さ る い わ の ブ ロ グ -597ページ目

セレネース

セレネース(経口投与)…最高血中濃度到達時間は約5時間、半減期約24時間

 私の幻聴を一週間程で止めてくれたことはとても感謝している。初回投与時0.75mg(朝昼晩)である。投与後1年程で私が「眠い」を連発したために、0.75mg(夜のみ)に変わっている。(現在も投与されている。)

 幻聴をとめてくれた以外には、そんなに良い薬とは思わない。軽く愚鈍になり周囲の雰囲気が読めなくなり、表情はそんなに柔らかくならない感じ。

トンデモ団体

 統合失調症者にありがちな話だが、発病前後に宗教や霊能力に関心がある人がいる。私の場合もそうだった。私の両親の結婚は、教派神道の一つである「御嶽教」の信者と信者の見合いだった。この「御嶽教」は神道と修験道の中間みたいな感じで、神と信者の間を取り持つ「行者」が存在する。この「行者」は神懸り(トランス状態)をしてお告げをいう。

 そんな環境で育った私は失恋を期に、あるトンデモ団体に入会する。その団体は宗教法人の資格をとれないでいて、「この団体は宗教団体です」と言ったり、「この団体は宗教団体ではありません」と場合によって使い分けていた。

 私はそこで、集団催眠(教祖の霊能力)を受けたり、神懸りの練習(個人の霊能力開発)などを習った。同時に、そこで霊能関係のトンデモ発言はTPOをわきまえて使いなさいとも教わてっいた。特に、集団催眠のときに「体を動かすな」とは必ず強く言い聞かされたものであった。

 こんな練習が実は、私が統合失調症の陽性状態のときにまったく暴れなかったりした理由かもしれない。もっとも体育や体を動かすことが物心ついたときから苦手だったという理由かもしれないけど。

 しかし、そのトンデモ団体に入会中に統合失調症を発病すると、私は教団のスタッフから「狐憑き」と言われてしまう。「うちの団体では治療ができない」「医者に行ってくれ」と言われて、周囲から孤立することになった。以前、この団体は「精神障害者(知的障害者かも)の子供を治す」と言って、実際には直せず、お布施だけもらい裁判で負けた過去があったからだ。

 結局、投薬開始後一年で、私はこの団体を辞めることになる。トンデモ団体よりも御嶽教の家族の方が統合失調症の私の面倒を見てくれたからである。結構、マインドコントロールされていたので大変だった。

 しかし、辞めると今度はトンデモ団体を批判したくなってくるのである…が、またそれは次に書きます。それにしても、私は基本的にすごく凝りやすくて飽性格きっぽい性格だなぁ。

コントミン

 最高血中濃度到達時間は約3時間、半減期7~15時間

 コントミンを飲んでいたころ、私は深夜の一時ごろに寝て、十時頃におき、十一時に会社に着き、昼の三時頃までうたたね状態だった。よく首にならなかった、よく会社に(以下略)。

 この頃、ほとんど風邪を引くこともなく、持病の頭痛もしなかった。やっぱり、人間、睡眠を取っていれば病気にはなりにくいらしい。

 ただ、会社で居眠りをしすぎて、周囲の非難は私に集中していたらしい。しかし、そんなことも他人事のように思える程私の感情は当時凍結していた。

ドーパミン

 私は最初会社の健康保険センターの常駐産業医に「幻聴が聞こえる」と言って、週に一回会社を訪れる精神科医に紹介された。このとき私は統合失調症とは言われなかった。ただ、神経のシナプスとドーパミンの説明を受けた。

 このとき、私の頭の中に小人が住み着き「どぱっと出るからドパーミン!」と繰り返し遊びだした。

 ここら辺が陽性状態の記憶の最後である。というのもこの後すぐ陰性状態になり、陰性状態の記憶は非常に少ないのである。

 この小人のおかげでかなり回復した今でも「ドーパミン」か「ドパーミン」か、いい間違いになりそうになる。

陰性状態

 陰性状態のときに、お風呂に入るか、部屋を掃除するか、ごみ出しをするかなどは、多少育てられ方にもよるかと思う。子供のころからのしつけがかなり影響すると思う。ごみ捨てなどに無関心に育った人は、精神病が軽くなってもごみ出しはしない。夫の兄がそうだ。この人がどのようにしつけられたかは、夫を見ればよく分かる。(二人ともお風呂は好きだが、ごみは出さない。洗濯も最小限。)

一人暮らしか家族暮らしか

 私は一人暮らしだった。このため統合失調症の陽性症状の発見が遅くなった。私は陽性症状のとき盗聴や盗撮を気にして、人暮らしの部屋をシャッターを昼も締め切り、夜は裸電球で薄暗い明かり、ポストやドアに二重鍵を掛け捲ったなどの奇行を行ったが、指摘されたのは新聞の勧誘員にくらいだった。(ただし熱しやすく冷めやすいため、数ヶ月くらいで止めてしまった) このときアパートに親でも訪ねてくれば、少しは発見が早かったかもしれない。

 ただ、発病を健康保険センターが家族に何も言わなかったため、薬を飲むことは反対されなかった。(後に、知れて反対されることになる。) 読売小町というサイトで、統合失調症に近い社会不安障害と思われる女性に投薬を反対する家族がいたっけ。

ワイパックス

 私が結婚の後、旦那と喧嘩をしたり、子供ができないことで、不妊治療を拒否された(「不妊治療はできない。妊娠したら堕胎はさせないレベル」と言われた)ショックに処方された薬。

 落ち込んでいるときに飲むと、ゆっくりとしたクラッシックが流れる感じに穏やかな感情がわいてくる。今は新婚時代ほど旦那と言い争いはしないが、頭痛に効くので手放せない。なぜか、眠気が覚めると、今度は頭痛が沸いてくることがほとんどなのだ。これを飲んでいると「減薬なんてどうでもいいや~」「子供なんて無理さ~」と楽天的になるのはいいが、深刻に減薬につながらないところは悪いところなのかもしれない。

 この薬はレキソタンほど眠くならないので、私は昼間飲むようにしている。結局、不安のときよりも、頭痛のときに飲んでいる。(どうなんだろう? 主治医には報告済みだが、別にとめられていない。)

男の子女の子

 統合失調症にかかった場合、女と男どっちがまあましなんだろうかと考えることがある。

 女性の場合、「将来、子供を生むから…」といって、自ら薬を飲みたくない、親が飲ませたくないという。この後に及んでまだ子供を生むことをあきらめていないのだ。男性の場合は、仕事さえしてくれれば、薬は飲んでもよいと思う考えがある。「女は子供を生み、男は働く」古い考え方だが、子宮は女性にしかついていないし、聖書にも書いてあるので、なかなか覆しにくい。


 だが、統合失調になるのは人口の8%くらいであるから、女性も薬を飲んで、働けたら働く方がよいと思う。

 男性の場合、母親がリハビリとして男性に家事を手伝わせない場合がある。うちの夫の母は大正生まれで「あの子(夫の兄(次男))が女の子だったら、家事を手伝わせるのに…」とよく言ってたらしい。あのとき、男だからと言って家事をしつけておいたら、今頃、夫の実家はごみ屋敷ではなかったろうに…。残念なことだ。

コントミン

 2002年末頃から投薬がはじまった(正確な日時は覚えていません)。このときに
セレネース(0.75mg朝昼晩)とともにコントミン(12.5mg夜)を投与された。コントミンの量は色からの推測だ。それと、うちの健康保険センターは最低限のミリ数の薬しか用意しておらず、薬の量は薬の錠数で調整していることからの推測だ。

 幻聴は数日で消えた。よく眠れるようにもなった。しかし、コントミン服用期間のまったく記憶がない。2005年に交通事故があり、これをきっかけにコントミンの服用を辞めるまで、なーんの記憶もない。ただ、午後3時頃まで仕事にならなかった。よく、会社を首にならなかったものだ。

 2002年ならリスパダールの選択もあったかと今では思うのだが、当時、60才過ぎのおじいちゃん(当時、痴呆老人専門の病院の院長で息子が精神科の単科の病院の院長)だったので、新しい薬より慣れた薬を使ったのかとも思う。

 統合失調の陽性状態に私は二度と戻りたいとは思わない。(一瞬たりとも気持ちが良い時期がなかった。陽性状態を気持ちが良いと思うのは本当は躁鬱病の躁状態の間違いなんじゃないかと思うほど。) ただ、もう一度コントミンを飲んでみたいとは思うことがたびたびある。眠るだけで時間が過ぎていってくれる、そういうのを提供してくれる薬だ。(が、主治医は二度と処方してくれない。妊娠時の胎児への奇形性がセレネースより低いと言っても処方してくれなかった。)

 今もペゲタミンA,Bという形を変えて、手放せない人がいるようだが、気持ちは分からなくもない。

バッチフラワーレメディ

 統合失調症の回復時(発病6年、投薬5年目)に使用したが、あまり効果はなかった。まあ、コントミンとかセレネースを服用した後だと、これらと比べてあまり変化を感じないと思うのもしかたないかも。


 あまり強い薬を服用したことのない人向けかもしれない。

 ただ、500mlのゼロカロリーのコーラに大さじ一杯のブランデーを入れると美味で、ちょっと気分もゆったりすることが分かった。(最初は、レメディと一緒にブランデーを入れていたが、レメディなしでも美味になることを確認w )