが、彼は見事に離脱を成功させ、そこから2年1ヶ月も生きた。

そうちゃんの生命力の偉大さを、親として誇らしく思う。

(時空を超えたレイキのヒーリング効果もあったのかはわからない)

 

日常の話になるが、我が家では子どもたちの就寝を促すため、決められた時間までに布団に入ると少しだけYouTube動画を見られるルールにしている。

最近、そんな次男が「シルバーバーチの霊訓」の動画に興味を持ち始め、私も改めて少し読み直しているところだ。

 

「悲しみは魂に悟りを開かせる数ある体験の中でも特に深甚なる意味をもつものです。悲しみはそれが魂の琴線に触れた時、いちばんよく魂の目を覚まさせるものです。

魂は肉体の奥深く埋もれているために、それを目覚めさせるためにはよほどの体験を必要とします。悲しみ、無念、病気、不幸等は地上の人間にとって教訓を学ぶための大切な手段なのです。」(『シルバーバーチの霊訓(一)』第3章より)

 

そうちゃんの存在と、彼が遺してくれた悲しみが、私にとって魂の目を覚まさせるきっかけになった。

彼が最期まで頑張った姿を今後も忘れずに、私も自らを魂のレベルでも成長させられるよう、これから学びを深めていきたいと思う。

 

深夜1時21分。病院からの着信音に、全身に電流が走るような震えを覚えた。

画面の表示を見て、これがそうちゃんが私たちを呼ぶ最後の連絡であることを直感した。

妻のいる部屋に行き、スピーカーにして電話に出ると、担当医からやはり、来院を求める危篤の連絡だった。

 

詳しく状態を聞くと、既に人工呼吸器の酸素量はMAXの100%で対応してもSpO2が60程度、心拍数と血圧は40台とのことである。

尿が出ないことへの不安は的中したが、予想以上の悪化速度だ。

生きているうちに間に合うかどうかというレベルだろう。

 

子どもたちも起こして、15分程度で身支度を整える。

次男と長女には3時間程度の睡眠しか取らせておらず辛いと思うが、家族としてここは頑張らせるべきだと思って躊躇なく起こすと、普段反抗しがちな次男も事態を理解して着替えてくれた。

配車アプリでタクシーを呼ぶと、3分程度で到着できると表示された。

いつものリュックを背負い、私だけ先にマンションの入り口へ向かうと、タクシーは既に到着していた。

運転手に行先の病院名と「子どもが危篤であること」を伝えると、「それは大変だ」と応じ、手早くナビをセットしてくれた。家族が揃い、出発した。

 

急いでいるので高速で構わないと言ったが、夜間であることや距離を考慮してか一般道だった。

真っ暗な夜の景色の中、車のライトに白いものがちらつく。今年まだほとんど降っていない雪だった。

普段であれば楽しさの象徴だが、寒々しく映り、そうちゃんとの別れを予感させ、悲しみを膨らませた。

 

それにしても、私が休職できる期間中は大丈夫だったのに、仕事に復帰するタイミングで急にこのようなことになってしまったことを不思議に感じる。

数値的には徐々に悪くなっていたのであって、たまたまのタイミングなのだろうが、今後、私たち両親の面会の時間が減ってしまうことをわかっているような、そして、最近の次男の様子などに配慮してくれているような…。

そうちゃん自身の意思なのか、もっと大きな意志(天の采配)なのか。答えの出ない問いが頭を巡る。

 

病院に到着し、守衛に声をかけると「すぐに行ってください」とのことだ。

走って、私1人が先に病棟に駆けつけると、そうちゃんはまだ待っていてくれた。

唇の血色が薄れ、白くもあり、少し黄色くもある顔色だ。

いつものように頭を撫でてあげて、「ありがとう」と声をかけた。

 

心拍数110台、血圧90台、SpO2は99%(酸素量100%、呼吸回数24回)。

 

追って家族も到着し、担当医から説明を受ける。

・呼び出しの電話をした直後に、ボスミン(昇圧剤)を投与したところ反応してくれ、少し持ち直した。

・しかし、これは家族を待つための奥の手として用意していたものであって、効果は数時間程度。いずれ数値は下がっていくだろう。

・ボスミンをもう1回打つことは可能だが、希望されるか。

 

話を聞いているうちに心拍数は90台に下がっていった。

質問について妻と相談すると、妻は希望した。私はそうちゃんの望みがわからず、下の子どもたちが待っていられるかにも自信がなく即答できないでいると、医師は「希望される場合には言ってほしい」と言葉を残し、一旦その場を離れた。

 

子どもたちは、しばらくは普段と違う環境に緊張し高揚感もあるようだったが、状況に変化なく「待ち」の状態になると、見た目は一昨日も会ったいつものそうちゃんであって、退屈し始めてしまった。

病院側の配慮で、病室の空いているベッドに寝させてもらうことになり、しばらくそうちゃんのベッドサイドと行き来して騒いでいたが、次男はいつの間にか寝付き、長女はなかなか寝付けないようで不機嫌だ。

 

下の子どもたちの様子に意識が散漫とする中、ふとこんなことを考えた。

2年近く同じ病棟でお世話になっていると、看護師1人1人に対する信頼度は異なってくる。ケアを手厚くやってくださる方、こちらから聞かなくても説明や報告を丁寧にしてくださる方、人柄が良く話しやすい方、担当外でもそうちゃんに挨拶に来てくれる方など。

大変失礼な話ではあるのだが、この日の夜勤の受け持ち看護師は、私たちからすると対話や対応に不安を感じてきた方だったので、そうちゃんがこのタイミングを選んだことに疑問を感じたのだ。まだ、その時ではないのかもしれない。

 

そこで私は妻の希望を再確認し、医師を呼んで適時にボスミンの注入をしていただくようお願いした。

 

徐々に外が明るくなり、太陽が昇ってきた。世間にとってはいつもの1日だが、そうちゃんにとって試練の1日になることは明らかだ。

生命力の源のような朝日の煌めきが、そうちゃんの力になってくれることを祈った。

 

4時、8時の確認でも、尿は出なかった。

尿を出させる薬は昨日中に限界まで増量したが効果がなく、通常量に戻したとのことだ。

 

それでもそうちゃんのバイタルに今のところ大きな変化はない。

妻と子どもたちを、朝食をとるよう送り出してから、朝になったのでお互いの両親にLINEで連絡を入れた。義父と叔母がすぐに向かってくれるとのことだった。

妻は親を気遣ってまだ連絡しなくて良いと思っていたようだが、今の状況となって連絡しないことは逆に不義理だろう。

 

覚悟はしてしまっていた。

いつものアファメーションや回復を意図した言葉は省略し、頑張ってきたことの賞賛と御礼、これまで控えていたメッセージ(そうちゃんがこれから行く世界のこと、お迎えが来るから心配いらないこと、これからはいつも一緒にいられるから、ちゃんと天国に行ってから見守っていてほしいことなど)を伝えた。

その後、私も食堂で朝食を食べ、到着した義父と叔母と病室に戻った。

 

ヒーリングをするでもなく、ただ繋がる感覚を得られるように努め、眠気もありぼーっとしながら、そうちゃんの手を握ってぬるい体温を感じていた。

義母も到着し、買い出してくれた昼食をいただいた。

 

そうちゃんは心拍数80~90、血圧は60台に下がったもののSpO2は100%を維持できており、酸素量を段階的に90%にまで下げるという、想像以上の頑張りを見せてくれている。

ただ担当医の話では、心拍数は高いが波形から洞調律ではなくなっている(接合部調律)ことがわかり、良い兆候とはいえないとのことであった。

 

15時頃、夫婦が泊まり込みをするために、簡易ベッドのレンタル手続きを行う。

その頃、疲れの出てきた次男と長女を義母が妻の実家に連れて行ってくれた。

便が久しぶりに少量出て、何らかの改善を期待したが、AIに聞くと「死亡前によくある、筋肉の弛緩による現象」の可能性があるとのことだ。

 

死亡後のことはできる限り考えないようにしてきたが、そうも言っていられない状況となり、妻の実家が檀家となっているお寺の住職のことを思い出して、妻と義父に相談した。

最近の報道では火葬場が混みあっていて1週間以上待つこともざらであるらしいが、妻の実家のある地域であれば次の日曜日のお昼に空きがあることも確認できた。

私の実家は遠方だし、宗派にもこだわりはない。

その住職にお願いしていただき、妻の実家近くの葬儀社で葬儀を行うことで問題ないと話した。

自宅はマンションタイプであり、義両親の配慮で、そうちゃんを妻の実家にしばらく安置してもらう方向となった。

そうしないと「冷蔵庫行き」。義父の言葉でその現実を理解し、ぎりぎりまで一緒にいさせてもらえることに感謝した。

 

そうこうしているとスマホに病棟から電話がかかってきて、病室に戻る。

血圧は30台となっていた。顔色が土色になったことを妻が指摘する。

窓の外では、この日の太陽が役目を終えたかのように、日没後の残照が遠くの木々を照らしていた。

 

それから時間をかけて心拍数が落ちていき、波形が乱れ10~40を行ったり来たりするダッチロール状態に入った。

私はそうちゃんのすぐ脇から、頭をなでながら名前を呼び続けた。

心拍数の最低が0になることを何回も繰り返しては復帰していたが、その時間は長くは続かず、ついに0のままとなった。

これまでは「これでもか」と何度も持ち直してくれていたが、ついに到来した最期だった。

 

まもなくして、循環器内科部長が死亡時刻の確認に来た。

どこの時計が正確かと問い、看護師が持ってきた時計に従い、18時03分と、死亡確認が告げられた。

身体をきれいにする処置をするとの話で退室を促されたときに、循環器内科部長に対し、「先生が死亡診断書を書かれますか。本件はいまだ協議中であり、私たちの希望について書面にしたためましたので、ご確認いただきたく思います」との旨を話して、準備していた文書を渡した。

 

退室してエレベーターホールに移動した後、すぐに部長がやってきた。

「ご希望されるAi(死亡時画像診断)は、CV(中心静脈カテーテル)から造影剤を流して撮るほうが情報量が多くなるので、まだCVは抜かず、造影剤を流してCT撮影を行います。それにあたり、造影剤を循環させるために胸骨圧迫を少しさせていただくので、その点ご了承いただきたい」とのことだ。適切な配慮に感謝し、お願いした。

その後に7年目の看護師さんがAiの承諾書を持ってきて、その書面を「初めて見る」と言っていたのが印象的だった。

 

そうちゃんがストレッチャーに乗せられ、エレベーターで検査へ向かうのを見送った。

その間に叔母家族も合流した。

 

検査を終えたそうちゃんが戻ってきたところで師長に呼ばれ、奥の部屋で部長から死亡診断書の死因の記載について説明を受けた。

こちらの意図を汲み、誠実に対応してくれたと感じた。

 

それから、そうちゃんのいる病室に向かうと、看護師がたくさん集まっていた。

以前お世話になったICUの看護師たちも、そうちゃんへの別れの挨拶に駆けつけてくれた。

我々に配慮して集まっていた看護師は速やかに退室し、両親と集まった親族で、そうちゃんを囲んだ。

身支度を整えられ、前髪をおろしてもらったそうちゃんに対し、改めてこれまでの頑張りを褒めたたえた。部屋にはちょうど、Mr.Childrenの「しるし」がかかっていた。

 

その後、ふと見渡すと、師長をはじめ、日勤のKさん、夜勤のHさん、KKさん、SMさんといった馴染みの顔ぶれが揃っていた。

お休みだったのに駆けつけてくれたKKさんに御礼をすると、北海道に帰省中の同期のSGさん(プライマリー看護師)の言葉を伝えに来てくれたとのことで、そうちゃんにメッセージを読み上げてくれた。SGさんには辛い姿を見せたくなかったのかなと。「そうちゃんのこれまでの頑張りは、看護師にも力を与えてくれた」とのことだ。

師長からも、そうちゃんには皆思い入れが強く、看護方針などを考える場はよくヒートアップしたとの話がされ、その後、Kさん、Hさんの2人を「排便コンビ」と言って笑わせ、涙の中で少し空気が和んだ。お二人のお腹マッサージには本当にお世話になった。

 

思えば、SGさんがいない以外は、私たちが信頼を寄せていた看護師の方々が多く揃う時間帯での逝去となった。そうちゃんは、大好きな、そして信頼できる人たちに見送られるこの時間を、自ら選んでいったのだろう。

少しぼーっとしている時だったので詳しく聞けなかったが、保育士のKSさんは「そうちゃんが挨拶に来てくれた」と興奮気味に話しておられたような気がする。視える人ならばそうちゃんの今の姿をもう少し聞きたかった。

 

師長に、HCUの看護師皆さんへの感謝を伝えた後、祖父の車にバギーと荷物を積み込む。

22時すぎ、葬儀社の方が病院に到着した。

そうちゃんの状態から、すぐに自宅へ移動はせず、一旦葬儀社で預かり、明日か明後日の朝までに移動することを提案され、了承した。

 

いよいよ、そうちゃんの退院。病院側からは、部長や担当医、その他お世話になった先生方、そして病棟師長をはじめとする看護師の皆さん、総勢10~15人程度が正面玄関に並び、出発を最後まで見送ってくれた。

車から見えなくなるまで、深くお辞儀をしてくれていた。

丁寧な対応をありがたく思いつつも、これはそうちゃんが特別な経緯を辿ったからなのだろうかという思いも湧いてきて複雑に思った。

 

そういえば、私の願いの1つであった「正面玄関からの退院」が実現していた。

亡くなった場合は地下の霊安室を経て裏口から出ることになると想像していたから、否定形の願いにしないためにそのように願っていたのだ。

そのイメージをする時にはそうちゃんは笑っていたのだが…。魂はどうだったろうか。

 

亡くなったことを私の両親に伝えると、そうちゃんへの労いに加え、我々両親への労いの言葉をいただいた。

そうちゃんの1日を大事に、価値のあるものにしたくて毎日面会し続けた。

苦ではないと思ってやってこられたつもりだったが、この日を迎えて、少なからず達成感のようなものも感じられていた。

 

スピリチュアリズムでは、死はこちらの世界の人々には悲しい別れだが、あちらの世界の魂たちには祝福の歓迎を受けるという。そのように考えれば、悲しい現実も少しは前向きに受け止められるだろうか。

 

葬儀社の安置部屋にて、そうちゃんにお線香をあげた。

今夜から、近くの妻の実家に泊まらせてもらうことになった。

 

そうちゃん、本当にお疲れ様。ありがとう。

 

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記事をまとめるのに時間を要し、半月程度経過してしまいましたが、そうちゃんは肉体を抜けて魂の存在に変化しました。

少し本ブログの趣旨は変わりますが、そうちゃんの遺志、事故後に約束したことを続けていくため、今後も更新していきます。

果たしてそうちゃんは霊となってどのようなメッセージをくれるのか、そんな興味に応えてくれる展開もあるかもしれません。