月の下ポエム -24ページ目

願い

「悟り」が難しいということには

悟りが目に見えなく

自己で完結してしまっているところがあり

他人との共有が難しいからではないだろうか。

悟った事で他者に認めてもらいたいと

自分の心中で0.0001パーセントくらいの

最小の思いがあってもそれは

悟りとして徹底されない


心というものはその最小の「1」を作りだしてしまうのではないだろうか。


心を完成させて心を捨てるということは

そういう「心の作用を解りえる」こととも言い換えられるのではないだろうか・・・

という事を考えてみたが

到底、心というものを解りえるということは無理な事なのだろうか。

頭の中で考えども解らないのではないのか、それとも・・・

それを日々心を観察することの中で発見したいと思うばかりであるが

毎日の中で色々と考えをめぐらせるということは

終わりのないことのように思えてくる

日は昇り、沈むように

色彩や匂い音をかえて、また同じようなところを

彷徨っているような感覚になる


類似回帰

同じようなことが時間軸の中で類似的に起こること

毎朝寝床から起き上がるように

同じ時間帯に仕事をし、食事をとるように


僕らは周期の中で生きている

その周期の裏で支えているものを

僕たち人類はまだ見つけていない

公には見つけていない、またそれがあるということも

一般的には、オカルトチックであり

ファンタジックであると思われる。

周期があって、突然変則的に動き

また新しい周期を作る

説明できないアノマリー現象

突然起こるイレギュラー

その答えはあるのか否か

その発見と悟りをえることが

ぼくの進みたい道であり願いである。



つづく




固から気へ

最前線からの離脱

それはなにを意味するのだろう


その必要性があるとは

とうてい思えない



そんな僕は自由であり自由でない



そんな僕はどこへ向かっているのかすら

自分で解らないでいる

前を向いているようで

本当にそこが前なのか自信がない


正義や愛や優しさは僕らの指針になるけれども

僕は正義や優しさだけで成立ってはいない


僕の中の悪、不善、憎しみ、怖れ

全ての要素が混ざり合っている


僕はそれらを整頓しようと


本を読んだり


人に優しくしたり


落ち込んだり


酔っ払ったり


笑ったりした


怖いものの中に飛び込んでは傷ついた

優しさに触れ勇気もでた

悲しみの中で膝をついた

僕の人生で今まで経験した事が

今の僕の価値観や癖、つまりは


僕の生き方の方向付けになっている


生まれたときには無かった

「物心」を作り築き上げた


こういうことを「慮る」のは




最前線の出来事




それを俯瞰する事で

奥行きが出来た

物心を俯瞰できた

最前線で使っていたテクニックは


最前線の世界が崩れると一緒に崩れてしまう


それは

自分の

物心が良しと思えたテクニックが崩れるということ


僕は 人生の中で学んできた

自分を守る武器や防具を全部すてた

自分を守るのに攻めの道具も守りの道具も必要じゃなかった

心を俯瞰する事がそれらに代わる、それ以上の重要な事などと

過去の自分は思えなかった



何故だろう




今、何故そう思えるのだろう。




それは俯瞰できた事でそれまで僕の中心に居座っていた

「怖れ」がバランスを失って煙のように、気体のように

そこに漂ったことで、僕はそれを息を吹きかけるように

その煙を自分の意思で動かせるのだと気付いた。




怖れは動かせる



最初の一歩


希望


奇跡


嬉しさが込上げた

けれど

調子に乗らないように


口を伏せ


気持ちを落着かせ


慎重に


俯瞰し


観続けようと思った



そして

観ては

引き離され

さらに観ては

引き離されて


ぼくは

その先を目指して

出来る限り

観続けたい

面倒くさがらず

そうしたい


今日も僕は

いったりきたり

でも

以前よりは

観続けられているような

気がしている


つづく。

ひとつの世界

白い壁に頬をあてながら

じっとなにかの音を聞いている

ふだんは聞こえていない音に気づく

それは僕に聞こえる最小の音


心が遠ざけること

心が引きよせること

僕はその間でいつも揺れている

雨が降っても

風がやんでも

その音はその場所で鳴っている

それを忘れたりすることで

最前線の兵士達は疲れたりする


争わないこと

先頭に立たないこと

この世のモラル

人を傷つけないこと

そしてぼくの夢。

ひとつの世界が目の前に立ちふさがって

目を閉じることを恐れさせている

ひとつの世界が

この世界の人口の数だけ存在している

ひとつの世界は音もたてずに

生まれては消えていく


ひとつの世界には見えにくい中心点がある


そこから僕らのすべては溢れている


日々そこに集中する

テレビを見ても

ご飯を食べても

遊んでても

泣いていても

そこを見ている時の僕は

最前線には いない



ひとつの世界には奥行きがあった。

そのドアにはノブがついていなくて

なかなか気づかなかったのだけれど

入ってみると そこは

まるで自分の寝床のようだった

そこでも耳をすませば最小の音が鳴っている

けれどもその場所へ留まることは難しかった

なぜならば最前線には

愛する人や物で溢れているから

僕はそのために

すっかり奥行きを忘れてしまう

そもそも必要なのかと

思ったりもするのだ。


つづく

親友

例えば

「攻める」

という言葉の

二つの含みを考える。

それは「怖れ」を含むのか含まないのか

ということ



ワクワクして攻めているのか

恐々として攻めるのか

その違い


他にも

「守る」とか「笑う」とか沢山あるのだけど

言葉だけでは伝わらないのが

「怖れ」を含んでいるのか、いないのか・・・


「笑う」とか「幸せ」という

一見、ハッピーな言葉にも

怖れを含むのか含まないのかで、ふた手に分かれる


怖れ笑う

幸せな今を怖れる

など



安心していいのだ


けれど

安心できない・・・



それがきっと

多くの人の悩み


意識している人

していない人

気にならない人

僕は

気にしている人



それが何になるのか?

意識過剰?

そうなのかもしれないし

何にもならないかもしれない


けれど

僕は気になる



「怖れを消す」ことが


例えば、それが可能として、

それをいかして何をするの?


何をしよう?



「何もしない」・・・


ただ


「家族の笑顔に繋がること」



そこに怖れを消せる状態で入り

持てる能力を存分に発揮したい

美味しい料理

家事、笑顔

応援 。

それが僕の夢


叶えたいから日々「怖れ」を見つめる

僕にとって避けられない「怖れ」との対話


君は何処から来て、何処へ帰るのか

何処で生まれて、何処で死ぬのか

どうすれば消えるのか

消えることはないのか


君は嫌いじゃないけど

僕の夢には必要じゃないと思うんだ

怖れよ

呼ぶ時だけに

来ておくれ

僕が声を出して

呼ぶ時だけに

遊びにおいで

お願い(笑)


そんな感じで

親友になれたらいいのにね

天任

日々感じる「今と愛を繋ぐこと」

けれども

「愛」とは何だろうと思う

ひとそれぞれの「愛」がある


親から感じる愛

ペットとかから感じる愛

ひとに優しくする愛

それらは、対象物あっての愛


「愛」という「個」では存在しないのか否か


思い呼べば心に漂う

この安息はなんだろう

それを漠然と愛と呼ぶのは

浅はかだと思った

それの対極にあるもの

それは「怖れ」なのかもしれない


怖れの反対の「それ」


怖れを 思い呼び感じる

そして その逆 つまり

怖れが無い状態を思い呼ぶ


逆が逆の意を助ける


失敗は成功のもと

そんな言葉を思いだす


ひとは自己の満足目指して生きている

そして安心を実現したいと思っている


逆の不満足、不安を怖れる


縛られたくない

不自由を

怖れる


それらが無いと

満足も安心も

感じることは出来ないのか

そうであるならば

不遇の状態は

受け入れるべきことではないのか


しかし、そういうふうに

言うのは容易い


ものすごく不遇の事態で

心を満たすには


対極にある逆を捨てなければならない


不遇になることへの怖れ

それもよろしいと

なかなか思えないのだ


心を満たすに

最低限の条件があるとするならば

「意識」と「怖れの無い状態」


人という字は

「愛」と「怖れ」を根とし

合わさっているように思い見える

怖れの根を取り除くと

「|」と成り「一」と成る

それは「完成」を意味するのか否か


最低限の条件を思い

今現在の自分のおかれている「今」はとても恵まれており

それを「ありがたい」と心から思った

今日も ほがらかな心と共に在れる感謝


何に感謝?

心を満たせることを

支えている

天に任す心粋

ですかな(笑)