「日本人にとって宗教って何だろう」武光誠著を読んで。~弥生時代から大和朝廷の時代~
▲永観堂 昨年11月22日撮影こんにちは。前々回より1冊の本の読書感想文が続いております。笑その理由は前回、前々回のブログに記載しておりますので、ご興味ある方はご覧頂き、続いて今回のブログもご覧くださいませ。100%自分の頭の整理のために書いたブログになります。汗▲日本人にとって宗教って何だろう 武光誠著「日本人にとって宗教って何だろう」武光誠著を読んで。今回は弥生時代から大和朝廷の時代をまとめました。※まとめるといっても著書のほぼ引用となります。。。。汗▲嵯峨野の田園風景弥生時代なんて学校の授業以来に聞く単語。今から約3,000年前の紀元前1,000年頃から弥生時代が始まったとされています。弥生時代になると稲作技術が大陸から伝わり、日本人の主食が米になりました。その影響によって、あるゆる自然を敬い感謝していた縄文時代から、稲作に必要な太陽や水、川、水源にあたる山に対して敬い感謝するように変化しました。また水田や田畑を開拓してくれた祖先のおかげで自分達が生活できることに感謝する、祖霊信仰という新しい形の宗教が人々に広がりました。現代ではお寺が管理するお墓に行き、おじいちゃん、おばあちゃんのことを思ってお参りすることは当たり前に感じますが、祖先に感謝する気持ちは、大昔の人の心からずっと続いているものなんですね。祖先に感謝する気持ちは誰かに作られたものではなく、人間に自然に備わってるものなのか。また弥生時代には、お米が保存できることから「財産」という概念が生まれました。縄文時代は全ての人が平等な生活を送っていましたが、弥生時代には身分や貧富の差が発生し、首長という権力者が登場し始めました。そして自然に祈るという祭祀を首長である権力者が独占して行うようになり、首長霊信仰という信仰の形も生まれました。首長が庶民を代表して祖霊を祀る形で、庶民は祭祀に参加させず、首長が祭祀を行うことで、その土地の人々が平和に暮らすことができる。▲上賀茂神社 北に位置する神山を祀る当時は良い行いをすることで霊魂が自分達を守ってくれる、悪いことをすると霊魂が自分から離れてしまい不幸になるという価値観だった。権力者と聞くと悪政とか独裁者みたいなイメージを私は頂いてしまうのですが、当時は権力者だからこそ良い行いをしなければならないという社会だったそうです。現代の権力者よりも頼りになる存在だったかも知れない。。。▲貴船神社 桂の木この首長霊信仰の形は現在の日本にも受け継がれていて、伊勢神宮に祀られている天照大神を子孫である天皇が祀ることで、日本の神々を代表して祀る形が現在も続いている。学校の授業の時には、弥生時代に何も思い入れも感じませんでしたが、今になって現在との繋がりを感じ、日本の歴史に触れた気がします。▲大神神社 後ろの三輪山を祀るそして大和朝廷の時代になると、霊魂は神聖な場所に集まると考えられるようになり、巨石や巨木や山の中に磐座(いわくら)と呼ばれる祭祀施設が作られるようになりました。そしてこの磐座があった場所が現在の神社になっていることも多いそうです。▲大神神社 三輪山の頂上付近には巨石を祀る跡があるらしい旧石器時代や縄文時代、弥生時代と日本の信仰心を振り返ると、私の「宗教=怖い」というイメージとは違います。自然の中で生活することで、自然を敬い感謝する。そして皆で協力しながら生活を送る。とっても純粋でピュアな印象です。神社には必ず森やたくさんの木々がありますが、その理由は太古から自然を大切にしてきた日本人の精神が受け継がれているからかもしれない。