あるパネルディスカッションへと参加した帰り道。
アメリカ人の同僚がこんなことをボソッと。
“They have knowledge but no thoughts...”
(知識はあるけど考えがない)
日本の教育課題について指摘されたような気がした母。
覚える教育と考える教育の日米の差を感じました。
この日、娘が行っていたおしごとは、”Sentence Analysis”と呼ばれる「文の分析」。
モンテッソーリ教育では、幼児期から文法のおしごとが存在します。
「幼児に文法は必要ない…。」
これは当時の母の最初の反応(笑)。
お喋りが上手になり、言語が溢れ出てくる幼児期。
モンテッソーリ教育では、雑多な言葉を言葉として流すのではなく、それぞれ一つ一つの単語の違いに注意を向けさせます。名称カードで物の名前に十分に触れ、赤いカードあそびで「何をした」という動作の言葉に触れる子どもたち。日常生活の練習では、分類のおしごとをふんだんに行ってきた子どもたちは、今度は言葉を分類する作業に入ります。
新たな概念が突如やってくるのではなく、必ず鉤の手の原理で繋がっているモンテッソーリ教育。
「文法」という一見大人には、顔をしかめてしまうような難しい概念はそこにはなく、今まで行ってきた作業が引き継がれながらも、実は子どもたちへ新たな道に導くのがモンテッソーリ教育の手法なのだと思います。
「文法は子どもにとって思考のアルファベットである」
と表現したモンテッソーリ。
この言葉の整理が思考への道であるということを、娘とのおしごとを重ねることで、少しずつ理解ができてきたような気がしています。
「文法」のおしごとが生きていると感じるのは彼女の書く文章に触れたとき。それぞれの品詞の特徴や役割が分かると的確に伝えることができるのだと感じます。
思考のアルファベットの道は、これからが本番です♡