齋藤秀雄です。再び京都へ戻ってきました。 -6ページ目
もう2週間経ってしまいました。
書こう書こうと思いつつ、バタバタして書ききれず今日にいたりました。
あ~物書きにはなれんなぁ~とつくづく思います。
さて、最近「さかあがりハリケーン」が中心になっているくロマンポップ。
今回は写真家久保田狐庵とのコラボ企画。
あいかわらず、バカバカしい感じの2編の(3編だったかな?)のお話。
ただ、バカバカしいだけなら面白いだけなのだが、そこがロップのいいところ。
バカバカしさの裏側にしっかりと人の哀しさやおかしさや内在し、向坂くんなりの皮肉と表現が描かれています。
「泥団子師匠」(でいいのかな?)という作品。
お金にならない、いやむしろお金を取られてしまう「泥団子づくり」に、命を懸ける男と、その男に弟子入りした男の話。可笑しくも哀しい話。
こういう話をさらっとできるあたりさすがだといつも思います。
それと常識を破ろうとする試みも実に面白い。
こうやって、開演まで作演出で役者の向坂君自身が話をする。
そういえば、昔、ファントマの伊藤えん魔もよくやってたっけ。
それと劇中の写真オッケー。
これも面白い!
芝居だって、昔は酒飲んだり寿司食ったりして観てたんですよ~
なんだかいつの間にか芸術ぶっちゃってさ~
もし、僕が一人芝居でもすることがあれば、酒飲んで飯食って、できれば野次飛ばして観て欲しいと思います。
最後は踊る高田会計。
初演は東日本大震災の直後でした。
私は、千葉の自宅の中がぐちゃぐちゃになってしまったので、その後始末もあって観に行けなかった記憶があります。
今回はトリエ・Aプロデュース山口茜さんの演出。
いやはや、仕事を終えてタクシーで駆けつけた甲斐が何倍もありました。
田辺さんの作品は会話劇なのですが、語らない部分がj実にたくさんあって、そこが観る者のイメージを膨らませてくれて、奥がぐっと深くなります。
しかも山口さんの演出に、卓越した役者陣の演技が素晴らしく、あっという間に観終わってしまいました。
細かい細かいところまで、ちゃんと作り上げているというのが特にすばらしかった。
たとえば、死んだ人に遺影を模した木枠を持たせるのですが、その遺影をくぐろうとする役がいたり、枠に上着をひっかけている役もある。すべては類推できないが、すべてに意味がある。
特に私が気になったのは、布の使い方。
大きな巻き取った布を竹ち代さん演じる船員が、ポイントポイントで少し切り取って袖に消えてゆく。
ずっと気になっていたので、アフタートークでその意味を聴いてしまいました。
演出の山口さん曰く「これは絶対に観る人にはわからないのですが、あれは後で上から落ちてくる『兄』のズボンなんです。」・・・
これがただの「意味不明で難解な芝居」だったら、「はああ、なにゆうとんのじゃ?」なのですが、そうならないのは、語る部分と語らない部分のバランス感覚が絶妙なのでしょう。
観る側の創造の範囲をあえてポイントポイントで残す。
全て任せてしまうのは無責任。でも、バランスよく残すところが絶妙な面白さを生み出すのでしょう。
さて、錚々たる役者陣に交じって、西一風後輩の田中次郎君と飯坂美鶴妃さんは本当によく頑張ってました。いい演技していました。
正直、相当稽古は大変だったろうし、胃に大穴があきそうだったのではないかと想像できます。
でも、このお芝居がまたこの二人を大きくするのだろうなと思います。
学生時代から観ている二人。もっともっと大きくなって欲しいなと思います。
写真はわかりにくいですがアトリエ劇研の看板です。
すいません。
観劇後一週間経ってしまいました。
さ、市川タロ君のデ、市川君の話によると劇研というか劇場で彼の作品を上演するのは3年ぶりくらいだそうです。確かにその間は、ギャラリーやライブハウス、カフェといった空間でやってましたね。
今回は市川君らしい「独白劇」。
会話劇もいいですが、市川君の場合、独白劇のイメージが強くて、やっぱりいいです。
以前も書いたことがありますが、演劇というより「詩」であり「絵画」であるイメージがするのです。
真っ黒な舞台に、額に見立てた木枠と、中央に別途に見立てた木枠、そしてひまわり。
舞台はやはり絵画的。
で、美しい。
そして、台詞というかむしろ詩。
死に向かっているららしい男とそれを見つめるらしい女の話。
それを5人で描く。
6人でも4人でもなく、5人。
そこが市川君らしい。
独白を複数で演じるからとても難解。
決してわかりやすくしようとしない。
市川君自身、「感想を言われたくない」という・・
なんてすばらしきへそ曲がり。
今回、今までと違うと感じたのは性描写。
とても柔らかなのだけれども優しい性描写。
おそらくはそれは彼が女性にとても優しいのだろう。
果たして、どこまで彼が描こうとしたものを私自身が受け取れたかはわかりません。
でも、おそらくは、市川君のお芝居は描いているものをすべて受け取り理解することが目的ではなく、彼が描いたものを観て、観たものがそれぞれイメージする。
それが10人いれば10通り、20通りでも構わないのではないかと思います。
だから、どれも正解であり正解でないのだろうか・・・
ということで、相変わらず難解で美しいお芝居でした。
Twiiterで良い評価が流れているので、ちょっと書きづらいですが、私の評価はちょっと厳しめです。
あ、今週は「デ」を観てきたのですが、ひとまず先週の努力クラブの感想から。
さらに、大阪公演を観る予定の方は【ネタバレ】になりますので、要注意です。
そこは、どうやら高台。
そこから、魔王城が見えるらしい。
あるいは見えたらしい。
魔王城を眺める人、かつて魔王城があったところを見に来た人たちが、それぞれ魔王城を語り、そして、ぼんやりとしていた魔王城の形がだんだんと見えてくる。
登場人物は誰も魔王城に行ったことがない。なのにたくさん語れるのである。
シーンの時系列は前後されていて、いろいろなイメージをすることができる。
そして、最後に合田君自身が作者として登場して来て言った言葉が「魔王城ってなかったんだよ」と根底から覆してしまう。
静かな始まりでした。
バタバタと展開するのではなく、高台(と思われるところ)からの見た目で展開するので、何はともあれ、役者さんの視線がミソ。
ここがちゃんとしてないと、正直役者さんの粗が気になってしまう。
申し訳ないですが、私はここが一番気になりました。
静かなお芝居ほど、細かい所作が大事ですもんね。
努力クラブも公演を重ねてきて、いろいろなキャリアの役者さんが出ています。
当然キャリア差を埋めるのは演出の力量です。
正直、もっとやりようがあったのじゃないかと思います。
後、そういった演技の粗さもあり、中盤がとてもだるかった。
後半、キタノさん、2号さん、佐々木君、長坂さんらが展開するシーンがとてもよかったので、そういう意味でも残念でした。
合田君は最後に作者として自分が出てきて、お話を終わらせてしまう手法が自分としては苦肉の策であったということを言っていましたが、正直、そこはむしろ面白かったです。
何かが足りない気がしたのは、魔王城がもしなかったとしたらどうであるかという考察が少なかったところでしょうか。
努力クラブをずっと観てきて(観てない公演も2つありますが・・・)、私の中での期待感がかなり膨らんでいることもあったのでしょう。面白かったのですが、少し不満が残ったのは事実。
もしかしたら、大阪公演はもっとよくなっているかもしれませんが、残念ながら行けません。
でも、大好きな劇団、愛すべき劇団であることは変わらないので、今後も応援を続けたいと思います。
写真は公演後のアトリエ劇研です。
忙しい忙しいと言い続けていたのに・・・・・
どういうわけだか夫婦でPTAのテニス大会に出ることに・・・・・
「頭数そろえるだけだから・・・・」っていう話だったはずが・・・
今日はその練習・・・・・
生まれてこの方、テニスのラケットを握ったことは1回くらいしかありません・・・
でも、やっぱり体を動かすって楽しい。
キャッキャ言いながら2時間・・・・・
右手が思いっきり効かなくなるまで練習してしまいました。
嫁も体じゅうガタガタらしいです。
なんだかんだ言って体育会系夫婦という一面がここで出ます。
(あ、高校は卓球部で、大学は劇団西一風ですが、当時体育会系劇団って言われていたくらいの肉体練習してました。(笑))
大会当日はどうなるかわかりませんが、
けがしないように頑張ります・・・・

