逝去翌日の話。
※旅日カウントは亡くなった当日を1日目としています。
前日のうちに葬儀社・火葬場・住職の手配ができ、4日後の日曜日の午前に告別式、お昼に火葬というスケジュールを組むことができていた。
妻の実家近くの斎場で、家族葬で行うため、通夜を省略した一日葬とした。
火葬場の空き状況からの逆算だったが、義父から提案された葬儀社と住職の予定がちょうど空いており、遠方から来る私の両親など参列者の都合もついた。
まるで、そうちゃん自らがここまでを読んでタイミングを決めてくれたかのようにスムーズだった。
午前中、前日にも一報を入れていた職場の人事担当の同期に改めて連絡すると、大変同情してくれ、休暇の手続きは後でよいと言ってくれた。
午後3時に予定されている葬儀社との打ち合わせまで時間があったため、一旦自宅に戻った。礼服類や最低限の着替え、しばらく滞在することになるためノートPCなどを準備する。
そうちゃんのお棺に入れる品(クラスメイトからの応援メッセージや保育士さんが作ってくれた小物など)の選別もしたかったが、冷蔵庫の残り物で昼食をとると、もう戻らなければならない時間になってしまった。葬儀前にもう一度戻るつもりで、自宅を後にした。
葬儀社は妻の実家から車で5~6分程度の近い場所にある。こじんまりとしているが新しくモダンな建物で、入り口から入るとメインの式場と直結しており、祭壇まで見渡せる構造だった。
前回書いていなかったが、前日にもここで打ち合わせを行っていた。その際、入ってすぐのテーブルでお棺を選んだ。
子供用サイズもあると聞いたが、顔を見るための小窓がなく、上の箱の一部ごと開ける形になってしまい保冷面でも良くないとのことだったので、通常の大人用の大きさのものを選んだ。色は白、水色、ピンクから選べたので、そうちゃんがきっと選ぶだろう水色にした。私たちにとっても、より印象に残るはずだ。
さて、この日葬儀社に着くと、メインの式場部分にカーテンが引かれていた。前日はオーナーの息子さんに対応していただいたが、この日からは支店長が担当してくださった。
カーテンの中に案内されると、そうちゃんは既に祭壇の前に横になっていた。
お線香をあげた後、隣の部屋に移動し、遺影の背景(色やパターン)の候補を選ぶ。
事故以降、そうちゃんのアルバムを作ろうとして生まれてからの写真を抽出していたが、遺影に使えそうな良い写真がないことはずっと気にかかっていた。
いつ手術可能との連絡が病院から来るかわからなかったため、宿泊を伴う家族旅行は控えていたし、記録もビデオ撮影がメインになっていて、写真を撮る機会が減っていたことも大きい。
動いて喋っているそうちゃんの映像を残せたことは絶対に良かったと思うので、仕方のないことだ。ただ、動画から綺麗な静止画を切り出せると思い込んでいたのだが、いざやってみると画質が悪くなることに長らく気付けず、「とりあえず動画で撮っておけば良い」と安易に考えていたことが悔やまれる。
遺影の背景を4パターンほど選び終わった頃、納棺の準備ができたと声が掛かった。
祭壇前に移動すると、女性の納棺師がそうちゃんの横に立っていた。
「お棺に入れると抱くことができなくなります」と促され、私、妻の順番でそうちゃんの胸の上に顔を寄せ、ハグをしてあげる。
冷たく、硬くなってしまっていたけれど、温かいうちにたくさん抱っこしてバギーに運んであげられたことを思い出し、その時の確かな幸せを感じることができた。
そうちゃんはもう肉体にはおらず、これは抜け殻にすぎないのだと頭ではわかっていても、霊を視ることができない私にとっては、やはり手で触れられる愛おしく大事な存在である。
その後、納棺師が化粧を施してくれた。頬や唇に赤みが差し、生前のそうちゃんの顔に近づいた。
映画「おくりびと」を見た時も感じ入ったものだが、死者を尊ぶこのような仕事や技術には深い敬意を覚える。
髪の毛を整えた後、「微調整して良いですよ」とのことだったので、妻と私で少し直した。
この数日間シャンプーができなかったためか油分が多めで、髪質も細くなり量も少し減っていたため、以前の元気な状態に戻すことは難しかったが、できる限り可愛らしく整えた。
本人も、これ以上髪が少なくなってしまう前に、良い面影を残して旅立ちたかったのかもしれない。
水色のお棺が運ばれてきた。写真で見た以上に質感や模様がきれいだ。
皆で敷物ごとそうちゃんを持ち上げて、お棺の中におさめた。
それから、妻の実家に移動し、そうちゃんを迎え入れた。
義父から、昔からの風習では「出戻りしないように」と、玄関から入れて別の所(縁側など)から出すということをしていると聞いた。数年前に亡くなった義母の時もそうしていた。
ただ、葬儀社の支店長によれば、それも必ずそうしなければならないものではなく、遺族の考え方次第だという。
この支店長は、とにかく遺族の思いを重視し、寄り添ってくれる方であった。
お棺に入れる際も、白装束に固執せず子どもの慣れた服装で構わないと言ってくれたり、告別式で流す音楽についても高い自由度で許容してくれた。
また、遺影の写真についても、「ご年配の方の場合などもそうですが、直前の写真ではなく、少し若かった時などの一番良い時の写真を使うことが多いですよ」と温かくフォローしてくれた。
そうちゃんの柩が安置され、枕飾りが用意された。
次男と長女にとっては、死後、初めての対面となる。
最初は窓を開けてしばらく見入っていたが、大人たちがお線香をあげ、おりんを鳴らすと、子どもたちの興味はすぐにそちらの小道具へと移っていった。
お棺の上に千羽鶴、年始に近くの神社で祈祷した際にもらった木札、そして長きに亘りそうちゃんのベッド付近で護ってくれた8つの御守りを置いた。さらに周囲にクラスメイトや保育士さんからいただいた応援グッズを並べると、家の中にも華やかな祭壇ができたようだった。
業者の方々が帰り、家族もリビングなどに移動して、ようやくそうちゃんと2人だけの時間が取れた。
無事に到着したことを私の父に報告し、叔父にも訃報を連絡した。
叔父からは労いの言葉とともに、「幼くして亡くなる魂は位が高いそうだよ」という話を聞き、とても印象に残った。
もし本当にそうであれば、いつか私が亡くなって再会した時、そうちゃんのほうがずっとレベルが高くて偉い存在なのだろうか。深い絆を感じてきたものだが、同じ魂の階層には行けないかもしれない。そうであっても親として最期まで愛を込めてお仕えできたと自負したいと思う。
また、その後、家の仏壇でご先祖様に線香をあげて報告してくれたとのメッセージもいただいた。
持ち前の社交性と素直さを身につけていたそうちゃんなら、どんな方がお迎えに来ても大丈夫だと思うが、ご先祖様にも助けていただければ心強いと思い、ご配慮に感謝した。
夜には、義父から明日の住職の枕経に関して教えを受け、それから持ってきたPCを使って告別式にかけていただく楽曲を選んだり、写真を見直したりした。
また、あの電話がかかってきた夜に書きかけていたブログ記事(「にぎやかな面会と、興奮の汗」)を公開した。
亡くなったことを追記して報告するべきか悩んだが、この時は、まだ頑張って良くなろうとしていた頃であり、その記事に悲しい結末を書くことはできず、最期まで事前にお伝えしない形とさせていただいた。
この日も、就寝は深夜3時頃となった。