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物語ライティング大隈明子の個人ブログ

物語ライティングができるまで&プライベート日記

脊髄損傷

 

診察を終えた医師に最初に伝えられたのはこの病名でした。

交通事故などでよく聞きますね。

 

そういばスーパーマンの俳優が落馬で半身不随になったな…

なんてことを思い出しながら医師の次の言葉を待ちました。

 

「もしかしたら、ここから下が動かなくなることもあります」

 

医師の手は首のラインにありました。

 

やっぱり、半身不随……。

いや…寝たきりになるかもしれない。

 

覚悟していたとはいえ、目の前が真っ暗になりました。

 

あの狭い家にどうやって介護ベッドを置き、

車椅子を入れたらいいのか。

 

現実的な問題が頭を巡りました。

 

クマさんは寝たきりになってしまうんだろうか…。

 

「この白くなっているのが神経がやられているところです。

 それにここに骨ができているんですよね」

 

「骨ですか?」

 

「年を取るとできる人もいるんですが、詳しいことは

 神経の先生からお話がありますから」

 

「手術で脊髄の圧迫を取る方法もありますが、

 回復の兆しもあるので、しばらく様子を見ましょう」

 

クマさんはそのまま入院することになり、

ナースセンターの横の部屋に移されました。

 

そういえば、くも膜下で倒れたときも、

集中治療室の後、こんな部屋に移されたんだったな~。

今回の入院はどれくらいになるんだろう…。

 

先の見えないこれからの生活に

ただただ不安を覚えながら帰路につきました。

 

クマさんの足は動くようになるんだろうか…。

 

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リハビリの様子を、どんどん書こうと思いつつ

随分間が開いてしまいました。

 

実は3月末からホームヘルパーの学校に通っているのです。

 

ベッドから車椅子への移動や、着替えの方法など

すぐに役立つことばかりです。

 

でも一番勉強になっているのは、介護される側の気持ちについて。

 

「誰も介護されたいと思っている人などいない。

 みんな自分のことは自分でやりたいんです」

 

という先生の言葉が印象的でした。

 

 

今日はクマさんが倒れた原因についてお届けします。

 

3月19日の早朝、

「グォー!グワァー!」という

うめき声がトイレから聞こえてきました。

 

そう、クマさんはトイレで倒れたのです。

 

「助けてくれ!体が動かない…」

 

「脳梗塞だ!!」

 

咄嗟にそう思いました。

 

運び込まれたのは、くも膜下出血の治療で

今でも通院している総合病院。

 

脳外科の担当医もいるので、ホッとしました。

でも救急車の中で気になる一言が…。

 

「脳梗塞も疑われますが、頸椎をやられているかもしれません」

 

「頸椎ってどこだっけ…、頸椎捻挫で体が麻痺するんだろうか…」

 

病院でMRIを撮る間、スマホで頸椎について調べてみましたが

具体的にどうなるのか想像できません。

 

その日、当直医として最初に診察してくれた脳外科の先生も

 

「脳には異常が見られないです。

 麻痺は脊髄損傷からくるものと思われます」

 

と言います。

 

脊髄損傷?

 

トイレで倒れただけで、脊髄は傷つくものなんだろうか…。

 

そもそも脊髄って、どこにあるんだっけ?

 

その後、整形外科の先生に診察がバトンタッチされ、

クマさんの本当の病名が明らかになりました。

 

倒れた原因は

迷走神経反射 いわゆる失神でした。

 

その時、トイレの壁に顔を打ち付け、首がグッと曲がり

脊髄を傷つけてしまったようです。

 

これが普通に曲がっただけなら大丈夫だったかもしれませんが、

クマさんの場合は、別の病気が脊髄に害を及ぼしていました。

 

その病名こそ 「後縦靭帯骨化症」

このときはじめて難病を抱えていることが分かったのです。

 

 

くも膜下出血の場合、手術が無事に終わっても、

後遺症が残ることがあります。

 

クマさんは、体に後遺症は残りませんでしたが、

水頭症になりました。

 

脳のくも膜が血液で目詰まりしてしまって

髄液が脳室に溜まってしまう病気ですね。

 

溜まった髄液が脳を圧迫するので

頭痛がひどくなり、物忘れもひどくなります。

 

クマさんの場合、自分の親も私のことも、

自分の子どもさえも誰か分からなくなってしまいました。

 

でも不思議と、言葉や自分の名前、

昔の記憶は残っているんですよね。

 

食事をとったことも、話したことも

片っ端から忘れていく…、認知症と同じような症状です。

 

水頭症の治療では、頭にシャントというチューブを入れて

髄液をお腹に流れるようにする手術を行いました。

 

こんな感じ↓

 


物語で日本を元気にしたい!~代表メッセージ取材・執筆「物語ライティング」の代表ブログ-シャント 

 

これは今でも体の中にあり、

CTなどを撮るとしっかり写っています。

 

ただ、この手術をしたからといって

記憶障害がなくなるわけではなく、

その後も物忘れは1年以上続きました。

 

例えば、退院した後でも

朝ご飯を食べてウォーキングに出かけると、

 

10分ほど歩いたところで、

「朝ご飯食べったっけ?」と言う。

 

5分ほど前に話したことを覚えていない。

 

自分の家への帰り方を忘れる。

 

運転はできるが、駐車した場所を思い出せない。

 

11年経った今でも、たまに1~2週間前のことは

忘れてしまうこともあるので

軽い記憶障害は一生つづくのかもしれません。

 

もちろん、人によって症状は様々だと思いますが、

覚えていないことも多いので、

周りは気を付けていなければなりません。

 

一見ふつうに見えるし社会復帰もできますが

記憶障害が残っている間は、

 

「さっき言ったでしょ!」

「もう、何回も同じこと言わせないでよ」

 

なんてことは、あまり言わないようにしたほうがいいですね。

 

若いのに何でも忘れてしまう本人が、一番不安で

悔しくて情けない思いをしているでしょうから。

 

と、今ではこんな風に書けますが、

当時は私もまだ若かったので、かなりストレスが溜まっていました。

 

そりゃそうです。

見た目は40代、頭は老人。

それが自分のダンナなんですから。

 

イライラもするし、本人に当たりたくもなります。

関係ない子供たちにまでストレスをぶつけたこともありました。

 

そういえば、車をぶつけてしまったのもあの頃でしたね~。

 

子どもたちが小さくて、置いて出られなかった私にとって、

唯一の楽しみは、同じような境遇の人とのメールのやり取りでした。

 

励ましてもらったし、元気ももらった。

書いて吐き出すことで、気持ちを静めることができたんです。

 

あの頃、誕生日や母の日に何がほしいと聞かれたら、

いつも答えは同じでした。

 

「一人の時間がほしい」

 

「一人にしてほしい」

 

クマさんも子どもたちも、

困った顔をしていたのをよく覚えています。

 

なんであんなことを言ってしまったんだろう…。

精神的に追い詰められていたのかもしれませんね。

 

正直、今回の入院でまた心は折れそうになっていますが、

前回と違うのは、子どもたちの助けがあること。

 

病院から家に戻って、いろいろ話すとかなりスッキリします。

 

普段はろくに話もしない息子が

静かに話を聞いてくれるだけでも、心が休まります。

 

そういえば今日、外でこんなことを言われました。

 

「ご主人、そんな大変な病気なんですか。

 でも、奥さんが明るいからいいわね」

 

悪気があって言ってるわけじゃないのは分かっています。

 

でもね、私だって好きで明るくしてるわけじゃない。

空元気でも出さないと、やっていけないからそうしてるだけ。

 

半身不随で難病のダンナがいて、

それでもケラケラいつも笑っている人なんていないですよ。

 

おっと、これ以上書くと愚痴になってしまうので

今日はこの辺で。

 

明日は、今回の入院の原因となった

後縦靭帯骨化症についてお届けします。

 

 

 

長時間に及ぶ開頭手術を受けたクマさんは

その後、集中治療室に移されました。

 

しばらくは絶対安静ということで

寝顔しか見ることはできませんでしたが、

息をしていることは確か。

 

生きているんだな~と、しみじみ思いました。

 

翌日、会話ができるというので

義父母と一緒に集中治療室の中へ。

 

キャップに割烹着のような衛生着、

マスクを身に着けて中に入ります。

 

このときは、本人の記憶も会話もかなりはっきりしていました。

 

「俺、くも膜下になっちゃった。

 携帯持ってきてくれ、会社に電話するから」

 

そして、しきりに病衣の胸のあたりを探るしぐさをします。

 

これは胸ポケットにタバコがないか

無意識に探しているんです。

 

そう、クマさんが倒れた原因の一つに喫煙もあるんです。

動脈瘤、高血圧、ストレス…すべてが重なってしまったんですね。

 

     ◆◇◆◇◆◇◆

 

さて、集中治療室でのクマさんですが、

頭はともかく、体は元気なので

3日目にはベッドで食事をとることもできました。

 

えっ!!ここで、そんな普通の食事していいの?( ̄□ ̄;)

 

頭や腕にいろんな器具を付けながら

自分で箸を持って食事をとる姿に、正直びっくりしました。

 

しかも完食!!∑ヾ( ̄0 ̄;ノ

 

なんだ元気じゃん…( ̄_ ̄ i)

 

このままいけば、すぐに退院できそうな雰囲気。

 

しかし、くも膜下出血との本当の戦いは

集中治療室を出てから始まったのでした。


 

明日は、患者が避けては通れない

記憶障害についてお届けします。

 

今日はくも膜下出血の手術についてお届けします。

 

クマさんが千葉市内の病院から、

印西の病院に運び込まれたのは夜8時半頃だったでしょうか。

 

ベッドに横たわる姿は生きているのか死んでいるのか…

なんだかもう遠いところに行ってしまった人のようでした。

 

正直、このときの医師の話はよく覚えていません。

ただ、頭に残っているのは、翌日の朝から手術を行うということ。


 

 なぜすぐに手術をしてもらえないんですか?

 

 出血したところをそのままにしておいて大丈夫なんでしょうか?

 

 このままだともっと悪化してしまうんじゃないでしょうか?


 

どんな大変な手術が行われるかも知らず、その時の私は、

「すぐになんとかしてくれ」と無理なお願いをしてしていたように思います。

 

たしかそこで言われたのは

 

患者が安定した状態にならないと手術はできない」ということと、

いま6時間に及ぶ手術を終えたばかり」ということ。

 

そう、患者も執刀医も万全の状態じゃないと

長い手術に耐えられないわけですね。

 

でも、当日クマさんが身に着けていた物を渡され、

家族が宿泊できる部屋に案内してもらいながら、

 

「このまま生きて会えなかったらどうしよう…」

そんなことばかり考えていました。

 

    ◆◇◆◇◆


 

くも膜下出血の手術には何パターンかあるそうですが、

クマさんが受けたのは、「クリッピング」というもの。

 

こんな風に頭に穴を開け、動脈瘤をクリップで止める手術です。

 


物語で日本を元気にしたい!~代表メッセージ取材・執筆「物語ライティング」の代表ブログ-kaitou 
          ※脳神経外科疾患情報ページより


 

医師から手術の説明を受けたときは、

具体的に想像できなかったんですが、

 

「えっ!!頭にこんな穴をあけていたの!!」

後でネットで調べてビックリしました。

 

クリッピング手術の詳細はこちらを参考にしてください。

http://square.umin.ac.jp/neuroinf/medical/101.html


 

翌朝、手術前に家族が行うのは

手術の同意書にサインすることでした。

 

麻酔や輸血の同意書を読みながら

かなり不安を覚えましたが、同意しないことには手術は進みません。

 

すべてを執刀医にゆだねます…ということで

手術室に運ばれていくクマさんを見送りました。

 

手術は5~6時間と言われていましたが

実際に手術室から出てきたのは8時間後。

 

医師に「手術は成功しました」と言われたときには

精神的にも体力的にも疲れ果て、もう放心状態でした。

 

でも、全神経を集中して手術をしてくださった医師と

スタッフの皆さんはもっと疲れていたんですよね。

 

一仕事終えた医師からは、

なぜかベテランの職人さんといったオーラが出ていました。

 

先生、クマさんの命を救ってくださってありがとうございます!

 

というわけで、明日は集中治療室での様子をお伝えします。