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もこ太郎の平成阿房列車

No Train,No Life!
生粋の「乗り鉄」がブログを書くとこうなる!!
私が行った鉄道の旅をレポートさせて頂いています!
私のブログをお読み頂いて、鉄道の旅に興味を持って頂けたら幸いです!

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桐生駅にて下車し、北口に出る。
すると真っ先に目に入ってくるのは、そびえる山々の姿。
その山に向かって足を運ぶ。


北口から北へ延びている道を歩いて5分もかからない程で、交差点の隅にちょっとこじゃれた洋風の建物が見えてくる。
これが上毛電気鉄道の駅、西桐生駅である。


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上毛電気鉄道は、中央前橋駅と、ここ西桐生を結ぶローカル私鉄路線。
全長25.4㎞の路線は全線に渡り単線で、起終点駅を含むと23個の駅が存在する。
起終点駅は、その両方とも他の路線とは直接接続していないという、非常に珍しい形態の路線である。
地元住民からは、「上電」という呼び名で通っている。


私はその「上電」で前橋まで移動して、そこからJRに乗って帰宅しようと思う。
もちろん、上電も「ぐんまワンデーパスSP」乗り放題対象路線だ。


西桐生駅舎は開業当時(昭和3年)のものらしく、待合室には昔の切符売り場がそのまま残されている(現在は使用されていない)。
関東の駅百選や国の登録有形文化財にも指定されている駅である。

ただし駅の位置は、桐生駅より明らかに北側の位置にあるのだが、駅名は「西桐生」である。


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ホームには、既に列車が出発を待っていた。
すぐに出発するということで、有人の改札を抜け、ゆっくりホームや車両を観察する暇もなく急いで車両に乗り込む。


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車両は2両編成、シートは2両とも窓に背を向けて座るタイプのロングシート。 
後に調べたところ、上電の車両は全て京王電鉄井の頭線で使用されていた車両のお下がりらしい。


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列車は西桐生を出発した。
と思ったら、すぐに隣の駅に着いてしまった。
25.4㎞の間に23個もの駅があれば、駅間が狭くなるのも当然であり、出発したらすぐに停車、の繰り返しが終点まで続く。


電車の揺れにあわせて、どこからか風鈴の音が響いてくる…
よく見ると、車両の天井に大量の風鈴が吊るされていた。


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「桐生球場前」という駅付近から、東武桐生線との並走区間が始まる。
2本の線路は仲良く大きく左にカーブしたあと、「赤城」という駅に停車する。
この駅で桐生線と接続しており、桐生線はここで終点となる。
上電の向かいのホームでは、特急「りょうもう」が浅草に向けて出発を待っている姿も見受けられる。


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途中の駅で、乗客があるものと一緒に乗車してきたのを見て、目を疑った。
何と、自転車を持ち込んできたのである。
折りたたみ式ではない、普通の自転車である。


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今ではローカル線の車両に自転車を持ち込む、いわゆる「サイクルトレイン」は知名度を上げているらしいが、初めて見た光景にはやはり驚かされた。


赤城の山麓を眺めながら、列車は50分余りかけて、終点の中央前橋駅に到着した。 


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大きな駅舎は近代的な作りで、西桐生の駅舎とは正反対の印象を受ける。


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中央前橋駅から両毛線の前橋駅まで、徒歩で移動する。
道はとても広く、県庁所在地のメインストリートのような印象を受けるが、この道は決して県庁につながる道では無いらしい。
車の通りもなかなか激しい。自家用車所持率全国1位の群馬県ならではの風景であろう。


中央前橋と前橋は少々距離がある印象だ。
10分程度で、前橋駅に到着した。
遠回りの道草もこれで終了だ。
この前の旅もそうだったが、旅の終わりが近づくと、疲れよりも暑さが体にこたえる。
前橋始発の上野行き列車に乗り込み、帰宅の途に就く。


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13時20分。
神戸駅の列車レストラン「清流」のあるホームから、桐生行きの列車に乗り込む。


この列車の車内はわりと混雑していた。
神戸から乗車した客も何人かいたが、通洞からの帰りの観光客が大半を占めていたのではないだろうか。


次の駅までそう遠くなく、シートに座らなくても痛手は伴わないであろう。
であれば、人生初めての試みを慣行しよう。


車両の先頭の窓ガラスに張り付き、前方の景色を眺める、いわゆる「かぶりつき」だ。
わ鐵の車両は、運転手のスペースは前方の左半分しかない為、空いている右側のスペースに立って、運転手と全く同じ目線で前方を見ることが可能である。
高崎線をはじめ、幹線の殆どの車両は、前方全面に運転スペースが設置されていて、こうはいかない。


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1週間前の自分からは想像もできない姿だ。
しかし自分の中では既に鉄ヲタの自覚が湧いてきている。
まるで運転免許を取得して、運転を始めて1ヶ月程度で、ベテランドライバー気分に浸ってしまうのと同じ感覚に陥っていたかもしれない。
かぶりつきが堂々とできて、それを心底楽しめる人種なんて、鉄ヲタか子供くらいしかいないだろう。


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かぶりついて新たに分かる事だが、とにかく細かいカーブが多い路線だ。線路が一直線にのびている箇所はほとんど見られなかったように思う。これではスピードも出せない。
しかし、深緑の森の中を分け入って走るような景色の流れは大変興味深いもので、スピードが無くても十分迫力が伝わってくる。
カーブの度にレールと車輪の軋む音が伝わってきて、一層迫力を引き立てる。


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神戸から20分足らずで、次の目的の駅に着いた。



水沼(みずぬま)駅


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駅の構造は、先ほどの神戸と同じく相対式ホーム2面2線を有する。
駅舎は無く、間藤方面のホームには割と立派な待合室が設けられている。


そして何と言ってもこの駅の最大の特徴は、桐生方面のホームに、温泉施設「水沼駅温泉センター」が併設されていることである。
「関東唯一の緑に囲まれた天然温泉付き(露天風呂)の駅」ということで、関東の駅百選にも指定されている。


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桐生行きの上り列車から下車すると、同じホームに温泉施設が有る為、まさに列車を降りたら2分で温泉に入れてしまう。


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当日はトロッコ列車が走る日で、その日はお昼限定で露天風呂が解放される。
私は露天風呂に入ってみることにした。


あまり大きな露天風呂ではなかったが、渡良瀬川を見下ろせる場所に風呂があり、大変気持ちが良い。


風呂上りに、和室の大広間で生ビールを頂く。
至福のひと時である。いろんな意味で、生きてて良かったと思える時である。
昼間からビールを飲んでも、運転の心配は全くしなくて良いのも、幸せと思える要因の一つである。


この駅は無人駅扱いであり、駅構内への入場は自由で有る為、温泉を利用するためだけにここに車で訪れる人も少なくない。
しかし、酒が飲める飲めないでなく、やはり駅であるからにはここには鉄道で訪問して欲しいものだ。


そろそろ帰りの列車の時間が近づいてきた。
大広間を出て、ロビーをうろついていると、あるパンフレットを見つけた。


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群馬DCの一環の、駅スタンプラリーのパンフレットであった。
群馬県内の主要な駅のスタンプを集めることができるパンフレットである。



後に、このパンフレットが私を最大の冒険にいざなうことになる…



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15時27分。
桐生駅まで戻ってきた。


このまま両毛線に乗っておとなしく帰るのも何だかもったいない。
同じ道で帰宅するのはつまらないと考える、私のねじれた性格も手伝って、桐生からは少し寄り道しながら帰る事にした。



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11時29分。
1両編成の桐生行き列車は、定刻通り間藤を出発した。


桐生から間藤に向かった時と同じように、進行方向の右側のクロスシートに座る。
あの長いトンネルの手前までは、渡良瀬川は進行方向右側に姿を現すからである。


間藤から3分程で、足尾駅に到着。
長閑な雰囲気の中に佇む、歴史を感じる木造駅舎と、ホーローで出来た駅名標は非常に印象的である。


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国鉄時代に稼働していたと思われる気動車も、何両かこの駅にて静態保存されていた。


足尾を後にすると程なくして、通洞(つうどう)という駅に着く。
観光客と思われる人たちが何人も乗り込んできた。
この駅の付近には、国内最大の坑内観光「足尾銅山観光」がある。
実際に銅の発掘が行われていた坑内を開放し、400年続いた銅山の歴史が学べる。



通洞を後にして、廃墟と化した銅山の施設跡を横目に列車は進み、進行方向右側に渡良瀬川の清流が見えてくる。


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原向駅を過ぎてしばらく進むと、同線で最も急曲線の「坂東(ばんどう)カーブ」にさしかかる。
このカーブは、わたらせ渓谷線沿線で最も急曲線のカーブであり、列車もかなりスピードを殺して走行する。

この辺りの景色は、列車からでしか臨むことができない、という車内放送での案内があった。



11時59分。
長いトンネルを抜け、到着した駅にて私は下車する。



「神戸(ごうど)駅」


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国鉄時代は、兵庫の神戸(こうべ)駅と区別を付けるため、この駅は「神土駅」と標されていたらしい。
第3セクターに転換した際に、本来の地名である「神戸」に改称されたとの事である。


相対式ホーム2線2面を構え、殆どの列車は、この駅で上下の交換が行われる。
立派な木造駅舎も構えられている。


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しかしこの駅の最大の特徴は、桐生方面のホームに列車が2両止められており、この列車をそのままレストランの建物にして営業されていることである。
レストランの名前は「清流」。
列車は元東武鉄道の特急、デラックスロマンスカーとして運営されていた1720系だ。


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時間も時間なので、早速「清流」にて昼食をとる事にする。
注文は食券の購入にて行う。
私の好物のカレー(キノコ入り)を注文して、クロスシートの席についてみる。


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車両の内装はほとんど改造されていないらしい。
車内、というかレストランの中は、時間帯もありそれなりに混雑していた。


カレーの味は…


個人的に、もう少しスパイスが効いていたほうがよかった。
再びここに来た時に、同じカレーを注文するかどうかは非常に疑問である。
わ鐵名物の、トロッコ列車にちなんだ「トロッコ弁当」なるものがあるらしく、次の候補はそれだと決めた次第であった。



食事も終わり、次の列車まで時間もあったので、少し駅周辺を散策してみることにした。


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すると、レストランの車両の脇に細い道を見つけた。
その道に沿って歩いてゆくと、


渡良瀬川の岸辺までたどり着くことができた。


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どうやらここは小さな広場になっている。
この場所はあまり知られていないのか、人の姿はまばらであった。
川のほとりまで近づき、誰にかけるでもなく、川の水を手でぴちゃぴちゃ一人ではねたりしてみる。
秘密の場所を見つけたような、童心に戻ったような気分になり、川の優しい流れを眺めて次の列車を待つ。



それにしても、山奥まで来てみても暑さからは逃れられない。
今日は随分汗をかいた。
一刻も早くこの汗を流したい。
そんな欲望をも満たしてくれる駅が、わ鐵にはあるのだ。


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投稿写真

深谷駅では、深谷市のゆるキャラ「ふっかちゃん」がお出迎えしてくれますY(o0ω0o)Y

ところで、深谷駅の発メロにもなっている、「おねぎのマーチ」の歌い出しは、

♪おねぎ~~だよ~~~~~~
♪おねぎ~~だよ~~~~~~

ですが、この続きをご存知の方、いらっしゃいます⁇




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間藤の小さなホームから、桐生方面と反対の方角を覗いてみる。
100メートルほど先方に、草むらに覆われた車止めが、辛うじて見られる。
間違いなく、間藤は終着駅なのである。


しかしよく見ると、その手前の線路の脇に不自然なものが設置されている。



「26.7」と書かれた標識。


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これは勾配標で、それが立てられている地点から先は、平坦地から坂道、またはその逆、あるいはそこから勾配の角度が変わることを示すものである。
それに書かれる数値は、勾配の大きさを千分率(「パーミル(‰)」と呼ばれる)で表したものである。
そして、柱から板が真横に張られていれば、そこからは平坦(その場合、標識の記載は必ず「L」となる)、柱から上方向に張られていれば上り勾配、下方向に張られていれば下り勾配をそれぞれ表す。


間藤駅にある標識の意味は、ここから1000メートル水平に進むと、267メートル上に昇る計算になりますよ、ということである。
鉄道は一般的に道路より勾配が緩いため、パーセントではなく、この単位が扱われている。


それはそうと、なぜ不自然なのかというと、線路がこの先に無いにも関わらず、勾配を示す標識が立てられている事である。
普通ならば終点より先の勾配を示す必要なんて無いはずだ。




かなり勿体ぶってしまったが、国鉄足尾線時代は、間藤駅より先に線路が続いていたのである。
話によると、今は廃線となった箇所に、当時の遺構が多々存在するとの事。
この勾配標も、いわば遺構の1つとなる。



この先にある遺構を見届けるために、間藤駅から、県道を徒歩で北上する。



歩き始めて程なく、踏切の跡を見つけた。
見つけたというよりも、これでは自然と目に入ってくる。
道路の上の線路や遮断機は撤去されているのに、警報機はそのまま残されてしまっている。


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これでは、この道を初めて車で通った人は、必ず一時停止してしまうのではないだろうか?

警報機の脇に立ち、左右を見てみると、道路にあった以外の線路は残されていた。


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線路はかなり錆びている。何年このままの姿で放置されているのだろう。
間藤より先の方角の線路の手前には、有刺鉄線が張られていて立ち入りは禁止されている。



さらに足を延ばす。
標高の高い場所で、午前10時という時間帯でも、快晴の日差しはそれなりに厳しい。
持っていた白いハンドタオルを頭にターバン状に巻きつけ、少しでも暑さを和らげる。


暑いとはいえ、歩む道の脇を流れる川の清流を見ていると、心に冷涼感が漂う。
川の向こう側や、川の流れる反対側を見てみると、そびえる山々にはまだ地肌を見せている箇所があるものの、深緑の木々達が生い茂っている。
道の脇には民家が隣接しているが、非常に静かで、長閑な雰囲気だ。


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しかしこの清流も、昔は鉱毒に犯され、公害の原点として扱われていたはずだ。
山々も、もともとはもっと禿げあがって荒涼な景色だったであろう。
今の美しい景色を取り戻す為の、自治団体や地元住人の並大抵ならぬ努力があったに違いない。
我々は、その努力を無駄にしてはならない。
足尾は昔と違い、確実に良い町になっている。




20分程歩いてきたであろうか?
道の上を大きく跨ぐ鉄橋が見えた。


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その鉄橋の下を潜ると、傍に坂道があり、鉄橋のすぐ近くまで行けるようだ。
私はその坂道を駆け上ってみる。


すると、鉄橋の上の線路が見えたと当時に、閉鎖された、大きな工場の入り口のような場所の前に私が立っていることに気付いた。


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そう、ここが目的地、足尾本山駅跡である。



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足尾本山は貨物専用駅で、駅構内の施設で鉱物の精錬作業が行われていたらしい。
最前期には、精錬された鉱物は足尾本山駅からひっきりなしに、貨物列車によって運び出されていたことであろう。



駅跡は現在、ある会社の管理下にあるようで立ち入り禁止になっており、閉鎖された入り口の門の前からでしが構内を見渡すことができない。
それでも、広大な敷地にある巨大な廃墟となった建物や、いまだに撤去されていない、張り巡らされた線路を見ることが可能である。



川のせせらぎと廃墟…


この不釣り合いな組み合わせに、改めて虚しさを感じる次第であった。


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ちなみに足尾本山駅周辺では熊が出没するらしく、注意書きが掲げられていた。


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足尾本山駅のすぐそばには、現存する日本最古の鉄製道路橋「古河橋」もあった。現在この橋は通行禁止になっている。


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廃駅見学も終わり、間藤駅に戻ってきた。
上り列車が来るまで、少し時間がある。
待合室で少し休憩させてもらうことにする。


すると、待合室の中に、ある紀行作家に関する物品が展示されていた。


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作家の名前は宮脇俊三。
氏はこの間藤駅にて、国鉄完乗を達成したとの説明書きがあった。
私はこの時、特に氏について何の興味も持たなかった。
JRを完乗する人なんて、今更いくらでもいるだろうに…


しかしこれが、今後の私に多大な影響を与えることになる氏に初めて出会った瞬間であった。


10時57分。
折り返し桐生行きとなる列車が、ホームにゆっくり入線してきた。

この列車には、先ほどの列車のような、群馬DCのヘッドマークは付いておらず、わ鐵オリジナルと思われるヘッドマークが付いていた。


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列車は30分程停留した後、桐生に向けて出発した。
この日は朝も早かったので、この時点でかなり空腹を感じていた。

その空腹を満たしてくれる、ありがたい駅が次の目的地だ。


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桐生(きりゅう)駅は群馬県内のJRの駅としては最東端に位置しており、島式ホームを2つ有し、1番線から4番線まで存在する。
全てのホームは高架の上に設けられており、コンコースには売店も有りと、割と大きな印象を受ける駅である。


今回の目的の路線「わたらせ渓谷鐵道」は、1番線が発着ホームになる。


ホームで待っていると、1両編成の銅(あかがね)色の気動車が、ディーゼルエンジンを唸らせながらゆっくり入線してきた。
車体の前部には、群馬DCのヘッドマークが掲げられている。


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車両の入り口付近に立っている車掌に「ぐんまワンデーパスSP」を提示し、早速車両に乗り込む。
1両編成の列車(この場合「列車」とは正しい表記になるのだろうか?)に乗るのは、生まれて初めてかもしれない。



この列車で、終着駅の「間藤(まとう)」まで向かう。



車両に乗ってすぐさま、進行方向右側のクロスシートを陣取る。
この戦法ついては学習済みだ。理由は後ほど述べる。


わたらせ渓谷鐵道は、元は国鉄足尾線であり、足尾銅山から産出される銅の輸送の為にひかれた路線として、日本国内でも最重要な産業路線の一つに挙げられていた。
しかし足尾銅山が閉山した後は徐々に赤字路線となり、国鉄からJRに変わって、小さな駅が何駅か開業されたにも関わらず、廃止となった。
と同時に第3セクター管理の、わたらせ渓谷鐵道わたらせ渓谷線(以下「わ鐵」)として、心機一転開業された。
「わ鐵」になってからは、イベント列車(トロッコ列車)を走らせるなど、観光路線としての道を歩み続けている。
また、地元の学生やお年寄りの重要な交通手段としても、この路線は重宝されていることだろう。
しかし、経営状態は決して良いものでは無いらしい。
「わ鐵」になった後も、何度か廃線の危機に面したということだ。




8時8分。
列車は定刻通り、ディーゼルエンジンをフル稼働させて、終点の間藤に向けて出発した。
電車よりスピードは遅く、環境にも優しくないかもしれないが、私は気動車が大好きだ。
電車にはない、このエンジン音、この振動。
気動車に乗るのも好きだが、走る気動車を見るのも好きだ。
ひなびた風景の中、ポツンと1両か2両編成の気動車が現れて、走り抜けてゆく姿は何とも絵になる。
そして何よりも「気動車」という言葉自体が良い。哀愁を感じる。「ディーゼルカー」という言い回しも然りだ。
一方の「電車」という言葉、嫌いではないのだが、それに比べれば何だか味気なく感じてしまう。


わたらせ渓谷線は、足尾線開業以来から、全線通して単線・非電化路線である。
トロッコ列車は、ディーゼル機関車のDE10が牽引する。
(2012年4月には、自走型のトロッコ車両も登場している)



桐生駅を出発した列車は、しばらく両毛線と同じ線路の上を走る。
渡良瀬川の鉄橋を越えて最初の駅「下新田(しもしんでん)」を出発した後は、
大きく右にカーブし、両毛線と別れたかと思うと、次は東武桐生線と並走する。
次の駅「相老(あいおい)」は、その桐生線との接続駅である。
相老を出ると桐生線と別れ、すぐさま上毛電気鉄道の線路の下をくぐる、という、序盤からめまぐるしく変わりゆく線路の流れを楽しむ事ができる。



列車は「大間々(おおまま)」という駅に着いた。ここで列車の交換が行われる。
車庫が有り、今乗車している車両と同じ色をした、何両かの車両が出番を待っている。
駅舎寄りの引込み線に、トロッコ列車が停留しているのも見えた。
この駅から乗車してくる乗客も少なくない。
駅舎は木造の割と大きな建屋で、思わず目がそちらに行ってしまう。
大間々駅には「わ鐵」の本社も置かれており、この路線の主要な駅である。


大間々を出発してから、いよいよこの路線の見せ場を迎える。
進行方向右側に、渡良瀬川の美しい流れが姿を現してくる。
これが、私が車両に乗り込んで真っ先に右側に陣取った理由である。
線路の流れを楽しんだ後には、清流の風景がこれでもかと言うほど存分に楽しめる。


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線路は、渡良瀬川と、国道122号線との間に沿ってひかれている。
桐生から間藤方面に向かう場合は、右側に渡良瀬川、左側に国道がしばらくの間並走する。


線路は、不規則に蛇行する渡良瀬川に忠実に沿っている為、大小関わらずカーブが多数存在する。
川の上流に進んでいく為、自ずと上り勾配も続くことになる。
その為、スピードを出せる区間がかなり限られている。
カーブに差し掛かるたびに、車輪とレールとが軋み合う音が響く。
列車は、ゆっくり、しかし力強く、渡良瀬川の渓谷を突き進んでゆく。


大間々の次に、「上神梅(かみかんばい)」という駅に着いた。
車内放送にて、この駅の駅舎は大正元年に建てられ(昭和初期に増築)、国の登録有形文化財に登録されているとの案内があった。
美しい印象の駅名に恥じないような、確かに大変歴史のありそうな木造駅舎は、思わず見とれてしまう。


渡良瀬川の景色を30分程楽しんだ後、「神戸」と書き、「ごうど」と読む駅に着く。
この駅については後ほど詳しく述べる。


神戸を発車するとすぐ、車内放送にて長いトンネルに入る事を聞かされる。
この辺りが、観光路線らしい振る舞いだ。
JR上越線では、清水トンネルに入る旨の放送などありはしなかった。


それにしても長いトンネルだ。全長5キロはあるらしい。


10分程かかって、やっとトンネルを抜けた。
その途端、列車は長い鉄橋を渡り始める。
この鉄橋にて、渡良瀬川越えを慣行するのだ。
鉄橋を渡りきった後は、進行方向左側に渡良瀬川を臨むことになる。
この先はしばらく自然豊かな、秘境と呼んでも遜色無いような地形を走り抜ける。



「原向(はらむこう)」という小さな駅に着いた。ここはもう栃木県だ。
駅を発車してしばらく進むと、車窓は今までの風光明媚な景色から一変する。



見えてくるのは、



連なる巨大な廃墟…
爪痕が残ったままの、所々はげあがった山々…



足尾銅山が衰退していったその姿をまざまざと見せ付けられる。


この車窓に、何とも言えない哀愁を感じた。
美しい渓谷の先にあるのが、このような世界だとは…
この先、何度同じ景色を見ても、その度同じ哀愁を感じるのであろう。




桐生から1時間半足らず、
ようやく列車は小さな終着駅に着いた。
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1時間半というのは、高崎線だと上野から本庄まで乗った場合にかかる時間である。
高崎~本庄間の距離は約82㎞。
一方、わ鐵の桐生~間藤間の距離は約44㎞。

まったく随分のんびりとした路線だ。
しかし遅いことが全く嫌にならない、不思議な路線だ。


ホームに降りると、比較的涼しく感じる。

この駅は、結構標高の高いところに位置するようだ。


ようやく間藤に到着したわけだが、今回の旅の目的地はここではない。
終着駅の、さらに向こう側だ。



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初めての旅から帰ってきた私は、休む間もなく時刻表を開き、インターネットで鉄道関係のホームページを片っ端から開き、次々と今後の旅の計画を立てていった。



次の旅に出かけたい、という衝動がどうしても抑えられない。



しばらくは長期休暇は無いため、日帰りの旅が中心になる。
となると、自ずと関東甲信越地方の旅が多くなる。
もし自家用車があれば、金曜日の夜中に出発して、東北や中部地方のお目当ての路線を乗ることも可能だろうが、今の私には自家用車が無い。


自家用車があったとしても、その作戦だとガソリン代や高速料金が大きな出費となってしまう。
旅の資金はなるべく最小限に抑えたいのだ。
初めての旅では、移動費は18きっぷとムーンライト信州の指定券だけに抑えられたが、宿泊費が予想より高くついてしまった。



金は無いが旅はしたい。
今後の一人旅は、貧乏な旅になるだろう。
宿泊が必要な旅は今後、駅寝も辞さない構えで臨まなければならない。


そして、なるべく鉄道に関する出費も抑えられればベターだ。

その為には18きっぷは最適なアイテムだが、使用できる期間が決まっている。
18きっぷの使用できない期間は、代用となるような切符を駆使しなければならない。
調べてみると、関東近郊のローカル私鉄は、フリー切符を扱う路線が割と多く存在する。


まずは関東近辺のローカル私鉄に乗りに行こう。


そこまでしてでも旅をしたい。
用事が無くても良い。旅をしたいと言うよりは、鉄道に乗りたい。
今の私の生きがいはそれしかないのだ。
鉄道の事が頭から離れると、また鬱に襲われそうだから…




2011年8月16日


お盆休みの最終日は、次の日から始まる仕事に備えて、自宅でゆっくり過ごすつもりだった。
でも前日から、自宅のエアコンの調子が悪い。冷房がまったく効かない。
エアコンの電源を入れても、風は吹いてくるが冷たくない。

室外機を見てみると、ピクリとも動いていない。
電気屋に聞いたところ、室外機のトラブルはエアコンにとって致命的らしい。
余儀なくエアコンの買い替えを行った。
しかし、エアコンが届くまでは1週間近くかかるとの事。


私の住む本庄市は、日本一暑い街「熊谷市」(2011年8月当時)に近い場所にあり、夏は毎年酷暑に襲われる。
このような環境で、冷房をかけずに1日自宅にこもることなんて自殺行為である。
冗談では済まされず、近年ではエアコンを使わないと屋内でも熱中症に襲われるケースもあるくらいだ。


ここで事前に予定していた計画を、前倒しで決行することにした。




高崎線下りの始発列車で本庄を脱出し、高崎へ向かう。
高崎で今回の旅の命となる切符を購入する。


「ぐんまワンデーパスSP」


これは夏の期間に行われた、群馬DC(ディスティネーション・キャンペーン)の一環として発売されたフリー切符である。
この切符で、群馬県内の全ての鉄道(一部栃木県内乗り入れ可能な路線も有る)が乗り放題になるという、かなり強力な切符である。
1枚1900円。

(注意:上記は2011年当時のもので、2012年の同切符は、乗り放題区間と値段が異なる)


この切符を使って、まずは初乗車となる両毛線の車両に乗り込む。
小山行きのその車両はおそらく107系ではなかったか?と思われる。


列車は出発するとまず、新前橋まで上越線と同じ線路の上を走る。
新前橋から先が、両毛線の正式な路線となり、単線となる。
次の前橋駅を出発すると複線になり、2つ先の駅、駒形からは再び単線になる。


高崎から約50分かけて、桐生駅に到着。ここで一旦下車する。
ここの発車メロディーを初めて聞いて、私は少し拍子抜けした。
突然祭囃子のような音楽が流れたためである。


桐生駅の発車メロディーは、ご当地メロディーとなる「八木節」が採用されている。


もこ太郎の平成阿房列車


ここから、目的の路線に乗り込む。
国鉄時代は、「足尾線」と呼ばれていた路線である…


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