mori17さんのブログ

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「映画大好きおっさん」の映画関連

今回視聴したのは、1996年の「ファーゴ」で、アマプラにて拝見しました。

 

ファーゴ 4Kレストア版 [Blu-ray]

 

原題は「Fargo」で、意味は造語らしくよく分かりませんでした。

 

この作品、主人公が二人おり、一人はおっさんのジェリー、もう一人はおばさんのマージ、ジェリーはうだつの上がらない車販売店の営業部長で、マージは田舎警察署長で、実は優秀な人。

 

こうして人物設定だけを見ても対照的なことが分かります。

 

っていうか、もしかしたら3人目の主役となるのが二人組の犯人で、とにかくポンコツ二人組として描かれます。

 

本作の出だしは、ジェリーが自分の車で、新車をけん引する様が描かれ、しかも真っ白の吹雪の中、画面奥から手前に走ってくるシーンから始まります。

 

これは、何かが進行していることを意味しており、その説明が直ぐに酒場のシーンで明かされます。

 

それは犯罪に関する話で、犯罪が現在進行中ということを観客に印象付けます。

 

んで、その犯罪話というのが、うだつの上がらないジェリーが、一発逆転として、嫁の偽装誘拐を計画し、二人組の実行犯にそれを依頼するというもの。

 

その身代金を義父に出させて、雇った犯人たちにある程度金を渡し、残りを独り占めしてウハウハになる計画を実施したところ、犯人たちがポンコツで、誘拐途中に道すがら3人の人間を射殺してしまいます。

 

ほんでこの捜査を地元の警察署長であるマージが担当したところ、あまりにマージが優秀すぎたため、あれよあれよと犯人たちに行きついてしまい、これに困ったジェリーどうなる?ってな展開になります。

 

話の持って行き方は、ジェリーの話とマージの話と犯人たちの話の3つを相互に描き、やがて3つの話が交錯するといった感じです。

 

何と言うか、ジェリーの話はとにかくうだつが上がらない感じで進み、マージの話は謎にほのぼの展開、でも捜査の方はポンポン進み、犯人たちの話の方はこれも謎にチグハグ感が笑いを誘うといった感じで、これがいいバランス感覚で、グイグイ観客を引き付けていきます。

 

ただ、銃の使用シーンではタランティーノとまではいきませんが、グロくスパッと描き、観客の心を一瞬で掴んで離すといった演出とし、3つのグループの会話と相まって、緩めのタランティーノ映画って感じです。

 

ほんで一応、冒頭で、この話は実話をもとにしているとテロップ出ますが、wiki情報によるとこれもコメディー表現の一つだそうで、全体的に、なんというか、最近のホワイト社会にある”誰も傷付けない笑い”とでもいうのか、そんな感じでほのぼの展開で話が進みますっていうか、どうもアメリカ人にしか分からないアメリカンローカルネタを仕込んでいるようで、そこら辺りは日本人として肌感覚で理解できないので、分からない部分もあったみたいです。

 

まあ、何にしてもマージの謎のほのぼの感が炸裂し、かなり楽しめる内容でした。

 

それにしてもこのジェリーという男、義父がイライラするのも分かる感じに、仕事がいまいちできない風に描かれ、それなのに無いものねだりをして崩壊してしまいます。

 

犯人二人組は、体格や性格を正反対に描き、結局仲間割れして身を滅ぼします。

 

そして平凡だけど高望みをせず実直に生きたマージ夫婦だけが、幸せを感じ取るといったオチを迎えます。

 

90年代の映画だからなのか、それぞれの生き方に対し、道徳的にどうなのよ?といった投げかけをした形で締めています。

 

いい締め方なので、映画的にはうまく着地というか成功といった感じでしょうか。

 

ほんで、そろそろ本作のMVPを発表しますが、それは、犯人二人組がどんな奴らだったかを、マージに証言した女性コンビに致します。

 

”変な顔”を連発し過ぎで、俳優のスティーヴ・ブシェミがかわいそうになりました。(笑)

 

まあ、役者冥利に尽きるのでしょうけど。

 

因みにジェリーの息子役の少年が、本作唯一の美形キャラだったのですが、嵐の大野君に似ていると思い、そのことを嵐ファンの女性に話したら、後日この映画を見たらしく、結構ブチ切れられました。

 

似てなかったようです。

 

こんな感じでした。

 

 

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今回視聴したのは、1963年の「マタンゴ」で、DVDにて拝見しました。

 

マタンゴ [東宝DVD名作セレクション]

 

監督:本多猪四郎

 

この映画には原作があり、小説「夜の声(1907年)」だそうで、ここから「船の難破 キノコ 語り 成り果てる」というキーワードを土台に、小説「ひかりごけ(1954年)」、映画「生きものの記録(1955年)」のエッセンスを入れて作成されているようです。

 

ロメロ監督の「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド(1968年)」よりも早く作成されおり、本作のそういった表現がロメロ監督に影響を与えたかもしれません。

 

この映画の何が凄いかっていうのは、正直、令和の今になって初見で観ると3つあるのですが、1つ目は、ジワジワときて、そしてビックリとなり、でもホラー的に怖いかというとそれほどでもなく、観終わって、「人」→「キノコ」というその発想にジワジワ来て、思い出し笑いをしてしまうという中毒性にあります。

 

数人で重たいものを持って移動させる時とか、エレベーターに乗っている時など、絶対に笑ってはいけないシュチエーション時に思い出そうもんななら、必ずや大惨事になること間違いなしです。(笑)

 

2つ目は、本多監督らしく構成がしっかりしている点で、

 

・病室語り 始まり

・ヨット 各メンバー紹介

・嵐の夜~遭難

・漂着~島探索

・難破船~カビの酷さ

・現状把握~命の危機~人間の本性

・消える仲間

・マタンゴ襲来~最後の戦い

・病室語り オチ

 

この辺は勉強になります。

 

そして3つ目は、”どこかの国が行った水爆実験の放射線”といった本多監督や黒澤監督がかつて扱った水爆のアンチテーゼが根底にあり、そこに”ホラー部分”と”極限状態に置かれた人間のエゴイズム部分”の2本柱で話は進み、現実なのかそれとも幻覚なのかといったミスリードも入れ、結局、何が怖かったと言えば人間のエゴイズムが一番怖かった訳で、最後のオチ以後、日本はどうなってしまうのかを考えると、発達しすぎた人類に対する自然からの警告でもある作風になっており、「ゴジラ(1954年)」を作った本多監督らしい仕上がりになっているという、この辺が凄いポイントの3つ目となります。

 

特にエゴイズムからの麻美と明子がキノコを笑いながら食べるシーンは、傑作中の傑作シーンであり、前半で「絶対キノコ食うなよ!」の前振りなんて完璧すぎます。

 

このキノコを食ってどうにかなるってネタは、アニメ「ふしぎの海のナディア」、ゲーム「グリザイアの果実」でもそうですが、ありとあらゆる作品でも消化しており、とにかく後の作品にかなりの影響を与えています。

 

因みにwiki情報では、日本人だけではなく世界中の人が本作を観てキノコが食べられなくなったとのことで、当時はあまりヒットしなかったとはいえ、やはり「ゴジラ」並みの破壊力だったようです。(笑)

 

ほんで本作のwiki情報(著名人による評価・着想)は、大爆笑なのでぜひ読んでいただきたい。

 

 

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今回視聴したのは、2017年の「ラスト・ムービースター」で、アマプラにて拝見しました。

 

ラスト・ムービースター(字幕版)

 

主演は、懐かしのバート・レイノルズで、架空の元映画スターを好演しており、しかも自分の過去映像や過去写真を使って、さらには過去の自分とも共演しています。

 

つまり観客を、まるでバート・レイノルズ本人が、バート・レイノルズ役を演じてるような錯覚に陥れるという、とんでもなミースリード方法で作られており、老いとは何か? そして過去とどう向き合うのか? といった人間の命題(真または偽の両方の性質を持つ)を教えてくれる映画でもあります。

 

<ストーリー>

かつて一世を風靡した映画界のスーパースター、ヴィック・エドワーズのもとに、ある映画祭から功労賞受賞の招待状が届き、参加ついでに映画祭が行われていた彼が生まれ育った街ノックスビルへ行ってみることに。過去の思い出が甦り、育った家、大学のフットボールで活躍したスタジアム、最初の妻にプロポーズした岸辺、自身の人生を振り返ったエドワーズはある行動を起こす。

 

要するにかつての大スターが、年を取って、今では世の中に見向きもされなくなり、別れた妻、亡くなった子供のことを考えるうちに、なぜこんなことになってしまったのか? どうすれば元に戻せるのか? という事を考え、彼が出した結論とは? といった作品であります。

 

これはクリスマスキャロルみたいなもんで、現在の結果に対し、過去を旅し、未来を変えるため、現在で何をするのかといった物語なのですが、そこに老人と若者とのすれ違いといった側面を織り交ぜ、年を取っていようが若かろうが、結局は同じようなことで悩んでいることをお互いが知ることで歩み寄り、年寄りでも若者でも未来をより良いものに変えられるんだといった、非常に前向きな作品に仕上げています。

 

それ以外にも見方を変えると、ある意味ハイデガーの要素(存在と時間)を取り上げており、冒頭で愛犬との件は「人間は決断によって自分の存在の在り方(=生き方)を自由に選択でき、そしてこの性質は他の動物にはない、人間だけの特徴である」と表現しています。

 

それは同時に「生まれた瞬間から一歩ずつ、死に向かって進んでいるにすぎない」という事でもあり、この辺は、老いて身体が弱って、日々の雑事をこなそうとするが上手くいかないといったことで表現し、そこから映画祭に招待されることで「私が存在しているというのはどういう事柄なのか?」といった問いを観客に突き付けます。

 

そして、スターなのにスターの扱いをされないことで自尊心を傷つけられるのですが、それの意味するものは「私たちは世界と切り離しがたく存在している」訳で、しかしなかなか受け入れることができません。

 

その後、かつての生まれ故郷を訪れ、過去の記憶を思い返している時に「人は生まれた瞬間から他の存在者との関係の中で存在している」という事を自覚し始めます。

 

なぜ、そう思うようになったのか?

 

そもそも人は自分の生き方を自由に選ぶことができるはずで、少なくとも自分はそうしてきた結果、大スターになった。

 

しかし今は一人ぼっちで老い先短い人生をただ生きているだけ。

 

なぜこうなったのか?

 

これは運転手のリルとの対比で表しており、彼女とその恋人の関係性を通して、その彼氏の振る舞いから、過去の自分がどうであったのかを考え、例えば、彼氏彼女の恋愛関係の中で異性の命令にただ従っている人は、自分がどうしたいかではなく、「異性がどう思うか」という判断基準で恋愛している訳で、自分の結婚生活においてはどうだったろうと思い出します。

 

そして、結婚式のイベントでリルとダンスし話をすることで、まるで亡くなった子供と接しているかの体験をします。

 

こう言った事を通じて、主体性なくスターのヴィックと結婚したのは2番目以降の4人の妻たちで、スターとか関係なく主体性を持って付き合ってくれたのは、一番最初の妻だけであったとの考えに至り、これこそが自分の間違った行動であったと悟り、そこへかつての最初の妻がアルツハイマーで過去の記憶がないという事が切っ掛けで、昔のあの時まで戻り謝るという贖罪行動を起こします。

 

要するに、世人に踊らされスターになるため妻と子供を捨てた過去に対し、罪と罰から妻にも子供にもファンに対しても心からの謝罪をし、これは同時に「私達は世界と切り離しがたく存在している」のだと観客にも気付かせるものでもあり、未来へ向かって生きていくことを選択した決意表明の瞬間でもありました。

 

この辺は映画で使われた楽曲の歌詞がそのまんま表していますし、年を取った身で拝見すると、妙に涙腺がウルウルしてしまいます。

 

歌詞フェーズ1

心が記憶を呼び戻す時、疲れた目に光景が浮かぶ

その素晴らしさに勝るものはない、まだその先があると気づく

楽しみはこれから、これからが本番

歌詞フェーズ2

かつての振る舞いを今は後悔している

愛する人の苦しみを自分が引き受けたい

もっとましな選択や別の道もあったはず

本当に大切な何かを手放すんじゃなかった

人生は後悔の連続、何が正しいか一生分からない

歌詞フェーズ3

過去を変えることはできない

過去の結末は二度と変わらない

でも今を大事に行くべき場所へ

全ては過ちに感謝している、選ぶべくして選んだ道だから

後悔の念に視界を遮られたどり着くまで時間がかかった

 

まあ、こんな感じの作品なのですが、本作を観て共感するかしないかの境目は、ヴィックやリルに共感できるかできないかです。

 

心の中に世間に対する闇を持っていた人は共感も感動できないって気がします。(笑)

 

因みに、他の俳優さんたちも年を取って似たような映画を作ってますが、トム・ベレンジャーの「ディアー・スナイパー(2019年)」、ニコラス・ケイジの「PIG/ピッグ(2021年)」などがあり、比較して観るのも面白いと思います。

 

ただ、この2作はちょっと暗いかな~(笑)

 

こんな感じです。

 

 

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今回視聴したのは、2016年の「ゴッド・セイブ・アス マドリード連続老女強姦殺人事件」で、アマプラにて拝見しました。

 

ゴッド・セイブ・アス マドリード連続老女強姦殺人事件 - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ・動画配信 | Filmarks映画

 

スペイン映画のようで、原題は「Que Dios nos perdone」になり、グーグルで翻訳すると「神が私たちを許してくださいますように」でした。

 

内容は副題にもあるように、ばーちゃんたちが、連続でレイプされ殺されるという、日本のモラルからすると、あまりにショッキングな内容です。

 

なんでそんなことになるのかというと、犯人の歪んだ過去の体験が、大人になってから炸裂したという訳ですが、母親の業が息子に引き継がれ、その業が息子を歪め犯行に走らせてしまったといった感じです。

 

主人公はベラルデとアルファドの刑事コンビで、ベラルデは吃音がひどく人と話をするのが苦手なので、それをカバーするのが暴力刑事のアルファドであり、事件とそれを追う二人、そして二人の私生活が交互に描かれる展開で進行され、当初は、この二人の問題行動がクローズアップされるから、ただの警官バディものかと思ってみていました。

 

しかし途中から、犯人のプロファイリングがピックアップされ、しかもスペイン国内の事情における抑圧、それを是正できない組織の問題なども噴出していき、ただのバディものではなく、かなりの社会派映画であることが分かってきます。

 

そしていろいろな謎が段々と解き明かされていきます。

 

1つ目は、犯人の動機。

犯人は極端なマザコンであり、これは母に完全支配されて、性を「罪」として教え込まれているからで、つまり性的欲望は罪という価値観が形成され、その結果、若い女性では罪悪感が強すぎ、母に手を出すことは「禁忌」であり、老婆は「女性ではない存在」として扱えるという歪んだ認識、心理学用語で言う脱人間化になったのです。また、罪を隠すことは、心理的には恥の隠蔽があり、性欲は罪と思っているため証拠を完全に消滅したいとの執念も働いています。

 

2つ目は、レイプの意味。

犯人にとっては性欲発散、母への反抗、女性への支配が混ざっており、特に重要なのは母への憎しみで、母は彼を子供のまま縛り付け、性を禁止し、精神的に支配する存在であるから、女性を支配して破壊することで「母への復讐」をし、母への崇拝から老婆への憎悪となったのです。

 

3つ目は、警察の隠蔽。

描かれた2011年のマドリードでは、ちょうど教皇来訪、世界青年の日(巨大宗教イベント)、つまりスペイン国家のイメージイベントと重なり、警察には大事件を表に出すな、観光客を怖がらせるなという政治圧力のバイアスが働き、これは宗教というより国家の体面として、犯行の隠れ蓑になりました。

 

4つ目は、なぜ連続したのか?

国家の体面により事件が大きく扱われないことと、老人が社会的弱者であり、そこに物事にいいかげんというか楽観的な国民性が加わり、警察が気づかないことを理解して犯人は連続犯行を続けました。つまり社会的盲点を利用した犯行とも言えます。

 

本作はこれらを順番に解き明かしていき、犯人だけがおかしいのではなく、警察組織含めた社会のおかしさ、なぜ犯罪が見過ごされたのか、といったことを明確にしながら、最後にだれが怪物なのかといったことを皮肉り、そして主人公と犯人が同じ悩みを抱えていたというオチに衝撃を受けるといった構成になっています。

 

というのも、ベラルデも犯人同様に性的に悩みを抱えており、それを恋人になってくれたロサリオからの「赦し」、つまり「天からの審判」に対し、悪の道へと進まなかったということなのですが、犯人は歪んだ方向へ進んでしまったということです。

 

しかし彼女からの「赦し」によっても吃音は治っていないわけで、今度は女に溺れたことで相方があんなになっちゃうという罪を犯し、その贖罪のため3年を費やします。

 

それに対し最後のオチは、トラウマを解決できていない「お前とオレ」といった構図が示され、一線を越えたものと越えなかったものの違いで幕を閉じます。

 

正直、黒澤映画の「野良犬」を彷彿させる内容になっており、刑事のバディ設定や真夏の都市設定、社会状況、犯人と主人公の鏡像関係などがそうで、そこに宗教ネタなどの異常性を加えた感じに仕上がっています。

 

情報量が多すぎて、1回見ただけでは理解が追い付かず、かなりの反芻作業が必要となる映画なのでした。

 

こんな感じです。

 

 

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今回視聴したのは、1955年の「生きものの記録」で、DVDにて拝見しました。

 

生きものの記録[東宝DVD名作セレクション]

 

監督:黒澤明、主演:三船敏郎

 

終戦後9年目に水爆のアンチテーゼとして「ゴジラ(1954年)」が作られ、その翌年に本作である「生きものの記録(1955年)」が作られています。

 

実は本作も「ゴジラ」同様に、水爆へのアンチテーゼとして作られたと思われ、本作の商品説明欄には「核に対する恐怖を軸に、反核メッセージを色濃く出した野心作」と載っています。

 

この当時世界では、米ソの対立は深まり、以下の感じで水爆実験が行われており、

 

アメリカ 1952年11月 水爆実験成功、エニウェクト環礁

ソ連   1953年08月 水爆実験成功

アメリカ 1954年03月 水爆実験成功、ビキニ環礁、

              第5福竜丸被ばく

 

こうした背景で「ゴジラ(1954年)」と本作の「生きものの記録(1955年)」は作られています。

 

そもそも、日本では2発の原子爆弾が落とされ終戦となり、今度は戦後になっても「第5福竜丸被ばく」という風に、核兵器による恐怖は依然として続いていました。

 

とはいっても、何ができるってなもんでのなく、核開発をやめさせることもできず、どうしようもないので普通に生きていた訳で、本作でもその辺の日本国民の本音は語られています。

 

ほんでこの作品を、令和の今回初めて拝見したのですが、本作が作られた当時には、ドーパミンレセプターとセロトニントランスポーターはまだ発見さらておらず、実はこの二つの因子から、日本人は「心配性で失敗しないことが満足な国民性」の民族だということも、さらには国民の80%が心配性の因子を持っているということも、当時は分かっていませんでした。

 

*ドーパミンレセプター:神経伝達物質ドーパミンの受容体

            日本人はこれの働きが良い

            ➡失敗しないことが満足   

*セロトニントランスポーター:セロトニンを再回収する

               日本人はこれが少ない

               ➡心配性

 

まだ発見されていないのに黒澤監督がこの作品を撮って、しかも題名が「生きものの記録」ってんですから、まるでこの2つの因子のことを知っていたのではないかと思うほどです。

 

どういうことかというと、これは、とにかく凄い観察眼で監督が国民を観察し、観察結果を分析してみると、本作のお父さんが自分と一緒で、お父さん以外が自分と違う生きものとして、監督の眼には映ったのだと思います。

 

しかもその自分の投影者であるお父さんを檻の中に閉じ込めるという描写までし、皮肉として、”自分と違う生きものの記録”として本作を作ったと思います。

 

まあ、逆に、多くの国民からしたら、得体のしれないものを檻に閉じ込めて、医者(飼育員)が治療(観察)してるという体でもあります。

 

なので、水爆へのアンチテーゼといった意味合いもそうですが、日本国民への皮肉としてもメッセージを発している気がします。

 

実はこの話の主人公であるお父さんは、ある前提条件で行動しており、それは「世界で核戦争が起こった時、それによる放射能が気流の関係で日本へ流れてきてしまう」です。

 

しかもブラジルだけが唯一放射能が気流で飛んでこないらしく、そう考えると、日本ではいつ被ばくして死んでしまうかも分からないから、被ばくしないブラジルへ引っ越そうと言い出します。

 

そしてお父さんは、あのピカっと光る雷を見て、異常に怖がる仕草から、どうも原爆(別名ピカ)体験者かもしれません。

 

そう考えると、あのキャラの骨格が見えてくる訳で、さらにお父さんは、日本人らしくセロトニントランスポーターが少なくて心配性なのだと思われます。

 

しかしお父さんは「不安は感じていない、水爆は避けようと思えば避けられると思っていて、あんなものにむざむざ殺されてなるものか、だからこういう行動を起こしている」と言っています。

 

これは、ドーパミンレセプターの働きが弱く、だからチャレンジせずにはいられない人なのだと思われます。

 

つまり、日本人には珍しい「心配性なのに積極的行動力」の人で、「分かっているのだったら積極的にチャレンジして、一族総出でブラジルに逃げよう」という事のようです。

 

ところが、「心配性でチャレンジしたくない」他の日本人からしたら、「我々ではどうしようもないのだから、チャレンジせず、このまま暮らそう」という訳ですから、お父さんはますます孤立してしまいます。

 

なので、お父さんがチャレンジできないよう裁判で縛り付け、そうなるとお父さんには心配性しか残っておらず、工場をあんなにしてしまい、家族だけではなく今度は従業員からも攻撃されてしまいます。

 

そして最後は頭の中で、脳内で避難するしかなくなり、ああいったオチを迎えてしまいます。

 

この”心配性とチャレンジ”の二つのキーワードを使って、日本人を強烈に皮肉った黒澤監督って、やっぱ凄すぎる人ですね。

 

ほんで、行動できる人と行動できない人。

 

ラストの階段のシーンで、これを暗示し、しかも未来のある人とない人にまで選別しています。

 

この表現を受けて作ったかどうかわかりませんが、本作の逆の結果になったって体で作ったのが「フィールド・オブ・ドリームス(1989年)」で、こっちは周りからは反対されるものの、家族が賛同し、ああいった結果を生みます。

 

つまり、アメリカ国民の多くがチャレンジせずにはいられない国民性といった日本国民との違いにより、日本人とアメリカ人では結果が真逆になるという事でもあります。

 

黒澤監督は、1998年に亡くなられており、もしかしたら生前「フィールド・オブ・ドリームス(1989年)」を観て、アンサー映画だったとニヤリとしたかもしれませんね。

 

こんな感じです。

 

 

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