私が生まれ育った街、川崎の南部を何回かに分けてご紹介していきたいと思います。
この小島新田駅は、川崎大師でおなじみの京浜急行大師線の終点にあたる駅です。
かつては、多摩川の河口だった場所で、江戸時代後期に小島六郎左衛門と池上七左衛門が開拓し新田開発してつくられた土地です。周りには、住宅地のほか、YAKIN川崎(旧 日本冶金工業)などの大きな工場が立ち並んでいます。
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小島新田駅の横にスロープ状の跨線橋があります。
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その跨線橋には「いつくしま(厳島)跨線橋」という名前が付いています。周りの景色に溶け込めそうもない名前の謂れは後でご紹介するとして、スロープを上がっていくことにします。結構な高さです。
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上がり切ったところから、小島新田駅の方を見下ろした景色です。いかにも下町の風情ですね。跨線橋の反対側にYAKIN川崎(旧 日本冶金工業)の正面ゲートがあります。
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跨線橋には車止めがあり、歩行者のみ渡れます。この長い跨線橋の下には、東海道貨物支線の川崎貨物駅があります。
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金網越しに覗いてみると、貨物列車がちょうど、下を通過しているところです。(横浜側)
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長い車両が通り過ぎたかと思ったら、バックをしてくるではありませんか。

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止まったと思ったら、黒い煙を吐いて、再び前進してきたのです。多分、レーンを切り変えたのだと思います。

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反対側の景色です。いくつかの線路は行き止まりになっています。(東京側)
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この「いつくしま(厳島)跨線橋」には、もうひとつの顔があります。それは、映画のロケ地として有名なことなんです。とても意外ですね。
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随分と前の映画ですが、まず『GO』があります。  『GO』は、金城一紀の直木賞受賞の小説の映画化で、窪塚洋介、柴咲コウ、大竹しのぶ、山崎勤などが出演しています。監督は行定勲、脚本は宮藤官九郎で、この年の日本アカデミー賞の最優秀作品賞のほか、13部門を総なめした他、殆どの映画賞第一位をとった映画です。少し熱く語ってしまいましたが、私の中の邦画部門で5本の指の中に入るほど面白い映画でした。この映画の最初の方でバスケットボールを蹴りながら窪塚がこの跨線橋を歩いていくシーンが印象的なんです。         
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もう一本、ご紹介しますと、北野武監督の『キッズリターン』です。金子賢、安藤政信主演のこの映画でも、大事なシーンでこの跨線橋が脇を固めているのです。
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最初の方で触れた「いつくしま(厳島)跨線橋」の謂れですが、ウィキペディアにもないので、確たる証拠はないのですが、この付近を歩いていたところ、偶然にも「厳島神社」という社に遭遇したのです。これだったのか!と思った次第です。
この神社の御祭神は、市杵嶋比売神(イツクシマヒメノカミ)で、かつては出来野弁財天と呼ばれていました。出来野とはこの辺りの古くからの地名です。寛永2年(1625年)以降、池上幸広らによって進められた稲荷神殿の開発後、住居や田畑、用水路が整った17世紀前後に、新開他の風水害からのご加護を祈念して勧請されたと考えられていて、海苔養殖の守護神として崇められたと伝えられています。
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厳島神社の境内にある2基の庚申塔は、いずれも「塩で溶けた」とされています。
江戸時代、この辺りは幕府の政策により「塩田」がつくられていた地域で、近くには「塩浜」という地名も残されています。もしかすると、この地域の人々が身体の痛みを和らげるために、痛みのあるところに塩を塗り祈願していた名残なのかもしれませんね。
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場所はこちらです。https://goo.gl/maps/Kac9m5cTZpT2
おしまい。
横浜市内にも、台場があったことをご存知ですか。
元旦にブラタモリ横浜編の再放送でも触れていましたが、安政6年(1859年)、諸外国は、安政の5カ国条約文の通り、当初から「神奈川」を開港場とするよう主張していましたが、幕府は東海道に近いことからトラブルを恐れ、「横浜」を開港場にしました。と同時に「神奈川」に開港場の防御のための台場を建設しました。

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幕府は、伊予松山藩に工事を依頼しました。設計は、勝海舟に、台場の現場総指揮 は平野弥十郎(中川翔子の先祖)が請負ました。完成は、1860年でした。

マンション建設に伴い、平成20年に発掘調査を行った結果、台場の遺構全体が判明しました。

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明治時代の海岸線と石垣が露出している場所は次のABCです。行って見ることにしました。

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A地点の石垣。奥に見える高層マンションの建設に伴い、台場全体の遺構が判明したようです。

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台場の石垣の様子(お借りしました)

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B地点の遺構は、神奈川台場公園として整備されています。この場所は、品川など他の台場には見られない船溜りのあった場所です。

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台場公園の石碑は、石垣と同様の安山岩が使用されています。

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公園全体の様子です。
バックには、みなとみらいの超高層ビル群が見えます。

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公園奥には、神奈川台場の説明板が設置されています。

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ここは、C地点の星野町公園です。高層マンションの建設に併せて整備された公園に記念の石碑と露出した石垣を見ることができます。

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細長い石垣が公園に沿って整備されています。

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マンションの一角に良く見える場所があります。

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上部の石には、掘り起こした際の爪跡が残っています。石垣の採掘場所は、真鶴半島の海岸で、土丹(どたん)は、台場近くの観音山を削って運んでいます。

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現在、神奈川台場の遺構の上は東高島駅になっています。面積は、横浜スタジアムとほぼ同じ広さです。

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隣接した場所には運河があり、当時の海岸線の雰囲気を感じさせています。

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神奈川台場には、砲台が備えられていましたが、結局、攻撃のための使用はありませんでした。外国の貴賓が来た際に祝砲として使用されたということです。

おしまい。

川崎市多摩区(生田緑地)にある日本民家園では、1月4日の開園に合わせ、白幡八幡大社平囃子連中による獅子舞が行われました。
民家園の入口には、毎年、大きな門松が飾られています。
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この門松は、毎年、民家園がある生田緑地の松、竹、藁を使って職員が手作りしているそうです。立派に作るものですね。しっかり、酒類の持ち込み禁止の看板がありました。
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民家園のホームページから本日の獅子舞の画像をお借りしました。期待が膨らみます。
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これは、昨年実施された獅子舞の様子です。こちらも民家園のホームページからお借りした画像です。迫力があります。こうした絵が撮れるかな・・・
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演目の初めの部分です。おかめが獅子を肩に担いでいるのが見えます。残念ながらストーリーは分かりません。
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演目が始まる前から舞台となる古民家(佐々木家)の周りは人だかりで、カメラを向けても、人の頭ばかりで中々うまく撮れません。
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少し引いた場所で撮ることにしましたが、こちらもイマイチですね。ススキはいい感じですが。
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演目が終わると厄払い(アクマッパライ)が行われました。順番で獅子の前に立ち、頭をガブッと噛んでもらい厄(悪魔)を払ってもらうのです。こちらも長蛇の列なので、今回は諦めて退散することに。
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出口に向かう途中で、古民家(三沢家)が耐震工事中のところを偶然にも見ることができました。
この写真は、去年の夏(工事前)に来た時に撮ったものです。三沢家は長野県伊那の宿場にあった旅籠で19世紀中頃に建てられたものです。民家園に移築されてからは44年経過しています。この状態では、震度6強の地震で倒壊する恐れがあるという診断が出されていたそうです。
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これが、本日遭遇した写真です。民家園では、大震災に備え、計画的に耐震工事を行っているそうです。
まず、古民家全体を鉄骨で支え、油圧ジャッキで2メートル持ち上げて(専門用語で「揚屋(あげや)」と呼ぶそうです)、下の部分を免震構造にします。そのあとジャッキを外し、建物を下します。そのうえで四方の壁や梁の部分を補強して耐震化するのだそうです。
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横から撮ったものてす。
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中央にあるのが、油圧ジャッキで、支えている鉄骨には新幹線のレールを使用しているそうです。
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反対側から撮ったもの。
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古民家の漆喰の壁に穴を開け、四方から鉄骨を串刺しの状態にして支えているのが分かります。
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獅子舞より耐震工事がメインのご紹介になってしまいました。
また、機会があれば完成までの様子をご紹介したいと思います。
年末の川崎大師の風景です。すっかりお正月の準備ができていますね。
毎年、この時期になると、元旦お護摩をお願いするため川崎大師をお詣りしています。自宅から4キロほどの距離なんです。
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大山門をくぐり、(最近、かわさんの川崎大師のブログを拝見して、この大提灯が「魚がし」と書いてあると知りました)
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献香所でお香の煙を十分に浴びて、
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大本堂でお詣りします。
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次に、諸国を巡礼された御大師様の健脚にあやかって、「新年も健康で街道歩きができますように」と遍路大師尊像に献水して祈願します。
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そして、四国八十八カ所霊場をお詣りします。
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新年の準備に追われている富士宮やきそばの屋台から八角五十塔を仰ぎます。
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普段は公開されていない経蔵の中を見学させてもらいました。
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経蔵内には、中国最後の木版大蔵経といわれる「乾隆版大蔵経(けんりゅうばんだいぞうきょう)」全724函が収蔵されています。天井には、荘厳な絵が描かれていました。撮影OKです。
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ここで、元旦お護摩の受付をします。すでに長い列ができています。
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参道の仲見世では、出来たての飴を独特の包丁で刻む「とんとこ飴きり」の音が響いています。
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年があらたまりまして、こちらは、我が家のマンション屋上から撮った初日の出です。川崎らしい初日の出が撮れました。「ダイヤモンド富士」に擬えて、「ダイヤモンド煙突」とでも名付けておきましょうか。
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元旦から工場は操業しています。(昔と違って、今は、煙突から出ている煙は水蒸気なので心配はいりません)
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足下を走っているのは、JR鶴見線です。
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JR鶴見線と並行して、首都高速1号線が見えます。ちょうど羽田方向を向いています。
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北東側には、スカイツリーが見えます。
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西の方角を向くと、朝日で朱色がかった富士山が見えます。
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今年は東京と横浜に挟まれた「川崎」もご紹介していきたいと思います。
ここで、一句「川崎市、何でもあります、ちょっとずつ」。お粗末様でした。