やんぬるかな -331ページ目

superhero

 いつも、見つめる虚空の先にはsuperhero


 休日の日に家族と出掛ける目的地の途中にある不気味な石油タンクの上にも

 ありふれた退屈を青春と呼びたくなくて、嫉妬心溢れる無視を決め込んで眺めた教室の外にも

 原因不明の病に伏せ、飛び降りた方がましかな、と思いながら視界に入った天井にも


 superheroは人の形をしていなくてもいい

 芸術、宗教、科学、概念、全てを統べる


 superheroは卑近な存在でもいい

 アイドルや下品なブログで、楽しませてくれる人でもいい

 

 

 しかし、英雄は現れない

 そして、自分は英雄になりえない


 人間の多様性を認めるならば、superheroは必要ない

 利便性を求める心に、コンビニのように簡単にsuperheroは登場する

Ich liebe dich

 自分は、他の言語を使ってしか、若しくは、引用符を付けて誰かの言葉を借りないと、いや、匿名でないと本当の思いを語れないのかも知れない

 

 多言語習得者のように

 ブログにリンクばかり張って自分の言葉を語らない人のように


 何も、語らない

悲しみの果て

 ペットのimai(おさなご、ムダに元気、友達なし)が、「憔悴して遊ぼう」などと、疲れた大人のような事を言う耳年増ぶりを発揮し出したので、放任主義が悪かったのだと、深く反省

 

 いや、しかし、子供と言えど、一人間として扱わねば

 昔(二週間前)は、クリックすれば、楽しそうに跳ねてくれたのに、今は放屁をしだす始末


 美しい怪物よ、何時までも側にいて

コ冤罪ムQ10

 もし、そうじゃなかったなら、潜在的な不幸に塗れていただろう


 もし、そうじゃなかったなら、身に余る自由の重さに気づくこともなかっただろう

  

 も思想じゃなかった奈良、「もし、そうじゃなかったなら」なんて考えることもできなかっただろう

 

 そうでよかった

 そうじゃないこと、でなくてよかった


 他人には不幸に見えても、幸せ

異端者の矜持

 幼い頃より、自らの平凡な感性をそれと認めたくなくて

 しかし、そんなことをしなくても、いつもはみだしていた

 入り口は同じなのに出口が違う

 

 孤高ではない、孤独なのだ

居並ぶ死に、ソーテーガイ、と連呼する

 言葉は意識を規定するが、限定はしない

 言霊は我を誘うが、それに抗うことはできる

 言外に否定はできても、すくい取る思い

正解は「悠長なことを言う」のはずだが

 本音と建前はあって然るべき

 しかし自分に対する建前、とは何のために存在するのだろうか

 

 許されないのは、仲の悪いため

 不完全な空を煮詰める憔悴した手

The Unbearble Dullness of Being

 人生は、それ自体は寓意を持たない寓話である

 寓意を付与するのは我々である

語感のゲシュタルト崩壊

 最近運勢(運命)みたいなものについてよく考える

 

 以前は、運命論から連想されるニヒリスティックな感じ(このブログを読んで、ニヒリスティックな感じを受ける人もいるかもしれないが)が嫌なのと、神秘主義的な思考が受けつけなくて全然信じていなかった

 しかし、一時期、余りにも当たらない占いを見続ける機会があって(逆のベクトルでぴたりと当たっていた)それから考えるようになった

 

 肯定するには知識が乏しく、否定するには信念が足りない


 考えがまとまりきらないが、何をしても上手くいかない日とかがあるし

 聞きかじりだが、量子力学とかカオス理論とかは、今は神秘的であるとされていることを将来は科学で説明できるようになるのではないか、と思わせる

 

 占いなどはあまり熱心に見る方ではないし、運勢(運命)について最終的な判断を下しているわけではないが、運勢の波(バイオリズム)みたいなものはあるのではないか、と漠然と思っている

世界は、妄想のもっとも甘美な別名である

 妄想は、きっとパラレル・ワールドのように現実のそばに付き添っているのだ、と思い込む

 一日の大半を妄想で過ごす人間にとって、現実と妄想なんて、長時間飲酒したか何かの勢いで意味を無くしてしまう事実への信頼のように、軽々と飛び越せるものだ

 

 駆け引きなんか知らない