
私は寝ない派
絶対寝ません!!!
朝の通勤と夜行列車乗車時以外は…
電車の中で寝るなんてもったいない!!!
じゃあ寝ないで何してるかって?
決まってます!!!
外の景色を見てるんです!!!
そういう理由で、日光が眩しくても、絶対ブラインドなんてかけませんから!!!
それが乗り鉄という生き物です!!!
激務疲れで変にテンション上がってます!!!
画像は記事とは全く関係ない、臨時駅の「偕楽園駅」です…
iPhoneからの投稿
犬吠駅から銚子行き列車に乗り、次の目的の駅に下車する。その間4分。
「海鹿島(あしかじま)駅」
先ほど下車した「西海鹿島駅」 の本家にあたる駅で、単式ホーム1面1線を有する。
それなりに立派で風情のある駅舎と待合室を有するこの駅は、改札口跡や窓口跡が残されており、昔は有人駅だった面影を残している(現在は完全無人化)。
また、関東地方最東端に位置する駅らしい。
国木田独歩や、竹久夢二の文学碑も近くにあるということだ。
西海鹿島駅訪問の記事では、方角の入った名前の駅は分家だという話をしたが、こういう駅も存在する。
例えば私の故郷にある、和歌山市の「和歌山駅」。
今や阪和線、紀勢本線、和歌山線、猫の「たま駅長」で有名になった和歌山電鐡貴志川線が乗り入れる一大ターミナル駅となっているが、私が生まれる少し前までは、「東和歌山駅」を名乗っていた。
路線の度重なる変更により、本家の元和歌山駅(現「紀和駅」)よりも大きい駅になってしまった為、のちに駅名の変更にまで至った。
これはいわゆる本家と分家の上下関係が後に逆転してしまった例である。
さらにこういう例もある。
今や新幹線の新しい終着駅となった「鹿児島中央駅」。
1日平均の乗車人員が、本家の「鹿児島駅」よりも10倍以上の差をつける程大きくなってしまった駅だが、本家の名前は変更されずに生き残っている。
一方鹿児島中央駅は、2003年まで「西鹿児島駅」を名乗っていた(さらにその前は、「武(たけ)駅」と名乗っていた)。
九州新幹線開通に伴うかたちで、現在の駅名に改名されたわけだが、私はもともとこの駅が持っていた風情というものが、この改名によって失われたのではないか?と思っている。
私が幼少の頃、「あさかぜ」や「富士」など、憧れのブルートレインの終着駅は「西鹿児島駅」であった。
幼少の私は漠然とながら、その見たこともない西鹿児島という駅にずっと思いを抱いていた。
あれから30年の時が経っている。時代は変わるべきものと言われればそれまでだが、あの時と同じような憧れを抱くことは2度と無いだろう。
この「鹿児島中央」という名前は公募で決定されたらしいが、候補の中には「西鹿児島」を現状維持にして欲しいという少数意見もあったらしい。
かの宮脇俊三先生の作品の中でも、集客の為に安直に改名された駅名をけぎらう描写が目立った。
(沓掛駅が中軽井沢駅に改名されたり、坊中駅が阿蘇駅に改名された例を取り上げていた)
話が大きく逸れてしまった。
海鹿島駅は、特に興味を惹く事柄も無かったので、6分後にやってくる外川行きの列車に乗って、次の駅に移動する予定であった。
しかし、この駅に着いた途端、激しい雨が降ってきたのである。
一人で使うには広すぎる待合室で、しばらく雨宿りをさせてもらった。
予定より30分遅れて、次の駅に向かった。
西海鹿島駅から乗車したのは、私一人だけだったような気がする。
白い2両編成の外川行き列車は、先ほど下車した君ヶ浜
を過ぎると、広がる畑の中心を分け入るように進んでゆく。
列車は真っ直ぐゆっくり進んでいる筈なのに、よく揺れる。おそらく、線路のいたるところに僅かな歪みがあるのではないだろうか?
しかし、それも銚子電鉄の特徴だと言われれば、無条件に納得してしまう。JRならこうはいかないだろう。
君ヶ浜からまたあっという間に、次の駅に停車した。そこで下車する。
「犬吠(いぬぼう)駅」
ホームに降りた途端、大きく立派な造りの宮殿風の駅舎と、女性駅員が出迎えてくれた。
単式ホーム1面1線の駅だが、今まで下車した駅とは全く違う印象を受ける。
ここは一大観光地「犬吠埼」の最寄駅となる。
犬吠埼は、富士山頂を除くと、初日の出を日本で一番早く拝むことができる場所であることをはじめ、日本を代表する灯台「犬吠埼燈台」があることなどで有名である。
駅舎に入ってみても、その構内は広くて綺麗にされている。
銚子行きの列車を待つ人が何人も待合スペースに居た。
構内にはお土産コーナーも併設されていて、そこで銚子電鉄の名物が販売されている。
「銚電のぬれ煎餅」
銚子電鉄のフリー切符「弧廻手形」には、このぬれ煎餅の一枚サービス券が付いていて、ここの売店でサービスを受けることができる。
早速、売店のお姉さんからぬれ煎餅を一枚頂いてみた。
美味い!!
風味は間違いなく醤油味の煎餅だが、食感が全く煎餅とは違う。
「ぬれ」とは言っても、決して湿気ってるわけではなく、しっとりふわっと旨味が口の中に染みわたってくる。
草加せんべいのような、普通の煎餅と思って食べたら、面食らうだろう。
実はこのぬれ煎餅は、廃線の危機に迫られた銚子電鉄の救世主なのである。
廃線の話が流れたときに、ぬれ煎餅が爆発的な売り上げを見せ、銚子電鉄の経営を救ったそうである。
今でも鉄道の売上より、ぬれ煎餅の売上のほうが大きいという話があるとか無いとか…
私も銚子電鉄の援助の為に、ぬれ煎餅をお土産として数袋購入した。
決して酒の肴にするためだけに買った訳ではない…
観光目的で銚子電鉄を利用する人の大半は、犬吠埼を訪れる事を目的としている。
実際、この駅で私と一緒に殆どの乗客が下車していった。
銚子電鉄の駅の中では、一番賑わいを見せる駅であることは間違いないだろう。
そんな大勢の乗客を扱う駅が貧弱では、せっかく駅を利用する乗客の皆様にも失礼にあたる。
この駅では、銚子電鉄の精一杯のおもてなしの気持ちを伺うことができた気がする。
そんな努力の甲斐もあってか、この駅は関東の駅百選に選ばれている。
駅舎から出てみると、かなり広い印象を受ける駅前広場に、朽ち果てた車両が静態保存されていた。
少し前までは、店舗としてその車両が使用されていたようだが、この時は既に閉められているようであった。
(現在は、この車両は解体処分されている)
この駅に下車したとき、丁度昼飯時であった。
ぬれ煎餅1枚だけでは到底腹のたしにはならず、駅から少し歩いたところで偶然見つけた回転寿司屋で昼を済ませた。
犬吠駅で下車するということは普通は観光の為であろうが、私は駅に降りること自体を目的としている為、観光には目もくれずに、銚子行きの列車を待った。
それまで晴れだった空模様は、少々不安定になり始めていた。
君ヶ浜駅から銚子方面に2駅戻ったところで下車してみる。
「西海鹿島駅」
ここも難読駅に入るのではないだろうか?
「にしあしかじま」と読ませるようだ。
地名から由来する駅名だが、調べてみたところ「海鹿」とはアメフラシの別名のようだ。
駅名に「西」とつくことから、本家の「海鹿島駅」も別に存在する。
方角のつく名前の駅は、本家の駅より後に作られることが殆どである。
実際、分家にあたるこの西海鹿島駅は、銚子電鉄の駅の中では一番新しく作られた駅である。
一番新しいとは言っても、この駅が作られたのは私が生まれるよりも前であるが…
駅自体は、単式ホーム1面1線を有する非常に小さな駅。
ホーム側には住宅が立ち並び、線路を挟んで反対側は畑が広がり、ここも長閑な雰囲気の駅である。
ホームの上に待合室があるのだが、その出入口の前のスペースがほとんど無い。
待合室に居て列車が近づく音が聞こえて、急いで待合室を出たりなんかすると危険である。
運転手もさぞかし驚くことであろうから、この駅を初めて利用する者は注意が必要である。
ちなみにこの駅は、上下交換駅である笠上黒生
の隣駅。
今降りた銚子行きの列車が過ぎ去ると、その4分後に外川行きの列車が訪れる。
ちょうど昼飯時にこの駅に訪れていて、空腹のまま長居はしたくなかった。
滞在時間僅か4分で、ろくに駅前散策もできないまま、次の駅に向かった。
笠上黒生駅を出た外川行き列車の車窓は、住宅街と一面に広がる畑の景色が入れ替わり立ち代り飛び込んでくる。
笠上黒生からわずか6分で3つの駅に停車する。まるで先日乗車した上毛電気鉄道
と同じような感覚だ。
その3つ目の駅で下車してみた。
「君ヶ浜(きみがはま)駅」
単式ホーム1面1線を有する、非常に小さな無人駅。
駅名標は錆が目立つ。
ホーム上に待合室は無く、ベンチが無造作に置かれている。
ホームにはヤシのような木が立っており、南国の雰囲気を醸し出している。
駅から徒歩5分のところに、駅名の由来であり、日本の渚百選にも選ばれている「君ヶ浜」がある。
しかしこの駅の最大の特徴は、ホームの出入り口に、何とも不自然に建っている4本の白い支柱。
実は数年前まで、ここにはギリシャ神殿を思わせるようなアーチ状のオブジェが建てられていたらしい。
老朽化が進んだせいで、頭の部分だけが取り除かれ、柱の部分はそのまま残されたということだ。
駅前には民家が数件建ち並んでいるが、ほんの少しそこから足を延ばすと、広大な畑の景色が広がる。
駅のすぐそばにある踏切の上に立って、真っ直ぐにのびる線路を見てみる。
雑草が生え放題の線路は、いかにもローカル線の情緒が溢れていると感じた。
駅前に、小さな待合室のような施設があるが、そこでは猫が2匹自由な時間を過ごしていた。
猫餌も猫用トイレも置かれていて、飼い猫同然のように扱われているようだ。
この駅にいるだけで、なんだか穏やかな気持ちになれる。
次の列車に乗るのが惜しく思ってしまうが、そんなことも言っていられない。
踏切の鐘が鳴り始め、銚子行きの列車がやってきた。
私は次の駅に向かう。
本銚子駅を出た外川行き列車は、桃鉄のラッピング車両ではなく、白く塗装された2両編成の列車だった。
今日の銚子電鉄は、この車両と桃鉄ラッピング車両の2編成で運行されているらしい。
発車して林の中を少し進むと、とたんに景色は開け、住宅街の中に入ったかと思うと、またすぐに停車した。
一駅しか進んでいないが、この駅で降りてみることにした。
「笠上黒生駅」
少々難読な駅名は、「かさがみくろはえ」と読む。
相対式ホーム2面2線を有するこの駅は、銚子電鉄線で唯一、上下列車の交換が可能な駅である。
有人駅で、外川方面のホームには小さい駅舎がある。
この駅でも、銚子電鉄の名物を拝むことができる。
上下列車交換の際に、「スタフ」交換が行われているのである。
スタフ(「タブレット」という言い方のほうが一般的であるが、銚子電鉄ではスタフという言葉が使用されているらしい)とは、簡単に言えば通行手形の事である。
銚子~笠上黒生間を通行できる手形と、笠上黒生~外川間を通行できる手形を、この駅で運転手同士が駅員の手を借りて交換する。
自動閉塞化が進む今日の鉄道業界で、昔の習慣が今も残されている路線は貴重である。
と言うよりも、銚子電鉄は自動閉塞化に踏み切れるだけの予算が準備できない、というところが本音なのではないだろうか…
残念ながら、スタフ交換を行う瞬間をカメラに収めることはできなかった。
上り列車と下り列車はほぼ同時に出発し、それぞれの行先の駅に向け、散らばっていった。
上下線交換駅というのは、今乗ってきた列車と、逆の方向へ進む列車に乗っても時間短縮にはならない。
次の上りも下りも、30分待たなければやってこない…
仕方がない、列車がくるまでゆっくり駅観察でもしよう。
それにしても非常に味わい深い木造駅舎である。
窓口は昭和の時代にタイムスリップしたかのような、哀愁漂う雰囲気に包まれている。
「出札口」の文字が、右から左に書かれている。あの標識はいったいいつからあの状態で掲げられているのだろう。
銚子方面のホームにも、小さい待合室が設置されている。
跨線橋は無く、ホームの行き来には踏切を使用する。
その銚子方面のホーム側に引き込み線があり、そこに赤と黒にペイントされた車両が静態保存されていた。
このペイントには見覚えがある。
銚子電鉄の車両と言えば、確かこのペイントが主流だったような気がする。
鉄ヲタになる前から、何故かそれは知っていた。
もう現役は引退してしまっているのだろうか?
願わくば一度、このペイントの車両に乗ってみたいものである。
駅の出入り口は、住宅の間の小路を抜けなければならなく、非常に分かりづらい。
駅案内の看板は一応設置されているが、付近の住人以外の人が駅前の道を通っても、そこに駅がある事には気づきにくいのではないか?
一応、銚子電鉄の主要駅ではあると思われるのだが、このような地味な扱いにされて良いものかどうか、少々気の毒にさえ思える。
しばらく駅舎の待合室でぼんやりしていると、列車が来てしまったようだ。
今から銚子行き方面のホームに渡るのは少々危険だろう。
私は三たび、外川行きの列車に乗り込んだ。
今回の列車は、桃鉄列車だった。
列車は住宅街や工場の脇をすり抜け、ほぼ真っ直ぐに進む。
銚子を出たと思ったらすぐに次の駅に着く、その駅を出たらまた次の駅にあっという間に着く、という感じで2駅をポン、ポンっと過ぎた後は、うって変わって木々の中をすり抜けるようにして列車は走る。
そして、木々の中に列車は停車。三たびあっという間に次の駅に着いた。
まずは、この駅で降りてみる。
「本銚子(もとちょうし)駅」
1面1線の単式ホームと、木造の小さな待合室を持つ、非常に静かで小さな無人駅。
駅の周りは林に囲まれ、一見秘境的な雰囲気も感じ取れる。
自動販売機さえ無ければ、の話だが…
実はこの駅には、鉄道ファンに周知されている、ちょっとした名物が存在する。
駅を出て少し歩いたところに、線路を跨ぐ、自動車1台通れるか通れないか、というほどの小さな橋が架かっている。
そこから見晴らしの良い角度で、車両の写真を撮る事ができるのである。
この駅で下車した途端、全速力でこの橋まで走ってくれば、自分が乗ってきた車両を上から見下ろした角度で撮る事もできる。
私は撮り鉄ではないので、そこまでして労力は使うつもりはないが、名物に便乗して写真を撮ってみる。
これなら写真の技術がなくても、ある程度の写真が撮れる。
しかし私がカメラに収めた写真は、今乗ってきた列車と、逆の方向へ進む列車。
もちろんこれではこの列車に乗ることなど不可能。
今乗ってきた列車と、逆の方向へ進む列車に乗って時間短縮を図るといった計画は、早くもここで崩れてしまった…
しかし、これはご愛嬌と言うことにしておこう…
この駅に30分ほど滞在して、先ほど写真に収めた、銚子からやってきた2両編成の白い車両に乗り込み、次の駅を目指す。
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今回の目的の路線は、
「銚子電気鉄道」
一般的には銚子電鉄、一部の人からは銚電とも呼ばれている。
ここでは銚子電鉄と呼ぶことにする。
銚子電鉄は大正2年、前身となる鉄道会社が銚子~犬吠間を開業。
利用不振から大正6年には一度廃止となったが、大正11年、「銚子鉄道」(現在の銚子電気鉄道)が路線を復活させ、翌12年には、路線を外川まで延長させた。
歴史のある路線ではあるが、常に廃線の危機と背中合わせでここまで歩んできている。
多方面の分野からの援助を受けつつ、何とか経営を続けられてきたのだが、東日本大震災の影響による観光客激減の為、ついに2013年2月1日、銚子電鉄は経営の自主再建を断念することを発表した。
今後の銚子電鉄の行く末が注目されている。
そんな路線でも、ここまで廃線の危機を救ってきた決定的なアイテムが一つ存在する。
それは後程紹介することにする。
銚子駅を観察するために、一度改札を出ていた私は、銚子電鉄の一日乗車券を購入しようとする。
しかし自動券売機や窓口では販売されていないとの事。
駅員に申告し有人改札から入場したのち跨線橋を渡り、島式ホームになっている2・3番線へ回る。
するとホームの東側に、「銚子電鉄」の文字が掲げられた、小さな洋風の建物が見える。
これが銚子電鉄ホームの入り口にあたる。
駅舎と呼んでよいものかどうか判断に迷う建物には、数年前まで風車がつけられていたらしい。
老朽化の為か、今はその風車は撤去されている。
この建物で一日乗車券が買えるのかと思ったらそうでもなかった。
建物の中はただの待合室のように扱われていた。
建物を抜けると、駅から東に延びる線路が、雑草で埋もれている様子が見て取れる。
そんな中、2番線ホームが切欠きされていて、そこに青くラッピングされた、1両の車両が出発を待っていた。
よく見るとその車両には、ゲーム「桃太郎電鉄」のキャラクターがラッピングされていた(現在このラッピングは変更されている)。
車内に入ると、ロングシートにまで桃鉄のキャラクターが描かれていた。
シートに座り、車掌からようやく一日乗車券を購入。
「弧廻手形(こまわりてがた)」と呼ばれる切符で、1枚620円。
観光施設などの割引特典も付いている。
この切符を手にして、私はある計画をここで実行することにした。
意識するようになったのは、初めての旅で、ムーンライト信州81号で一旦白馬まで行き、それまで来た道を、岡谷までそのまま180度引き返した時。
白馬から岡谷まで、営業キロは片道84.7㎞、運賃は往復で3,240円。
何の用事もなく普通の乗車券で往復しただけなら不経済極まりない行為だが、乗り降り自由な青春18きっぷだからこそ気兼ねなくできる行為である。
さらに18きっぷの1日分の料金2,300円を考えると、これだけで切符の元がとれてしまっている。
この日から私は考えていた。
どうすれば、フリー切符で一番元の取れる乗り方ができるのか…
ある路線の、始点から終点まで一気に乗車するのと、始点から一駅のみ乗車した場合。
料金が高くつくのは、言うまでもなく後者である。
鉄道に限らず、乗車距離が長くなると、その分運賃も割安になってくる。
弧廻手形の620円という料金は、銚子~外川間の往復の運賃。
ただ単に銚子~外川を往復しただけでは、損はしないが得もしない。
銚子電鉄の初乗り運賃は150円。
銚子電鉄線は、起終点駅を含むと10個の駅が存在する。
もし一駅一駅乗降車を繰り返してゆくと…
150円×8(回下車)+180円(海鹿島~君ヶ浜の駅間キロのみ初乗り運賃を超過する)=1,380円。
さらに帰りの運賃をプラスすると、1,380円+310円=1,690円。
これだ!
赤字の銚子電鉄には非常に申し訳ないが、銚子電鉄線の全駅に降り潰す。
全長6.4㎞という距離からしても、1日で全駅に降りるのも不可能ではないだろう。
この路線には面白い駅もあるらしいから、これは一石二鳥である。
後程、雀の涙程度だが、銚子電鉄への援助も考えているので、許して欲しい。
しかし、本当に順番に一駅一駅乗下車していったのでは、非常に時間が掛かってしまう。
そこでさらに考えなくてはならない。
銚子電鉄は単線路線。
まず下り列車に乗り、ある駅に下車したとしよう。
その駅にやってくる次の列車は、高い確率で上りの列車の筈である。
下り列車に続けて、またその駅に下り列車が来ることなど、かなり特殊なダイヤでも組まない限り皆無だろう。
これである。
簡単に言えば、下り列車で3駅進んだ後、上り列車で1駅戻る。
降りた駅で、今来た方向とは違う方向に進む列車に乗る。
これを繰り返せば、1方向の列車だけに乗って全駅下車する場合より、確実に時間は短縮される。
10時45分。
列車は定刻通り外川に向けて出発した。
ここに、銚子電気鉄道阿房列車の旅が始まった。
-何にも用事が無いけれど、台風から逃れる為に、列車で東へ行こうと思う-
9月に入ったばかりの天気予報は不吉であった。
台風12号は当初、関東や東北の太平洋側を進み、足早に日本付近を通過する見込みであった。
しかし台風の北側で太平洋高気圧の張り出しが強まり、進路を拒まれる形で進路を西に変えた。
のちに大型の台風へと進化し、四国地方と中国地方を真っ二つに裁断するような勢いで北上した。
この太平洋高気圧の気まぐれが、日本列島に大打撃を与えた。
日本の各地で浸水被害や土砂災害が発生した。
特に紀伊半島南部に与えた被害は甚大で、和歌山・奈良・三重の三県だけで死者・行方不明者は80人を超えた。
この台風の影響で、紀伊半島の海岸線を走る紀勢本線は一部区間が寸断され、復旧するまで3か月の期間を要した。
この台風は関東地方にも爪痕を残した。
私の住む本庄市内でも、豪雨による土砂崩れが発生したのを始め、市内の至る道路で冠水が発生した。
台風の進行方向西側にあたる地域の被害が大きくなる、と一般的に言われているようだが、この台風は例外であった。
子供の頃は、台風が来ると言われると根拠も無くワクワクしたものだったが、歳のせいか、はたまた関東大震災のせいか、最近は心配する気持ちのほうが上回ってしまう。
それにしてもこの年は、受難の一年となった。世間的にも、個人的にも。
2011年9月3日(土)
台風が四国に上陸して本格的にひと暴れする直前に、私は青春18きっぷを片手に家を出た。
前日までの本庄市内の豪雨は峠を越えたようだが、全く油断はできない。
とにかく台風から遠ざかろう。私はひたすら東へ向かうことにした。
ぜひ乗りたい路線もあることから、少々危険を冒してでも行きたい。
空の便は言うまでもなく欠航が続出していたが、幸い関東一帯の鉄道に運休・遅れは出ていなさそうだ
(ただし9月2日発のサンライズ出雲・瀬戸は上下とも運休となっていた)。
高崎線の上り始発列車に乗り込み、上野から京浜東北線→秋葉原から中央・総武線→千葉から総武本線と乗り継ぐ。
列車は気持ち良いくらいに定刻通り動き、乗り換えもスムーズであった。
不安定な空模様が照らし出す総武本線からの車窓は、右を向いても左を向いても一面の田園風景が広がり、非常に長閑なものである。
停車駅は小さな駅が多く、中には秘境駅のような雰囲気を醸し出している駅もあった。
よく千葉と埼玉はお互いライバル視されるという話を聞く。
千葉県民は千葉より埼玉の方が田舎だと言い、
埼玉県民は埼玉より千葉の方が田舎だと言う。
しかし和歌山出身の私からして見れば、どっちもどっちであり、どちらが偉いとか劣ってるとか格付けする行為自体、非常に馬鹿馬鹿しいことだと思う。
埼玉を馬鹿にする千葉県民に、この総武本線の車窓を見せてあげたい。
逆に千葉を馬鹿にする埼玉県民には、秩父鉄道の秩父~三峰口間の車窓を見せてあげたい。
ライバルと思える相手がいるのはまだマシだ。
和歌山など、「近畿のオマケ」などと揶揄され、最初からライバルと見てくれる相手もいないのだから…
本庄から4時間余りかけて、定刻通り総武本線の終点、銚子に到着した。
ここまで来れば、台風の影響も少ないだろう。
ここから、今回の目的の路線に乗車する。
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