前回ご案内した「京都鉄道博物館」の「旧二条城駅舎」から「二条城」に向かいました。正式には、「元離宮二条城」です。中学校の修学旅行以来です。
翌日、BS日テレの「ぶらぶら美術・博物館」を見ていたら、なんと、「ぶらぶら美術・博物館スペシャル」と題し、「大政奉還150周年!京都・特別公開目白押しの冬旅」という番組が放映されているではありませんか。
もちろん、世界遺産・二条城がメインで取り上げられていました。見た方も多いかも知れませんね。
この建物は、東南隅櫓です。
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現在、二条城の正面玄関の東大手門が工事中のため、北大手門から入ります。
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二の丸御殿の唐門。切妻造、桧皮葺の四脚門でその前後は唐破風造になっています。家康が二条城を一年で築造させるため大工棟梁の中井正清に命じました。後に大和守になる人物で、伏見城などの名建築に関わっている方です。
彫刻も豪華絢爛。
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二の丸御殿の車寄です。二条城の各間に描かれた3600枚に及ぶ襖絵は、狩野派によるものです。
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災害の際に打ち鳴らされた梵鐘。
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二の丸庭園です。二の丸庭園です。ぶらぶら美術・博物館の番組で知りましたが、15代将軍慶喜が大政奉還を発表した際に諸大名と対面した「一の間」から見える景色がこれです。
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二の丸庭園側から二の丸御殿を撮りました。
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大政奉還150周年記念として、普段は見ることができない二の丸御殿中庭が特別公開されていました。3月18日までです。
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本丸櫓門です。本丸御殿の入口にあたります。
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現在の本丸御殿は,京都御苑今出川御門内にあった旧桂宮邸の御殿を明治26年から27年にかけて本丸内に移築したものです。
この旧桂宮御殿は京都御所にあった当時、仁孝天皇の皇女和宮が14代将軍家茂に嫁がれる前、約1年8ヶ月にわたって住まわれた建物で、1854年(嘉永7年)内裏が炎上したときにも延焼を免れ、孝明天皇の仮皇居に使用された由緒深い建物です。イメージ 10
本丸には五層、高さ30mの天守閣がそびえていましたが、寛永3年(1750年)落雷のため焼失、さらに天明8年(1788年)には市中の大火のため殿舎も焼失してしまいました。
この天守閣は、豊臣秀吉の弟の秀長が治めていた大和郡山城から移築されたものでした。後に、この天守閣は、淀城築城の際に移築され、廃城とされた伏見城の天守閣が二条城に移築されたということが最近の研究で明らかにされてきています。
ここにも、当時の家康と秀吉との政治バランスが働いていたということなのかも知れません。
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天守閣跡から本丸御殿を望みます。遠くに見える山は、比叡山です。まさに京都の景色ですね。
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天守閣跡から望む中堀。
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二条城の表玄関に当たる東大手門は工事中です。みなさんお疲れ様です。
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二条城のホームページはこちらです。
臭いタイトルですが、初春の京都を巡る旅をご案内します。京都は一昨年、東海道を歩いたとき以来です。
初日は、お昼頃から、あいにくの雨となりました。こういうときは、博物館に限りますね。
最初に昨年の4月にオープンした「京都鉄道博物館」に来ました。
京都鉄道博物館は、2014年閉館の大阪市港区にあった「交通科学博物館」から車両などの収蔵資料を移設し、以前の「梅小路蒸気機関車館」を拡大リニューアルした体験型の博物館で、展示されている車両は53両、国内最大規模となっています。
土日だと、1日に6千人の来館があり、早くも、オープンから8ヶ月で100万人に到達したそうです。今日は、平日なのでゆっくりと見ることができました。
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エントランスを抜けると、駅をイメージした「プロムナード」があります。0系新幹線などが出迎えます。車内や運転席も見学することができます。
また、ブルートレインの食堂車はレストランになっていて、懐かしい駅弁も販売されています。
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ここから、本館1階の展示となります。JR西日本を代表する車両が並んでいます。
左から、流線型フォルムの新幹線「500系」、3段寝台電車「581系」、ボンネット型と呼ばれた特急「489系」。
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これは、国産初の量産型機関車「233型」で、最近、国の重要文化財に指定されたそうです。
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鉄道車両の仕組みをあらゆる角度から知ることができるようになっています。
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機関車の下を歩き、下から覗いて通り抜けることができます。
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高度経済成長とともに走り続けて来た電車たち。
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蒸気機関車の動力の仕組みをわかりやすく紹介していました。
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長いエスカレーターで2階へ。壁面には所狭しと往年の機関車たちのプレートが飾られていました。
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2階から見下ろした1階展示室の様子。
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2階も広大な展示・体験コーナーがあります。こちらは、懐かしい駅改札ですね。
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こちらは、現在の駅の自動改札の様子。
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巨大鉄道ジオラマは学校の教室で2教室分くらいあるでしょうか。ずっと見ていても飽きないですよ。
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大人も真剣に操作しているシュミレータ。
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在来線と新幹線の運転を実際の運転士訓練さながらに体験できる運転シュミレータ。ここが一番人気でした。
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小雨の降る中、野外展示に向かいました。これは扇型車庫と転車台。国の重要文化財に指定されています。ここには、蒸気機関車が20台保存展示されています。
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現役さながらに蒸気機関車たちが勢揃いしています。
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D51の第1号車です。
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子供達に人気なのは、SL乗車体験です。往復1キロのコースを10分かけて走ります。
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ちょうど、出発するところでした。大きな汽笛を鳴らして出発です。
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野外展望デッキからは、JR京都駅、嵯峨野線、東海道新幹線に面していて、走り抜けるところを間近で見ることができます。遠くに東寺の五重塔が見えます。
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見学を終えて出口に向かいます。この建物は、日本最古級の木造駅舎と言われていた「旧二条城駅舎」です。駅舎の中には、ミュージアムショップがあります。
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車両型の靴下が可愛いです。
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「旧二条城駅舎」を後に、次は、「二条城」に行ってみたいと思います。
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この京都鉄道博物館は広大な梅小路公園の中にあって、新しくできた京都水族館と隣接しています。
京都駅から鉄道博物館まで徒歩で20分ほどかかりますが、2019年には近くに新駅が誕生します。現在、工事中でした。
京都鉄道博物館のホームページはこちらです。
昨日から京都に来ています。新幹線で富士川に差し掛かったところで、富士山を撮りました。
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米原の手前あたりから、雪景色に変わります。
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京都鉄道博物館に来ました。詳しくは、帰宅してからご報告します。
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今日は、午後から雨でした。それでは、また。
昨年の11月から12月にかけて、鎌倉七口を歩きました。12月中旬に大仏切通しを歩いた後、記事でご紹介したのですが、その際、紅葉の高徳院と長谷寺のSDが見当たらず載せられませんでした。
一昨日、なんと偶然にその時の写真が見つかったので、記録に留めたくて記事にしました。(そういうことでコメント欄は閉じさせていただきます)

この写真は、大仏切通しを歩き終え、振り返ったところです。今は、トンネルがあるので、切通しはハイキングコースの役割になっています。
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鎌倉長谷の高徳院です。鎌倉幕府第三代執権の北条泰時の晩年になって作り始められました。
大仏殿は、建武2年(1335年)と志安2年(1369年)の台風で倒壊し、さらに明応4年(1495年)の大津波で押し流され、以来、現在のような露座の大仏となったそうです。
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鎌倉の長谷寺です。アジサイ寺としても有名なお寺です。長谷寺は、天平8年(736年)に開創されたと伝えられていますが、長谷寺が天平の昔からあったという記録自体はなく、梵鐘の銘文から鎌倉時代後期の建立ではないかと考えられているそうです。
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お参りしたところ、紅葉が見頃の一週間ほど、鎌倉で唯一ライトアップされると伺って、寒風が吹く中、一時間ほど境内のベンチでお団子を食べながら待ったのです。そして、撮った写真を後の方に載せました。ご覧下さい。
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以上で~す。
現在のJR鶴見駅の東口駅ビルです。總持寺の西口の反対側です。
鶴見駅の創業は明治5年と早く、日本で最初に蒸気機関車が走った新橋・横浜間の停車場としてつくられたそうです。
写真の駅ビルは2012年に「シャル鶴見」としてリニューアルしたものです。買い物で、時々来ています。
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鶴見駅東口前のこの通りは旧東海道です。前方右の方を進むと川崎宿に繋がります。
旧東海道を左側に入ると「鶴見神社」の参道となっています。鶴見駅から5分ほどの距離です。
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夕暮れどきだったので、少し暗くて見えにくいですね。
鶴見神社の創建は、とても古く、推古天皇(7世紀初め)と伝えられていて、古くは杉山大明神(杉山神社)と称されていました。1920年(大正9年)に社名を鶴見神社と改めたそうです。
この「杉山神社」と称する神社は、全国でも鶴見川流域(鶴見区と川崎市の一部)にしかなく、鶴見川流域に数十社現存していると言われています。
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この石碑は、「鶴見の田祭り 再興の碑」です。
江戸時代末期に編纂された「新編武蔵国風土記稿」の鶴見村の項に、杉山大明神(鶴見神社)について「昔よりこの社にて毎年正月16日の夕方、百姓等が歌い踊る明神の田祭歌というものがあり、特に古風なるものにて関東の守護三島大明神と言えることあり・・・」と記されています。
今から700年前の鎌倉時代からこの鶴見に受け継がれてきた伝統行事は、1875年(明治5年)以降中断されていましたが、1987年に再興されています。
現在では、毎年4月29日夕方に鶴見神社境内で行われています。
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拝殿前に獅子山があります。
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鶴見神社大神輿は、横浜市最古の神輿とされていて、例年7月の天王祭には古式ゆかしく渡御されます。
この神輿は、約350年前に鶴見川の天王河原(現・潮見橋付近)に対岸の川崎市幸区小倉の小倉神社から流れついたものと伝えられています。
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1962年(昭和37年)、境内の古木が倒れた際に、その根本から弥生時代後期の土器や古墳時代の土師器、鎌倉時代に至る祭祀遺跡が発見されました。
これにより、創建伝承以前から、祭祀の場所だったことがわかります。
また、平成20年の調査では、境内から貝塚や竪穴式住居跡が確認されています。 
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拝殿
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末社がいくつも並んでいます。
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社殿は、1753年(宝暦3年)に再建され、1853年(嘉永6年)に改築されましたが、1911年(明治44年)に火災のため、全焼し、1915年(大正4年)に再建されています。
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この寺尾稲荷道道標は、1705年(嘉永2年)に旧東海道の鶴見橋に立てられた寺尾稲荷への道標です。今は境内に大切に保存されています。
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鶴見神社の場所はこちらです。
https://goo.gl/maps/dK6DTPbNgTC2
次は、鶴見線「国道駅」をご案内します。