作者急病のため、キューサイのあおj(ry
昨日書いた、「真性引き篭もり」のエントリの影響か、訪問者が伸びている
正直、自分がいつもROMっているブログは、コメントをするのにも、自分の好きなブログが、自分のコメントによって世界観が変わったり、そのブログを客観視できなくなったりするのでは、という恐れから、大分躊躇する(今まで、第三者として見ていたブログに、ペルソナの名前とはいえ、自分の名前が発言者として書いてあるのは、実に奇妙だ)
しかも、桁違いのPVのブログにリンクしたり、トラックバックを送ったりすることは、売名行為と取られかねない(実際、「真性引き篭もり」でも、確かガ島通信の批判を繰り広げている時だったと思うのだが、トラックバックを送りつけまくることに何らかの言及があったと記憶する)
まあ、一時的に増えても、興味のない人は見ないだろうから、売名行為って思われてもいいや、実際、そこまで増えてないし
で、このエントリの本題とは、ブログを書いている人をなんと呼ぶか(昨日のエントリでは「彼」と書いていた)
ブログを書いている人、だからブロガー、と書くのはなんだかくすぐったいし
記事を書いているから記者、で間違いはないのだろうけど、ぱっと見、職業上の記者と区別のつけ方がややこしい気がするし
管理人、と書くにはブログだし
著者もしくは作者或いは筆者、と書くにはブログ全てがその呼び名で統一するには幅が広すぎる気がする
○○の中の人(ex.もっぱらの中の人)、と書くには2ちゃんねるのムードに浸りすぎだし
というわけで、ブログを書く人は、
「Web日記記述者(気分によって第三者のコメントにコメントを返したり、トラックバックを送ったり、imaiに友達がいないのを寂しく思う人)、要するにブロガー、と呼ぶことにする
夕暮れと衝突する飛行機
花が、萎れていくのを眺めている
誰もが名を知る、あの花だ
自分は、知っているのだ
その花が、皆に名を知られ、持て囃し、弄べるだけ弄び、飽きて鑑賞するのを止めた直後が一番美しかったのを
その花は萎れていく一方で、美しい盛りを知っている人間には、眺めているより忘却の方が楽なのではと思われた
歳月は残酷である
しかし、目を背けることはしない
いつまでも、いつまでも飽くことなく眺めている
Amebaマイページ考
昨日サーバが激重だったのはこれ のせいだったらしい
Windows live、Googleパーソナライズドなどを使っている身としては、それの二番煎じのさらに劣化バージョン、という感想しか持てない
どうせα版、と銘を打つなら、同じ事で対抗するんじゃなくて、折角ブログというコンテンツを持っているのだから、ブログをもっと前面に押し出して(検索とかももうちょっとおもしろくできると思う)欲しいな、と思ったり
気まぐれクレーマー
真性引き篭もり を初めて知ったのは、数ヶ月前にmixiを始めて、「mixiとは何ぞや?」と思うに至り、様々なブログを検索し、偶然出会った「もしも戦国時代にmixiがあったら。 」というエントリからだった
「mixiとは何か?」という問いはどこえやら、必死になって過去ログを読み耽る日々
最初の方は、延々、(さながらアンディ・ウォーホールの、マリリン・モンローやコカ・コーラをモチーフにしたシルクスクリーンのように連続した)DOTA allsatarsのプレイ記録が並ぶ
そして、ふと覚醒したように2004/12/27 から、天才的なブロガーっぷりを発揮する
思索、詩作、他のブロガーに対する糾弾、読者との恋、時には下ネタなど
今現在、更新をチェックしているブログの中で、最も読むのを楽しみにしている
そういえば、shozandoさんのブログの中で、「一人の優れた作家の全盛期を読者としていっしょに駆けぬける・・・」 というエントリがあったが、彼を作家、「真性引き篭もり」を文学作品と置き換えることを、時代が許容(彼のブログを読むにつけ、ブログは文学作品足りうるのでは、という確信とも疑問とも区別の付かない感情を抱く)するのならば、こんな天才と同時代を過ごせて全く幸せな読者である
最後に、たまに、そのブログのコメントで、「嘘言うな」的な言葉を吐く人がいるが、別にどうでもいい
そのようなコメントを書く人は、ブログに真実を求め、ブロガーは実名や身分証明書をブログに掲載しなければならない、と考える原理ブロガー主義者なのだろうが(彼が真実を書こうが、嘘を書こうが、「ブログを書く」という行為に対しては誠実だ)、彼はこんなにも我々をエンターテインし、狂喜乱舞させるではないか、それに何か不満があるのか?と思う
彼の偉大さに比べれば、こんなエントリなんか大河の一滴だが、今日は賞賛したい気持ちが収まらなかったため
絵画のちゃちゃちゃ
自分が、美しいと思って崇拝しているものは、近くに置いておくべきではない
例えば、絵画の場合
どんな名画でもいつしか見飽きて、風景のようになってしまう
モナリザも(あの微笑には無関心な不届きものがここには居るが)、三日で飽きられるだろう
しかも、夜には、化粧を直しているところを見させられるのだ
そう、実は、美術館では閉館後、字義通り、化粧直しを全館でやっているのだ
すっぴん愛好家にも宗旨変えを決心させる、御年ウン百歳のモナリザの素顔
だから、好きなものは、近くに置くべきではない、と筆を置くや否や、自らの不幸の源泉の正体に気づき、
深い溜息を
つく
セミダブルスタンダード
いつも相談している人に話しているうちに、ようやく気持ちの咀嚼ができてきた
きっと、一緒にいても、お互いが互いを幸せに出来ないことに気づいたのだ
その子の笑顔で、一瞬幸せな気分になった、と勘違いしただけなのだ
その子の欠点まで好きになれる位に好きになれそうもない
これは、失恋の痛みというより、自分の勘違いに対する落胆というほうが近い
Ryan Adams/Sweet Illusions
ライアン・アダムズ は、アルバムを出すたびに、失恋がどうこう、ライナー・ノーツに書いてあるけど
失恋できないのならばアルバムが出せないんなら、どんどん失恋しろ
と、思いながら、痛みを発散するために聞いてた
How can I say
昨日寝る前に、あの子のことを考えていて
で、タイプとは違うけどそれでもその子を好きだ、というようなエントリにしようと思っていた
しかし、今日、その子と話しているうちに「了解」してしまった
何て言えばいいのか、この子ではない、のだ
有り体に言えば、彼女は迷惑なんだろうな、こんな人間に好かれて、というのと、きっと彼女の内面を好きになれないんだろうな、という二重の諦め
後の方の理由は、臆病者の言い訳、と取られてもいいが
その子を、無理やりにでも、one of themに押し込めてしまおう
今日は、他のことも手伝って、久々にストレスから酒を飲みたくなってしまった
Two Can Play That Game
高らかに、プレイボールの声が響き渡る
どんなに、暴投の球でも
どんなに、「明日、六時に昭和基地な」と言われようと
豪快なスウィングで
たとえ、それが野球の体を成していなくても、野球と言い張る
しかし、相手が、「野球をサッカーと呼ぼう」と言い始めたら、無視を決め込む