すみませーん、今日はバタバタなので、くだらない写真ネタなど。題して、「ザ・没写真@ハワイの不思議なお話」。4月末に刊行された拙著「ハワイの不思議なお話」には、逸話ごとに白黒写真が掲載されています。これは主に私がパチパチとデジカメで撮ったもの。プラス、フラレア編集部からも写真を提供していただきました。

本には合計56の逸話を載せているのですが、中には適当な写真がなく、困り果てた逸話もありました。たとえば、義弟の臨死体験について記した「義弟が『天国』で見たもの」。これは心臓発作による心停止から生還した義弟の体験談なのですが、当初私が提案していたのが冒頭の写真です。

これじゃ何が何だかわかりませんね。実はこれ、義弟の病院のベッドに括りつけられていた、ティーリーフなんです。ティーリーフといえば、古来ハワイでは、邪気を払う聖なる植物と信じられています。そのため現代ハワイでもお守り代わりにティーリーフを使ったり、お清めにティーリーフを用いたりするんですね。そんな理由から庭にティーリーフを植えている一般家庭や学校も、ハワイには多いものです。

そんなわけで、恐らくは義姉が結んだものでしょう、入院中だった義弟のベッドの下には、いつもティーリーフが結ばれていました。義弟の意識が戻ったといってもその頃はまだまだ予断が許さない段階で。義弟のことをこの世とあの世とで引っ張りっこしているような状態でしたからね。そして病室の連絡ボードには、こんなメモ書きも。

「ティーリーフによる御払いはネイティブ・ハワイアンの文化的な慣わしです。どうかティーリーフを捨てないでください」

掃除の人に捨てられないように、と書かれたものなのでしょう。

その御払いが効いたのかどうかはわかりませんが、義弟はわずか数週間後に無事、退院。今では社会復帰して元気にやっていることは本に書いたとおりです。

ですがこの逸話の写真として、このティーリーフの写真では今ひとつ意味不明。結局本には義弟がお世話になったヌウアヌにあるクアキニ病院の外観を、載せることになったのでした(ちょっと苦しかったですが…)。

次なる写真は、私&オヒアレフアの花の写真。これは今年、家族でキラウエア火山で出かけた際、息子が撮ってくれたものなんです。珍しく私が一人で写っていたので、これを当初、著者プロフィールのところに使いたかったのですが、NGに。というのもカラーならそんなに目立たないように見えた影が、白黒だと、クッキリ、ものすごく目立ってしまったからです。で、結局は家のラナイで、三脚を使って一人撮りしたのが、本に使われている写真でございます。3月末という、本が出版されるけっこうギリギリに撮影しました。



その時、ピント合わせのために試し撮りしたのが以下の写真。一人で私、何やっているのでしょーね。引きつった笑顔をカメラに向けて、何枚も撮りました、とさ。



もしよかったら…。本の最終ページの写真と上の写真、見比べてみてくださいませ!


チベットの精神的指導者、ダライラマがハワイを訪れてから、早や3ヶ月。ダライラマはその後お元気かしら? と、ふと考えることもしばしばです。あれから、中国政府によるダライラマの毒殺計画の疑いをチベット亡命政府が公表したりなんだの…と、いろいろありましたからね。

そして今朝の新聞を読んで、また、ダライラマのことを考えてしまいました。日本でも報道されているかと思いますが、中国でまた、チベット僧が焼身自殺したんですね。18歳のチベット僧が。一連の抗議運動が2009年に始まってから、そのチベット僧で44人目の焼身自殺だったそうです。…なんと悲しいことでしょう! ダライラマの心も今、悲しみで曇っているに違いありません。

そんなニュースを読んで思い出したのが、4月、オアフ島クアロアビーチで出席した、ダライラマの記者会見での一こまでした。

4月にブログでもUPした通り、とにかく朗らかで人に心を開き、いつも笑顔を絶やさなかったハワイでのダライラマ。ですが私がダライラマに接した(見た?)3日間の中で、ダライラマが一度だけ、笑顔を捨て少し攻撃的な様子で人と対峙した時がありました。

その記者会見ではハワイのメディアの記者が順番にダライラマに質問をする機会があったのですが。最初の記者が、なんとも挑発的な質問を発したのです。

「チベット僧の焼身自殺について。なぜ彼らはこんなことをしているのですか」

それを聞いて、私は度肝を抜かれました…。なんというアグレッシブな発言を、聖なるお方に対してするのでしょう! これがアメリカのジャーナリズムなのか…(というか、こういう質問に愕然とする私は、ジャーナリストとして未熟児なのでしょうか?)。ドギマギする私の目の前で、ダライラマは冷静にこう、質問に答え始めました。

「あれは悲しい出来事です。ものすごく悲しいこと」

そして言いました。「でも、物事には遠因というものがある。それを深く見ていかないといけない」。その後ダライラマは、2008年以降、中国によってチベット人民が抑圧され、600人近くの市民が殺されていること。数多くのチベット僧が行方不明になっていること。中国はチベット人に政治教育を施そうとしていることなどを、話し始めました。

「チベット人は基本的に非暴力政策を信じる民族です。でも時には自己表現もする」
「中国人だって、中国は政治改革が必要だと言っている。民主改革が必要だと」
「中国政府はアジアには民主主義は合わないなんていっているが、それは嘘だ。インドだって日本だって台湾だって、みな民主主義を採用している」
「チベットは数千年にわたって特有の言葉を持ってきたのです。(チベットと)中国とは違うんです。でも中国によってずっと抑圧されてきた」

ダライラマは、冒頭の短い質問に対し、堰を切ったように話し続けました。一度、質問者がお礼を言って引っ込み、次の質問者が自己紹介をし始めていたのに、それでもダライラマはそれを遮ってもう一度、「それに、だよ。中国はチベットに対し…」なんて、また続きを話し始めたのです。チベット僧の焼身自殺、というキーワードに対し、きっとダライラマは話しても話しても話しきれないほどの想いを抱いているのでしょう。

その前日、前々日、一般を対象にした講演会にも出席した私ですが、その講演会でダライラマは、政治的な話をほとんどしませんでした。宗教の話も少なく、ただ、一人の人間として人の道を説く、といった感じで。ユーモアたっぷりに、聴衆を魅了したダライラマ。

でも記者会見で見せたように、本当は中国に対する、燃えるような想いも抱いているんですよね。それをふだんは見せないけれど…。だって自分はインドに亡命していて無事ですが、中国の支配下にあるチベットには、今だたくさんの同胞がいるのですから。下手に中国を刺激をしてチベットで大虐殺、なんてことになったら大変です。

生き神、生き仏のように世界で奉られているダライラマだって、一人の人間。記者に挑発されて本音を吐露することもあれば、きっと昨日のような悲しいニュースに接して、涙することもあるでしょう。…手元にある笑顔のダライラマの写真を眺めながら、いろいろ考えてしまいました。ダライラマ、そしてチベットの人々に、心の平穏が早く訪れますように!




先月ハワイ島ヒロを訪れた際、ダウンタウンの太平洋津波ミュージアムを訪れました。ご存知のようにハワイ島もヒロを中心に過去、何度も津波の被害に遭っており、特に1946年、1960年の津波では多くの被害者が出ています。

このミュージアムは津波についての啓蒙や、過去の津波被害者の追悼を目的にしたもの。津波の科学についての展示や、ハワイでの過去の津波はもとより、世界各地で起こった津波についての検証のコーナー等が設けられています。写真やビデオも多数。もちろん昨年の日本の津波についてのコーナーもありました。

その中でも大きなコーナーを占めていたのが、1946年4月1日に起こった、ヒロ近くのラウパホエホエ岬での津波の悲劇についてでした。ラウパホエホエ岬の海に近い地区には小学校があり、津波が直撃。教師2人を含む24人が亡くなり、今では学校跡に記念碑が建てられています。

展示の中で特に目を引いたのは、後年作られた、この小学校の教師・児童24人のための追悼キルト(写真)。中央の津波の図の周りを、全く同じデザインの小さな津波マークが取り巻いているのがわかりますか? その数は24。一つ一つに被害者の名前が入っていて、被害者を代表する形となっています。

このキルトを見ているうち、とても辛くなりました。児童の名前を見ていると…ミツジ・タマモト君とか、キヨシ・スナハラ君とかショウゾウ・イサキ君とか、亡くなった子供の約半数が、日本名だったのです。…日本からの移民の子供たちもたくさん通っていた学校のよう。

彼らは年代的にいって、恐らく砂糖きび畑で働いていた日本人移民の子供たちではないでしょうか(当時ヒロの街の海沿いには、砂糖きびを運ぶための汽車も走っていました。ですが津波で線路が破壊され、そのまま撤去されたのだそうです)。日系2世のその子たちも、勤勉な親に習って、頑張って学校で勉強していたんだろうな。もしかしたら、まだ英語より日本語が得意な子もいたかもしれません。そんな子供たちが、早朝の学校で被害に遭ってしまったのでした。津波が到来したのは朝7時でした。…日本の津波の際にも感じましたが、子供たちが学校で災害に遭うというのは、なんとも悲しいことですね。自然の災害とはいっても…。

見学しながらついシンミリしてしまった私ですが、日本の津波についてのコーナーで、こんなポスターを見つけました! 



「ジャパン、私たちはあなた方と一緒にいます」
そこにはこう大書きされています。過去に津波被害の多かったヒロの、ハワイ島の人々の、日本を想う強い気持ちを深~く感じて、温かな気持ちになりました。MAHALO!! ハワイ!

この津波ミュージアムhttp://www.tsunami.org/は、私の大好きなヒロ・ダウンタウンの海沿い、カメハメハ・アベニュー沿いにあります。今回初めて入ったのですが、(入館料は$8かかるのですが)思いのほか入館者が多くて驚きました! 次回ヒロに旅行した際は、私も必ず家族連れで再訪するつもりです。





先日、ワイキキのロイヤル・ハワイアン・ホテルに新ミュージカル「ホヌ・バイ・ザ・シー」を観に行った時のこと。会場の横に、ハワイが誇る歴史家にして画家の、ハーブ・カネさんの作品が飾られているのに気づきました。

それはカメハメハ大王が1795年にオアフ島に侵攻した場面を描いたもので…。なんとこれ、カネさんの生涯最後の作品なのだそうです! 制作年月日は記されてなかったのですが、カネさんが亡くなったのが昨年春のこと。ですから、おそらく2010年以前のごく近年に描かれたものなのでしょうね。先日、カネさん著の「ヴォエジャー」を買ったばかりなので、思わぬ場所でカネさん最後の作品に出会い、嬉しかったです。

作品の下には、カネさんの写真と、カネさんの言葉による作品の解説が掲げられていました。それによると。絵の右側には赤土色の帆を掲げたカヌーがありますね。これはカメハメハ大王の乗ったカヌーだそうです。小さくてわかりづらいかもしれませんが、羽毛のケープをつけた王族達に混じって、カメハメハの守護神でもあった戦いの神、クーカイリモクの像を掲げた、カフナの姿もありますね。カヌー上の右で、頭上にキイロっぽく描かれた神像を高々と掲げている人が、それです。

そしてこのカヌーの帆が赤いのにも理由があります。以下、カネさんの言葉を引用しましょう。
「父の子供時代の語り部達によると、キングを乗せたカヌーは、赤茶色に染められた帆でほかと区別されていた。その色は赤土とククイナッツのオイルを混ぜたもので染められた」

面白いですね~。カネさんの描くものには、いつも私にとって新鮮な知識が含まれています。文字を持たなかった古代ハワイでは、こうして語り部達により、もしくはチャント(詠唱)により、古代の物語や知恵、知識が伝えられてきました。そう、口承ですね。近年だけ考えても、「おじいさんに聞いた話」や「曾おばあさんの子供時代の経験」などが、その辺の歴史本に書かれた話より真実だったりすることもあるんです。カネさんもそうして身内や土地の長老からも、さまざまな歴史を学んできたのではないでしょうか。そしてそういった知識を、数々の作品に反映してきたのだと思います。

このハーブ・カネさん最後の作品は、ロイヤル・ハワイアンホテルのモナークルームのすぐ横に飾られています。カネさんのファンは必見! カネさんの偉大なるマナに触れてみてください。

前回は、話が盛り上がったところで終わってしまってゴメンナサイ。今日はその続き。作家の佐藤愛子さんの本に書かれていた、ガラス器のお話です。

その昔、佐藤愛子さんは講演のために沖縄に赴き、きれいなガラスの花瓶を買ったそうです。確か赤い花瓶だったかな? 居間に飾り、しばらくはご満悦だったのですが、しばらくすると何やら妙な感覚を覚えるようになりました。

現在、手元にその本がないので一部定かではないのですが、たとえばその花瓶の方がやけに気になったり。ある時は後ろから頭を平手打ちされたような衝撃を感じたり。もちろん後ろ手に花瓶があったのですが。しかも佐藤さんは次第に疲れて疲れて、ついには1日中、ボーっとするようになってしまったそうです。

そんな時、かねてから知り合いの霊能者が佐藤さん宅を訪れました。その人は佐藤さんから「最近疲れて…」の話を聞くと、すぐに聞きました。「最近、新しく買ったものはありますか?」。そこで話は沖縄のガラス器の話題に。霊能者が言うことには、そのガラス器が事の元凶だ、すぐに処分しなければいけない、とのこと。何でもそのガラス器には、第2次大戦中に防空壕で戦死した親子3人の魂というか念がこもっている、というのでした。

…その本の記述で知り、私も先ほど少しリサーチして確認したのですが、沖縄のガラス工芸は琉球ガラスとして知られ、主にリサイクルしたガラスを使うのが特徴なんですね。昔の廃瓶を再利用して作るのが主流で、そのためくすんだ、味のある色合いが出る。アメリカでも一時、人気を集めたのでした。

ここまではいいのですが…。佐藤さんがその後知ったことによると、その廃瓶はたとえば昔の住居跡、工場跡や、防空壕から掘り出されることもあるそうです。そう、防空壕なんですね…。

さらに問題のガラス器を霊視した霊能者のいうことには、防空壕の中で最期を迎えた3人の姿が見える、と。一人は老人。あとは老人の息子の嫁?の若い女性と、その子供。3人は防空壕の中で自害して果てたということです。「その3人の念がこのガラス器にこもっている」と霊能者は言うのでした。たまたま死に場所にあった空き瓶に、3人の念がついてしまったからだそうです。

そしてその空き瓶がリサイクルされて作られたのが、当の花瓶だった…。だから何だか居間に人の気配がしたり…の現象が起きていたんですね。そして近くにいた佐藤愛子さんが激しく感応して、疲れきってしまった…。ずいぶん妙な、でもゾッとする話ではありませんか? その後佐藤さんはガラスの花瓶を沖縄に送り返したとか。すると変な感覚や疲れは、きれいに消え去ったということです。

前回ご紹介した焼き物の話、そしてこの琉球ガラスの話。皆さんはどう思いましたか? 私が感じたのは、人間の想念って強いものなんだな、ということです。だからこそ…常にポジティブ思考をこそ、心がけたいものです。 死んだ瞬間にもポジティブ思考、は難しそうですけど…成し遂げねばなりませんね!




こんにちは~。なんだかちょっとじめじめ、ムシムシする最近のハワイです。日本もきっと暑いんだろうなあ…。

さて(と急に話が変わりますが)、今日は1冊目の著書「ミステリアスハワイ」に“不思議なハワイアン従兄弟”として登場する、主人の従兄弟について、少々語りたいと思います。あ、そういえば2冊目の本にも、ちょっとだけ出ておりますが…。

この従兄弟、Kは、ハワイ語でいうところのカフ。カフは、カフナ(古代ハワイの祈祷師)とは似てあらざるものです。カフはハワイ語で聖職者、守護者などを意味し、キリスト教の牧師を、ハワイ語でカフと呼んだり、はたまたハワイ式の御払いをする人をカフと言ったりも。カフナといえば現代ハワイであまりに異教的で胡散臭い響きを持ってしまうことがあるので、今はハワイアンな聖職者をカフ、と呼ぶことが多いかもしれません。このKも、葬式や新店オープンなどの儀式を司ったり、新居の御払いをしたり。カフとして大変多忙な人です。

そして彼は、実はワイアナエのヘルスセンターの役員も務めており、昨年は、全米コミュニティ・ヘルスセンター協会の代表にも就任。そのつながりでオバマ大統領に面談したり連邦議会で陳述したり、今年2月には、ハワイから初めて全米コミュニティ・ヘルスセンター協会の長に選出されたということで、州議会で表彰もされています(表彰式に出席した主人によると、議員のほか多数のドクターもお祝いに駆けつけた、ということです)。

しかも!(長くなってごめんなさい) 現在60代のKは、そもそもはミネソタの大学で陶芸を教えていた陶芸家なんです。あのスミソニアン博物館にも、Kの作品「ペレのイプヘケ」が展示されているほどの腕前を持つ人なのでした(ネイティブ・アメリカン博物館)。ああ、なんて多彩な経歴の持ち主なんでしょうね…。

前書きが長くなりましたが(Kが妙な人ではないこと、わかっていただけましたでしょうか?)、これはKから聞いた、陶芸にまつわる不思議なお話です。

私がKに、「ハワイではポハクにはマナがこもる、というし、日本では石には魂がこもるという。じゃ、人工の陶器のようなものにはどうなんだろう。マナはこもりますか?」と聞いた時のこと。ポハクとはハワイ語で石、岩のことですね。マナはご存知のように気、霊気、のようなものです。

それに答えてKが言うには、陶器だってもともとは土。自然の万物には何だってマナがこもる。木工細工だろうが、何だろうが、とのこと。作り手の想いが、そういったものにこもるというか、反映されるのだ、とも言っていました。「だから作り手が愛をこめて作ればよいマナがこもるだろうし、逆もあるだろう」とK。そしてこんな例をシェアしてくれました。

昔Kが、あるハワイの禅寺から花瓶をたくさん作る注文を受け、作業していた時のこと。後は焼くだけ、という段階で、夕暮れ時の禅寺を後にしたそうです。と、車が門を出たところで、住職さんが追いかけてきました。驚いたKに住職が言うことには、「あなたの家に病人がいるだろう」。Kは驚愕しました。というのも、その前夜Kのもとに、父親が癌で末期だ、との悪いニュースがもたらされたばかりだったからです。

そのことを説明すると住職は言いました。「君の頭の中は1日中、病気のことでいっぱいだった。そんな心持ちで作った焼き物はダメだ。悪いパワーを人に与えるよ。全部壊してしまいなさい」。そういう“気”のこめられた陶器は人にネガティブな影響を与える、病気にしてしまう、と住職は言うのでした。

なぜ、住職には、Kの心の状態がわかったのでしょうか。そこについてはわかりません。…ですがそれを聞いたKは、住職の言葉に納得。その日に作った作品を全て壊し、一からやり直した、ということです。

…つまりは、素材だけでなく作り手の心の状態も、作ったものに移ってしまうということですね。きっと、作り手だけでなく持ち主のマナとかも移るのではないかと思います…。この場合には病への懸念でしたが、時にはその感情が恨みだったり悲しみだったり、憎しみだったりすることもあるのでしょう。その話を聞いて、なんだかゾ~っとしてしまいました。

そしてこの話を聞きながら思い出したのが、佐藤愛子さんの本で読んだ、沖縄のガラス器にまつわる少々怖い話です。これについてはまた次回~! 少々お待ちくださいね。 
(写真はKの作品&ヒロのアンスリウムです)


昨夜は、久々にワイキキで素敵な夜を過ごしました。ピンクパレスと異名をとるロイヤル・ハワイアン・ホテルで始まった新ミュージカル、「ホヌ・バイ・ザ・シー」のプレヴュー・ナイトを家族で観賞してきました。

このショーは今夜から9月末までの毎水曜・日曜に行われるもので、ワイキキでは久々の新ミュージカルの登場です。仕掛け人は、ディズニー映画「リロ&スティッチ2」の劇中歌やベッド・ミドラーのアルバムにも歌手や音楽プロデューサーとして参画してきた、ハワイ出身のジョンソン・イノス。

ミュージカルだけの鑑賞もできるのですが、もしディナー付きを選択すると、海辺の芝生でのBBQディナーを楽しむこともできて。それが楽しいのです! ワイキキの随一の海辺で、ローカルスタイルのカルビやポーチギーソーセージ、照り焼きチキンなどを存分に味わえるのですから、このディナーだけでもお奨め。しかもデザートは、カキ氷ですよ~。ハワイのビュッフェでカキ氷を出すところなんて、初めて。まさにロコのハートをくすぐるBBQでした。





肝心のミュージカルですが、粗筋を簡単に紹介すると…。ヒトデの精の力で、1日、海中で過ごす機会を得たロコボーイのカイノア。知り合ったホヌ(亀)の母親が、海の屑のため北ハワイ諸島の洞窟に押し込められていることを知り、海の仲間と力を合わせて冒険の旅に出る…というストーリー。ゴミが落ちていたら拾うのが常識だよ、海にゴミをポイ捨てしちゃダメだよ、という教訓に満ちた話が、ホヌやカニ、ヒトデ、オピヒ(貝)らの登場人物?の歌や踊りで楽しく進行していきます。

とにかく海の生物たちの衣装というか仕立てがよく出来ていて、ホヌが「オズの魔法使い」のドロシーばりの美女でビックリしたり、カニがバルタン星人風だったり。オピヒというのはハワイの人が大好きな食用の貝なのですが、オピヒ役も4人も可愛かったなあ。本番中の撮影は禁止だったのお見せできないのが残念!



この夏、ワイキキを訪れる家族連れの方は、ぜひチェックしてみてくださいね~!

今日はアメリカの独立記念日。連休というわけではないのですが、今週は何か、街中がソワソワしています。昨夜はアロハタワー・マーケットプレースでも打ち上げ花火があり、我が家のラナイから楽しみました。そして今夜は、アラモアナビーチでの花火を観にいく予定。行って来ま~す。



新著「ハワイの不思議なお話」にも書いたのですが、私は画家にして歴史家の、ハーブ・カネさんが好き。今回のヒロ滞在中には、カネさん著の「Voyagersヴォエジャース」をついに買ってきました! この本は1991年に出版されたもので、古代ハワイの四方山話からハワイアンのカヌーにちなんだ逸話、はては自身の子供時代の思い出までが、カネさんの素晴らしいアートとともにまとめられた一冊です。皆さんも、ハワイの書店などで一度は見たことがあるのではないでしょうか。

その中に、ゴーストストーリーと題して、ちょっと不思議な物語が紹介されていました。拙者「ハワイの不思議な…」の中でも、古代のハワイ島プナルウを描いたカネさんの壁画の中からハワイ語のおしゃべりが聞こえてきたり、壁画の中の女性が動いた、というカネさんの体験談に触れています(読んでくださいましたか?)。この話もそれと似通った、つまりカネさんの絵に魂がこもったのか? と思わせる、ちょっとコワイお話です…。

昔、オアフ島カネオヘのバーガーキングが開店した時。カネさんはオーナー会社からの依頼で、横幅6メートルの壁画を店に収めたそうです。その壁画は、古代の航海者、カハイの大型カヌーがカネオヘ湾に到着した様子を描いたもの(上の写真)。左手には、特徴ある小島、チャイナマンズ・ハットが描かれていますね。

その1年後のこと。カネさんはオーナー会社から、電話でこんな報告を受けたそうです。何でも新しいバーガーキングの店長は、ハワイに赴任して間もない人だったそう。その店長が言うには、店のスタッフの何人かが、「壁画が気になる、壁画に煩わされている」と訴えたとか。ところがその理由については、誰もはっきり説明できなかったそうです。

そのうち、店長にもこんな出来事が起きました。ある夜、店を閉め、電気を消そうとした店長。フと窓を眺めると。そこに若い女性が立っていました。その女性は窓の外の駐車場に立って、店長をジッと眺めていたのでした。

そして。なんとそれは、草のマットで作った腰みのを巻きつけた、壁画に描かれたハワイアン女性だったのです(カヌーの中央、左手の帆の前にいる女性)。店長はすぐに壁画を見て、そこに同じ女性が描かれているのを確認しました。急いでもう一度視線を窓に戻すと、女性はすでに消えていたのでした。

…どれほど店長が驚愕したかは、想像に難くありませんね。しかもそれは深夜のこと。広い店内には、ほかに誰もいなかったのですから。

翌日、その出来事の報告を受けたオーナー企業は偉かった! 店長の目撃談を笑い飛ばすのではなく、すぐにハワイ式の御払いをすることを決定したからです。1年前の開店時には、なぜか何の儀式も行われなかったそうですから、よほど店長の体験談が「効いた」のでしょうね。カネさんは残念ながら儀式に出席できなかったのですが、代理で立ち会ってくれた友人から、その儀式がきちっと正しく遂行されたことを聞いたそうです。それ以降は、壁画に絡まるおかしなことは全て止んだ、ということです。

…それにしても、カネさんの描く絵には、どんな力が篭っているのでしょう。絵に魂が篭り、人が動き出したり囁いたり。この点につき、本にはカネさんの考察が書かれていなかったのが残念です。もしもカネさんがまだ健在だったら、そのあたりも、ぜひインタビューしてみたかったものです。…昨年3月に亡くなったカネさんのご冥福を、心よりお祈りします。



ただいま~。一昨日、ハワイ島より戻ってきました。ヒロは雨が降ったり止んだりでしたが、相変わらずノスタルジックな風情の素敵な街でした。仕事の合間にあんなものを食べたり、こんなものを食べたり(ククッ)。美味しい思いもたくさんしてきましたよ。

今回はハワイ島市長のオフィスにもお邪魔したのですが、そこでハワイ島の紋章を初めて見ました(上の写真)。なかなか興味深い…。火山島ハワイ島だけあって、3つの火山がフィーチャーされていますね。頂上から盛んに噴火しているのはキラウエア火山でしょうか。そして右手の頂上が平たいのがマウナロア、左手がマウナケアかしら? 火山同士の大きさや位置関係は現実通りではありませんが…。

そして山々の前にデザインされている椰子の木、見えるでしょうか? 小さな島の上に椰子が林立しているのですが。これはヒロ湾に浮かぶココナッツアイランドですね。古来癒しの島、モクオラとも呼ばれたこの島のことは、著書「ミステリアスハワイ」に書いています。モクオラの周りには淡水の湧き出すスポットがいくつもあり、その水には病いを治す不思議なパワーがあると信じられていたとか。そのため、ここには病人が集まり、カフナによる癒しの儀式などが行われたそうです。

正直、ハワイ島にとってこの小さな島が、そんなに重要だとはついぞ知りませんでした。キラウエア、マウナケア、マウナロアといった火山と並ぶスポットなのですね! 紋章一つからもいろいろ学べるものですネ。

おまけですが、以下の写真は、私がヒロのダウンタウンでイチ押しの食堂、プカプカキッチンで食べたアヒ、つまりマグロのソテーです。アヒはもとより付け合せの野菜も地元で採れたものばかり。いったい何種類の新鮮野菜が入っていたでしょう。カレー風味のライスも美味! 豆の一粒まで食べつくして、お店の人に喜ばれました、とさ。



なんだか最近、旅続きですが、明日から3日間の予定で、ハワイ島に行ってきます(大好きなヒロです♪)。
何かおそろしい、イエ、おもしろいネタが拾えたらいいのですが!

そうそう、おととい書いたキング・カメハメハ・フラ・コンペティションが、昨日終了。今年もいろいろ話題の尽きない、エキサイティングな大会でしたねえ。

で、前回トップの写真に載せたホノルル港カラーの衣装のグループは、見事、くだんのフラ・カヒコ(古代フラ)部門で優勝しました。やはり~!

昨日行われた、同じグループのアウアナ(現代フラ)の衣装もまた、素晴らしく綺麗で。曲はクラシックなラブソング、ミ・ネイ。40人くらい?のダンサーが、ウェディングドレスかと見紛う純白の衣装を着て美しく舞い…。しかも、あのナプア・グレッグ改めナプア・マクアの生唄で踊ったのですよ! 見ていて、涙が出てくるほどの美しさでした…。こちらは惜しくもフラ・アウアナ部門2位!

詳しい大会結果は、フラ雑誌「フラレア」のサイトhttp://www.hulalea.com/tools/convention/2012-1/をご覧くださいね。

では行ってきま~す。