風邪という病。
私は”ウマシカ”だからか、あまり風邪をひかない。
でもこの時期にひくのもまた”うましか”であろう。

昨日、仕事で予定があったので頑張って出勤。
そして帰宅後、参考までに体温測定してみると・・・。やはり・・・。
私の数少ない自慢の一つにシーズンに風邪をひかないのと、仮にひいて上記の温度まで発熱しても、比較的普通に生活出来る事。
殆どの方がこの程度の温度の体温だと普通でいられない様だ。
もちろん私同様例外もいるでしょうが・・・。
強いていえば、食欲が落ちるくらいで思考も変わらないし、走れと言われれば走れます。
私は小学校と中学校、そして高校に至っても1日たりとも休んでいない。
これもささやかな自慢だが、時には風邪をひいていた。
しかし我が家にはなぜか体温計が存在せず、母親が私の額に手を当てて「大丈夫!平熱!さー学校へ行こう!」と言って片付けられていた。
今でこそ、体温計が無くてもどのくらい熱があるのかは把握出来るが、幼かった頃はそんな術を知らず、ゲロを吐きながら登校していたモノだ。
そして社会人になった今、風邪をひいても給料が補償され、こうやってブログを書くなんて事が出来ます。
幼かった自分にはこんな夢の様な待遇を微塵も想像出来なかった事は言うまでもありません。大人って良いですね。
ある意味スパルタだった母親のおかげで頑丈な自分がいるとも言えましょうか。
でも今の小学生は手厚く過保護に育てられて、待遇は大人と変わらないのかも知れませんね・・・。
ついに登場!RC4!
先日土曜日に筑波サーキットで行われた”筑波ロードレース選手権”にまた友人の手伝いで行ってきました。
そこで以前から登場が噂されていたオートバイが偶然にも我々のガレージの横に。

RC8と見紛うそのスタイル。しかしフロントにはシングルディスクが・・・。
そうです、実は690デュークの大改造車でした。期待した人すみません。
この車両はTC400クラスにエントリーしていた車両。
元々はRC8の船底(オイルキャッチカウル)を装着した事から、結果的に全て付けてしまうという大胆な手法で仕上げられたそうだ。
アッパーカウルはワンオフのアルミステーで、サイドカウルはアッパーと船底に挟まれる形で装着される。

KTMにしては短めのフロントフォークを装着する690デュークだが、ロードタイプとしてはやはり長い。突き出しは10センチに迫る。

ノーマルはパイプハンドルだが、サーキット重視という事でクリップオンに換装している。
アウターチューブがトップに向かってテーパーであるとの事で、ハンドルを加える事が出来ないのだそうだ。よってアウターチューブを派手に旋盤でストレートに加工し、54ミリのクリップオンを装着。ほんと大変な手間・・・。

タンクはCBR600RのFRP製のカバー装着しているが、CBRの面影は何処にもない。キャップ周りは使用したそうだが、あとは継ぎ足しで相当苦労して製作したとの事。

ステップももちろんワンオフ。ノーマルは儚くも切断されてしまった。
10センチ以上バックし、5センチ以上に上に上がっているか・・・。

マフラーは定番パワーパーツの”アクラピッチ製”。
排気出口部分にちょうど船底があり排気が干渉してしまう為、今後は延長も考えているそう。

RC8のテールカウルを装着した事で、エアクリーナボックスもワンオフ。
見えづらいが、その中心をお相撲さんのマワシの様にアルミフレームが走っている。
なにが苦労したかといえば、RC8のパワーパーツの造りが異常に悪い事なんだそうだ。社外のFRP製品全般に言える事だが、そのまま装着出来るトコが全く無い。チェコスロバキア製?であるからか、延長にカットと、非常に苦労した部分。

本戦での雄姿。我々の仲間は同じカテゴリでこの車両の後に付けていた。
レースリザルトは確か3位だったと記憶している。タイムもうろ覚えだが6秒台だった。
こんな車両が出てくるとレースは盛り上がります。最新オートバイも良いですが、特殊な車両?への思い入れでエントリーすると見ている方も見応えありますね。
珍車(失礼!)だけにパーツが無かったり、ワンオフ品が増えて苦労がとても多いと思いますが、それはこの本戦に並んだ雄姿で報われますね。
今後、この車両のさらなるリザルトアップと、こういった車両が多くなる事を節に願います。
大垂水峠を抜けて大月へ
昨日は、退院したRC8の様子見という事でどんよりとした雲が覆う空の下、国道20号から当ても無く走ってみました。
出発当初は高尾にある知人のトコに訪れるだけの予定だったが、当人不在の為そのまま甲州街道を山梨方面へ。雨が心配ではあったが、根拠の無い自信と共に進みます。

大垂水峠。
昭和の時代にオートバイに乗っていた人なら知らない人はいないくらい有名な峠。何年振りだろう・・・。
当の私も高校生当時には何度訪れたことか。何も考えてない頃のとてつもない楽しさはもう一生味わう事がない。

大垂水峠には3か所のドライブインがあり、ここが一番上の通称“旭山”。
ここには当時、ホカホカ弁当もアリ充実していた。今、私が立っているトコはガソリンスタンドだった。

ここは3か所の内の真ん中の通称“中神屋”。ここが一番人が多かっただろうか。今はリゾート地向け?と思われる不動産屋となっていた。
先に”旭山”もそうだが、こんな小さなスペースに100台近いオートバイが集まっていたなんて夢物語のよう。場所を取らないオートバイなのに入れなくて困った事が何度もあった。ここは日本橋から60キロなんですね。

週末ともなれば、溢れんばかりの走り屋が集まったものだが、今やニュージェネレーションが寂しく通り過ぎるだけ・・・。
今も昔も音量が大きい事が共通なようです。

筑波サーキットのS字にも似た気持ちの良さそうな道。
しかしセンターポールが切ない。

そして大垂水峠最下部にある通称”みどり”。
当時は”みどり”という旅荘(ラブホテルだ)があった事からその名が付いたと記憶している。今は何やら喫茶店の様なものに変貌していたが、どうやら営業していない様子。そしてやはりラブなホテルが隣接していた。
山奥と言えば”合体”なのか・・・。

多くのオートバイが走り去っていった大垂水峠のブーム末期にはこういった段付き路面になり、とても走り難くなった。

旭山にあったガソリンスタンドはブーム当時に閉まってしまい、その後峠唯一のガソリンスタンドであったここも今や廃墟に。もう戻らないんですね、あの時間は・・・。
駆け足で走ってしまった今回の大垂水峠だが、まさか20年後に外国製のオートバイで来る事を全く想像しなかった。
当時のオートバイブームは夢か幻か・・・。あれだけいた多くライダー達は一体何だったのか?
南南西の風、やんちゃガンマ、シュワッチガンマ等々、ほんのりイタイ名前の有名人と言われる人なんかもいたのが懐かしい・・・(やんちゃの人はレースを楽しんでいます)
少子化が叫ばれる昨今だが、この日スレ違ったオートバイは数える程だ。全盛期の人達は何処で何をしているのだろう。
私は高校生当時オートバイに特に興味が無かった。しかしクラスメイトが中型免許を取得していく中、半ば無理やりに取得した免許だった。
しかし、高校卒業と同時に仲間は4輪に移っていったが、私は4輪と並行していた。
なぜなら基本旅行が好きな私はGWやお盆の渋滞がイヤで旅アイテムとしてオートバイを選んだ。そして今やオートバイの方がメインになった。
当時、青春の僅かな時間に熱を上げた人達は、3年程度で冷めてしまったんでしょうか。右へならえの日本人らしいといえばその通り。
そんなブルーな思いになりながらも、甲州街道を相模湖を抜けて上野原へ。

そして奥多摩の奥地の小菅へ向かって見る事に。当ての無いのも良いものです。この辺りはまだ雨は降っていない。

小菅へ至る道すがら、霧雨が落ちていた。気温は見ての通り10度を下回り、上着1枚で出掛けたおかげですっかり冷えてしまった。
そこで小菅の湯で温まり、奥多摩を抜けて帰る予定だったが、雲行きが怪しかった事で大月方面にしたのが運の付き。

国道139号線はすっかりウエット。というか霧雨ではなくなり普通に降っている。結局一番寒いトコでは7℃まで落ちていました。もう6月ですが。
今年の夏は冷夏らしいがホントかもしれない。

比較的近所にありながら初めて通った国道139号。
晴れていれば中々面白い道路でした。松姫峠を越え深城ダムまで降りると路面はドライになっていた。
本格的に降る前だった様なので、急いで大月市内へ降りた後、中央道を飛ばして帰る事とする。
こんな天候だったにも関わらず、談合坂SAには沢山のオートバイがいた。全体では少ないかも知れないが、大垂水峠にはいなかった数少ない残党を横目に、少なからず存在した同志に安堵しながらアクセルを捻った。
最後に懐かしい映像。ヨウツベ拾いモノですが。