シリアスに慮り・・・ | 月の下ポエム

シリアスに慮り・・・

いくつかの漫画を読んでいて思うことは

シリアスなタッチの主人公の描写の時と

ギャグ漫画っぽいタッチの描写の時

この二つのいわゆる「視点」を練ることで

何かつかめそうな気がする


人生の中で

「自分」というものは

重大で深刻な問題だ


とてもシリアス 。


自分を俯瞰するとは

違う視点から客観的に自分を見る 

今の状況は「~だ」と 。


「慮る=おもんぱかる」ということは

「おもいはかる」ということなのだが

「俯瞰」はその状況の「重さ」的なことを色々考慮して

「~だ」ということを想う

それは、どこか

三角形の面積を求めるみたいに

「底辺×高さ÷2」

今の自分中心の点と他の点をかけ合せ÷2で

「今の状況の重さ」を「慮る」ことと似ている


人生は刻々とシリアスになっていくのだが

そこで色々と慮ることで人生を生きていく


時に道を踏み間違える時

どうやって軌道修正をしていくのか

しょうがないと「諦める」

くやしくて「囚われる」

ケセラセラと「ニヒルにきめこむ・・

ケセラセラと「受けいれる」

いつか見てろーと「糧にする」

色々な選択ができるのだけど

そこには、その本人の幾つかの「慮り度」が

選択の方向性を決める重要な機関である、とすると

シリアス と 俯瞰 を

うまく使い分けていくことが

人生のあらゆるヒントに通じているような気がする

「比喩」も「俯瞰」というフィルターを通して生まれるような気がする


以前、「俯瞰」をテクニックとして使っていたのだけれど

何か腑に落ちないところがあった


まだその輪郭は、おぼろげなのだろうが

以前より感じ方が違うと思った 。



常に「俯瞰」ベースな人は、きっと「したたか」。

逆に「シリアス」ベースな人は「・・・・」なのだが

そのシリアスな時の経験が、より練られた俯瞰を可能にするのだろうかとも慮る

ストレス社会を生きていくうえで大事なのかもしれません。
 

いくつかの漫画を読んでそういう二つの視点を持つことで

回避可能なことも色々とあるのだろうと考え、思いました


相手への「おもいやり」は

慮りを相手にあげることのよう


同情の要素もあるのだろうが

「慮る」ということは

「俯瞰」という「鳥の視点」であるからに

いわゆる「うえめせん」ということから

かけはなせないことだとすると

「うえめせん」もまた受けとる側で二極化するのかも・・・

そうなると「モグラの視点」は?

「しためせん」?

どちらも「俯瞰」なのですが

「モグラ的俯瞰」のほうが相手にはとって受けとってもらいやすいのでしょうかね。。



全部ひっくるめて、強引にまとめると・・・


俯瞰は「ひらめき」の扉の鍵なのかもー


わぁ。。なんだか、ねむたい・・・