そうちゃんが旅立ってから42日ほど経った、3月上旬の夕方。

 

この日、そうちゃんが通っていた小学校から、校長先生、教頭先生お二人、そして2年生から5年生までの担任の先生方、計6名が弔問に来てくださった。 祭壇には前日に友人から届いた黄色や紫色を中心とした生花を飾っていたが、この日は学校からもピンクと白の花を中心にした大きなアレンジメントをいただいた。

祭壇の周りがさらに華やかになり、部屋の空気まで少し柔らかくなった気がした。

事故当時、3年生の担任をされていた先生は、焼香の前から涙をこらえきれない様子だった。校長先生も目を潤ませておられた。 そうちゃんのことを今もそれだけ大切に思ってくださっていることが伝わってきて、胸に響いた。

 

皆さんに焼香していただいたあと、リビングに用意した席へ案内した。

これまでの経緯や、闘病中のそうちゃんの頑張り、自宅への一時外泊ができたこと、その限られた時間が家族にとってどれほど大切だったかなどを簡潔にお話しした。

校長先生からは、ご家族にとても愛されていたことが伝わってくることや、学校でもたくさんの子どもたちに愛されていたこと、できることなら今の5年生のみんなと一緒に卒業し、中学校へ進んでほしかったといった温かい言葉をいただいた。

また、担任の先生からは、これまで学校で預かってくださっていたそうちゃんの資料一式を受け取った。

 

その後、リビングで流していたそうちゃんを撮影した写真のスライドショーを一緒に見ながら、少しだけ思い出話をした。

以前、一時外泊の際に先生方が来てくださった時には、スマホ写真のHEIC形式を古い機械が読み込めず、最近の写真を映すことができなかったのだが、今回はあらかじめJPG形式に変換しておいたので、入院中の様子や、自宅で過ごした最近の写真も見ていただくことができた。

バギーに乗ったそうちゃんの姿を見て、背が伸びましたね、という声があがる。

また、いつも一緒だったシャチとクジラのぬいぐるみ(チッチとクロ)を見た校長先生からお魚が好きだったのかと聞かれ、水族館によく遊びに行っていたことや、海の生き物が好きだったことを話した。

そして、リビングに飾っていたそうちゃんの絵も見ていただいた。教頭先生がその絵をすごく上手ですねと褒めてくださると、3年生の担任の先生がすぐに、「学年代表です。総合展にも行きました。」と誇らしげに補足してくださった。そうちゃんが学校で過ごしてきた時間が、先生方の中にもちゃんと残っていることを感じた。

 

話の終盤には、教頭先生からクラスメイトたちへの伝え方についてのお話もあった。 学校では、生徒への心理的影響やご家庭ごとの受け止め方にも配慮しながら、ケースごとに慎重に対応しているとのことで、場合によっては亡くなったことを伝えない選択をすることもあるという。

確かに、小学生にとって死は重く、受け止め方もそれぞれだ。学校として慎重になるのは自然なことなのだろう。

 

ただ、我が家の場合は、次男が同じ小学校に通っており、そうちゃんの同級生たちとも小さい頃から交流があった。事故後には、次男が友達からそうちゃんのことを聞かれることもあったという。

年度末も近づいていたこともあり、友達やこれまで関わってくれた子どもたちには、きちんと伝えたいという思いがあった。何より、そうちゃん自身の立場で考えた時、ただ何となく忘れられていくよりも、これまで寄せ書きやビデオメッセージ、千羽鶴などで支えてくれた同級生たちへ、家族として感謝を伝えることには意味があるように思えた。

 

そのため、両親からの手紙を学校で代読していただく方向でお願いすることになった。ただ、年度末の時期に伝えるとそのまま春休みに入ってしまい、生徒たちへの心のケアが十分にできない可能性があるとのことで、そのため、新年度が始まり、学校生活が少し落ち着いた頃に伝えていただくこととなった。

私たちは、新年度最初のクラス分けの時点でそうちゃんの名前がないことから、子どもたちに伝わってしまうのではないかと思っていたのだが、学校側から、伝達の日まではこれまで通りの形を保てるよう、クラス分け名簿にもそうちゃんの名前を載せ、クラスでもこれまでと同じ対応をしてくださるという。形だけだったとしても、その配慮は本当にありがたかった。

 

先生方は30分ほど滞在されただろうか。最後は校長先生が長居してしまってすみませんと声をかけられ、この日は散会となった。

 

その後も、先生方は新年度の異動(校長と教頭1名はご異動された)を挟みながら、さらに何度も足を運んでくださった。メールでも丁寧に連絡をくださり、学年全体への伝達についても最後まで真摯に対応していただいた。

今回の出来事に、学校側が関係しているわけではない。それでも、ここまで心を寄せ、丁寧に向き合っていただけたことに、驚きと深い感謝を感じている。

 

後ほど、担任の先生から受け取った資料を改めて確認した。

そこには、そうちゃん自身が名前や絵を書いたファイル、作品バッグ、健康カードなどが入っていた。

 

その中に、「夢を育てていこう キャリア・パスポート」と書かれたファイルがあった。

1年生の頃から、自分の似顔絵、好きなこと、できるようになったこと、その年の目標、将来の夢。運動会や学期の終わりごとの振り返りなども含め、少しずつ積み重ねられていた。

6年生まで綴じられるようになっていたそのファイルは、3年生の秋で止まっていた。その先に続くはずだったページの余白を見つめながら、やりきれない気持ちになった。

 

さらに時が過ぎ、GW明け(106旅日)。

学校では6年生全体を集め、校長先生から私たち両親の手紙を代読していただいた。

手紙には、闘病中にいただいた支援への感謝、逝去の報告、学校生活の思い出、同級生たちへの感謝とエールを綴っていた。

約1週間後に届いた教頭先生からのメールには、突然のことで皆驚き、思わず涙を流す児童もいたが、手紙の代読を聞く中で、そうちゃんに思いをはせ、真剣に黙禱する姿があったこと、今のところ変わりなく過ごしている様子であることが書かれていた。

 

無事にステップを踏めて良かった。

また一つ、心残りを減らすことができたのではないかと思う。

 

そうちゃんの祭壇は、自宅に帰って来た日の夜に、使っていなかった小さなテーブルを出して仮位牌、遺影、骨壺、生花を乗せ、暫定的にこしらえていた。

しかし、手を合わせることはできても、お線香もなければチーンと鳴らすこともできず、次第に仏具の必要性を感じ始めた。

 

この日、義父が妻の実家から持ち帰るのを後回しにしていた荷物と会葬御礼品の残りを運んでくれた。そんな話をしたところ、高速道路の出口から自宅までの間の道に仏具店があったとのことで、早速行ってみることになった。

 

とりあえず必要なのは、火立(ローソク立て)、線香差し、香炉(火災予防のため横に寝かせる皿タイプが良いと思った)、そして、おりん(チーンと鳴らすもの)だ。

ローソクやお線香自体は100円ショップにもある。

 

店内に入ってすぐ左手に、お目当ての小物仏具が置かれたスペースがあり、手に取ってみたり鳴らしてみたりしたのだが、展示されている種類は多くなかった。

 

改めて店内を見渡すと、ほとんどのエリアに立派な仏壇が置かれている。

そこに店員がやってきて我々に状況を聞き、「仏壇がないなら、まずは仏壇が必要ですね」と、モダンなものを中心に案内を始めてくれた。

 

仏壇はもちろん、あるに越したことはないのだろう。しかし、それほど広くもない借り家暮らしに仏壇を置くスペースは想像できない。

床置きではなく、箪笥などの上に置けるコンパクトなタイプもあるが、家の中でボール遊びをすることのある子どもたちが落下させるシーンが想像され、地震のリスクもある。そして何より、予算的にも想定外のお値段となっている。

 

「とりあえずどんなものがあるか見に来ただけ」という我々の消極的な態度を受けて、店員も無理に勧めずに戻っていった。

 

お店を回っていると位牌のコーナーもあったが、多くが5万円以上するお値段で、一般的な相場を知り少し驚いた。

 

結局、店内を一周して、最初に見た小物仏具が置かれたスペースに戻ってくる。現代では手元供養やコンパクトな祭壇を望む人も多いはずなので、この小物スペースをもっと充実させて選択肢を増やせば良いのではないかと感じた。

そして、ネットでも販売されているだろうと思ってスマホで検索すると、安価で豊富な品揃えが確認できたので、自宅に戻ってゆっくり検討することとした。

 

なお、おりんについては、個人的にはコロンとした丸いフォルムの『たまゆらりん』の音が好みだった。

しかし、小さな子どもたちが遊んで「りん棒」が紛失してしまうことがないよう、りん棒を本体の穴に立てて置ける、さくらんぼのような形の『チェリン』という商品を選んだ。こちらも綺麗な音がする。

 

何も買わずにお店を出ることにはなったが、仏具店でそれぞれのおりんの実際の音を確認できたのはありがたかったし、一般的な仏壇や本位牌の金額相場を知ることができ、とても勉強になった。

 

後日、ネットで注文した仏具が届き、ようやく、手を合わせるための形が整った。

 

すっかり桜も散って、新緑が眩しい季節になった。

前回、告別式の記事をUPして気持ちに一区切りついたこと、様々な調べ事等があり多忙となっていること、そして、最近の悲しい事件や事故の報道に触れる中で気持ちが沈むこと等があり、更新が遅延してしまっていた。

 

今日は3点目のことで感じるところの大きかった点について、報道等から得られる情報と、自分自身の経験の範囲で考えたことを書いてみたい。

 

連日のように報道されている京都府南丹市の行方不明事件は、対象となった子どもがそうちゃんと近い年齢であったことなどもあり、気になっていた。

結果は非常に痛ましいものとなってしまったが、報道の範囲で事情を知るにつれ、その背景の重さを感じた。どのような事情があったとしても、ご家族にとって計り知れない出来事であることに変わりはない。周囲から十分な支えが届くことを願わずにはいられない。

 

また、沖縄の辺野古沖でのボート転覆事故では、修学旅行中の高校生が亡くなるという出来事があった。

本件では3月末頃から、ご遺族(父親)が周辺への取材の抑制、誤情報や誹謗中傷を訂正するなどの目的で、noteという媒体を使って「辺野古ボート転覆事故遺族メモ」を執筆されている。

報道だけでは伝わらない部分を自らの言葉で補おうとする試みは、今後同様の状況に置かれた方にとって、一つの参考になるのではないかと思う。

一方で、このような発信は多くの目に触れ、さまざまな意見や批判、ときに誹謗中傷にさらされる側面もある。情報の正確さと同時に、伝え方の難しさも強く感じさせられる。

 

政治的な主義主張は関係なく、何が原因で誰に責任があるのか、しっかりと追究されるべきだろう。

そして責任云々は別として、愛する家族の事故に、周囲がどのように対応してくれたか(真摯に向き合ってくれたか、逃げたか)は、被害者家族の心に強烈な印象を残す。

父親の投稿記事の中に以下があり、この一文には強い思いが込められていると感じた。

 

「ここで書いた数日間、私はただそこにいることしかできませんでした。~私はこれを、どう理解すれば良いのでしょうか。」(「事故後からの流れ 3月19・20日」投稿記事)

 

 

もう1件。先週報じられた長野県での小児心臓手術後の死亡事例についても、関心を持った。心臓手術後に当時1歳の長女が死亡し、ご両親が損害賠償を求めて提訴をしたとの報道である。

報道だけでは事実関係の詳細までは分からず、個別の評価をすることはできない。しかし、記事のコメント欄を見ると、病院側を擁護する意見が大半を占めていたことが印象に残った。

 

「心臓手術なら当然受け入れるリスクだ」、「失敗に賠償が認められれば誰も医師にならなくなり医療崩壊につながる」といった意見である。

 

もちろん、そのように感じること自体は自由だと思う。ただ、自分も当事者に近い立場を経験している者として、どうしても引っかかる部分があった。

 

あくまでも私自身の経験や調べてきた範囲での認識として、医療訴訟について感じていることを下記のとおり示しておきたい。

 

【患者側から見た医療訴訟の現実(個人的な認識)】

・実際に病院側にミスがあったと考えられる場合でも、見解が相違し、病院側はミスを認めない傾向がある(明らかなミスでも認めない実例についても聞いている)

・医師が皆、倫理観があり誠実に対応してくれるわけではない(責任回避のために様々なことをした医師に遭遇した経験がある)

・病院が原因究明や再発防止のための事故調査をしてくれることもある(病院側が選定する外部委員が加わることもある)が、その調査結果の公正性や妥当性を判断してくれる第三者機関はない(病院有利になるのが普通と聞くし、実際経験がある)

・当事者間での話し合いだけでは解決に至らないケースも少なくないが、納得できなかったら裁判をするしか道がない

・医療訴訟の原告(患者側)の勝訴率は20%程度しかない(医療訴訟以外は80%程度あるそうだが)

・医療訴訟は原告側に立証責任があり、負担が大きい

・証拠の多くは病院側にあり、構造的に情報の非対称性が存在する

・勝訴の見込みがなければ弁護士も受任してくれない(初回の相談は無料であったり1時間1万円程度だが、次のステップに進むためには通常、調査料(30万円程度)が必要になる。調査の結果裁判を断られることもあり、それを2次被害と感じることもあると聞く)

・提訴には、医学的観点から問題を指摘する専門医の「意見書」を用意することが一般的だが、専門分野によって世界が狭く、横のつながりが強固なため、意見書を書いてくれる協力医が見つかりにくい(心臓外科、特に小児心臓は難しいと聞いた)

・さらに裁判においても、専門家ではない裁判官は鑑定(専門医の意見)を求めるが、上記のとおり狭い世界であり、評価する医師にとっても「次は我が身」と考える構造から、明らかなミスでなければ同業者を庇う意見になりやすいと聞いた

・民事裁判では原因究明をしてくれるわけではない

・民事裁判の賠償金は病院や医師が加入している保険から支払われることが多い

・「医療事故調査制度」というものが10年前に開始されたが、死亡事例に限られ、報告が病院長の判断に委ねられているなど、限定的にしか機能していない

・時間的・経済的・精神的負担が非常に大きい

・結果として、多くの医療過誤被害者は泣き寝入り状態になるか、長い裁判でさらなる苦痛を受けるケースが多いのが現実である

 

 

医療訴訟は感情的に起こされていると思われがちだが、実際には制度的に極めて高いハードルがある。

いつ誰が巻き込まれてもおかしくないところ、被害者救済の環境整備が足りていないと感じる。

上記のような圧倒的に原告不利な背景がある中、それでも提訴にまで到達しているのであれば、原告側の主張には、病院側が悪いと思われるべき客観的事実が含まれているのではないかと私には思われる。

(なお、このような記事で目を引く損害賠償請求額は、一般的に使われる算定式のようなものによって計算され、患者・遺族がいくら欲しいと決めるものではない。)

 

自分や家族が病気にかかれば、治療してくれる病院や医師の存在は頼りにしたい存在であって、その社会的インフラがより良い形で維持されてほしいと思うのは自然な感覚であろうが、被害者側の立場を想像できているとは思い難く、報道で限られた情報しか出ていない段階で評価が固まってしまうことには違和感が残った。

 

コメント欄を見たご家族の心情を想像すると、やりきれない思いになる。

 

意見を発信する自由がある一方で、その言葉がどのような立場の人に届くのかという視点は持っておかなければならないと感じる。

自分自身の経験を通じて、被害に遭われた方やそのご家族の立場に思いを寄せることの重要性を、以前よりも意識するようになったのかもしれない。

 

他者の痛みや心情に寄り添うことの重要性を伝えたいと思ったので取り上げさせていただいた。

 

本記事で触れた事件・事故に関わられた方々のご冥福と、ご家族の平穏を心よりお祈りいたします。

 

いよいよ、そうちゃんの肉体とお別れする日がやってきた。

天気予報の通り、空は晴れ。そうちゃんがイベントの度に「晴れ男だ」と呼ばれて、周囲を笑顔にしてくれたことを思い出す。

早めに起床して朝食を食べ、喪服に着替えて8時すぎには葬儀社に到着した。

 

建物の中に入ると、既にBGMが流されており、会場入口と待合室に設置された画面で、そうちゃんの写真がスライドショーで映されている。

Mr.Childrenの「しるし」が流れ、最期の時が思い出される。不思議な縁を感じて選曲していたものだ。

続くmiletさんの「Anytime Anywhere」とrionosさんの「Viator」は、ちょうどそうちゃんが生まれた頃から私が愉しむようになったアニメの世界から選んだ曲で、自分自身の癒しにもなるので、病床のそうちゃんにも何度も聴かせていた。(わかる方には共感していただけるかも?)

心魂プロジェクトの「kaito」と「ひとつ」は、昨年末のクリスマスイベントから。少し小さかった音量も調整していただけているのを確認して、スタッフの方々に感謝を思う。

 

祭壇中央には、笑顔のそうちゃんの遺影があった。その左右に喪主からのお花と、両親や職場からの生花が飾られ、ちょうど良い賑やかさになっていた。

 

柩は祭壇の前に横向きに置くのが通常だが、今回は中央に縦向きに置いて、その周りにもお花を飾り、参列者も左右から柩を囲む形を選んでいた。

そうちゃんに、「今日は一緒に頑張ろうね」と声をかける。この告別式は、そうちゃんと一緒に作り上げる最後の時間だと感じていた。

 

支店長が、そうちゃんのエピソードを聞いた印象から、縦20cmくらいある手作りの将棋の駒(紙製)を作ってくれたとのことで、飾ってあげた。

表は名前で、裏には「飛車」と書かれている。

支店長によれば、「そうちゃんは『王将』よりも『飛車』のほうが好きだったように思ったので」とのことだ。確かに、自分の気持ちにまっすぐだった彼を象徴するようだと思った。

 

じきに親族が集い、記名、待合室、座席位置などを案内する。

ややもして、住職も到着した。

頃合いを見計らって支店長から声を掛けていただき、挨拶をする。そこで、そうちゃんの戒名と、その名付けの理由を教えていただいた。

 

院号については敢えてお尋ねできなかったが、子供であり、その存在の尊さを称えて授与していただいたのかもしない。

混じりけのない、清らかな心を表す語が用いられ、そうちゃんの心がどこまでも美しくピュアであったこと、そして家族にとって純粋な愛そのものであったことを象徴しているように感じられた。

戒名というと、これまでは仏教のしきたり上だけで、あまり意味のないものと考えていたが、今回いただいたお名前はとてもしっくりきて、親しみを感じられるものであり、自然と受け入れられるものだった。

 

間もなく開式となり、住職の読経、遺族・参列者の焼香などが執り行われた。

そうちゃんの生前の姿を思い出したり、親族の悲しむ姿などを見るたびに、私の感情も波立ち揺り動かされた。そんな時には、供花の札にある職場の幹部の名前を見て、仕事場での幹部説明の緊張感を思い出すと、平静を保つことができた。

 

喪主の挨拶は私のお役目である。

そうちゃんとのこれまでの歩みを大切に思っていることを伝えつつ、そうちゃんからの御礼も代弁するように、参列者にこれまでのサポートへの感謝を伝えた。

 

その後、葬儀社の司会から、「とある国では死別の悲しみを『親しい友人』と呼ぶのだ」というような話がなされた。

悲しみを友人と呼ぶことで、それが単に苦痛を与えるだけのものではなく、思い出を大切に抱えて生きていくための心の居場所であることを示唆されたように感じた。

 

一旦、家族だけが柩の周りに集まり、写真を撮っていただいたり、副葬品を入れる。

千羽鶴、クラスメイトからのメッセージ、義妹家族からの手紙、私の両親の家で遊んだ紙飛行機、義両親からよくいただいていた思い出のお菓子などを入れ、弟妹たちも一緒に、家族写真を満遍なく置いていき、最後に作っていただいた将棋の駒を中央に据えた。

 

そうちゃんの頭の両脇から顔を出すシャチのチッチとクジラのクロ(ぬいぐるみ)は、最期までそうちゃんと一緒だ。

一度はそうちゃんの形見として持って帰ろうかとも思ったが、彼らが離れる隙はなく、ほとんどいつも一緒だった。どうか今後のそうちゃんの道が寂しくならないように、ずっと側にいてあげてくれと祈りを込めた。

 

それから親族も加わり、静かなオーケストラやピアノ曲のBGMが流れる中、お花入れ、フルーツ入れが始まる。

柩はそうちゃんの顔以外はほとんどお花で一杯になり、口の周りには彼が大好きだったシャインマスカットといちごが乗せられた。

 

お棺の蓋を閉めるということで促され、そうちゃんの額を撫でる。

最終的に私から出てきた言葉は、「ありがとう」だった。

 

出棺の準備が整い始めた頃、スピッツの「楓」が流れ始めた。

住職を先頭に、仮位牌、遺影を持つ両親などと行列を作り、ぴったり曲の終わりで葬儀社を出て、火葬場への車に乗り込んだ。

 

火葬場での出来事は割愛するが、温かい見送りの時間を経て、そうちゃんは小さくなり、これまた綺麗な水色の骨壺に収まって、私たちの自宅へと帰ってきたのだった。

 

この日、Cさんのセッションを久しぶりに受ける機会をいただいた。

前回のセッションからおよそ一年だ。

スピリットガイドにメッセージをいただくことができないか質問するメールを送ると、別枠で時間を作っていただけた。大変ありがたい配慮である。

 

40分のセッション時間のうち霊界と繋がってメッセージを受け取る時間は30分ほどとのこと。
自分のスピリットガイドや霊界の存在から、その時に必要なメッセージが届けられるという形式であり、質問があれば途中で聞いてもよいとの説明があった。

 

セッションが始まると、Cさんはまず、霊界から強く伝えられていることとして、私たち家族が毎日病院へ通っていることなどについて「よくやっている」という言葉を伝えた。

さらに、息子の急変直後の頃を振り返り、当時は藁にもすがる思いで様々な書物を読み、インターネットで調べ、自分たちにできることはないかを必死に探していたと思うが、当時と比べて家族の心の持ち方が変わってきていること、今はどうにかしてあげたいという気持ちはありながらも、より大きなエネルギーに委ねているような感覚があるのではないかと伝えられる。

 

霊界が喜んでいるのは、私たちが霊界の存在を信じていることだという。

見えないものを信じることは簡単ではないが、祈りや愛、そして希望のエネルギーは確かに存在し、それが息子を包んでいるのだと伝えられた。

今、そうちゃんの魂は非常に穏やかな状態にあるという。

病状の経過の中では、数値が大きく上下したり、体調に影響を与える出来事が起きたりすることもあるかもしれないが、私たちが行っている祈りはまっすぐ霊界に届いていると伝えられる。

私だけでなく、妻も祈りを大切にしていること、そして祖父母などの先祖に対しても助けを求める真摯な祈りが届けられているという。

霊界も最善を尽くしているので心配しないでほしいとのことだった。

 

また、家族自身にもヒーリングが必要であるとの話もあった。

家族が元気であることはそうちゃんにも影響しており、家族の持つ活力や愛情のエネルギーが彼のオーラの中に入り、潜在意識のレベルで「頑張ろう」という力になっているという。

そのため、面会の際には悲しみに沈むよりも、明るい気持ちで接することが大切であるとも伝えられた。

 

さらに、友達から届いたメッセージや折り鶴などについても触れられる。

そうちゃんはそれらをすべて愛として受け取っており、言葉や触れること、手を握ることなども含めて、周囲から向けられている愛情をスポンジのように吸収していると伝えられた。

目に見えない言葉や思いも含め、多くの愛に包まれているという。

また、私が近況を周囲の方々に報告し感謝のメールを送っていることなども、親が子に向ける無条件の愛として霊界に伝わっているとのことだった。

 

その後、そうちゃんの一時外泊について2回目を考えているのかと先方から言及された。

そうちゃんの魂も、霊界もそれをとても喜んでおり、家族にとって大変なことでもあるが幸せな出来事でもあると伝えられる。

その時間を大切にしてほしいとのメッセージだった。

 

また、私が行っているヒーリングについても触れられる。

家族に対してヒーリングを行う場合、自分の感情や意識が入り込みやすいが、そうならずに霊界のエネルギーを真っ直ぐ流せていると伝えられた。

仕事や家庭のことを抱えながら学びを続けてきたことも含めて、霊界はその努力を高く評価しているという。

 

「今、お父様が創太くんに何ができるのかって。祈りもしていて、ヒーリングの依頼もしていて、ご自身でもヒーリングをされていて、その崇高な気持ちというか、霊界に対する感謝の気持ちを霊界もわかっている。」

 

できる限りのことを全てやっており、本当によく頑張っていると労いの言葉が繰り返し伝えられた。

さらに、人を励ましたい、同じような状況にある人の役に立ちたいという思いが強くなっているとの話もあった。自分が何かを得るためにやるのではなく、自分も助けてもらっている、自分自身も何かちょっとでも人の役に立てればと思っていることは本当に素晴らしいことであるとのことだ。

 

ここで、私のスピリットガイドについても言及があった。

完全に入れ替わったわけではないが、今まで前面に出ていたガイドが後ろに下がり、この時期を待っていた別のガイドが前に出てきているという。

そして、霊界とのコンタクトをより深めたいという関心が高まっているのではないかとも言われた。

その流れの中で、私には強いサイキック能力の素質があるとも伝えられる。

視覚的に「視る」タイプではなく、感覚で受け取るクリアセンティエンス(感受能力)の性質が強いという。

その能力はまだ芽の状態だが、自然な形で開花していくので焦らなくてよく、そのためには自然に触れる時間を大切にすることが重要とのことだった。

空や風、太陽、土、植物など、自然に意識を向けることで準備が整い、やがて全ての点が繋がる瞬間が訪れるという。

 

これまで色んなことに関心を持ったり、調べて篩にかけてみたりして、これは絶対こうに違いないと思ったところに道を開いている。ガイドさんは、今まで通りに行きなさいと言っている。色んなことを聞いたり目にしたりするかもしれないけど、自分の心に聞きなさいと。でもブレない人だと。一度こっちに行ってもやっぱ違うと思えば真ん中に戻る人だから心配してないんだってことを言ってます。」

 

この言葉はまさに私が何に対してもフィフティーフィフティーで考え、天秤を傾けられるか判断する信条の話をしているようで興味深かった。引き続き、自分自身の理性を用いて信じられることを見定めていこうと思う。

 

一方で、そうちゃんの今後の経過について質問したところ、その点について霊界は答えないという。

人の寿命や将来は神のみが知るものであり、ミディアムであってもそれを知ることはできないという説明だった。

霊界が伝えてきているメッセージは「愛」と「希望」の二つであるとのことだった。

(この時、私は回復が難しいことを直感として感じた。先ほどの、一時外泊の時間を大切にとのアドバイスも思い出され、霊界は時間が限られていることを間接的に伝えているように感じられたのである。)

 

また、現状となった経緯に関連して、原因究明を続けていることについても相談した。

その点についてもアドバイスをいただき、息子のために真実を明らかにしたいという思いで行動していることであり、その気持ちは霊界も理解しているという。

「私からも霊界にお願いしておきますね」との言葉に、心が軽くなる思いだった。

(このセッションの約2週間後に、原因究明に関する重要と思われる発見があり、秋から冬にかけて地道な歩みながら様々な出会いやご協力を受けつつ進展していくのだった)

 

少し前にアガスティアの葉鑑定を受けた流れもあり、カルマの問題についても質問した。

ヒーリングで回復を願う一方で、カルマの制約があるのではないかと考えることがあると伝えたところ、カルマは簡単に解除できるものではないという話があった。

霊界からということではなくCさんの実感から、「カルマの鎖を溶かせるのは愛である」とのことだ。愛を与え、愛を受け取り、気づきを得ることによってカルマは緩和されていくかもしれないと。

そうであれば、家族が互いに支え合い愛を深めている今の状況が、カルマを解いていく過程ではないかと思われたのだった。

 

霊界は愛と希望のエネルギーを送り続けているので、それを信じて進んでいけばよいとの言葉をいただき、セッションは終了となった。

 

このセッションも、会話はスムーズで多くの励ましを受けた。

自分に霊的な能力(の素質)があるという点にはまだ実感がない(ヒーリング時に感じるつながる感覚やエネルギーの波動の感覚は自覚があって、ヒーリング練習では主観的な印象をフィードバックしたりしているが、客観的に本物のものと言えるものではない)。

物理的に多忙な日々が続き、様々な思いが交錯する中、亡くなる前にUPできず、結果的には約半年後に亡くなってしまったのであるが、ひとつの重要な思い出のため記録に残しておく。

ここで語られた「愛」と「希望」は、全てが失われたものではないと信じている。

 

 

※本記事に記載しているセッション等の内容は、当時のメモと記憶をもとに、私個人の体験として概要をまとめたものです。

セッション等の内容の解釈や受け取り方についてはあくまで私個人の理解に基づくものとなります。

本記事は長男の闘病および私の精神的体験の記録として残しているものであり、特定のサービスや人物を紹介・評価する目的で掲載しているものではありません。