今回視聴したのは、1971年の「地球最後の男 オメガマン」で、DVDにて拝見しました。
![地球最後の男 オメガマン [DVD]](https://m.media-amazon.com/images/I/81P7B05KvWL._AC_UL320_.jpg)
この作品、1964年に作られた「地球最後の男」のリメイクです。
しかも2007年に「アイ・アム・レジェンド」で、もう一回リメイクされています。
本作は、中国とソ連との戦争によって、細菌兵器が使用され、人々が死滅した後の世界を描いています。
この場合、ウィルスではなく、細菌(顕微鏡で見えている)による死滅になります。
ほんでこの細菌兵器ですが、感染すれば最初の内はポックリ死んじゃい、ほとんどの人間は死滅しましたが、寸前に血清を作って生き延びたのが主人公です。
こうして感染していないのは、ロバート・ネビル博士ただ一人だけなのですが、感染して死なずに変な症状が出てしまった人たちがいて、博士はこの人たちと、日々、闘い続けており、そんな世の中を博士視点で描いています。
変な症状の感染者たちは、陽の光に当たれないといった弱点があり、昼間は薄暗いところに隠れ住み、夜になると街を跋扈(ばっこ)し、文明の象徴である図書館を燃やし、さらには博士の家を夜な夜な襲撃してきます。
ほんで一人生き残った博士がやることと言えば、昼の間に、ねぐらで弱っている感染者どもを殺しまわり、夜は自宅で感染者たちと戦い続けます。
こんな博士ですが、映画の冒頭、ロスの街を真っ赤なリンカーン?のオープンカーに乗って登場します。
しかしロスの街には人っ子一人いません。
なぜなら、みんな死んじゃったからで、たった一人で街の摩天楼を徘徊し、感染者のねぐらがどこか、調査して回っています。
この街を1人で徘徊するシーンなのですが、観客として客観的に見ていると、博士は孤独に襲われないのか?といった疑問が沸き上がりました。
実は、博士は一人で徘徊中に、幻聴症状を発してしまい、聞こえもしない電話の呼び出し音に悩まされます。
ですが、自分を叱咤することで立ち直り、また、自宅にあるローマの英雄像に話しかけることで自我を保っていました。
因みに博士の自宅は、大都会のど真ん中にある、5階建てくらいのペントハウスでして、武器弾薬に食料なども備蓄し、発電機を回して電気を自給しながら、かなり優雅な暮らしをしています。
ほんで、感染者たちの攻撃方法ですが、意外と頑丈なビルなので、ローマ軍が使っていたような投てき装置を作り、火の玉をビルめがけて投げつける攻撃をしてきます。
しかし博士も慣れたもので、普通に5階のベランダから暗視装置の付いた銃器で狙撃して対抗します。
ある意味、70年安保の東大安田講堂事件みたいです。
なぜ、こんな敵の攻撃がある中で暮らしているか疑問ですが、解説によると、やっぱり人との繋がりが欲しくて、敵とは言え、奴らと対峙することで寂しさを乗り越えているようで、しかも文明を壊す感染者を許せないといった人類代表としての矜持があったようです。
ただ、映画館で「ウッドストック」のライブを鑑賞し、画面内は大人数なのに、観賞者は博士一人というその構図に、観客は恐怖し、自分じゃなくて良かったとも思わされます。
しかしそんなある日、昼間なのに出歩いている女性を発見し、追っかけますが逃してしまいます。
かなり動揺した博士は、酒を飲んで紛らわしていましたが、薄暗い地下室に入ったところを襲撃され、感染者たちに捕まってしまいます。
ほんで処刑されることになるのですが、その理由は、文明は滅び、その文明代表が博士で、自分たちはその文明から脱却した新しい人類であり、堕落の象徴である博士を殺してしまおうという理由でした。
要するに、全ての罪をかぶって殺されたキリストになぞらえている様で、意味深な行為であるわけです。
ところが、既の所(すんでのところ)でリサとダッチに助けられ、「大脱走(1963年)」のオマージュさながら、バイクで逃げ出し彼らのアジトに行ってみると、子供たちと暮らしており、しかも今のところ感染症状が出ていない状況でした。
他にも症状の出ていない人たちが生き残っていると知った博士は喜び、これなら、唯一感染していない自分の血液から血清を作って彼らに打てば、症状の出ていない全員が完治するのでは?と希望が出てきました。
この希望が博士の本能を呼び起こし、リサとエロい関係になってしまいます、っていうか実はこのエロい関係は伏線であり、ラストの宗教ネタでの回収に、強烈なインパクトを与えることになります。
また、博士は軍人でもあり、役柄的には、文明を壊す感染者を粛清する軍人としての役割と、血清を作り人々を助ける医者としての役柄があり、この二面性に意味があり、現代人の持つ心の問題をも取り込んでいるわけで、ラストの噴水シーンでは、宗教の伏線回収と合体し、十字ポーズと血と帽子で表されます。
ほんで、話を戻すと、リサの弟に症状が出てきていたので、試験的に血清を作り注射したところ完治し、そこからは未症状者たちのために血清を作り始めます。
ところがここで治り始めたリサの弟が、博士に疑問を投げかけます。
それは、「完全に感染しておかしくなってしまった人たちにも血清を打つんですか?」という問いで、これに対し博士は「No」を突きつけます。
この問答こそが人間の本質を付いた内容になっており、本作屈指の名場面となっています。
というのも、そもそもが戦争によって世界の人々が死滅しかけている中で、「また同じことをするのですか?」といった問題ですから、この人類の罪をどう贖罪していくのかといった問いかけでもある訳です。
この辺は、主演がチャールトン・ヘストンですから、「猿の惑星(1968年)」と「」ベン・ハー(1959年)」に被せてきたっぽい気がします。
ようするに、最初は博士からしたら感染者の方が異端者で、逆に感染者からしたら博士の方が異端者であったわけで、それが血清を作った後は、お互いにどうあるべきかという事になりました。
そしてお互いが迎えた結論は何だったのか?
特に博士は、軍人であるべきか、医者であるべきか、で悩み、ユートピアに向かって出発する直前だけに、より博士の宿命感が際立ち、そして贖罪するというオチを迎えます。
それは全ての罪を一人で背負ったというオチで、神々しさで締めたラストでした。
日本人には分かり辛いですが、当時のキリスト教徒の多かったアメリカでは衝撃的だったと思われます。
こんな感じでした。
・猫のユーリさんの動画
・猫ユーリ博士の動画

