くも膜下出血の場合、手術が無事に終わっても、
後遺症が残ることがあります。
クマさんは、体に後遺症は残りませんでしたが、
水頭症になりました。
脳のくも膜が血液で目詰まりしてしまって
髄液が脳室に溜まってしまう病気ですね。
溜まった髄液が脳を圧迫するので
頭痛がひどくなり、物忘れもひどくなります。
クマさんの場合、自分の親も私のことも、
自分の子どもさえも誰か分からなくなってしまいました。
でも不思議と、言葉や自分の名前、
昔の記憶は残っているんですよね。
食事をとったことも、話したことも
片っ端から忘れていく…、認知症と同じような症状です。
水頭症の治療では、頭にシャントというチューブを入れて
髄液をお腹に流れるようにする手術を行いました。
こんな感じ↓
これは今でも体の中にあり、
CTなどを撮るとしっかり写っています。
ただ、この手術をしたからといって
記憶障害がなくなるわけではなく、
その後も物忘れは1年以上続きました。
例えば、退院した後でも
朝ご飯を食べてウォーキングに出かけると、
10分ほど歩いたところで、
「朝ご飯食べったっけ?」と言う。
5分ほど前に話したことを覚えていない。
自分の家への帰り方を忘れる。
運転はできるが、駐車した場所を思い出せない。
11年経った今でも、たまに1~2週間前のことは
忘れてしまうこともあるので
軽い記憶障害は一生つづくのかもしれません。
もちろん、人によって症状は様々だと思いますが、
覚えていないことも多いので、
周りは気を付けていなければなりません。
一見ふつうに見えるし社会復帰もできますが
記憶障害が残っている間は、
「さっき言ったでしょ!」
「もう、何回も同じこと言わせないでよ」
なんてことは、あまり言わないようにしたほうがいいですね。
若いのに何でも忘れてしまう本人が、一番不安で
悔しくて情けない思いをしているでしょうから。
と、今ではこんな風に書けますが、
当時は私もまだ若かったので、かなりストレスが溜まっていました。
そりゃそうです。
見た目は40代、頭は老人。
それが自分のダンナなんですから。
イライラもするし、本人に当たりたくもなります。
関係ない子供たちにまでストレスをぶつけたこともありました。
そういえば、車をぶつけてしまったのもあの頃でしたね~。
子どもたちが小さくて、置いて出られなかった私にとって、
唯一の楽しみは、同じような境遇の人とのメールのやり取りでした。
励ましてもらったし、元気ももらった。
書いて吐き出すことで、気持ちを静めることができたんです。
あの頃、誕生日や母の日に何がほしいと聞かれたら、
いつも答えは同じでした。
「一人の時間がほしい」
「一人にしてほしい」
クマさんも子どもたちも、
困った顔をしていたのをよく覚えています。
なんであんなことを言ってしまったんだろう…。
精神的に追い詰められていたのかもしれませんね。
正直、今回の入院でまた心は折れそうになっていますが、
前回と違うのは、子どもたちの助けがあること。
病院から家に戻って、いろいろ話すとかなりスッキリします。
普段はろくに話もしない息子が
静かに話を聞いてくれるだけでも、心が休まります。
そういえば今日、外でこんなことを言われました。
「ご主人、そんな大変な病気なんですか。
でも、奥さんが明るいからいいわね」
悪気があって言ってるわけじゃないのは分かっています。
でもね、私だって好きで明るくしてるわけじゃない。
空元気でも出さないと、やっていけないからそうしてるだけ。
半身不随で難病のダンナがいて、
それでもケラケラいつも笑っている人なんていないですよ。
おっと、これ以上書くと愚痴になってしまうので
今日はこの辺で。
明日は、今回の入院の原因となった
後縦靭帯骨化症についてお届けします。