今シーズン初の、ムーンライトながら乗車です!185系のながらは初めてなので、テンション上がります!!
こんにちは。
本日も「もこ太郎の平成阿房列車」にご乗車頂きまして、誠にありがとうございます。
今更ですが、しばらく記事の更新を怠ってしまいまして、大変申し訳ございません。
隠し事は好きではありませんので、ここで公表しておきます。
実は数か月前から、精神的につらい状態が続いており、現在、抗鬱剤を服用している状態です。
なので記事を書く気力が起きない状態が続いております。
本当に、申し訳ございません。
そんな中、気分転換にと、鉄活は頑張って続けております。
特に先週、北海道に新婚旅行に行ってきました!
上野から「北斗星」に乗って北海道に上陸、
そして
北海道の鉄活といえば、これに限る!!とまで言われる
「2429D」を完乗したり(付き合ってくれた妻には大変感謝しております)、
釧路駅からは、
釧路湿原ノロッコ号に乗車して、釧路湿原を大堪能したりと、大変思い出深い旅ができました。
私の体調が良ければ、この時の様子をもっとくわしく紹介したいのですが、申し訳ございません。
阿房列車の記事の更新については、もうしばらくお休みを頂きたく、よろしくお願い致します。
「一人でも私の記事を読んで鉄道旅に興味を持っていただく事」
そして、「列車に身を投げる人が一人でも減る事」を私の使命と感じておりますので
またかならずや復活致します!
以上、本日も最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。
またのご乗車をお待ちしております。
本日も「もこ太郎の平成阿房列車」にご乗車頂きまして、誠にありがとうございます。
今更ですが、しばらく記事の更新を怠ってしまいまして、大変申し訳ございません。
隠し事は好きではありませんので、ここで公表しておきます。
実は数か月前から、精神的につらい状態が続いており、現在、抗鬱剤を服用している状態です。
なので記事を書く気力が起きない状態が続いております。
本当に、申し訳ございません。
そんな中、気分転換にと、鉄活は頑張って続けております。
特に先週、北海道に新婚旅行に行ってきました!



上野から「北斗星」に乗って北海道に上陸、
そして

北海道の鉄活といえば、これに限る!!とまで言われる
「2429D」を完乗したり(付き合ってくれた妻には大変感謝しております)、

釧路駅からは、

釧路湿原ノロッコ号に乗車して、釧路湿原を大堪能したりと、大変思い出深い旅ができました。
私の体調が良ければ、この時の様子をもっとくわしく紹介したいのですが、申し訳ございません。
阿房列車の記事の更新については、もうしばらくお休みを頂きたく、よろしくお願い致します。
「一人でも私の記事を読んで鉄道旅に興味を持っていただく事」
そして、「列車に身を投げる人が一人でも減る事」を私の使命と感じておりますので
またかならずや復活致します!
以上、本日も最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。
またのご乗車をお待ちしております。
こんにちは!!
本日も「もこ太郎の平成阿房列車」にご乗車頂きまして、誠にありがとうございます!
まずは、富岡製糸場の世界遺産登録の決定、誠におめでとうございます!!
我が群馬県が世界に知れ渡ることとなり、誇らしく思うばかりです!!
(from埼玉県民)
ここで突然ですが、お得な切符情報を1つ紹介いたします!
富岡製糸場の世界遺産登録を記念して、7月1日から
『ぐんまワンデー世界遺産パス』
なるものが発売されます!!
これは、群馬県内の、新幹線を含む全ての鉄道が1日乗り放題になるという、かなり強力なフリー切符なのです!!
(ただし、新幹線を含む特急に乗車する際は、別途特急券が必要です)
という説明をすると、毎年発売されている「ぐんまワンデーパス」(過去の記事 を参照下さい)と同じなんじゃないの??
とお思いかもしれません…
でもこの切符、今までとはちょっと違うとこがあります!
いくつか、過去の切符との相違点を紹介しましょう!
まずは一つ目!
それは、今までの切符は、高崎線は群馬県の最南端の駅「新町」以北がフリーエリアだったのに対し、
今回は、埼玉県内の駅「深谷」以北が新たにフリーエリアに含まれたのです!!
私の最寄駅が深谷から2つ北隣の、埼玉県内の駅「本庄」。
今までは、群馬県内まで移動しなければ「ぐんまワンデーパス」が買えなかったのですが、
今年はその手間が無し!!
まさに私の為のフリー切符としか言いようが無い!!!!!
(ウソです)
二つ目の相違点は、今までと比べると、値段が少々上がってしまった事。
消費税80パーミル…
もとい、8パーセントの影響と思われます…
(1枚2100円也:子供は半額)
もう一つの相違点。
今までの切符は、利用期間が3か月程度だったのですが、
今回は7月から12月いっぱいまで!
今までの倍ですよ!倍!!
ということで、富岡製糸場に訪れる際は、この切符を使わない手はありません!!
富岡製糸場へのアクセスは、絶対に鉄道をご利用ください!!
(高崎駅から上信電鉄にお乗換え頂き、「上州富岡駅」下車後、徒歩15分程度)
もちろんそれだけでなく、群馬には魅力的な鉄分要素がたくさんあります!
この切符(プラス指定席券)でD51 498やC61 20に乗れちゃいます!
「日本一のモグラ駅」の土合 にも行けちゃいますし、
横川まで行けば、鉄道文化むらで「ロクサン」ことEF63を操縦できて、峠の釜めしを頂くこともできますよ!!
ここで、個人的に皆さんに訪れてほしい場所があります。
それは、吾妻線の「川原湯温泉駅」。
駅名にもなっている名湯「川原湯温泉」の最寄駅ですが、
現在の駅周辺は、何かと話題になった「八ッ場(やんば)ダム」の完成により、湖の底に沈んでしまう予定なのです。
吾妻線は今、新線切り替え工事が最終段階まで進められており、現在の川原湯温泉駅は、秋には廃止になってしまう予定です。
今のうちに、川原湯温泉までお越し頂き、この風情のある駅舎を、あなたの目に焼き付けて頂きたいと思う次第です。
私も、絶対にこの夏に訪れます!!
もちろん、『ぐんまワンデー世界遺産パス』を使って!!!
今年も群馬が熱い!!
ぜひぜひ、「私の庭」の群馬までお越しくださいませ!!
(重ねて言いますが、私は埼玉県民)
群馬の鉄道の楽しみ方については、私の過去の記事を参考して頂けたら幸いです!
記事は、これ とかこれ とか…
(本当に参考にする人っているのか…?(汗))
最後に、『ぐんまワンデー世界遺産パス』の詳細は、こちら を参照してください。
以上、本日も最後までお読み頂き、誠にありがとうございました!
またのご乗車をお待ちしております!!
本日も「もこ太郎の平成阿房列車」にご乗車頂きまして、誠にありがとうございます!
まずは、富岡製糸場の世界遺産登録の決定、誠におめでとうございます!!
我が群馬県が世界に知れ渡ることとなり、誇らしく思うばかりです!!
(from埼玉県民)
ここで突然ですが、お得な切符情報を1つ紹介いたします!
富岡製糸場の世界遺産登録を記念して、7月1日から
『ぐんまワンデー世界遺産パス』
なるものが発売されます!!
これは、群馬県内の、新幹線を含む全ての鉄道が1日乗り放題になるという、かなり強力なフリー切符なのです!!
(ただし、新幹線を含む特急に乗車する際は、別途特急券が必要です)
という説明をすると、毎年発売されている「ぐんまワンデーパス」(過去の記事 を参照下さい)と同じなんじゃないの??
とお思いかもしれません…
でもこの切符、今までとはちょっと違うとこがあります!
いくつか、過去の切符との相違点を紹介しましょう!
まずは一つ目!
それは、今までの切符は、高崎線は群馬県の最南端の駅「新町」以北がフリーエリアだったのに対し、
今回は、埼玉県内の駅「深谷」以北が新たにフリーエリアに含まれたのです!!
私の最寄駅が深谷から2つ北隣の、埼玉県内の駅「本庄」。
今までは、群馬県内まで移動しなければ「ぐんまワンデーパス」が買えなかったのですが、
今年はその手間が無し!!
まさに私の為のフリー切符としか言いようが無い!!!!!
(ウソです)
二つ目の相違点は、今までと比べると、値段が少々上がってしまった事。
消費税80パーミル…
もとい、8パーセントの影響と思われます…
(1枚2100円也:子供は半額)
もう一つの相違点。
今までの切符は、利用期間が3か月程度だったのですが、
今回は7月から12月いっぱいまで!
今までの倍ですよ!倍!!
ということで、富岡製糸場に訪れる際は、この切符を使わない手はありません!!
富岡製糸場へのアクセスは、絶対に鉄道をご利用ください!!
(高崎駅から上信電鉄にお乗換え頂き、「上州富岡駅」下車後、徒歩15分程度)
もちろんそれだけでなく、群馬には魅力的な鉄分要素がたくさんあります!
この切符(プラス指定席券)でD51 498やC61 20に乗れちゃいます!
「日本一のモグラ駅」の土合 にも行けちゃいますし、
横川まで行けば、鉄道文化むらで「ロクサン」ことEF63を操縦できて、峠の釜めしを頂くこともできますよ!!
ここで、個人的に皆さんに訪れてほしい場所があります。
それは、吾妻線の「川原湯温泉駅」。

駅名にもなっている名湯「川原湯温泉」の最寄駅ですが、
現在の駅周辺は、何かと話題になった「八ッ場(やんば)ダム」の完成により、湖の底に沈んでしまう予定なのです。
吾妻線は今、新線切り替え工事が最終段階まで進められており、現在の川原湯温泉駅は、秋には廃止になってしまう予定です。
今のうちに、川原湯温泉までお越し頂き、この風情のある駅舎を、あなたの目に焼き付けて頂きたいと思う次第です。
私も、絶対にこの夏に訪れます!!
もちろん、『ぐんまワンデー世界遺産パス』を使って!!!
今年も群馬が熱い!!
ぜひぜひ、「私の庭」の群馬までお越しくださいませ!!
(重ねて言いますが、私は埼玉県民)
群馬の鉄道の楽しみ方については、私の過去の記事を参考して頂けたら幸いです!
記事は、これ とかこれ とか…
(本当に参考にする人っているのか…?(汗))
最後に、『ぐんまワンデー世界遺産パス』の詳細は、こちら を参照してください。
以上、本日も最後までお読み頂き、誠にありがとうございました!
またのご乗車をお待ちしております!!

本文はここから
こんにちは!!
本日も「もこ太郎の平成阿房列車」にご乗車下さいまして、誠にありがとうございます!
最近、私のブログのタイトル「平成阿房列車」の由来なんぞについて、語ってみようかな~?
と、漠然と思っていたところに、素晴らしいタイミングで、このブログネタが飛び込んできました!
なので今回は、ブログネタの名目を借りて、タイトルの由来について記事を書いてみます!
まずは元ネタの元ネタを紹介!!
御存じの方には今更、でしょうが、
私のブログタイトルの根底にある元ネタは、
内田百閒先生の作品「阿房列車」です!

この作品の冒頭に出てくる
『なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ』
という下りは、あまりにも有名ですね!
私も、過去の記事で何度か引用させていただいております。
百閒先生もとっくに周知していたと思われる事ですが、
乗り鉄にとっては、「汽車(鉄道)に乗る」という行為自体が、最も大切な用事になるのです。
今の時代だからこそ、鉄道に乗る事を目的とした旅は、一つの趣味として確立されています。
しかし百閒先生がこの作品を書いた終戦直後という時代では、そういう行為は、一般人には決して理解し難い行為だったと思われます。
そういう背景もあって、自分の行為を自身で皮肉ったような『なんにも用事がないけれど…』の下り、
そしてこの「阿房列車」というタイトルが生まれたのでしょう。
(ちなみに私、この「阿房列車」の単行本、未だに読破できておりません…
近代文学独特の文章や言い回しが、わたくし、少々苦手でございまして…)
そして実は、本当の元ネタは、この「阿房列車」では無いのです!!
その元ネタとは…
エッセイスト、酒井順子嬢の作品「女流阿房列車」です!!

「負け犬の遠吠え」で一躍有名になった彼女でありますが、
実は相当の鉄子さんなのです!
この作品では、酒井先生が、
東京の地下鉄全線を一日で完乗したり、
24時間かけて鈍行で横浜から九州の八代まで移動したり、
という、普通の乗り鉄も舌を巻く程の、鉄分満載な旅のレポートが書かれています。
とはいえ、文面はいかにも女性らしい視線で書かれており、
鉄道がお好きな女子から、とても共感を持たれる作品になっていると思われます!
余談ですが、この作品には第19旅 で紹介した江上英樹編集長、
そして、あの横見浩彦も登場します…
で、この作品と、私のブログタイトルの関係ですが…
一般の方が決して行わないような鉄道旅行の記事を書くブログということで、
タイトルに、まずは「阿房列車」という文字を使いたかった。
そこで、酒井先生の「女流阿房列車」という作品を思い出す。
時は平成。じゃあ、酒井先生のを真似て、阿房列車の頭に「平成」を付ければいいや!
ホント、こんなノリです!(爆)
なお、酒井先生のもう一つの鉄分満載作品
「女子と鉄道」
もオススメします!

そして、ここからは余談になってしまいますが、
私が最も影響を受けた作品と、その著者についてほんの少し紹介したいと思います。
私が、常に肌身離さず持ち歩いている作品があります。
それは、宮脇俊三先生の
「時刻表2万キロ」です!

没後10年以上経過していますが、いまだに乗り鉄界の「神」と称される先生。
酒井先生も、大きく宮脇先生の影響を受けている程。
宮脇先生の事を語れば、かなり長くなってしまいそうなので、
後日、別の記事として書かせて頂こうと思います。
(今回の記事は、あくまで「ブログタイトル」について、ということもありますし…)
あ、最後の最後に、ホントについでですが、こんなのも読んだりしてるということで〆ます。

以上、本日も最後までお読み頂き、誠にありがとうございました!
またのご乗車をお待ちしております!!


※以下の時刻は、2012年8月の時刻表に基づきます。
8月16日
本庄 発 7:01
↓
↓ 高崎線:852M
↓
大宮 着 8:07
大宮 発 8:23
↓
↓ 東北本線(宇都宮線)「快速ラビット」:3523M
↓
宇都宮 着 9:27
宇都宮 発 9:34
↓
↓ 東北本線(宇都宮線):1541M
↓
黒磯 着 10:25
黒磯 発 10:33
↓
↓ 東北本線:2133M
↓
郡山 着 11:37
郡山 発 11:56
↓
↓ 東北本線:1139M
↓
福島 着 12:43
福島 発 12:54
↓
↓ 奥羽本線(山形線):441M
↓
赤岩 着 13:10
赤岩 発 16:14
↓
↓ 奥羽本線(山形線):451M
↓
峠 着 16:27
峠 発 18:02
↓
↓ 奥羽本線(山形線):624M
↓
福島 着 18:30
福島 発 21:07
↓
↓ 奥羽本線(山形線):465M
↓
板谷 着 21:31
8月17日
板谷 発 7:35
↓
↓ 奥羽本線(山形線):427M
↓
大沢 着 7:47
大沢 発 8:16
↓
↓ 奥羽本線(山形線):422M
↓
峠 着 8:22
(峠の力水を頂く)
峠 発 8:41
↓
↓ 奥羽本線(山形線):431M
↓
米沢 着 8:58
米沢 発 10:27
↓
↓ 米坂線:1129D
↓
坂町 着 12:23
坂町 発 12:35
↓
↓ 羽越本線/白新線:936M
↓
新潟 着 13:35
新潟 発 14:00
↓
↓ 信越本線「快速くびき野」:3372M
↓
長岡 着 14:56
長岡 発 16:32
↓
↓ 上越線:1744M
↓
水上 着 18:32
水上 発 18:37
↓
↓ 上越線:752M
↓
高崎 着 19:39
高崎 発 19:56
↓
↓ 高崎線:976M
↓
本庄 着 20:15
今回の旅で初めて乗車した区間:
東北本線(宝積寺~福島 間)
奥羽本線(福島~米沢 間)
米坂線(米沢~坂町 間:全線完乗達成)
羽越本線(坂町~新発田 間)
白新線(新発田~新潟 間:全線完乗達成)
信越本線(新潟~長岡 間:全線完乗達成)
I Love Switch Back
http://www5f.biglobe.ne.jp/~switchback/
この旅の詳細は、こちら
8月16日
本庄 発 7:01
↓
↓ 高崎線:852M
↓
大宮 着 8:07
大宮 発 8:23
↓
↓ 東北本線(宇都宮線)「快速ラビット」:3523M
↓
宇都宮 着 9:27
宇都宮 発 9:34
↓
↓ 東北本線(宇都宮線):1541M
↓
黒磯 着 10:25
黒磯 発 10:33
↓
↓ 東北本線:2133M
↓
郡山 着 11:37

郡山 発 11:56
↓
↓ 東北本線:1139M
↓
福島 着 12:43
福島 発 12:54
↓
↓ 奥羽本線(山形線):441M
↓
赤岩 着 13:10

赤岩 発 16:14
↓
↓ 奥羽本線(山形線):451M
↓
峠 着 16:27

峠 発 18:02
↓
↓ 奥羽本線(山形線):624M
↓
福島 着 18:30
福島 発 21:07
↓
↓ 奥羽本線(山形線):465M
↓
板谷 着 21:31

8月17日
板谷 発 7:35
↓
↓ 奥羽本線(山形線):427M
↓
大沢 着 7:47
大沢 発 8:16
↓
↓ 奥羽本線(山形線):422M
↓
峠 着 8:22
(峠の力水を頂く)

峠 発 8:41
↓
↓ 奥羽本線(山形線):431M
↓
米沢 着 8:58

米沢 発 10:27
↓
↓ 米坂線:1129D
↓
坂町 着 12:23
坂町 発 12:35
↓
↓ 羽越本線/白新線:936M
↓
新潟 着 13:35
新潟 発 14:00
↓
↓ 信越本線「快速くびき野」:3372M
↓
長岡 着 14:56
長岡 発 16:32
↓
↓ 上越線:1744M
↓
水上 着 18:32
水上 発 18:37
↓
↓ 上越線:752M
↓
高崎 着 19:39
高崎 発 19:56
↓
↓ 高崎線:976M
↓
本庄 着 20:15
今回の旅で初めて乗車した区間:
東北本線(宝積寺~福島 間)
奥羽本線(福島~米沢 間)
米坂線(米沢~坂町 間:全線完乗達成)
羽越本線(坂町~新発田 間)
白新線(新発田~新潟 間:全線完乗達成)
信越本線(新潟~長岡 間:全線完乗達成)
I Love Switch Back
http://
この旅の詳細は、こちら
この旅の物語を最初からお読み頂ける場合は、こちらをクリック
再訪した峠駅から下り普通列車に乗り、あっという間に米沢に着いた。
米沢ということで、ホームでは原寸大の牛のレプリカが出迎えてくれた。
米沢から、米坂(よねさか)線にて坂町、そして坂町から羽越本線~白新線経由で新潟、新潟から信越本線で長岡、長岡でB級グルメの「イタリアン」を食し、上越線で帰る行程である。
米坂線の列車が来るまで、まだかなり時間がある。
駅の二階にある売店で土産を買い、待合室のベンチに腰掛けながらテレビの高校野球を見る。
それでもなかなか時間が潰れないので、米坂線専用ホームの5番線で列車を待つことにした。
米沢駅で、一時間半ほど待たされただろうか…
ようやく、坂町行きの気動車がホームに入線してきた。
列車は2両編成で、そのうち米沢側の車両はJR東日本で主力の、キハ110系。
一方坂町側の車両は、E120系という編成だ。
キハ110系は八高線でいつでも乗れるが、キハE120系は新潟を拠点とした路線しか見られないらしい。
そのような理由で、迷わずキハE120系の車両に乗り込んだ。
列車は出発するとゆったり右にカーブを続けながら、南米沢駅、西米沢駅と停車する。
どちらも本家の米沢駅とは違って、単式ホーム1面1線の小さな駅である。
米沢から30分程で、第3セクターの山形鉄道フラワー長井線と接続する今泉駅に到着した。
この時は知らなかったが、この今泉駅は、宮脇俊三先生ファンにとっては聖地なのである。
昭和20年8月15日の終戦の日の正午、先生は父の宮脇長吉氏と一緒に、駅前広場にて玉音放送をお聞きになった。
日本中の時間が止まったこの瞬間に、列車はいつも通り運行されていたという旨が、先生のいくつかの作品に取り上げられている。
私も、いつかの8月15日の正午に、この今泉駅の駅前広場に居合わせてみたい。
今泉を過ぎてしばらくすると、車窓は山中の様相を呈してくる。
米坂線は全長約90キロ、全線単線非電化の地方交通線。
緑の山の中を走る路線は、あの「女子と鉄道」の著者でエッセイストの酒井順子嬢もファンだとか。
米坂線の駅の多くは単式ホーム1面1線の駅で、非常にローカルな雰囲気が感じ取られる。
雪国のローカル線ということで、私は白銀の世界を走る米坂線にも乗ってみたいと思った。
米沢から約2時間かけて、終点の坂町に着いた。
願わくはこのまま新潟まで運んで欲しい。
新潟~米沢を結ぶ快速「べにばな」という車両はあるらしいが、1日1往復しか出ていなく、今回の旅のスケジュールは、「べにばな」とは全くバッティングしなかった。
仕方なく坂町で白新線経由の新潟行きに乗り換える。
米坂線の車内はかなり混雑していたが、その乗客のほぼ全員が新潟を目指していたらしい。
新潟行きの車両には、米坂線から乗り継いできた大勢の乗客が乗り込み、やはり混雑した。
私は1両目の最前部に乗り込み、前面展望をかぶりついてみた。
坂町~新潟間の路線は街中を走り続け、あまり車窓の景色に面白味は感じられなかった。
坂町から1時間で新潟についた。
鉄道で新潟に訪れたのは初めてだが、駅や駅前巡りをする時間は無かった。
次は新潟で快速「くびき野」に乗り換える。
この「くびき野」は、485系の車両が使われているが、快速列車なので普通乗車券のみで乗車できる。
またこの「くびき野」は、去年の夏、初めての旅 で乗った思い出深い車両だ。
前回は新井から長岡まで乗車したが、今回は新潟から長岡に向かう。
14時丁度に新潟を出発した「くびき野」は、信越本線、羽越本線、磐越西線の3路線が乗り入れる新津駅を過ぎ、1時間程で長岡に着いた。
ここからは上越線に乗る。
次の水上行きまで1時間以上の待ち時間がある。
私が長岡で時間を潰す時に必ずすることは、駅ビルの中にあるファーストフード店「フレンド」の「イタリアン」を食することである。
「イタリアン」とは新潟のB級グルメで、肉なし焼きそばに、ミートソースをかけただけのような不思議な食べ物である。
改札内にある待合室で、イタリアンを頂く。
決して美味しいとは言えないのだが、次に長岡に来たときにまた食べたい、と思わせる本当に不思議な食べ物だ。
16時32分、水上行き上越線は出発した。
途中の小出駅にて、一番端のホームで出発を待っている、只見線の車両がいた。
小出駅付近から、雨が降り始めた。
越後湯沢辺りまでくると、雨は相当強く降っており、列車が止まらないか心配するほどであった。
最悪、新幹線を使う羽目になるのか…?
しかしそんな私の心配をよそに、列車は清水トンネルを抜け、湯檜曽ループを抜け(外は真っ暗でループは見えなかったが)、定刻通り水上についた。
ここまで来れば、あとは心配無いだろう。
胸を撫で下ろしながら、自宅まで定刻通り帰宅することができた。
余談だが今回の旅で、米沢から水上まで偶然、一人で鉄道の旅をする中学生の少年と一緒になった。
上越線で彼と話をする機会があり、
「次は土合に降りてみたいです」とか、
「今回は雨のせいで湯檜曽ループが見れなくて残念でした」とか、
目を輝かせながら語ってくれた。
彼が背負っていたリュックの中には、「峠の力餅」が詰め込まれていた。
私の人生の半分も生きていない彼から、何か、とても大事なことを教わったような気がした。
この旅の乗車記録は、こちらをクリック
再訪した峠駅から下り普通列車に乗り、あっという間に米沢に着いた。
米沢ということで、ホームでは原寸大の牛のレプリカが出迎えてくれた。

米沢から、米坂(よねさか)線にて坂町、そして坂町から羽越本線~白新線経由で新潟、新潟から信越本線で長岡、長岡でB級グルメの「イタリアン」を食し、上越線で帰る行程である。

米坂線の列車が来るまで、まだかなり時間がある。
駅の二階にある売店で土産を買い、待合室のベンチに腰掛けながらテレビの高校野球を見る。
それでもなかなか時間が潰れないので、米坂線専用ホームの5番線で列車を待つことにした。
米沢駅で、一時間半ほど待たされただろうか…
ようやく、坂町行きの気動車がホームに入線してきた。

列車は2両編成で、そのうち米沢側の車両はJR東日本で主力の、キハ110系。
一方坂町側の車両は、E120系という編成だ。
キハ110系は八高線でいつでも乗れるが、キハE120系は新潟を拠点とした路線しか見られないらしい。
そのような理由で、迷わずキハE120系の車両に乗り込んだ。
列車は出発するとゆったり右にカーブを続けながら、南米沢駅、西米沢駅と停車する。
どちらも本家の米沢駅とは違って、単式ホーム1面1線の小さな駅である。
米沢から30分程で、第3セクターの山形鉄道フラワー長井線と接続する今泉駅に到着した。
この時は知らなかったが、この今泉駅は、宮脇俊三先生ファンにとっては聖地なのである。
昭和20年8月15日の終戦の日の正午、先生は父の宮脇長吉氏と一緒に、駅前広場にて玉音放送をお聞きになった。
日本中の時間が止まったこの瞬間に、列車はいつも通り運行されていたという旨が、先生のいくつかの作品に取り上げられている。
私も、いつかの8月15日の正午に、この今泉駅の駅前広場に居合わせてみたい。
今泉を過ぎてしばらくすると、車窓は山中の様相を呈してくる。
米坂線は全長約90キロ、全線単線非電化の地方交通線。
緑の山の中を走る路線は、あの「女子と鉄道」の著者でエッセイストの酒井順子嬢もファンだとか。
米坂線の駅の多くは単式ホーム1面1線の駅で、非常にローカルな雰囲気が感じ取られる。
雪国のローカル線ということで、私は白銀の世界を走る米坂線にも乗ってみたいと思った。

米沢から約2時間かけて、終点の坂町に着いた。
願わくはこのまま新潟まで運んで欲しい。
新潟~米沢を結ぶ快速「べにばな」という車両はあるらしいが、1日1往復しか出ていなく、今回の旅のスケジュールは、「べにばな」とは全くバッティングしなかった。
仕方なく坂町で白新線経由の新潟行きに乗り換える。
米坂線の車内はかなり混雑していたが、その乗客のほぼ全員が新潟を目指していたらしい。
新潟行きの車両には、米坂線から乗り継いできた大勢の乗客が乗り込み、やはり混雑した。
私は1両目の最前部に乗り込み、前面展望をかぶりついてみた。
坂町~新潟間の路線は街中を走り続け、あまり車窓の景色に面白味は感じられなかった。
坂町から1時間で新潟についた。
鉄道で新潟に訪れたのは初めてだが、駅や駅前巡りをする時間は無かった。
次は新潟で快速「くびき野」に乗り換える。
この「くびき野」は、485系の車両が使われているが、快速列車なので普通乗車券のみで乗車できる。
またこの「くびき野」は、去年の夏、初めての旅 で乗った思い出深い車両だ。
前回は新井から長岡まで乗車したが、今回は新潟から長岡に向かう。
14時丁度に新潟を出発した「くびき野」は、信越本線、羽越本線、磐越西線の3路線が乗り入れる新津駅を過ぎ、1時間程で長岡に着いた。
ここからは上越線に乗る。
次の水上行きまで1時間以上の待ち時間がある。
私が長岡で時間を潰す時に必ずすることは、駅ビルの中にあるファーストフード店「フレンド」の「イタリアン」を食することである。
「イタリアン」とは新潟のB級グルメで、肉なし焼きそばに、ミートソースをかけただけのような不思議な食べ物である。
改札内にある待合室で、イタリアンを頂く。
決して美味しいとは言えないのだが、次に長岡に来たときにまた食べたい、と思わせる本当に不思議な食べ物だ。

16時32分、水上行き上越線は出発した。
途中の小出駅にて、一番端のホームで出発を待っている、只見線の車両がいた。

小出駅付近から、雨が降り始めた。
越後湯沢辺りまでくると、雨は相当強く降っており、列車が止まらないか心配するほどであった。
最悪、新幹線を使う羽目になるのか…?
しかしそんな私の心配をよそに、列車は清水トンネルを抜け、湯檜曽ループを抜け(外は真っ暗でループは見えなかったが)、定刻通り水上についた。
ここまで来れば、あとは心配無いだろう。
胸を撫で下ろしながら、自宅まで定刻通り帰宅することができた。
余談だが今回の旅で、米沢から水上まで偶然、一人で鉄道の旅をする中学生の少年と一緒になった。
上越線で彼と話をする機会があり、
「次は土合に降りてみたいです」とか、
「今回は雨のせいで湯檜曽ループが見れなくて残念でした」とか、
目を輝かせながら語ってくれた。
彼が背負っていたリュックの中には、「峠の力餅」が詰め込まれていた。
私の人生の半分も生きていない彼から、何か、とても大事なことを教わったような気がした。
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私を乗せた2両編成の719系は、板谷駅 をあとにした。
峠駅を過ぎ、勾配をくだってゆくのを感じながら最後の目的地にたどり着く。
大沢(おおさわ)駅
ここで下車した乗客は私1人。
列車に乗り込んだ人間は0人。
上越線にも同名の駅があるが、こちらの大沢駅は、秘境駅ランキングにかろうじてランクインしている。
この駅も板谷駅と同じく対面式ホーム2面2線を有しており、やはりホームはスノーシェードに覆われている。
板谷駅と異なるのは、下りホームの真ん中に、プレハブの小さな待合室が置かれている事くらいであろうか。
一見この駅でも駅寝ができそうだがよく見ると、待合室の近くにトイレが無い。
この駅で一夜は過ごしにくそうだ。
駅の出口に向かってみる。
スノーシェードに覆われた引き込み線に沿って歩道が舗装されており、出口はスノーシェードを抜けたところにある。
この辺は峠駅や板谷駅と同じパターンだ。
スノーシェードを抜けると、朝日が眩しく降り注ぐ。
今日の米沢地方は快晴である。
真っ直ぐ進むと右手に出口が見えてくるが、さらにその奥には旧ホームが身構えている。
まずは旧ホームに向かってみよう。
4つの駅の中で、この大沢は一番旧ホームの状態が良さそうである。
地元のボランティアが手入れなぞしているとは思えないが、それほど旧ホームに雑草が生えていない。
しかし旧駅名標は、他の駅と大差無いほど酷く赤錆びていた。
小さな駅舎も残されており、トイレまで使える状態で残っていた。
一応、この駅にはトイレはあるようだが、ここで駅寝した際は待合室からトイレまで300メートル程の距離があり、改めてここでの駅寝はお勧めできない。
待合室のベンチは寝心地が良さそうなのだが。
本線のスノーシェードの上にのびている道が、大沢駅の出入口である。
少し駅前探索をしてみよう。
出入口付近すぐのところに民家が構えており、道をまっすぐ進むと丁字路にたどり着く。
その丁字路に沿って民家が寄り添うように建ち並んでいるが、とても静かな場所である。
民家の列の中に、公民館であろうか?なかなか立派な茅葺き屋根の建物が一際目立って佇んでいた。
こういう光景を見ると、いかにも北国にやって来たという印象を受ける。
真夏に訪れたことを少々後悔する瞬間である。
この大沢駅は、4つの駅の中で一番地味な印象であったが、山形線のスイッチバック遺構巡りをする際は4つの駅全てに降りたって欲しいものである。
人気も殆ど無く、ゆっくりとスイッチバックの遺構をたしなむことができるであろう。
これにて、今回の阿房列車の目的は達成できた。
あとは帰宅するだけだが、来た道と同じ道を帰ってゆくのはつまらなく感じる。
それが私の性分である。
8時16分
まずは、福島行き上り列車に乗り込み、一駅移動する。
そこは、昨日も訪れた峠駅。
ここで、駅の近くで湧き出ている地下水「峠の力水」を頂く。
8時41分
峠駅の余韻に浸る間もなく、米沢行き列車に乗り込んだ。
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私を乗せた2両編成の719系は、板谷駅 をあとにした。
峠駅を過ぎ、勾配をくだってゆくのを感じながら最後の目的地にたどり着く。
大沢(おおさわ)駅

ここで下車した乗客は私1人。
列車に乗り込んだ人間は0人。
上越線にも同名の駅があるが、こちらの大沢駅は、秘境駅ランキングにかろうじてランクインしている。
この駅も板谷駅と同じく対面式ホーム2面2線を有しており、やはりホームはスノーシェードに覆われている。

板谷駅と異なるのは、下りホームの真ん中に、プレハブの小さな待合室が置かれている事くらいであろうか。


一見この駅でも駅寝ができそうだがよく見ると、待合室の近くにトイレが無い。
この駅で一夜は過ごしにくそうだ。
駅の出口に向かってみる。

スノーシェードに覆われた引き込み線に沿って歩道が舗装されており、出口はスノーシェードを抜けたところにある。
この辺は峠駅や板谷駅と同じパターンだ。
スノーシェードを抜けると、朝日が眩しく降り注ぐ。
今日の米沢地方は快晴である。

真っ直ぐ進むと右手に出口が見えてくるが、さらにその奥には旧ホームが身構えている。
まずは旧ホームに向かってみよう。

4つの駅の中で、この大沢は一番旧ホームの状態が良さそうである。
地元のボランティアが手入れなぞしているとは思えないが、それほど旧ホームに雑草が生えていない。
しかし旧駅名標は、他の駅と大差無いほど酷く赤錆びていた。

小さな駅舎も残されており、トイレまで使える状態で残っていた。

一応、この駅にはトイレはあるようだが、ここで駅寝した際は待合室からトイレまで300メートル程の距離があり、改めてここでの駅寝はお勧めできない。
待合室のベンチは寝心地が良さそうなのだが。

本線のスノーシェードの上にのびている道が、大沢駅の出入口である。
少し駅前探索をしてみよう。

出入口付近すぐのところに民家が構えており、道をまっすぐ進むと丁字路にたどり着く。
その丁字路に沿って民家が寄り添うように建ち並んでいるが、とても静かな場所である。
民家の列の中に、公民館であろうか?なかなか立派な茅葺き屋根の建物が一際目立って佇んでいた。

こういう光景を見ると、いかにも北国にやって来たという印象を受ける。
真夏に訪れたことを少々後悔する瞬間である。
この大沢駅は、4つの駅の中で一番地味な印象であったが、山形線のスイッチバック遺構巡りをする際は4つの駅全てに降りたって欲しいものである。
人気も殆ど無く、ゆっくりとスイッチバックの遺構をたしなむことができるであろう。
これにて、今回の阿房列車の目的は達成できた。
あとは帰宅するだけだが、来た道と同じ道を帰ってゆくのはつまらなく感じる。
それが私の性分である。
8時16分
まずは、福島行き上り列車に乗り込み、一駅移動する。
そこは、昨日も訪れた峠駅。
ここで、駅の近くで湧き出ている地下水「峠の力水」を頂く。

8時41分
峠駅の余韻に浸る間もなく、米沢行き列車に乗り込んだ。
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峠駅 に別れを告げ、一度福島駅に戻る。
駅ビルの中にあるスーパー銭湯で汗を流し、休憩所の座敷に座り生中を2杯飲み干した。
休憩所のテレビでは、その年に開催されたロンドン・オリンピックで、陸上100m、200m、4×100mリレーで金メダルに輝いた「人類史上最速の男」ウサイン・ボルトの特集を放映していた。
前回の北京オリンピックで余裕とも取れる走りで圧勝した彼も、実は身体の骨格に歪みがあり、そのハンデを背負って走っているという事を初めて知り、王者の道も決して平坦なものではないのだと改めて知った。
汗が引いたところで、福島駅のホームに戻り、米沢行き下り普通列車の最終に乗り込む。
時は既に午後9時を過ぎている。
車内は混んではいないが、どのクロスシートにも必ず一人はいるくらいの、それなりの乗客の数はいた。
闇の中を列車は走り続け、先ほど赤岩から峠に向かった時に素通りした駅にて下車する。
板谷(いたや)駅
板谷峠の名前をそのまま拝借している駅だが、標高は峠駅のほうが高いらしい。
2面2線の相対式ホームは、スノーシェードの中に設置されていた。
ここで下車した乗客は私一人。
今日はこの駅で一夜を過ごす。
上りホームの端に小さなログハウス風の待合室があり、先程素通りした際に、さりげなくここで駅寝ができることを確認していたのである。
駅の探索は明日にしよう。
22時30分頃に通過する下り最終の新幹線をやり過ごした後、長いベンチに体を預けて眠りに入った。
駅は静かで、アルコールのお陰もあり、難なく熟睡に至ったようだ。
まだ薄暗がりの午前4時半頃に目が覚めてしまった。
駅寝をして早起きした時、その駅に踏切がついている場合に限り、私は必ずやることがある。
踏切の真ん中、2本の線路の真ん中に立って、果てしなく伸びる線路をしばらく眺めるのだ。
起きた時間や時期によって、その状態て朝日を迎えることができる。
前回の旅の坪尻ではそれはかなわなかったが、今回は幸運にもそれがかなえられた。
そうやって線路を眺めていると、あっという間に時間が過ぎる。
この線路はこの先、どんな地形や街の中を進んで行くのか?
この線路の上を、何台の車両が走り抜けていったのか?何人の人間が行き来したのだろうか?
日もかなり昇って来た。良い天気だ。今日も暑くなるだろう。
そろそろ駅の探索を始める。
私が一夜を過ごした待合室は、上りホームとくっついているため、上り列車に乗る場合は、待合室の中を通過する必要がある。
ホームの真ん中に22.4パーミルの勾配標が立てられていて、確かにホームに立つと傾斜を感じとることができる。
駅の出口に向かってみる。
赤岩や峠とは異なり、スノーシェードに覆われた引き込み線がまた残されており、線路の脇の通路を抜けて出口まで行くようだ。
300メートルほど歩いたところで出口に到達した。
出口まで来ると道路に沿って民家が建ち並んでいる。
この駅周辺はかなり生活感が感じ取られる。
そして、旧ホームと線路はしっかりと残されていて、遺構観察は十分行える。
ここには旧駅舎もわりかし良い状態で残されている。
スイッチバック時代の駅の賑わいが想像できる。
と、よく見ると旧ホーム側の車庫に電気機関車が停められていた。
あの機関車は今後出動する事があるのだろうか?
少し駅を離れて散策してみると、簡単に見晴らしの良い景色が広がってくる。
その景色を眺めることによって、今は山の頂上近くに居るんだということがよくわかる。
この板谷駅も、のどかでとても良い雰囲気を持っている。
駅に戻り、上り始発の新幹線「つばさ」をやり過ごしてから程なく、下りの普通列車が姿を現した。
板谷から乗り込んだのは私を含めて2人。板谷で降りる乗客はいなかった。
そして、今回の旅最後の目的地へ向かう。
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峠駅 に別れを告げ、一度福島駅に戻る。
駅ビルの中にあるスーパー銭湯で汗を流し、休憩所の座敷に座り生中を2杯飲み干した。
休憩所のテレビでは、その年に開催されたロンドン・オリンピックで、陸上100m、200m、4×100mリレーで金メダルに輝いた「人類史上最速の男」ウサイン・ボルトの特集を放映していた。
前回の北京オリンピックで余裕とも取れる走りで圧勝した彼も、実は身体の骨格に歪みがあり、そのハンデを背負って走っているという事を初めて知り、王者の道も決して平坦なものではないのだと改めて知った。
汗が引いたところで、福島駅のホームに戻り、米沢行き下り普通列車の最終に乗り込む。
時は既に午後9時を過ぎている。
車内は混んではいないが、どのクロスシートにも必ず一人はいるくらいの、それなりの乗客の数はいた。
闇の中を列車は走り続け、先ほど赤岩から峠に向かった時に素通りした駅にて下車する。
板谷(いたや)駅

板谷峠の名前をそのまま拝借している駅だが、標高は峠駅のほうが高いらしい。
2面2線の相対式ホームは、スノーシェードの中に設置されていた。
ここで下車した乗客は私一人。
今日はこの駅で一夜を過ごす。
上りホームの端に小さなログハウス風の待合室があり、先程素通りした際に、さりげなくここで駅寝ができることを確認していたのである。
駅の探索は明日にしよう。
22時30分頃に通過する下り最終の新幹線をやり過ごした後、長いベンチに体を預けて眠りに入った。

駅は静かで、アルコールのお陰もあり、難なく熟睡に至ったようだ。
まだ薄暗がりの午前4時半頃に目が覚めてしまった。
駅寝をして早起きした時、その駅に踏切がついている場合に限り、私は必ずやることがある。
踏切の真ん中、2本の線路の真ん中に立って、果てしなく伸びる線路をしばらく眺めるのだ。
起きた時間や時期によって、その状態て朝日を迎えることができる。
前回の旅の坪尻ではそれはかなわなかったが、今回は幸運にもそれがかなえられた。
そうやって線路を眺めていると、あっという間に時間が過ぎる。
この線路はこの先、どんな地形や街の中を進んで行くのか?
この線路の上を、何台の車両が走り抜けていったのか?何人の人間が行き来したのだろうか?
日もかなり昇って来た。良い天気だ。今日も暑くなるだろう。
そろそろ駅の探索を始める。

私が一夜を過ごした待合室は、上りホームとくっついているため、上り列車に乗る場合は、待合室の中を通過する必要がある。
ホームの真ん中に22.4パーミルの勾配標が立てられていて、確かにホームに立つと傾斜を感じとることができる。

駅の出口に向かってみる。
赤岩や峠とは異なり、スノーシェードに覆われた引き込み線がまた残されており、線路の脇の通路を抜けて出口まで行くようだ。


300メートルほど歩いたところで出口に到達した。
出口まで来ると道路に沿って民家が建ち並んでいる。
この駅周辺はかなり生活感が感じ取られる。
そして、旧ホームと線路はしっかりと残されていて、遺構観察は十分行える。
ここには旧駅舎もわりかし良い状態で残されている。
スイッチバック時代の駅の賑わいが想像できる。


と、よく見ると旧ホーム側の車庫に電気機関車が停められていた。
あの機関車は今後出動する事があるのだろうか?

少し駅を離れて散策してみると、簡単に見晴らしの良い景色が広がってくる。
その景色を眺めることによって、今は山の頂上近くに居るんだということがよくわかる。


この板谷駅も、のどかでとても良い雰囲気を持っている。
駅に戻り、上り始発の新幹線「つばさ」をやり過ごしてから程なく、下りの普通列車が姿を現した。

板谷から乗り込んだのは私を含めて2人。板谷で降りる乗客はいなかった。
そして、今回の旅最後の目的地へ向かう。


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