mori17さんのブログ

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「映画大好きおっさん」の映画関連

今回視聴したのは、2014年の「セッション」で、アマプラにて拝見しました。

 

セッション(字幕版)

 

商品説明欄には、「才能 VS 狂気 この衝撃に、息をのむ」とありました。

 

確かに見終わっての感想はそう思いましたね。

 

ポスターにある様に、右の禿げオヤジが狂気で、左のドラマーが才能です。

 

これはアメリカNYのシェイファー音楽学院に通っているアンドリューの苦悩と努力、挫折と開花の物語です。

 

映画的に、主人公のアンドリューが正義側なら、悪側はフレッチャー教授で、教授は優れた才能を伸ばすためにスパルタ式の、しかも狂気じみたパワハラを仕掛けてくる変人です。

 

その変人に目を付けられたアンドリューが、わけ分らんパワハラ手法によってドラマーとして開花していくことになるのですが、イヤイヤそこまで追い込まんでもええやろといった狂気が最初から最後まで続きます。

 

とにかく、「フルメタルジャケット」や「愛と青春の旅立ち」の指導教官みたいに主人公を鍛えます。

 

ただ作中で、こんなにパワハラ映像を見せられても、それほど嫌には思えず、むしろグイグイ引き込まれていきます。

 

特に演奏シーンなど、カット割りを短く、そして早く回し、ものすごいスピード感を出して魅せてきて、よく編集できたなと感心していると、アカデミー編集賞を受賞しており、とにかくアンドリューがラストで魅せるブチ切れセッションは、今までのうっ憤を晴らすがごとく大爆発し、圧巻です。

 

負けない心っていうよりも、狂気には狂気をもって狂気同士が共依存するとでもいうのか、よく圧縮された爆薬はより爆発力が増すみたいな感じで主人公が最後に大爆発します。

 

教授に合わせるのではなく、才能という名の自我の目覚め、心の開放、それが覚醒だったのでしょう。

 

教授も最後は目論見通りなのかアンドリューの世界に引き込まれたのか笑顔になり、それほどアンドリューの開花は凄く、熱いものが観れて良かったのですが、モラル的には良いのか悪いのかよく分からん映画で、普通の人なら教授のサイコパスには耐えられないので、心を病んでしまう、っていうか、いまの日本でこんなことしたら、宝塚歌劇団のように死人が出て直ぐ大問題になるでしょう。

 

そんな映画でした。

 

 

・猫のユーリさんの動画

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・猫ユーリ博士の動画

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今回視聴したのは、2019年の「コリーニ事件」で、アマプラにて拝見しました。

 

コリーニ事件(字幕版)

 

この映画、原作が小説で、1968年にドイツ連邦議会で可決されたドレーアー法の歪んだ実情に対して起こった事件を描いた法廷ものです。

 

この法令によってなぜ人が死ぬことになったのか?

 

その理由を、現代の法廷シーンと弁護士の奮闘、そして過去の回想シーンを行ったり来たりしながら表現しています。

 

話の方は、2001年のドイツのホテルで、ジャン・B・マイヤーなるドイツ人が殺され、コリーニというイタリア人が逮捕されるところから始まります。

 

コリーニは完全黙秘しており、しかし物的証拠はそろっており、裁判が始まろうとしていました。

 

犯人コリーニには国選弁護人が付けられますが、任命されたのは主人公のカスパーで、まずはコリーニに面会しますが黙秘されます。

 

その後、実は殺されたジャン・B・マイヤーは通常ハンス・マイヤーと名乗っていることが分かり、この人物はかなりの金持ちで、しかもカスパーとは家族ぐるみの付き合いで、弁護士になれたのも彼のおかげという、カスパーはかなり被害者と近い関係であったことが分かってきます。

 

さらに言うと、カスパーは孫娘のヨハンナともエロい関係で、これ弁護を引き受けていいの?ってなことになりますが、恩師のリチャード・マッティンガー教授から助言を受け、公私混同しないのが弁護士であるという信念の元に弁護を引き受けることになります。

 

この裁判は、コリーニが被害者を殺したことは間違いないという事で、後はどれくらいのヤバさで被害者を殺したのかが焦点になっており、そのヤバさ加減によって軽い量刑と重い量刑に分かれるというものでした。

 

つまり、犯行動機によっては情状酌量の対象になるという訳です。

 

しかし、完全黙秘を続けているので犯行動機も不明なため、どうしたもんかという事になり、弁護士のカスパーに何とかして自白させろといったプレッシャーがかかってしまい、そんなこと言ったって黙秘し続けるコリーニに対し、どうしろって言うんだってな感じで、カスパーは頭を悩ますことになります。

 

そうこうする内に、犯行に使われた拳銃がドイツ製のワルサーP38という事に対し、なぜこんな50年以上前の古い拳銃を使ったのか疑問に思ったコリーニは、子供の頃の古い記憶を思い出します。

 

それは、被害者であるハンス・マイヤーが、これと同じ拳銃を持っていたことです。

 

ここから、コリーニの過去を調べ始め、イタリアのモンテカティーニ出身であることを突き止めます。

 

そこでイタリア語に堪能なピザ屋のバイト女子を雇いイタリアへ調査に行き、更には本屋を営む父親に協力を依頼し、膨大な資料からモンテカティーニで起こった過去の事件を調べ始めます。

 

するとそこから、驚愕の事実を発見してしまうことになります。

 

その事実とは、1944年に起こった虐殺事件で、被害者と容疑者がこれに深く関係していたことが分かってきます。

 

つまり、犯行理由がこの事件に関係あるという事なのです。

 

しかも、ドレーアー法も深く絡んでおり、ドイツが戦争を仕掛け、人が人を殺し、その報復でさらに人が殺され、更に報復の報復で人が殺されといった人殺しの連鎖の過去に対し、1968年のドイツ人が何をしたのかが問われることになってしまいます。

 

このドレーアー法と言うのは、ああいった戦争の極限状態において、人が人を殺すという事に”しょうがなかった”とするもので、現代のモラルや法律に照らし合わせると、本当にそうなのだろうか?といった疑問を裁判で投げかけることになります。

 

こういった過去と向き合うことになった裁判が、どう決着をつけるのかというのがこの作品のオチになるのですが、ここで贖罪行動が発動してしまいます。

 

いや、この裁判以前に発動していたかもしれません。

 

贖罪とは、 善行を積んだり金品を出したりするなどの実際の行動によって、自分の犯した罪や過失を償うことで、この裁判における被害者と被告人、過去の事件における被害者と被告人という2重構造に対し、誰が誰に対して贖罪したのかという事になっていきます。

 

このことにより、観客はこの映画を観てどう共感するのかしないのか、どう判断したらよいのかと、問いかけられる終わり方をします。

 

恐らく、過去に起こったことから目を背けるな、過去は現在へ繋がっており、未来へも繋がっているという事だと思います。

 

いや、これにより過去に決着がつき、死して幸せになったのかもしれません。

 

そういった意味でも、観客はそれぞれで結論を持ってください。

 

そういった感じの作品でした。

 

 

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今回視聴したのは、2018年の「バトル・オブ・ブリテン 史上最大の航空作戦」で、アマプラにて拝見しました。

 

バトル・オブ・ブリテン 史上最大の航空作戦(字幕版)

 

邦題は「バトル・オブ・ブリテン 史上最大の航空作戦」ですが、実際の題名は「HURRICANE(ハリケーン)」で、主人公たちが乗る飛行機のことです。

 

バトル・オブ・ブリテンとは、wiki情報によると、「第2次世界大戦のドイツによるイギリス本土上陸作戦の前哨戦として、イギリスの制空権の獲得のために行われた一連の航空戦を指す。」となっており、今作ではポーランド人やチェコ人がこの航空戦に参加し、戦果として、彼らの所属する第303中隊の敵機撃墜数は、ポーランド人飛行士が203機以上とこの航空戦で最高だったようで、大活躍をしています。

 

史実としてその活躍を描くということですが、以前見た「T-34 レジェンド・オブ・ウォー」のような、勇ましくマカロニウエスタン調の娯楽映画だと思って観始めました。

 

しかしそうではありませんでした。

 

出だしこそ血気盛んなポーランド人達がイギリスに集まり、そのやる気に手を焼くイギリス人の姿が描かれ、まるで「大脱走」みたいなノリでしたが、実際に敵機と戦い始めると表現が段々と変わっていきます。

 

そもそもポーランド人達はなぜイギリスまで来てドイツと戦っているのかというと、ポーランドに侵攻したドイツ兵によって国民が虐殺を受けており、家族を殺され、命からがらイギリスにたどり着き、そこで家族を殺した敵として「ドイツ人皆コロス」の精神で戦っていたのです。

 

そういった精神であるからなのか、かなり粗野であいさつ代わりに人を殴るといった感じで、イギリス人からしたら理解不能な人種と映ったり、一方、逆に自分の祖国が爆撃を受けている中でもパーティーを開くといった国民性のイギリス人を理解できないとポーランド人からは思われ、ここは意見の分かれるところですが、やや呉越同舟的な感じでタッグを組みドイツ相手に戦っていきます。

 

当然戦争ですから、303中隊も無傷という訳にはいきません。

 

段々と負傷者や戦死者が増えていき、しかもドイツの猛攻に対し寝る間も惜しんで闘い続けます。

 

かなり痛々しいです。

 

そんな中でも、ドーピング材として酒と女性と宗教が描かれます。

 

酒はとにかく飲んで忘れるという意味で活用され、女性の方は生存本能からお互いに求めるように描かれていました。

 

この辺は「スターリングラード」や「フューリー」でも描かれていましたが、死が身近にあり、特に出撃を繰り返し死が目前に迫ると、生存本能が高まるという事があるのでしょう。

 

せめて死ぬ前に思い残すことが無いようにといった女性の優しさが、母性がそうさせるのかもしれません。

 

宗教に関しては、今までの教えと違って敵とはいえ同じ人間を敵として殺しまくらないといけませんから、心の中で葛藤が生まれます。

 

「プライベートライアン」でもこの葛藤とどう向き合うかが描かれていましたが、戦争とは心の矛盾との戦いでもあるようです。

 

そしてこういった戦いを3年間頑張り続け、やっと戦争も終わり、やっと平和が訪れたとなった時、大活躍したはずのポーランド人達は国外追放になりました。

 

ソ連との関係のせいです。

 

その時の世論調査では56%イギリス国民がポーランド人は送還されるべきと回答しており、ポーランドへ帰国したものの多くは迫害や処刑、投獄、強制労働を強いられたそうです。

 

イギリス人って結構とんでもな人たちのようで、このように歴史の闇に隠れた史実を取り上げた作品となっています。

 

以前、「ワルキューレ」という映画がありましたが、あれも歴史の闇に隠れた史実を描いた作品であり、日本人が知らない歴史の闇って結構あるんだと見終わってしみじみしました。

 

正直、観終わって心がズドーンとなった作品でした。

 

と、こんな感じでしたが、空中戦はSFXで表現されており、ややしょぼいSFXで、同じような構図を多投し描かれます。

 

「ダンケルク」のように実物撮影が多くないせいか、質感的に「う~ん」となってしまいますが、これでもかと航空戦シーンが出てくるので数でカバーしたような感じがします。

 

このように他の映画と比べると見方も変わってくるので、今度は同じバトル・オブ・ブリテン映画の「空軍大戦略」を見て比べてみたいと思います。

 

こんな感じでした。

 

 

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今回視聴したのは、2005年の「V for Vendetta」でアマプラにて拝見しました。

 

V フォー・ヴェンデッタ (字幕版)

 

題名の「Vendetta」は政治的攻撃や血の復讐との意味があるそうです。

 

「血の復讐のためのVさん」でしょうか?

 

商品説明欄には、「独裁国家となった未来のイギリスを描いた作品」「1605年に国王の圧制に反発し国家転覆を図り失敗に終わったガイ・フォークスにならって、11月5日がイギリスの反逆精神の象徴となった」とありました。

 

ほんで冒頭でナレーションが流れます。

 

思い出せ、11月5日の出来事を

火薬陰謀事件と反逆を

忘れることは許されぬ

人々の記憶の底にとどめおけ

 

主人公は誰?

名前はガイ・フォークス

彼は誰だったのか?

その素顔は?

 

人よりその理念が大事という

人は失敗し、捕まり、殺され

そして忘れ去られるから

 

だが、400年後でも理念は世界を変えられる

理念の力を私は見た

理念の下に人を殺し

理念のために死ぬ

でも理念にキスはできない

そして理念を抱くことも

理念には流す血もなく痛みもない

愛することもない

私が求めたのは理念ではない

11月5日を教えてくれた人

私は彼を忘れない

 

何のこっちゃと思っていると、そこから題名と一緒にVの文字マークが表示されます。

 

どうも、ガイ・フォークスという人物が1605年に議事堂を爆破しようと企み、実行しようとしますが捕まってしまい、縛り首にされたようで、それを見ていた女の人がナレーションを語っていた模様。

 

んで結局、この冒頭と題名と商品説明欄から察するに、政治的な恨みを400年後(2005年)に反骨精神として晴らすといったオカルトな作品を推測しながら観始めました。

 

ほんでここからメインストーリーがスタートするのですが、報道番組でのプロパガンダ映像が流れ、それにより現状説明を観客にお知らせしてくれました。

 

その内容は、どうも第3次世界大戦の結果、アメリカはイギリスの属国になったようで、イギリスでは移民や異教徒、同性愛者、テロリスト、難病患者を排除して独裁政治による厳しい管理で発展しているとのこと。

 

ほんでここで女の子のイヴィーがデートの準備する様と、仮面の男Vが戦闘準備する様がそれぞれ描かれます。

 

そして治安のため外出禁止の中、イヴィーはデートに向かいますが、取り締まり中の秘密警察の2人に捕まります。

 

普通なら厳重注意なのでしょうが、イヴィーがやたら奇麗だったからかレイプされそうになり、それをVがさっそうと助けてしまいます。

 

彼女を助けた後、Vは彼女を連れビルの屋上へ行き、裁判所爆破を特等席で見せびらかします。

 

多くの市民がこの爆破を目撃しますが、政府は直ぐに報道管制を引き、嘘の情報で国民を騙します。

 

当然、政府は怒ってっていうか独裁国家なので、独裁者のサトラーは怒り、犯人を捜すように関係各所に指示を出し、監視カメラに写っていたイヴィーも手配されることになります。

 

そうとは知らないイヴィーは、翌日職場である放送局に出社しますが、Vは放送局を襲撃し国民に向けたメッセージを流します。

 

内容は、1年後の11月5日に議事堂の前に集結し間違いを正そうというものでした。

 

この状況に警察は素早く放送局に赴きVを逮捕しようとしますが、間抜けにもVに逃げられてしまい、しかもイヴィーもさらわれてしまいます。

 

ここからは、Vを追いかける警官フィンチの視点と、イヴィーの視点、そしてVのレジスタンス活動が描かれていきます。

 

なぜVがイヴィーと関わるのか、そしてVの正体と同時に、過去に政府がやってきた悪行が暴かれていきます。

 

どうもこの展開は、圧政に苦しむ市民に革命を望むと同時に、Vの復讐物語でもあり、イヴィーが市民代表、警官フィンチが謎解き代表として描かれ、1年後に市民が立ち上がるのかどうかといった話の模様です。

 

なぜ、2005年にこの作品を作らなければいけなかったか分かりませんが、1605年の400年後という事で、政治的にも数字的にも語呂が良いからということだと思います・・・多分。

 

話の骨格は、ヒトラーが仕出かした、ドイツ国民の掌握とその後のユダヤ人虐殺を取り入れて描いています。

 

また、「巌窟王」も復讐劇として取り入れており、日本人にはあまり馴染がないと言えるベースで作られています。

 

なんというか、「フォーエバー・パージ」でアメリカの問題を描いてましたが、それのイギリス版みたいな感じでした。

 

ほんで展開が早く引き込まれ、復讐劇のところなど面白かったのですが、Vさんがいろいろと講釈をたれるところがやや間延びしてしまい、ナイフを使った殺陣もいま観ると普通で、もう少し何とかならなかったのかといった感じでした。

 

おそらく2000年代はこれで良かったのだと思いますが、20年近く経って観るとこんなもんなのかって感じです。

 

 

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今回視聴したのは、2019年の「ジョジョ・ラビット」で、アマプラにて拝見しました。

 

ジョジョ・ラビット (字幕版)

 

この作品は、一見して戦時下のドイツ兵をディスったコメディ作品なのですが、これには意味があります。

 

戦争を真正面から描いた場合、どうしても殺伐としてしまい、しかも主人公が少年ですから、そこにリアルは耐えられなくなるので、ワザと外すことで観賞に耐えられるようにしています。

 

言い方は悪いですが、嘘で真実を語る手法であり、冒頭からあの当時のドイツ人をかなりバカにした表現、でも意味がある表現が次々描かれます。

 

そして主人公のジョジョは、ヒトラーを尊敬するドイツ人少年で、ヒトラーユーゲント(ドイツの青少年組織)に入隊するも、ドジで腰抜け過ぎてジョジョ・ラビットとあだ名をつけられる始末。

 

しかし彼には秘密があり、それはうまくいかない時、脳内会議を開いて親友のヒトラーと話をし、励ましてもらうことで事を進めるというものです。

 

実はこれ以外にもヒーリング方法を持っており、つまりは気弱なジョジョは、うまくいかない世の中を脳内会議と親友のヨーキー、それにママとによって回復を図り、威勢を張りながら一人前になることを夢見ている状態なわけです。

 

ところがある日、いつものドジが発動してケガをしてしまいます。

 

そのためヒトラーユーゲントの訓練から外され、リハビリを兼ねて事務局でお手伝いをし始めます。

 

そんなある日、誰もいないはずの家で物音がし、家中を調べてみると、隠し部屋に女の子がいるのを発見します。

 

ビックリしたジョジョですが、勇気を振り絞り話をすると、女の子は何とユダヤ人で名前がエルサだと言い出しました。

 

益々ビックリしたジョジョですが、それもそのはず、学校ではユダヤ人は悪なので迫害せよと教わっており、どうしたもんかとちょっかいを出していると、腕力はエルサの方が強く、結局は気が付けばエルサの言いなりになり、さらにはいつの間にか友達になってしまいます。

 

何となく有頂天になっていくジョジョですが、やがて街は敵軍に包囲され、戦闘が始まろうとしていた矢先に、秘密警察が家宅捜索にやってきます。

 

このままではエルサが見つかってしまうといった時に、指導員であるキャプテンKが助け舟を出し事なきを得ます。

 

うまく危機を脱したジョジョですが、そこで大事件が起こります。

 

これはまだ子供のジョジョにとってはかなりきつい事柄で、これ以降作品の雰囲気も変わっていくと同時に戦火が拡大し、これからジョジョやエルサはどうなってしまうのか?ってな感じで話が進んでいきます。

 

この話は、少年の成長物語であり、少年は何かを失って大人になっていきます。

 

また、ジョジョは大人に何度か助けられます。

 

これも大人になるためには、一度自身を子供なのだと認識し、そこから階段を上げっていくというもので、この作品はその辺もうまく取り込んでいます。

 

そして最悪を脱したジョジョですが、何かにすがり付きたくてしょうがありません。

 

そこで彼が下した脳内会議での決断がオチとなり、最後に伏線回収して話は終わります。

 

最初は戦争を肯定していたジョジョですが、成長するたびに戦争反対へ傾いていき、ラストでは心の底から戦争が終わってよかったと安堵する姿が映し出されます。

 

しかし、やはり戦争による死を描かれなければそこにリアルはありませんから、ママにはそういった役を演じてもらい、そしてキャプテンKには大人のケジメをつけてもらっています。

 

観客を笑いで誘い込み、愛を描き、愛を失うことで泣かしておいて、愛を取り戻し笑顔で締める、そんな作品でした。

 

こんな感じです。

 

 

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