think feel it
昨日の続き
俯瞰して、したたかじゃない人も
いるなぁ・・・
ということで
シリアスも俯瞰も愛か怖れか
それぞれ分かれて、混ざって
拡大して
無になって 。
重さ
物の重さって解かりやすいけど
目に見えないものの重さって
いったいなんだろう?
命の重さ
親切の重さ
彼女の重さ
重さといっても
何かと何かの「比重」だと・・
ご飯よりパンが食べたい時は
今の自分には、ご飯よりパンが重い
彼は嫌いだけど、きっと彼を大切にしている人や
大切にしているものがあったり
彼のことを、そもそも誤解している可能性もあるし
嫌いだからといって、ずっと避けるのも窮屈だし
私に彼を裁くことなんて出来ない
できたとしても、後味が悪いものだと思う
ので、嫌いだけど、どうしようもない訳だから
そっとしておき、復交の機会を待つ
これは彼を慮った結果
彼に対して自分的にも、どういうスタンスをとるかという
自分との葛藤の末の「彼の重さ」ではないだろうか。
身の周りに存在する一個一個の個性と
現時点での自己の精神性との比重
最終地点にはきっと「愛重」(あいちょう)=愛して大切にすることが
あるとすると
自分の愛せないことを「何故、愛せないのか」
ということを考える、その本当の理由を慮ることで
その対象の重さを徐々に感じ始めるのだろうと思う 。
俯瞰して、したたかじゃない人も
いるなぁ・・・
ということで
シリアスも俯瞰も愛か怖れか
それぞれ分かれて、混ざって
拡大して
無になって 。
重さ
物の重さって解かりやすいけど
目に見えないものの重さって
いったいなんだろう?
命の重さ
親切の重さ
彼女の重さ
重さといっても
何かと何かの「比重」だと・・
ご飯よりパンが食べたい時は
今の自分には、ご飯よりパンが重い
彼は嫌いだけど、きっと彼を大切にしている人や
大切にしているものがあったり
彼のことを、そもそも誤解している可能性もあるし
嫌いだからといって、ずっと避けるのも窮屈だし
私に彼を裁くことなんて出来ない
できたとしても、後味が悪いものだと思う
ので、嫌いだけど、どうしようもない訳だから
そっとしておき、復交の機会を待つ
これは彼を慮った結果
彼に対して自分的にも、どういうスタンスをとるかという
自分との葛藤の末の「彼の重さ」ではないだろうか。
身の周りに存在する一個一個の個性と
現時点での自己の精神性との比重
最終地点にはきっと「愛重」(あいちょう)=愛して大切にすることが
あるとすると
自分の愛せないことを「何故、愛せないのか」
ということを考える、その本当の理由を慮ることで
その対象の重さを徐々に感じ始めるのだろうと思う 。
シリアスに慮り・・・
いくつかの漫画を読んでいて思うことは
シリアスなタッチの主人公の描写の時と
ギャグ漫画っぽいタッチの描写の時
この二つのいわゆる「視点」を練ることで
何かつかめそうな気がする
人生の中で
「自分」というものは
重大で深刻な問題だ
とてもシリアス 。
自分を俯瞰するとは
違う視点から客観的に自分を見る
今の状況は「~だ」と 。
「慮る=おもんぱかる」ということは
「おもいはかる」ということなのだが
「俯瞰」はその状況の「重さ」的なことを色々考慮して
「~だ」ということを想う
それは、どこか
三角形の面積を求めるみたいに
「底辺×高さ÷2」
今の自分中心の点と他の点をかけ合せ÷2で
「今の状況の重さ」を「慮る」ことと似ている
人生は刻々とシリアスになっていくのだが
そこで色々と慮ることで人生を生きていく
時に道を踏み間違える時
どうやって軌道修正をしていくのか
しょうがないと「諦める」
くやしくて「囚われる」
ケセラセラと「ニヒルにきめこむ・・
ケセラセラと「受けいれる」
いつか見てろーと「糧にする」
色々な選択ができるのだけど
そこには、その本人の幾つかの「慮り度」が
選択の方向性を決める重要な機関である、とすると
シリアス と 俯瞰 を
うまく使い分けていくことが
人生のあらゆるヒントに通じているような気がする
「比喩」も「俯瞰」というフィルターを通して生まれるような気がする
以前、「俯瞰」をテクニックとして使っていたのだけれど
何か腑に落ちないところがあった
まだその輪郭は、おぼろげなのだろうが
以前より感じ方が違うと思った 。
常に「俯瞰」ベースな人は、きっと「したたか」。
逆に「シリアス」ベースな人は「・・・・」なのだが
そのシリアスな時の経験が、より練られた俯瞰を可能にするのだろうかとも慮る
ストレス社会を生きていくうえで大事なのかもしれません。
いくつかの漫画を読んでそういう二つの視点を持つことで
回避可能なことも色々とあるのだろうと考え、思いました
相手への「おもいやり」は
慮りを相手にあげることのよう
同情の要素もあるのだろうが
「慮る」ということは
「俯瞰」という「鳥の視点」であるからに
いわゆる「うえめせん」ということから
かけはなせないことだとすると
「うえめせん」もまた受けとる側で二極化するのかも・・・
そうなると「モグラの視点」は?
「しためせん」?
どちらも「俯瞰」なのですが
「モグラ的俯瞰」のほうが相手にはとって受けとってもらいやすいのでしょうかね。。
全部ひっくるめて、強引にまとめると・・・
俯瞰は「ひらめき」の扉の鍵なのかもー
わぁ。。なんだか、ねむたい・・・
シリアスなタッチの主人公の描写の時と
ギャグ漫画っぽいタッチの描写の時
この二つのいわゆる「視点」を練ることで
何かつかめそうな気がする
人生の中で
「自分」というものは
重大で深刻な問題だ
とてもシリアス 。
自分を俯瞰するとは
違う視点から客観的に自分を見る
今の状況は「~だ」と 。
「慮る=おもんぱかる」ということは
「おもいはかる」ということなのだが
「俯瞰」はその状況の「重さ」的なことを色々考慮して
「~だ」ということを想う
それは、どこか
三角形の面積を求めるみたいに
「底辺×高さ÷2」
今の自分中心の点と他の点をかけ合せ÷2で
「今の状況の重さ」を「慮る」ことと似ている
人生は刻々とシリアスになっていくのだが
そこで色々と慮ることで人生を生きていく
時に道を踏み間違える時
どうやって軌道修正をしていくのか
しょうがないと「諦める」
くやしくて「囚われる」
ケセラセラと「ニヒルにきめこむ・・
ケセラセラと「受けいれる」
いつか見てろーと「糧にする」
色々な選択ができるのだけど
そこには、その本人の幾つかの「慮り度」が
選択の方向性を決める重要な機関である、とすると
シリアス と 俯瞰 を
うまく使い分けていくことが
人生のあらゆるヒントに通じているような気がする
「比喩」も「俯瞰」というフィルターを通して生まれるような気がする
以前、「俯瞰」をテクニックとして使っていたのだけれど
何か腑に落ちないところがあった
まだその輪郭は、おぼろげなのだろうが
以前より感じ方が違うと思った 。
常に「俯瞰」ベースな人は、きっと「したたか」。
逆に「シリアス」ベースな人は「・・・・」なのだが
そのシリアスな時の経験が、より練られた俯瞰を可能にするのだろうかとも慮る
ストレス社会を生きていくうえで大事なのかもしれません。
いくつかの漫画を読んでそういう二つの視点を持つことで
回避可能なことも色々とあるのだろうと考え、思いました
相手への「おもいやり」は
慮りを相手にあげることのよう
同情の要素もあるのだろうが
「慮る」ということは
「俯瞰」という「鳥の視点」であるからに
いわゆる「うえめせん」ということから
かけはなせないことだとすると
「うえめせん」もまた受けとる側で二極化するのかも・・・
そうなると「モグラの視点」は?
「しためせん」?
どちらも「俯瞰」なのですが
「モグラ的俯瞰」のほうが相手にはとって受けとってもらいやすいのでしょうかね。。
全部ひっくるめて、強引にまとめると・・・
俯瞰は「ひらめき」の扉の鍵なのかもー
わぁ。。なんだか、ねむたい・・・
don't think feel it
気持ちが敏感になっているときは
事あるごとに深く反応してしまう
その深さに疲れてしまうことも多々ある。
そこで気を紛らわせることを考えるのだが
上の空な状態になったり
妙によそよそしかったりする事もある
「若さ」や「勢い」など、「負けた」時に感じる怖れが
さほど強くないときには余り考えないことなのだろうが
「対するものに真正面から対して
なおかつ、意識を良い状態で注意をそこに向ける」
勢いや若さといった状態から離れ
人生の中で、いわゆる「負け」たことで傷を背負った者達は
何かアクションを起こすとき
その負けの怖れの呪縛に逆風を感じてしまう
そういう傾向があると思う
負けて、それから潜む・・・
天照大神(アマテラスオホミカミ)が、天岩戸に引き篭ってしまったように
心の太陽が隠れ、自己の世界が真っ暗になってしまうように・・・
話は、八百万の神が相談し結果、天岩戸から天照大神はひっぱり出されるのだが
このお話を初めて聞いたときは「神」がなんで、そんな子どもみたいに隠れたりするのか・・・
人間くさい行動に疑問を抱いたのだけど
もしかしたら、悟っていくということは、こういう過程の中で
少しずつ経験し積み重ね、最終的に一人一人が神に成っていく・・・と
この日本神話に生意気ながら重ねて思う
話を戻し
「対するものに真正面から対して
なおかつ、意識を良い状態で注意をそこに向ける」には
「重さを感じる」「重さに意識を向ける」ことで
たとえば簡単に言うと
ゴルフクラブの重さに意識を向け続けスイングする事ができるならば
余計な雑念が起こる隙はなく、本来の実力を発揮できるということに繋がる
それを思い続けるには
そのことを心から信じられるかどうかによると思う。ということ
足がかりとして重さを感じ、意識をそこに集中させていく
答えははっきりしないものだが
ぶれないことは
そういうコツを持つことで 意術として
身につけていくことなのだろうかと思う
そこに「柔らかさ」や「穏やかさ」が伴い
したたかさは、より高められていくのだと思う
目の前の人間の「重さ」
そして自己の重さを手に取るように感じ取れたとき
この世で心を一つと成し
その身は神気で溢れるのだと思う
事あるごとに深く反応してしまう
その深さに疲れてしまうことも多々ある。
そこで気を紛らわせることを考えるのだが
上の空な状態になったり
妙によそよそしかったりする事もある
「若さ」や「勢い」など、「負けた」時に感じる怖れが
さほど強くないときには余り考えないことなのだろうが
「対するものに真正面から対して
なおかつ、意識を良い状態で注意をそこに向ける」
勢いや若さといった状態から離れ
人生の中で、いわゆる「負け」たことで傷を背負った者達は
何かアクションを起こすとき
その負けの怖れの呪縛に逆風を感じてしまう
そういう傾向があると思う
負けて、それから潜む・・・
天照大神(アマテラスオホミカミ)が、天岩戸に引き篭ってしまったように
心の太陽が隠れ、自己の世界が真っ暗になってしまうように・・・
話は、八百万の神が相談し結果、天岩戸から天照大神はひっぱり出されるのだが
このお話を初めて聞いたときは「神」がなんで、そんな子どもみたいに隠れたりするのか・・・
人間くさい行動に疑問を抱いたのだけど
もしかしたら、悟っていくということは、こういう過程の中で
少しずつ経験し積み重ね、最終的に一人一人が神に成っていく・・・と
この日本神話に生意気ながら重ねて思う
話を戻し
「対するものに真正面から対して
なおかつ、意識を良い状態で注意をそこに向ける」には
「重さを感じる」「重さに意識を向ける」ことで
たとえば簡単に言うと
ゴルフクラブの重さに意識を向け続けスイングする事ができるならば
余計な雑念が起こる隙はなく、本来の実力を発揮できるということに繋がる
それを思い続けるには
そのことを心から信じられるかどうかによると思う。ということ
足がかりとして重さを感じ、意識をそこに集中させていく
答えははっきりしないものだが
ぶれないことは
そういうコツを持つことで 意術として
身につけていくことなのだろうかと思う
そこに「柔らかさ」や「穏やかさ」が伴い
したたかさは、より高められていくのだと思う
目の前の人間の「重さ」
そして自己の重さを手に取るように感じ取れたとき
この世で心を一つと成し
その身は神気で溢れるのだと思う
そのまんま
あるがままを見つめる
この世でなるべく出会いたくない
いわゆる汚いもの・・・
しかし
それを避けることは
不自然なのかもしれない
あるがままを見つめる
それをうまく自分の中で昇華できることの意味
例え、人に裏切られたとしても
自分の中から
いわゆる汚いものと呼ばれるものが
少なくなれば・・・
それが僕の目指すところ
怖れないで
愛の表現ができたとき
とても幸せになります☆
この世でなるべく出会いたくない
いわゆる汚いもの・・・
しかし
それを避けることは
不自然なのかもしれない
あるがままを見つめる
それをうまく自分の中で昇華できることの意味
例え、人に裏切られたとしても
自分の中から
いわゆる汚いものと呼ばれるものが
少なくなれば・・・
それが僕の目指すところ
怖れないで
愛の表現ができたとき
とても幸せになります☆