もこ太郎の平成阿房列車 -5ページ目

もこ太郎の平成阿房列車

No Train,No Life!
生粋の「乗り鉄」がブログを書くとこうなる!!
私が行った鉄道の旅をレポートさせて頂いています!
私のブログをお読み頂いて、鉄道の旅に興味を持って頂けたら幸いです!

※今回の記事の画像は、かなり画質が悪いことを事前にお詫びしておきます。
 そのことを踏まえて、記事をお読み頂ければ幸いです。


この旅の物語を最初からお読み頂ける場合は、こちらをクリック

命からがら、赤岩駅 を抜け出した。
今まで降りた秘境駅の殆どは、駅との別れが名残惜しく、また来てみたいという感想を持つことができたものだが、この赤岩駅は例外だ。
おそらく、よっぽど気が向かないと、また来たいとは思わないだろう…
今までとは別の意味で、一生忘れられない駅になりそうだ。
スイッチバック跡も旧ホームもろくに見れなかったが、無事に駅を抜け出せたことで、そんな憤りなどどうでもよくなる。

いかん、
旅の目的はスイッチバックの遺構を訪れること。
最初の駅で目的を見失ってるようでは話にならない。

下り列車は幾重のトンネルを抜け、板谷駅に到着。
この駅は後程訪れる予定である。

板谷駅を発車した列車は、長いトンネルに入る。
峠を越えるトンネルということで、どうしても上越線の清水トンネル とリンクし、自ずとテンションが上がってくる。

そして列車はスピードダウンし、社内放送にて次の駅停車のアナウンスが流れる。


トンネルを抜けた筈なのに、薄暗い中に列車は停止した。
私は下車した。



峠(とうげ)駅



下車してまず目に入るのは、駅のシンボルにもなっている、ホーム一面を多い尽くす巨大なスノーシェード。



これは圧巻である。
何でもこのスノーシェードは、スイッチバックのポイントが、積雪や凍結で誤動作しない為の工夫であったらしい。
今でもホームを豪雪から守るために役立っているだろう。
そして一面二線島式ホームの上にある、「峠」一文字の、シンプルだが印象深い駅名標。

それから、ホームに響く「ちか~ら~~」の掛け声。
今では非常に珍しい駅売りの姿が、ここ峠駅では百年以上も前からずっと見られるのである。



列車は駅売りの品を購入する乗客の為に、少し長めの停車時間をとる。
粋な計らいである。

列車が出発した後、私は売り子から品物を購入した。一つ千円。
その品物とは…


峠の力餅




購入直後、私は待合室のベンチに腰掛け、箱を開けてみる。
箱の中には、一口サイズの大福が10個入っている。



おもむろに餅を一つつまみ上げ、口にほうばる。
柔らかい餅にこし餡が詰め込まれており、素朴で淡い甘さが口の中に漂っていく。




私は、この一口の為にここまで来た
また一つ、小さな夢を叶えることができた




美味しさと、夢が叶ったことで、涙が出そうになった。
こんなことでそんなに感動するなんて頭がどうかしてるのではないか?と思われるかもしれない。
しかし、そんな些細な夢でもこうして叶えることができた。頭がどうかしてしまった男に少々お付き合い頂きたい。

赤岩で命がけの探索を行ったせいもあって、小腹が空いた状態の胃袋に力餅はどんどん流しこまれて行く。
10個すべて平らげることができそうな勢いだったが、それだと少し勿体無いような気がしてきた。
5個目を食べたところで、力餅の箱をリュックにしまい、駅周辺を探索することにした。

ホームからの階段を降り、駅の出口に向かう道は100メートルほど先までスノーシェードに覆われている。



2、30メートルほど出口方面に進むと、残された廃線のレールが見えてくる。



スノーシェードに覆われた箇所は、昔は引き込み線であったことが容易に理解できる。

スノーシェードから抜け出すと、そこには非常にのどかな光景が広がる。



周りに私を覆い囲う、目立って高くそびえる山は無い。
つまり私は、今まさしく峠にいるのだ。




赤岩では虫の声しか聞こえなかったが、ここ峠では小鳥のさえずる声があちこちから聞こえてくる。


良い雰囲気だ。


さて、旧ホームはどこか?
スノーシェードから程なく真っ直ぐ歩いたところ、すぐ旧ホームを見つけることができたが、ここも草木に覆われてしまっており、満足に旧ホームを見ることができなかった。



しかしそのさらに奥に線路跡が続いており、跡を追いかけてみると、朽ち果ててはいるが、まだまだ力強くそびえ立つスノーシェードが姿を表す。



ホームはよく見れなくとも、このスノーシェードが見れればそれなりの満足感は得られた。

このスノーシェードの中に入ることができたが、あまり奥に進むと気味が悪くなりそうだったので、適当なところで引き返した。




次は駅に隣接する「峠の茶屋」に立ち寄ってみる。



峠の茶屋の名にふさわしい、味わい深いたたずまいである。



ここは力餅の販売元であると同時に、食事も取れる。
夕方に近い時刻ではあるが、まだまだ暑さはおさまらない。
そんな中、私は茶屋の名物だという「山菜入り雑煮餅」を注文する。

客は私一人。
出された雑煮を食してみる。

美味い。
まったく素朴な味わいで、懐かしさを感じずにはいられなくなる。
心が落ち着く。

暑い中、熱い雑煮を汁ごとたいらげてしまった。
私は店員に礼を言い、店を出た。



駅の周りは静かで、民家も峠の茶屋を含めて数件。
しかし民家に住む人たちは家事に追われた様子を見せ、赤岩と違いここには生活が存在する。


のどかで良いところだ。
いつまでもここに居たくなる。

しかし残念だがそうも言っていられない。

1時間半ほど峠駅に滞在後、福島行き上り列車に乗り込む。



峠駅との別れを惜しみながら…









この旅の物語の続きは、こちらをクリック



鉄道コム

にほんブログ村 鉄道ブログへ

この旅の物語を最初からお読み頂ける場合は、こちらをクリック

庭坂駅を出ると、車窓はそれまでの住宅が建ち並ぶ風景から、みるみる草木が生い茂った風景へと変貌していく。
その変貌ぶりは、ある種の恐怖すら感じさせられる程である。

列車は大きなS字カーブを抜け、幾つものトンネルを抜け、鉄橋を渡るという過酷な道のりを乗り越え、ようやく次の駅に到着。
私はまず、その駅にて下車した。


赤岩(あかいわ)駅



予備知識は持っていた。
この駅は、秘境駅ランキングでかなり上位にランクしている駅。

ホームに降りた瞬間、異様な雰囲気が漂ってくる駅である。

駅の周りに民家があることなどは、最初からあてにしていなかったがしかし、
一面ニ線の島式ホームは狭く、駅名標と小さな上屋がある他は何もない。
ベンチすらないのである。

そしてホームの周りを見渡せば、生い茂る木々以外何もない。
特にホームから福島方面を向き、さらに向かって左側を見ると、今にも襲ってきそうな高い山がそびえ立つ。



米沢方面を見ると、ホームのすぐそばにトンネルが迫っている。



ホームから福島方面に歩いていくと線路を渡る小さな踏切があり、踏切を渡ったところに小さな待合室と、トイレがある。
しかしトイレは閉鎖されている。



そして…

次の列車に乗るには、上りであろうが下りであろうが、3時間は待たなければならない…



この駅に初めて降りた瞬間、誰もが
「とんでもないところに来てしまった」
と思うに違いない。

いくつかの秘境駅に降りている私でさえ、この駅には唖然とさせられた。

一大ターミナルの福島駅からわずか3駅隣に、このような駅があるとは誰が想像できようか?
こんな雰囲気では、間違っても「のどか」なんて言葉は口に出来ない。


この駅に降りたのは私と、保線員二名、あとはピンクのズボンという独特な、というよりも奇抜ないでたちの中年男性…
この中年男性にはあまり関わらないようにして、私は目的の一つであるスイッチバック跡を巡ることにした。

踏切を渡って、小さな待合室を横目に進んでいくと、砂利道が真っ直ぐのびている。
おそらくこの道は、スイッチバックの引き込み線の跡だと思われる。



砂利道を歩み進んでいくと、左側に草木に完全に覆われた小さな建物が、道より一段高くなっている場所に建っていた。



これこそ、赤岩駅の旧ホームであろう。
よく見ると、完全に赤錆びた、過去の駅名標と思われる立看板のようなものが、小さな建物の左手前にあった。



旧ホームをよく見たかったが、草木に邪魔されて、思ったように見れなかった。

さらに砂利道を進むと左側に変電所らしき建物がある。
このポイントだけは、かなり人工的な姿を醸し出している。
変電所ということは、JRの作業員が、結構な頻度でここを訪れたりしているのだろうか?



さらに砂利道を進むと、トンネルの跡が見えた。
引き込み線の延長にあったトンネルに違いない。



そのトンネルに近づいてみようと思ったが、ここでも生い茂った草木が私の行く手を阻む。
この草木の多さは並大抵ではない。
まさにジャングルだ。
先日の四国の旅では、坪尻で野生の猪を見ている。
草影から急に熊や蛇が飛び出してきても、何らおかしくないであろう。
この草を掻き分けて進むには、自衛隊程の訓練を受けた者でないと、命の保証はないのでは?とまで考えてしまう。
大袈裟のように聞こえるだろうが、この場に居合わせたら決して大袈裟ではなくなる。
トンネルに近づくのを早々に諦めたのは言うまでもない…

真夏の季節は、これだけ草木が生えて当たり前なのかもしれない。
では冬にこの場を訪れると草木に邪魔されないか?
確かにそうかもしれないが、この辺りは豪雪地帯。
冬は冬で大雪に邪魔されるのであろう。
この駅を散策するには、雪が溶けた春か、草木が枯れはじめる秋がよいのか?

トンネルの脇に、出口に繋がると思われる上り坂の林道がある。
次の列車まで相当時間があるので、坂を登ってみようと思う。



少し坂を上がったところから、先程のトンネルを内部まで見ることができる。
線路がまだ残ったままになっているが、トンネルの前にはフェンスが張られていてトンネルの中には入れないようだ。
今となって、胸を撫で下ろした。
トンネルにたどり着こうとあれだけ苦労して草むらの中をわけいって、トンネルにたどり着いたところで実は中に入れないと分かると、目もあてられなかっただろう。


さらに林道を上ってみる。
そのうち集落にでもたどり着くだろう。



しかしいくら林道を上っても上っても、一向に草木のトンネルから脱け出せない。
真夏の陽射しを木々がさえぎってくれるのは有り難いが、それだけでは汗と疲労を抑えることは出来ない。



道の途中で巨大なキノコを発見した。
誰かがキノコを引き抜いて、そのまま放り投げたとしか思えないような横たわりかたである。
キノコを放り投げたのは人間か?それとも他の生物か…?



20分程歩いてきただろうか?
ようやく視界が開けてきた。



目の前には、広い原っぱと、真っ直ぐ延びるアスファルトの道がある。
やっと林道をぬけたのだ。



民家が点在しているようだが、近づいてみるとどの家も生活感が無く、空き家になっているらしい。
異様な寂しさ、虚しさが漂ってくる。






この辺りは、とことん「のどか」という言葉に縁がないらしい。


ゴーストタウンと化したと思われる集落を歩いていると、時々車が通過する。
一体どこから来た車なのだろう。
そしてその車の中には、JRの文字が書かれた四駆の車両が、どうやら駅に向かって走っていった。
変電所の作業員か、または先程の保線員の出迎え用の車が?

JRの車を追いかけるが如く、私は今来た道を引き返す。
普通なら駅まであと何メートルといった類いの案内標が道の脇に立っているものだが、そんなものは一切見かけなかった。

とことん忘れられた駅、という印象を受けた。

帰りは下り坂をひたすら降りるだけなので、若干楽ではあった。
さっきは上り坂を上るのに必死で気づかなかったが、時折列車が通過する音が聞こえてくる。
おそらく「つばさ」が猛スピードで駆け抜けていっているのであろう。

駅まで戻ってくると、やはり先程のJRの車が停車していた。
しかしあの悪路を車で通るのは、かなりのテクニックが必要なのではないか?

鉄ヲタになる前は無類のドライブ好きだった私である。
しかしこんな道はたとえ仕事であっても車では通りたくない、運転手は大したものだと感嘆した。
車はしばらくして、保線員を拾って去っていった。

中年の男性は…
あれ以降見ていないが…





何もする事が無いので、ホームにあがって「つばさ」の通過を見てみようと思う。

私は猛スピードで通過する姿を想像して身構えていたが、実際に「つばさ」が通過する時は想像に反してかなりスピードを殺して、通過していった。



この辺りは勾配もかなりあるし、トンネル、カーブ、鉄橋など過酷な環境にあるので、新幹線と言えどもスピードは出せないのであろう。



とは言っても、トンネルから大蛇のように伸びてくる車体が、目の前を通過していく姿は、さすがに迫力がある。

さらにしばらく待っていると、ちょうど上りと下りの「つばさ」が赤岩駅ですれ違う姿を見れた。
これは幸運だった。



待合室とホームをいったり来たりして1時間以上待ったであろうか…

ようやく在来線の米沢行き下り719系が定刻通りやってきて、私は胸を撫で下ろした。



列車に乗り込み、次の目的地に向かう。







この旅の物語の続きは、こちらをクリック


鉄道コム

にほんブログ村 鉄道ブログへ

『I Love Switch Back』


全国の鉄道のスイッチバックを紹介する、このようなタイトルのホームページがある。

このホームページの管理人は江上英樹氏。
漫画「鉄子の旅」が掲載されている月刊IKKIの編集長であり、ビートルズファン並びに鉄道ファン。
特にスイッチバックに関しては相当な愛着があるらしく、「スイッチバック鉄」と言っても過言では無いだろう。
ちなみに氏は、「新・鉄子の旅」では毎回登場している。

その無類のスイッチバック好きが高じて、このようなホームページを作成するに至ったらしい。

確かに鉄道ファンにとって、スイッチバックは非常に魅力的な要素の一つである。
ひたすら終着駅を目指して前に進む列車が、途中で停止するだけにとどまらず、今来た道を引き返すという行為を、予備知識無く行われたら誰でも「えっ?」と驚いてしまうのではないだろうか?

これに興奮を覚えるのが鉄道ファンである。
スイッチバックする列車に乗っていても楽しいし、スイッチバックする列車を眺めるのも楽しい。
私に限っては、引き込み線や、X字にクロスしている線路を見るだけでも楽しめるのである。

私も初めての旅の時に訪れた、篠ノ井線の姨捨駅 と桑ノ原信号場、そして信越本線の二本木駅にはすこぶる興奮したのを思い出す。

しかし今日の鉄道技術の発達と反比例して、全国からスイッチバックが徐々に無くなっているのが現状である。
もともとスイッチバックは、急勾配を非力な列車が登る為に工夫された手段である。
しかし、技術が向上し、列車がパワーアップするにつれて、スイッチバックの存在自体が意味を持たなくなってきているのである。

最も顕著な例が…

20年以上前までは、連続する4つの駅全てにスイッチバックがあったのだが、新幹線がその路線を走ることになり、4つのスイッチバック全てが廃止になったという路線がある。


それは、JR奥羽本線。
その中で、福島~山形~新庄間を結ぶ「山形線」という愛称で呼ばれている路線の、
さらに福島~米沢間の、板谷峠を越える区間。
横川~軽井沢間の碓氷峠と並ぶ難所とされていた。

スイッチバックは無くなっているが、4つの駅全てにスイッチバックの遺構があるらしい。
今回の旅の目的は、その4つのスイッチバック跡全てを巡ること。

そして4つの駅のうちの一つは、私がずっと憧れを抱いている駅であり、その駅に訪れること、どちらかというと、後者の方が真の目的と言えよう。




2012年8月16日

早朝から厳しい日差しを受けつつ、18きっぷを利用して高崎線で一路大宮へ。
大宮からは東北本線に乗り込み、鈍行でひたすら北を目指す。
車内は以外と混み合っている。
新幹線を使わないとなると、みんな18きっぱーなのか?と錯覚してしまう。




宇都宮、黒磯、郡山で乗り換えを行い、福島に到着した時はすでに正午を過ぎていた。
ここからいよいよ山形線の在来線に乗り込む。

ある地図で山形線を見てみると、そこには「山形新幹線」と書かれたものが存在する。
今や山形線は、山形新幹線「つばさ」がメインで走っており、新幹線のダイヤの隙間をうまい具合にすり抜けて在来線が走る。
よって在来線の本数は自ずと少なくなる。
福島~米沢間の在来線に限っては、1日6往復という有り様だ。
(米沢~山形間、山形~新庄間の在来線の本数はもう少し多い)
しかしこれが限界であろう。

そしてこの山形線は、新幹線と在来線が同じ線路の上を走るのである。
よって、在来線の車両も標準軌でなければならない。
山形線の在来線の車両は、標準軌仕様なのである。


米沢行き普通列車は定刻通り福島を出発した。
線路は左にカーブしたかと思ったら、高架から降りてきたレールと合流する。
おそらくこの高架のレールは、新幹線用のレールなのだろう。

列車が福島から2つ目の駅「庭坂」を過ぎてから、車掌が車内検札を開始した。
この先は無人駅が続くのであろう。

そして間もなく、列車は最初の目的地に停車する…


この旅の物語の続きは、こちらをクリック


鉄道コム

にほんブログ村 鉄道ブログへ


※以下の時刻は、2012年7月の時刻表に基づきます。


7月21日
新宿 発  23:54
 ↓
 ↓  『ムーンライト信州81号』:8421M


7月22日
 ↓
 ↓
松本 着  4:32

松本 発  4:45
 ↓
 ↓  アルピコ交通松本電鉄上高地線:快速
 ↓
新島々 着 5:08





新島々 発 5:55
 ↓
 ↓  アルピコ交通松本電鉄上高地線
 ↓
松本 着  6:24

松本 発  6:27
 ↓
 ↓  篠ノ井線/中央本線:822M
 ↓
中津川 着 8:45

中津川 発 8:51
 ↓
 ↓  中央本線『セントラルライナー』:4702M
 ↓
名古屋 着  9:59

名古屋 発 10:05
 ↓
 ↓  関西本線:5303M
 ↓
亀山 着  11:07

亀山 発  11:14
 ↓
 ↓  関西本線:239D
 ↓
加茂 着  12:35

加茂 発  12:45
 ↓
 ↓  関西本線:3409K
 ↓
王寺 着  13:17

王寺 発  13:40
 ↓
 ↓  和歌山線:1394T
 ↓
高田 着  13:56

高田 発  14:28
 ↓
 ↓  和歌山線:465T
 ↓
和歌山 着 16:34



7月23日
和歌山 発 13:14
 ↓
 ↓  阪和線/大阪環状線『紀州路快速』:4564H/4164M
 ↓
大阪 着  14:43

大阪 発  15:00
 ↓
 ↓  東海道本線/山陽本線:3259M
 ↓
相生 着  16:22

相生 発  16:25
 ↓
 ↓  山陽本線:1327M
 ↓
岡山 着  17:30

岡山 発  17:42
 ↓
 ↓  『快速マリンライナー51号』:3151M
 ↓
坂出 着  18:22

坂出 発  18:48
 ↓
 ↓  予讃線/土讃線『快速サンポート』:1255M
 ↓
琴平 着  19:23

琴平 発  20:20
 ↓
 ↓  土讃線:4281D
 ↓
坪尻 着  20:47


7月24日
坪尻 発   6:16
 ↓
 ↓  土讃線:4219D
 ↓
阿波池田 着  6:31





阿波池田 発  7:20
 ↓
 ↓  土讃線:4225D
 ↓
土佐北川 着  8:41

土佐北川 発  9:53
 ↓
 ↓  土讃線:4231D
 ↓
新改 着  10:32

新改 発  11:41
 ↓
 ↓  土讃線:4236D
 ↓
阿波池田 着 13:05

阿波池田 発 13:59
 ↓
 ↓  徳島線:4466D
 ↓
徳島 着  15:53

徳島 発  16:01
 ↓
 ↓  高徳線:360D
 ↓
高松 着  19:08

高松 発  20:10
 ↓
 ↓  『快速マリンライナー』:3162M
 ↓
岡山 着 21:05

岡山 発 22:33
 ↓
 ↓  『サンライズ瀬戸』:5032M
 ↓

7月25日
 ↓
 ↓
沼津 着  5:26



沼津 発  6:01
 ↓
 ↓  御殿場線:2528M
 ↓
国府津 着 7:26

国府津 発 7:34
 ↓
 ↓  東海道本線:729M
 ↓
熱海 着  8:13

熱海 発  8:25
 ↓
 ↓  伊東線/伊豆急行線『リゾート21』:5631M
 ↓
伊東 着  8:47

伊東 発  
 ↓
 ↓  (タクシー)
 ↓
熱海 着

熱海 発  (以下、時間をメモし忘れました…)
 ↓
 ↓  東海道本線
 ↓
藤沢 着

藤沢 発
 ↓
 ↓  江ノ島電鉄
 ↓
鎌倉 着

鎌倉 発
 ↓
 ↓  横須賀線
 ↓
逗子 着

逗子 発
 ↓
 ↓  横須賀線
 ↓
久里浜 着

久里浜 発
 ↓
 ↓  横須賀線
 ↓
逗子 着

逗子 発
 ↓
 ↓  横須賀線
 ↓
大船 着

大船 発
 ↓
 ↓  京浜東北/根岸線
 ↓
上野 着

上野 発
 ↓
 ↓  高崎線
 ↓
本庄 着



今回の旅で初めて乗車した区間:
アルピコ交通松本電鉄上高地線(松本~新島々 間:全線完乗達成)
関西本線(名古屋~王寺 間)
和歌山線(王寺~橋本 間:全線完乗達成)
東海道本線(大阪~神戸 間:全線完乗達成)
山陽本線(神戸~岡山 間)
瀬戸大橋線(岡山~高松 間:全線完乗達成)
土讃線(多度津~新改 間)
徳島線(徳島~阿波池田 間:全線完乗達成)
高徳線(高松~徳島 間:全線完乗達成)
御殿場線(国府津~沼津 間:全線完乗達成)
伊東線(熱海~伊東 間:全線完乗達成)
横須賀線(鎌倉~久里浜 間:全線完乗達成)
根岸線(横浜~大船 間:全線完乗達成)


アルピコ交通松本電鉄 公式HP
http://www.alpico.co.jp/mrc/

JR四国 公式HP
http://www.jr-shikoku.co.jp/



この旅の詳細は、こちら




鉄道コム

にほんブログ村 鉄道ブログへ

この旅の物語を最初からお読み頂ける場合は、こちらをクリック

今回の記事は、四国の旅とは一切関係無い内容になってしまう為、番外編とさせて頂いた。
暇な時にお読み頂き、笑い飛ばしていただければ幸いである。



高松 から快速マリンライナーに乗車し、岡山まで戻ってきた。
これからの予定は、以下の通りである。


岡山からサンライズ出雲に乗車し、翌25日に沼津で下車
  ↓
初乗車となる御殿場線を完乗
  ↓
国府津から東海道本線にて熱海まで移動
  ↓
初乗車となる伊東線を完乗
  ↓
伊東から熱海に戻り、東海道本線にて富士まで移動
  ↓
初乗車となる身延線を完乗
  ↓
甲府から特急あずさに乗り、新宿経由で帰宅


予定通り行けば、1日で『御殿場線』『伊東線』『身延線』が完乗できる。
今回たくさんの未乗車区間を乗り潰す事ができて、非常に充実した旅になる事であろう。


まずは、岡山から乗車する寝台列車サンライズである。
このサンライズは、
山陰本線~伯備線経由で来るサンライズ出雲と、
予讃線~瀬戸大橋線経由で来るサンライズ瀬戸の2編成の列車があり、
ここ岡山で列車が連結され、1編成の列車として運行される。
(下り列車は逆に岡山で切り離し)

寝台列車に乗るのは実に30年ぶりとなる為、テンションは高まるばかりだ。

サンライズは特急なので18きっぷは使えない、でも今回大奮発したわけである。
と言っても、私が購入したのはノビノビシートの切符。
ノビノビシートとは、絨毯の上で雑魚寝するような、本当に最低限の設備しかないシートであるが、寝台料金が不要。
運賃と指定席特急料金だけで乗れる、かなりお得なシートなのである。


列車を待っていると、まずサンライズ瀬戸がホームに入線。



そして、私が乗車するサンライズ出雲を待っていると、ホームに不吉な放送が流れる…


「サンライズ出雲ですが、伯備線内の大雨の影響で、1時間以上の遅れが発生しております。
よってサンライズ瀬戸は、サンライズ出雲の到着を待たずに、定刻通り出発致します。」


そんなことって、あるのか!?
出雲の切符を持っている人たちはどうすれば良いのだ!?
このままだと明日の計画が全て丸潰れだ!!


ホームにいる駅員に尋ねると、
「お客さん出雲に乗られる予定の方ですか?
瀬戸のシングル個室に空きがありますので、よろしければそちらにご案内しますが…
ノビノビシート?いや、追加料金は頂きませんので!」


本当か!?
これには二度驚かされた。
寝台料金を取られずに、個室寝台に入れるなんて…

早速車掌に代替の寝台券を貰い、シングル個室を案内してもらう。



瀬戸に乗れなかった出雲の乗客の方々には申し訳ないが、非常に嬉しいハプニングだ。
JRの機転のきいた対応に心から感謝した。

ベッドの上にあぐらをかき、大きな窓から夜空を眺めて缶ビールを頂く。至福の時間である。
しばらくはこの車窓を楽しんでいたいが、今日は疲れた。
車体の揺れを感じながら、私はベッドに身体を横たえ、早々と眠りについてしまった。




ハプニングはこれで終わりでは無かった…




夜が明け、7月25日を迎えた。
車掌に、事前に沼津で下車する事を伝えており、沼津に着く手前で車掌に起こしてもらった。


5時26分

定刻どおり、サンライズ瀬戸は沼津に到着した。



ここから予定通り御殿場線を完乗し、国府津から熱海に向かった。

熱海に到着し、1番線の伊東線ホームに向かうと、そこには伊豆急行の2100系
「リゾート21」が出発を待っていた。
この車両は先頭車両が前面展望になっており、車内から伊豆の美しい海を目いっぱい臨む事ができる。
中間の車両でも、シートが海に向けて設置されているので、先頭車両でなくても海が十分に見れる仕組みだ。
さらに普通列車として運行されるので、JRの区間となる熱海~伊東間は18きっぷのみで乗車が可能である。

ラッキーにも先頭車両に空席があった。
座りながらかぶりつき同様の楽しみができるとあり、私は迷わず先頭車両のシートに着席した。


しかし、この行動が今後の行程を大きく狂わせてしまう事になる。



列車は定刻どおり熱海を出発。
宇佐美~伊東間で海沿いを走り、太平洋の景色を堪能しながら、熱海から20分あまりで伊東に到着。

さて、ここから予定通り身延線に乗るには、伊東で間髪入れずにトンボ帰りをする必要がある。
私の乗ってきた下り列車から上り列車への乗り換え時間は、わずか2分。

伊東駅の構造は2面3線。
伊豆急下田方面のホームと、熱海方面のホームは地下道を使って移動しなければいけない。

私は伊東駅の構造をよく知らなかった事もあり、ゆっくりと下車したわけだが、
私の乗車していた1両目と、その地下道とは相当な距離があった。

車両から下車してこの状態をはじめて知った私は、慌てて地下道に向けて駆け出す。
こんな事では、上りの列車に乗車できない!!





私が熱海方面のホームにたどり着いたと同時に、列車は熱海に向けて走り出した…



やってしまった…
私は、ホームで途方に暮れてしまった…


こうなる事が分かっていれば、リゾート21の後方の車両に乗っていたのに…


悔やんでも仕方が無い。
私は慌てて改札を抜け、駅前に停車中のタクシーを拾い、熱海駅に向かった。



…ひょっとしたら、このまま行程が修復できるかもしれない…



しかしそれは儚い夢と散った。



国道135号線は渋滞していた為、熱海の到着は予定より大幅に遅れた。

身延線の完乗は諦め、あらかじめ予約していたあずさの特急券をキャンセルしたのは言うまでも無い。



途方に暮れながら、仕方なく未乗車の横須賀線、根岸線を完乗した。
大船駅の跨線橋の下り階段で大胆に転んでしまい(10段以上は転げ落ちたと思われる)、隣にいた若い男性に助けてもらう始末。


予定より1路線多く完乗出来たが、そんな喜びなどぶっ飛んでしまうくらいの、踏んだり蹴ったりの結末であった…


この旅の乗車記録は、こちらをクリック


鉄道コム

にほんブログ村 鉄道ブログへ

この旅の物語を最初からお読み頂ける場合は、こちらをクリック

新改 から上り列車に乗り込み、阿波池田へ戻ってきた。

阿波池田で本日二度目の下車。
丁度昼時であったのと、次の列車まで時間があった為、駅前のアーケード街をうろつき、飯屋を探してみる。
駅前のアーケードと言えば、普通は人混みで賑わっているイメージだ。
しかし平日ということもあってか、かなり閑散としていた。
店側も人がいなければ、やる気も起きないという考えらしく、活気が欠けていた。

程なくして、おそらくはうどんを売りにしている和食屋を発見した。
うどんにおかずがついた、定食風セットが600円とあり、安さにつられて入店してみる。
うどんはかけ、ざる、ぶっかけと選べるようだが、暑かったこともあり、よく考えずにざるを選んだ。
そうすると後から入店してきた客たちは、みんなぶっかけを頼んでいるではないか…


…そうか、四国(讃岐)はぶっかけが有名なのか…


ひとつ学習し、腹ごしらえも終わったところで、阿波池田から徳島線徳島行き列車に乗り込む。

徳島線は、「よしの川ブルーライン」という別名をもっており、その名の通り吉野川にそって路線がひかれている。

しかし乗車してみて思ったが、車窓からは常に吉野川が望める訳ではなく、わたらせ渓谷鐵道から見渡せる渡良瀬川 や、飯山線から見渡せる千曲川 の景色に比べると感動は格段に少なかった…
徳島線には悪いが、かなり期待外れであった。
これなら土讃線のほうがよっぽど感動できると言うものだ。
平日ということもあり、中高生の数が尋常じゃなかったのも、興ざめの一因であった…


阿波池田から2時間足らずで、2両編成の気動車は定刻通り徳島駅に到着。
徳島では間髪入れずに乗り換えである。よって徳島駅の印象は全く無い…

次は高松行きの高徳線に乗り込む。
高徳線の車両も気動車であった。

高徳線で驚かされたのは、特急列車通過待ちの回数と時間である。
2~3駅進んだと思えば車掌の「特急通過待ち」アナウンスがかかるような印象だ。
中には20分近く待たされた駅もあった。

四国の路線全般に言えることだが、特にこの高徳線ときたら特急列車の走る割合が非常に高い。
高徳線の時刻表に目を通すと、「うずしお」の文字ばかりが目立っている。

高徳線のイメージは残念ながらそれしか残っていない…
一部に、琴電志度線と並走する区間があり、琴電の車両が見えたときは少し感動したが…

特急であれば、徳島から1時間余りで高松に到着する。
しかし私は、3時間かけて高松にたどり着いた。
時間は夜7時を過ぎていた…
高徳線は、18きっぱーにはあまり優しくない路線と言えそうだ…
しかし鈍行で高徳線を全線乗り潰したときは、結構な達成感を味わえるのではないだろうか…?


ここで、この日電車に乗っていないことに気づいた。


どういうことかと言うと、この日に乗った車両は全て気動車なのである。
後に調べてみると、徳島県内の路線は全て非電化。よって気動車しか走っていないのである。
沖縄のゆいレールは電動のため電車の仲間として捉えると、電車の走っていない都道府県は徳島だけとなる。

それはさておき、四国一のターミナル、高松に到着したわけだが、全てのホームがコの字形をしていて、どういうふうに見ても終着駅の様相が醸し出されている。
私が幼少のときからよく知っている天王寺駅や、南海難波駅にとても似ていて、懐かしささえ感じる。

駅舎はガラス張りの、近代的で巨大な建物ではあるが、以外と人も多くないためであろうか、悪い印象は感じなかった。



さあ、夕飯こそはぶっかけうどんを頂こうと思い、駅前を散策してうどん屋を探してみたが、うどん屋が無い…
いや、無いのではなく、その日の営業を終えた店が殆どであったのであろう…

本格的な店で、本格的なうどんを食したかったが、仕方なく駅ビルの中のレストランでぶっかけうどんを頂くはめになってしまった…

望んだうどんが食べれず、ほんの少し悔いを残しながら、岡山行き快速マリンライナー(この日初めての電車)に乗り込み、四国を後にするのであった。


次に四国に訪れたときは、必ずや四国の全線を乗り潰す事、そして、もう一度坪尻 を訪れる事を心に誓って…


あ、もちろん讃岐のぶっかけうどんも食べたい。


この旅の物語の続きは、こちらをクリック



鉄道コム

にほんブログ村 鉄道ブログへ

この旅の物語を最初からお読み頂ける場合は、こちらをクリック

土佐北川 を出発して、30分余り経過した。

トンネルを抜けたと思うと、列車はスピードを落とし、引き上げ線に入ったようだ。
そしてスイッチバックで駅のホームに入線していく。

坪尻 に着いた時と全く同じ感覚を味わった。


新改(しんがい)駅



四国に2つ存在するスイッチバックの駅の1つ。
坪尻に比べると、かなり本線から離れた場所にホームが位置する。

私が乗ってきた下り須崎行きの列車は、特急の通過待ちの為に20分も停車する。
程なくして、特急が高速で、高知方面に向けて通過していくのがホーム上から見えた。
しかし特急に乗車中、新改を通過する時には、こんなところに駅があるなんで、誰一人気付かないのではなかろうか?



特急の車体には、アンパンマンのキャラクターがラッピングされていた。
四国はアンパンマンの作者、やなせたかし氏の生まれ故郷ということで、アンパンマン列車が定期的に運行されている。

新改に10分以上停車する列車は上下線合わせて1日3本程度(2012年7月の時刻表に基づく)。
この3本いずれかに乗り合わせた乗客、その中でも初めて土讃線の普通列車に乗った客なら「一体いつまで待たせるんだ?」と思うに違いない。
特急に乗っていてこの駅に気付かないのとは正反対で、嫌と言うほどこの新改という駅を覚えることになるだろう。

さてこの新改駅にも降りてみることにする。



長い停車時間を利用して、停車中の列車や駅の様子を写真におさめる人が数人いる。
しかし時間が来るとその人たちはそそくさと列車に乗り込む。


私はあなた方とは違う。
完全に下車するんだ。
僅かながら、優越感を感じる。




列車が須坂に向けて去っていくのを見送った後、駅の観察と、駅周りの散策を始める。

駅舎は近代的な印象を受ける、白い鉄筋の建物。



それに反するように、駅の周りは木々が生い茂る。
どうやらこの駅はかなりの山奥に位置しているらしい。
駅前にはアスファルトの道路が轢かれているが、駅舎の向かい側に廃屋がある以外は何も無さそうである。

実はこの新改駅も、秘境駅ランキングで上位に位置している駅。
秘境駅のお約束とも言える、駅ノートも置かれていた。

次の列車が来るまで1時間ほどあるので、少し駅から離れて散策してみた。


アスファルトの下り坂を降りれど降りれど、木々の景色以外は何もない…
これが、秘境駅上位ランクインされる所以か…?




かれこれ20分ほど下ってきただろうか…?


ようやく集落が見えてきた…



とある商店の前に置いてあったベンチに腰掛け、自動販売機の飲み物を買って渇いた喉を潤す。

天気は快晴。
陽射しが非常に強いが、近くにある川でできた小さな湖を見てると、僅かながら清涼感に浸れた。
とても長閑なひとときだ…




さあ、現実に戻ろう。
そろそろ駅に戻らねば、次の列車に乗り遅れる。

今下ってきた坂は、当然だが帰りは登り坂になる。
吹き出る汗をぬぐいながら、何とか駅まで戻ってきた。
木漏れ日がホームまで射し込み、良い雰囲気に包まれる。
仕切りのない駅舎の中にいると、風が吹き抜けて気持ち良かった。



こんなに集落から離れた駅の存在する意味に疑問を持ったが、私がこの駅に下車した時、保線員の人たちがこの駅で休憩を取っていた。
少なからず、この駅も人の役にはたっているようだ…


これにて、土讃線の気になる駅に全て下車できた。
土讃線の乗り潰しは、時間の制約を受けて残念ながら叶わなかった。
ここから阿波池田に戻り、徳島線、高徳線と乗り潰してみようと思う。

スイッチバックで入線してきた列車に乗り、阿波池田に向かう。



この旅の物語の続きは、こちらをクリック



鉄道コム

にほんブログ村 鉄道ブログへ

この旅の物語を最初からお読み頂ける場合は、こちらをクリック

阿波池田 を出発してからおよそ1時間20分が経過。

列車はトンネル内部でスピードを落とし始め、トンネルを出て鉄橋に差し掛かったところで停車。
私はその駅で下車した。


土佐北川(とさきたがわ)駅



1面2線の島式ホームを持つ無人駅。
ここは全国でも珍しい、鉄橋の真上にホームがある駅である。
何でもJRグループでは、そのような駅はここだけだとか。

吉野川の支流である穴内川に掛かる鉄橋に駅が存在しているが、始めからこのような特異な形態の駅では無かったそうだ。

土讃線は昭和61年に、自然災害を避ける為にルート変更工事が施された。
土佐北川駅はその工事に伴い元の場所から移設されたそうだが、地形柄鉄橋の上にホームを作らざるを得なかったらしい。

列車からホームに降りると、まずそのホームの幅の狭さに驚かされる。
鉄橋の上のホームだから仕方ないのかもしれないが、ホーム上で列車の通過を見送ると、身の危険を感じそうだ。
駅名標の写真だが、ホームが狭すぎて真っ正面から撮影できなかった為、斜めから撮った画像になってしまった。



ホームを階段で降りたところに、プレハブ製と思われる小さな待合室があった。



さらに狭い通路を進むと、駅の出入口にたどり着いた。
知らない人は到底、そこが駅の入り口だとは気づかないであろう。





駅を出るとまず目につくのは穴内川の美しい景色。
朝から厳しい日射しに清流が映え、心が洗われる。



そして駅の周りを散策すると、穴内川にそって国道が走っているほかは、民家が点在するくらいで、他は何もない。



非常に長閑で、自然を存分に満喫できるひとときである。


待合室に戻ると、駅ノートが置いてあったので、目を通してみる。
ノートの管理人は、ボランティアでこの待合室を定期的に掃除しているらしい。
それをみて何だか私もじっとしてられず、手伝いのつもりで待合室を掃除しておいた。

しかしこのような駅でも、手厚く面倒を見る人がいる。つまり、この駅も存在する意味があるのだ…


9時53分
下り須崎行き列車に乗り込み、次の目的地に向かう…





この旅の物語の続きは、こちらをクリック


鉄道コム

にほんブログ村 鉄道ブログへ